三枚の御札
大公の前に参じたズミインは、普段通りの冷淡さで、しかし礼儀正しく状況を報告していた。
壺の中に封じられていた悪魔は確かにBランク上位であり、今は条件のすり合わせ中だが一か月後には答えが出るとも。
それを聞いて、大公は特に反応しなかった。
もちろん心の中にまったく恐怖がなかったわけではない。しかし何か起きる可能性はほぼないと判断したからこそ、こうして悪魔の解放を許可したのだ。
予定通りなにも起きず、しかも戦力にできる可能性があるのだから、これで動揺するほうがどうかしていた。
「報告ご苦労、坩堝を運んでの道中も大儀だった」
どちらかと言えば、ズミインが坩堝を護送している間に襲撃されることの方が心配だった。
ズミインも強いとは聞いていたが、ガイセイやアッカほど絶対的に強いわけではない。場合によっては敗北し奪われる可能性も考えられた。
結果的には杞憂だったが、それでも危うい役割だったことに変わりはない。
「いえ、務めですので」
「そうか」
そっけないとさえ思える返答だが、とっつきにくい相手だ、と大公は思わない。
彼女の言い方には少々文句をつけられるが、それは重箱の隅を楊枝でほじくるようなものだ。
その謙遜は礼儀の範疇であるし、返事が気に入らないからと言って怒るほど狭量ではない。
大公は、こういう性格の女性なのだろう、と割り切った。
少なくとも不愉快になってはいない。
だがだからこそ、少しだけ気になった。
彼女は武将に匹敵する実力者であり、才能がある上で努力もした女傑だ。
その彼女の目には、己の弟を従える狐太郎がどう映ったのか。
「君は報告が終わり次第、前線基地へ戻るのかね?」
「はい。あの悪魔と契約するか始末するまでは、私にも責任がありますので」
「ではその前に少し質問をさせて欲しい」
ケイやランリのような人間が多数派だとは思わない。
そもそもブゥは、狐太郎の悪魔であるササゲの力を頻繁に借りている。
ある意味ケイやランリが望んだことを、彼はとくに対価を払うことなく行っているのだ。
彼が望んでいるかはともかくとして。
「君は狐太郎君のことをどう思っている?」
「……所感でよろしいですか」
「もちろんだ」
ブゥに心なしか顔の似ている女性は、しかしまるで似ていない表情のままだった。
「何も思うところなどありません」
なんの感情も発されていないが、しかし本心だと分かっていた。
「もちろん、弟の主であること、我が家の爵位が上がったこと、今回の件で安全に事を運べること。それらに感謝しております。ですが、それだけです」
「……彼個人へ感情を向けていないと」
「おっしゃる通りです」
悪魔のような人間と言っても、人によっては悪魔へのイメージが異なるだろう。
その理屈で言えば、ズミインもまた悪魔のような女だった。
「私は彼に一度会っただけですし、少し話をしただけです。それで彼へ心情を決められるほど、私は傲慢ではありません」
一度会って話をしただけの相手の、何が分かるというのか。
言われてみればその通りだが、第一印象さえ抱かなかったらしい。
それは明らかに異常である。
「彼もまた、私にどうとも思われたくないでしょう。彼にとって私など、ブゥの姉であり封印された壺を持ってきただけの女だと思っているはずです」
「それは……そうだな」
「この一月、前線基地に滞在する間に、何かを思うかもしれません。ですが必要以上に関わるつもりはありません」
合理があり、感情はなかった。
あくまでも仕事で来ていて、必要なことだけに心を配るべきだと判断していた。
「人のことを正しく知り評価するには、相応の時間と労力を必要とします。それを狐太郎様に強要するつもりはありませんし、私自身もまたそれに割けるだけの余裕がありません」
「なるほど、道理だな」
大公自身もまた、狐太郎の人となりを理解し、実力を確かめるために多くの時間を割いた。
同時に自分のことを理解してもらうために、親密に思ってもらうために、手間暇は惜しんでいない。
逆に言うと、それぐらいちゃんと触れ合わなければ、相手のことを知った気になることさえ許されないのだ。
少なくとも彼女はそう思っているようである。
「私にわかることと言えば、弟が強くなっていたことだけです」
「……そうかね」
「このような言い方は失礼かもしれませんが、弟にとってこの環境は適切なようです」
「ふぅ……確かに傲慢不遜ないい方だが……その通りだろうな」
ガイセイやアッカとは毛の色が違い、他人に戦闘能力を依存しているが、それでもブゥはあの森でAランクハンターをはれる逸材である。
あくまでも狐太郎のササゲあってこそだが、それぐらいに底なしの実力者だ。
「だがそれは、君や君たちの兄が指導をした結果でだろう」
「もちろんです。何もしていなければ、死んでいました」
一切迷いなく、彼女は言い切る。
「弟はあの森で、強くなる『必要』を見つけたようです。その中には、狐太郎様が入っている可能性もあります」
ホワイト・リョウトウは最初に学校に通い、その後に武者修行をした。
ブゥも実家で基礎訓練を行い、その後で前線基地へ来た。
最初の段階で正しい戦い方を学んでおくことは、その後の成長に大きな影響を与えるのである。
だがそれはそれとして、基礎以上の力を得るには、外側への想いが重要になる。
ササゲという戦力があり、ガイセイという強敵がいて、気を抜けば死ぬ大量のモンスターがいる。
自分からは積極的に強くなろうと思わないブゥも、あの森では強くならざるを得ない。
「そして私はそれを気にしません。私が気にする必要はなく、ただ結果だけを見るつもりです」
「……酷な人だな、君は」
「ブゥは結果が出せる者です。だからこそ私も兄も、弟を後継者として認めたのですから」
※
この世界における悪魔というのは、基本的にBランクである。C以下はいない代わりに、Aランクも存在しない。
つまり全体的に高位ではあるが、常人が頑張ればどうにかできる枠を超えることはない。
もちろんBランク上位が集まればその限りでもないのだが、それでも大将軍やAランクハンターには勝ち目がない。
厄介で強大ではあっても、どうにかできる範囲を逸脱することはない。だからこそ逆に誘惑されてしまうのだが、それが悪魔というモンスターである。
とはいえ、話が通じる上に交渉さえしてくれるのだから、理性のないモンスターよりは相対的にマシである。
少なくとも悪魔側はそう思っており、特に人間へ協力的な悪魔はそう思っていた。
そして狐太郎がどう思っているのかと言えば、やはり悪役である。
情に厚い面もあるが、やはり悪役でありたいと思っているモンスターだった。
「みんな、聞いてほしい。俺はこれから壺に封じられていた悪魔と頓智比べをするつもりだ」
狐太郎は自分の護衛と四体のモンスターを集めて、そう宣言していた。
ただそれだけでブゥは感謝にむせび泣いているし、成功を祈って手を合わせている。
ネゴロとフーマは不安そうではあるが、事前に『負けてもリスクはない』と明言されている関係上不安を口にすることはなかった。
「……あのさ、ご主人様。どうやって騙すの?」
だがアカネにしてみれば、何をどうやって悪魔を騙すのかがわからない。
狐太郎が勇気を持っていることは知っているが、頓智に秀でていると思ったことはない。
「あのね、アカネ。ここで言ったら頓智対決にならないでしょう」
「そうなの?」
「これから詐欺をしに行くのに手口を説明したら半減どころじゃないわ」
クツロもどうやって騙す気なのかわからないが、趣旨は理解しているのであえて聞くことはなかった。
それに最悪の場合、ササゲがどうにかするだろうとも思っている。
「ササゲ。一応聞くが……あの悪魔が横紙破りをすれば、そのときは……」
「ええもちろん、私はそのつもりよ」
それを声に出して確認したのはコゴエであり、それをササゲはすんなり認めていた。
「自分で決めたルールを自分で破るような、悪魔の恥さらしは私が始末するわ」
ルールに守られているのは狐太郎だが、同時にルールを決めた悪魔自身も守られている。
もしも封じられた悪魔が、自らの宣言を無視してルール違反をした場合、魔王であるササゲの制裁が待っている。
それはリァンがケイを殺したときと同様の、どうしようもない殺意だった。
「でも楽しみだわ~~! ご主人様がどうやって騙す気なのか! 本番が待ちきれないわね~~!」
「それなんだが、俺は一対一で臨む気だ。勝負するところは、他の誰にも見せない」
「……え?」
「ササゲも我慢してくれ」
「そ、そんな……!」
ショックを受けるササゲ。
おそらく一対一で戦うこと自体に意味があるのだろうが、だからこそ気になってしまう。
一体どんな悪い手口で悪魔をやりこめるのか、どうあっても自分は知ることができないのだ。
「鵺、用意してもらった物については他言するなよ」
「承知! 酒飲んだら忘れます!」
「ああ、そうしてくれ」
分裂すると口が軽くなるのだが、それでも最悪頓智比べが終わるまでもてばいい。
そう判断した狐太郎は、一旦屋敷から全員を外へ出した。
もうしばらくすれば、壺に封じられていた悪魔が、ここに来るはずである。
既に準備をしている狐太郎は、物凄く後悔していた。
自分で自分を追い込んだ彼は、もう例の作戦を実行に移すしかない。
(物凄く嫌だから成功率も高い、相手からの好感度も高い……でもだからこそ、嫌だなあ……)
改めて思うのは、この作戦の意義である。
あくまでもブゥが姉から痛めつけられるだけであって、殺されることはない。
なので一対一で悪魔と対峙する理由はないのだ。
だがそれでも、ブゥに泣きつかれると断りにくい。
(しかし……ブゥ君が普段から俺のために命を賭けてくれていることも事実……)
下品な言い方だが、これは恩を売る機会でもある。
もしも成功すれば、きっとブゥは狐太郎に感謝するだろう。
それだけでも十分意味があることだった。
なによりも、普段の彼へ感謝を示すことにもなる。
大公は狐太郎に「命を賭けて戦って良かった」と思わせるために手を打っているが、狐太郎だってブゥに「命を賭けて戦ってよかった」と思わせなければならない。
失敗してもリスクがないのなら、なおのこと挑戦しなければならなかった。
「あらあら、お呼びにあずかりました……死を待つ悪魔でございます」
ササゲと同様に、女性的な動きをする悪魔。
舌が団扇の様に大きい彼女は、その舌を妖艶に動かして上機嫌さを表している。
「ええ、こんなにも早く呼んでいただけるなんて……私も悪魔冥利に尽きるというものです」
どうやら期待されているらしい。
この時点で既に、作戦の五割は成功していた。
「つまらないネタだったらどうしようとか思わないのか? 外したら恥ずかしいんで、出て行ってもらったとは思わないのか?」
「その時はその時ですよ。それに……私を悪魔と知って、リスクがないと分かったとしても、それでも一対一になった健気さには応えたいじゃないですか」
邪悪な笑みだった。
狐太郎の中にある不安を感じ取って、それだけでも嬉しそうである。
「よし……それじゃあすぐに勝負しよう」
狐太郎はそう言って、三枚のカードを取り出した。
裏は真っ黒だが、表面にはそれぞれ字が書いてある。
「見ての通り、俺は三枚のカードを持っている。うち二枚には『外れ』と書いてあって、残った一枚には『大当たり』と書いてある。お前は俺がシャッフルする間こっちの方を見ないようにして、終わったら見てくれ」
「へえ」
「お前は一枚だけカードをめくれる。そのめくったカードが『外れ』だったらお前の勝ち、『大当たり』だったら俺の勝ちだ」
「……いいですねえ、わかってますねえ」
とんでもなく単純で、しかし細かい説明がところどころ抜けているルールだった。
しかし大事なことは、とても分かりやすい。少なくとも、勝敗でもめることはなさそうだ。
(露骨なほどに穴だらけ! カードを彼が用意している時点で、既に贋作をそろえ放題! 私が後ろを向いている間に、三枚とも『大当たり』に変える可能性もある! だが! それはない! 少なくとも、そのままはない!)
そんな安易な手品では、悪魔を騙そうと思わないだろう。
少なくとも最初に会った時の話を聞いていれば、今思いついたことをそのまま実行することはないはずだ。
(それに、二枚ではなく三枚というところも気になる! なぜ『大当たり』を私が引いたら勝ちなのかも気になる! ただの運でもないことは、この時点で明らか!)
興味が惹かれている。
この時点で既に、彼女は楽しんでいた。
その楽しみようを見て、しかし狐太郎の顔は固かった。
「……どうだ、受けるか」
「ええ……ぜひ」
「じゃあ、後ろを向いてくれ」
悪魔はスキップ気味にその場を回転して、後ろを向いた。さらに両手で顔まで隠している。
(もしかして、私の前に移動して『お前俺の前に来たな』とか言うとか? 床が回転するとか? そんな大掛かりなギミックなら……それはそれでアリ!)
このわくわく感がたまらない。
悪魔はありもしない心臓の高鳴りを感じていた。
そして……何やら音がする。
明らかに何か細工をしている。
(凄く見たい! 一体何をしてるんだろう!)
悪魔だけに、悪魔の誘惑に負けそうだった。
だが我慢我慢、忍耐の時である。
彼女は胸の高鳴りを堪えながら、その時を待った。
そして……。
「もういいぞ」
ややうわずった、狐太郎の声が聞こえた。
「はあ!」
歓喜して、悪魔は狐太郎の方を向く。
そして彼を見て、その表情が驚愕へと変わった。
「な、なにぃいいいいいいい?!」
狐太郎は、いっそ大げさなほど、手品のすり替えが不可能な構えを取っていた。
ただでさえ彼が用意させたカードは大きいのだが、それだけではない。
狐太郎は黒い裏面を彼女に向けているのは当然として、右手に一枚、左手に一枚ずつ持っていたのである。
「し、下ネタ……?! い、いきなり下ネタ……!」
狐太郎は、下着一丁の恰好だった。
しかしパンツ一丁ではない、ふんどし姿だった。
そしてふんどしの、前の垂れた布地に、のこった一枚のカードが下がっている。
「さあ、めくれ!」
物凄く恥ずかしそうな顔で、狐太郎はそう宣言していた。
「な……なんてこと?!」
果たして、『大当たり』は右手か左手か、それとも真ん中か。
そんなことは、もはや考えるまでもない。
だがだからこそ、彼女の逃げ道は完全にふさがれていた……!
「は、早くしてください、お願いします……」
狐太郎の逃げ道も、完全にふさがれていた。
評価してくださった方の数が300人に達しました。
どうもありがとうございます、今後も精進いたします。