狐と狸の化かし合い
雷雨とどろく、前線基地の外。
通常ならば忌むべきものだが、今この時に限っては止まぬことを願わざるを得ない。
悪魔の計略に陥った狐太郎たちは、なんとかして悪魔を騙さざるを得なくなったのだ。
(思えば初めてヂャンに出会った時、ササゲが言質を取ろうとしたら話すことも拒絶していたな。アレは相当賢い対応だったんだなあ……)
今更嘆いても遅いが、壺に封印されていた悪魔は「一ヶ月は殺されない」という状態になった。
もちろん罰則や対価を決めたわけではないのだが、それでも破ればどうなるのかは想像したくない。
また一切罰則がなかったとしても、ササゲやセキトはとてもがっかりするだろう。それはそれで、避けたいことだった。
狐太郎とブゥ、アカネとクツロとコゴエは、狐太郎の屋敷に戻って作戦会議を始めていた。
とにかくこのままでは、ブゥが酷い目にあってしまう。それはできるだけ避けたかった。
(前にダッキからタガメを食わされた時もそうだったけども……状況のラインが絶妙だなあ)
この、できるだけ避けたい、というのが厄介である。
別にこのままでもまあ仕方がないかなあ、という線でもある。
ブゥは本気で嫌がっているが、やることはズミインが彼をしごくだけである。
もちろん見ていて楽しいものではないが、あくまでも彼の成長を助けるものだ。
横紙破りをしてまで、妨げるか、というと否である。
これがもう、絶対に死ぬ、何があっても死ぬ、避けなければならない、というのであればササゲたちにも協力を強制できただろう。
だがズミインが自主的にブゥを鍛えるだけであり、殺す気もないし何かを奪う気もない。
極論、ブゥが一ヶ月真面目に頑張って、さらに成長したほうがいいのだ。
(情報を客観視すると、授業を受けるのが嫌だから、授業を受けずに済む方法を考えているようなものだしな……)
練習がしんどいので、練習をさぼる方法を考える。
本当にそれだけなのだが、実際に練習を見た身としては止めたかった。
「どうしよっか……ブゥ君がかわいそうだよ」
「そうねえ……このままだと叩きのめされるわね。正直、見たくないわね」
「アカネさん……クツロさん……! ありがとうございます!」
さて、どうしたものか。
一行は悪魔を騙す方法を考え始めた。
「……」
考え続けた。
「……」
考えて考えた。
「あのさ、護衛の仕事があるから鍛える日を減らしてもらうのはどうかな?」
「それね」
「駄目ですよ!」
アカネの出した案は、割と現実的で正当性もあった。
なのでクツロは良しとしたのだが、あいにくとブゥは嫌だったらしい。
(無理がないと思うけどなあ……)
被害を減らすという意味では、失敗の余地がない作戦である。
なにせブゥの仕事は狐太郎の護衛である。その仕事を達成するために鍛えるのはいいが、支障が出ては本末転倒であろう。
これにはズミインも文句は言えないはずである。
「あの悪魔を騙して、ルゥ家と契約させて子孫に引き継いでいかないと、僕が一ヶ月叩きのめされ続けるんですよ?!」
(字面が最悪だな)
一ヶ月地獄に落ちるのと、子孫に悪魔を引き継ぐこと。
それらが等価とは思えないが、ブゥにとっては前者の方が回避したいらしい。
「そうは言うけども、ブゥ君……悪魔をぐうの音も出ない程騙すなんて、そうそうできることじゃないだろう」
「それはそうですけども!」
言っては何だが、この場合の騙されたかどうかの判定は、壺の悪魔にゆだねられている。
彼女が壺に封印されたときと同じように、騙されていなくても騙されたと言い張ることもあるし、騙されても騙されていないと言い切られかねないのだ。
そんな言ったもん勝ちの勝負を受け入れたのは、負けても殺せばいいだけだからである。
つまり、ブゥが痛い目を見るかどうかだけが、この場合の分水嶺であった。
「ご主人様、よろしいですか」
そしていつも頼りになるのは、雪女のコゴエである。
「とりあえず専門家を招きましょう。このまま話し合っていても、なんの進展も望めないかと」
「専門家って……ブゥ君かズミインさんしかいなけども」
「いえ、まだいます」
彼女の冷静な判断力によって、この場に専門家が招かれることになった。
「これは詐欺です。であれば詐欺の専門家を呼びましょう」
※
ネゴロ一族、およびフーマ一族。
遠い異国から流れてきた彼らは、いわゆる裏稼業の人間である。
悪魔に対しては専門外だが、悪事に関してはプロフェッショナルと言っていいだろう。
ブゥ同様に護衛である彼らは、呼べばすぐに現れてくれた。
「ふむ……私を騙せ、ですか……」
元は殺し屋であり、今は斥候であるネゴロ十勇士は、あいにくと黙っている。
しかしフーマの十人は、交渉事にもたけているのかちゃんと考え始めてくれた。
とはいえ、話すのは代表の一人なのだが。
「まず申し上げますが……断る気は最初からないのでしょう。それこそ、よほどバカにした内容でなければ、ある程度ブゥ様が痛めつけられた段階で受ける気では」
「最悪ですね?!」
代表である女性の言葉を聞いて、ブゥはしっかり納得して思いっきり怒っていた。
確かに悪魔の考えそうなことである。
「このような言い方はどうかと思いますが、その悪魔に主導権をゆだねた時点で、どのみちそうなったのでは」
(先にこの人たちに相談しておけばよかった……!)
悪魔使い云々以前に、交渉事に向いていない狐太郎たち。
最初から失敗する見込みはなかったが、それを抜きにしても専門家に相談ぐらいはしておくべきだったのだろう。
「これは商品の売り買いではなく、主従の契約です。だからこそ逆に……契約書の文面よりも、お二人に対する好感度が重要なのです」
悪魔のいる世界でも「悪魔のような奴」と呼ばれる人間はいる。
その人間とも交渉をしてきたフーマ一族は、過去の経験から悪魔の性格を推理していた。
「お二人が好ましければ合格、お二人が好ましくなければ不合格。そして……たとえ嫌う相手でも、本当に自分を騙せればそれはそれで合格とするのでしょう」
ようは困らせてからかいたいだけ。
もうすでに手を組む気であり、なおかつ死んでもいいと思っているが故だった。
「じゃあその……本当に騙せれば、というのは? どうやればできると思いますか?」
「難しいですね」
「……そうですよね」
このままだと、姉からボコボコにされることは不可避である。
ボコボコにされてから悪魔と契約する羽目になるというのは、本当に避けたいところだ。
なので初心に帰って、本当に騙すことを狙うブゥ。
だが相手任せである。
「まず『騙す』というのは、相手に騙されたことを理解させなければなりません。例えばそうですね……トランプなどのカードゲームで、悪魔が理解できないインチキをしても、いまいち納得してくれないでしょう」
極端なことを言えば、コンピューターゲームで対戦プレイをしたとして、初めてやる悪魔は負けても負けを認められるか、ということである。
例えばそこに「チートコードを使っていた」とか「裏技でハメた」などによる騙しの要素が有ったとしても、よくわからないのでナシということになりかねない。
「これは一種の接待なのです。普通の八百長は相手に気持ちよく勝ってもらうものですが、今回は気持ちよく負けてもらうためのもの。突き詰めれば……騙し方がうまければうまいほど、もっと見たがる可能性もあります」
「やっぱり時間をかけないと駄目なんだ……」
ブゥとしては、「ズミインと稽古をすることなく契約する」か、あるいは「ズミインと稽古をすることになるが契約しない」のどちらかであってほしいのだ。
だが悪魔としては、「ズミインと稽古をさせたうえで契約したい」が理想なのである。
しかも決定権は、悪魔の方にあった。
(やっぱりヂャン方式が正解か……)
後悔先に立たず。
やはり交渉の専門家へ事前の相談をしておくべきだった。
ズミインもブゥも悪魔を使役しているが、交渉自体は先祖がやっているので素人だったのである。
「逆に言えば……一度しか使えない騙し方なら、それは二度繰り返させることを野暮と思うのかもしれません」
(……俺はちゃんと、自分が今持っているものを考えるべきだったんだなあ)
的確かつ分かりやすい説明を聞いて、狐太郎は落ち込む。
いつも足りない足りないと嘆いていたが、何かのゲームのように、今の問題に対応する最適な人材は手元にいるのだ。
「ここから先は、相手次第ですね。あるいはその悪魔も、自分の好みを探ろうとすること自体を好ましく思うかもしれません。少なくとも、答えを直接聞くよりは……」
「そうか、ありがとう。参考にさせてもらう」
「お役に立てて光栄です」
ネゴロ十勇士は微妙にフーマへ嫉妬の視線を向けているが、畑違いであることは承知のようなので黙っていた。
ここで腹を立てても無意味と割り切って、そのまま去っていく。
さて、こうなるといよいよ対応が難しくなってきた。
情報が具体的になると、困難さも具体的になってしまうものである。
「あ、あの……狐太郎さん……なんとかなりませんか?」
縋ってくるブゥに対して、狐太郎はしばらく黙った。
そして……。
「何とかならなくもない」
「えっ……?」
「話を聞いていて思ったんだが、悪魔っていうのは種族的にノリが悪いと思われるのを嫌う傾向がある」
「……そうですね」
性格が悪い、過去の行状が悪い、底意地が悪い、あるいは頭が悪い。
お世辞にも善良から程遠い悪魔だが、悪役たらんとしているところはある。
つまり、ノリが悪いと思われることだけは嫌がっている。
コイントスで勝負を仕掛けられたら、実際にそのコイントスに人生を賭けるだろう。
だがただコイントスで勝負を仕掛けるだけでは、受けてくれない可能性もある。
ある程度おぜん立てして、逃げ道をふさいでやらないといけないのだ。
「だからこそ……そこをつけば行けると思ったんだが……」
「思ったんだが、なんですか?」
「いろいろ考えていたら、思いついた」
物凄く嫌そうな顔をしている狐太郎は、そもそも悪魔の騙し方に思い至ったこと自体を恥じている。
「相手は絵本やら昔話の悪役だ。であれば……お約束に沿わせればいい」
「なるほど……? あの、具体的には?」
「凄く言いにくい」
外で雷がとどろいた。
「ブゥ君、はっきり言ってもう諦めたら?」
「助けてくださいよ~~! 今まで一生懸命守ってきたじゃないですか~~!」
「それはそうだけども……」
「助けてくださいよ~~!」
縋り付いてくるブゥ。
涙を流しながら懇願してくる彼を、狐太郎は振りほどけなかった。
「俺だって君がボコボコにされるところを、あれ以上見たくない……! でも仕方ないっちゃあ仕方ないだろう」
世の中には、暴力に反対する者がいる。
どれだけ凶悪な犯罪者でも、力ずくで拘束するのはよくないし、射殺などもってのほかだと思う者もいる。
あるいはスーパーヒーローがヴィランをやっつけることも暴力で、子供に悪影響だと主張する者もいる。
正直なところ潔癖だと思ってしまう狐太郎だが、昨日の暴行を見ればそうも言えなくなった。
目の前で嫌がる人間が一方的に打ちのめされていると、ただそれだけで嫌な気分になる。
正当で必要な行為だと頭で理解しても、心は傷つくのだ。
もちろん殴られている側が一番つらいのだろうが、見ている方も心に傷を負う。
もちろん世の中には、ちょっとした悪党でもボコボコにしたら喜ぶ者だっているだろう。
だが狐太郎はそういう人間ではなかった。
だがそれはそれとして、ズミインの気持ちもわかるのだ。
絶対に止めなければならないような、悪事を働くわけでもない。
ならばいっそお願いするべきではないだろうか。
「そんなに嫌なら強硬に反対すればいいじゃないか」
「殺されます」
「えっ」
「姉さんは僕を殺して自分も死にます」
深刻そうに言うので、なんの冗談にも聞こえなかった。
「姉さんはやります」
「……じゃあしょうがないな」
「はい……」
「諦めて……」
「はい」
「……」
「はい」
「……俺が挑戦してみるよ」
「ありがとございます!」
限界ぎりぎりまでブゥに頑張ってもらおうかと思っていた狐太郎だが、ついに折れた。
好感度を稼がないといけないのは、ブゥに対しても同じである。
『まず私は、ルゥ家に仕えましょう。ですが私が力を貸すかどうかは、当主にも決めさせません。私を従えたければ、私に知恵比べで挑み勝つことです。負けても罰はありませんし何度でも挑戦は受けます。一度でも勝てば、私はその者の生涯にわたって仕えましょう。ですが……もしも私を騙せるものが一人もいなくなれば、その時は抜けさせていただきます』
壺の悪魔は、そう宣言していた。
ルゥ家に所属するとは言ったが、従う相手がルゥ家の誰かとは言わなかったのだ。
(これも計算の内かよ……)
悪魔の計算高さを呪いながら、狐太郎は覚悟を決めるのであった。
※
さて、翌朝である。あいにくの晴天で、ズミインを留める要素は一つもなくなっていた。
途中経過を報告するべく大公の元へ向かった彼女を、ブゥは恐ろし気に見送っている。
欲を言えば、彼女が戻ってくるまでに、何とかしてほしいところだった。
その一方で狐太郎は、秘策の準備をするべく、飯炊きのところに来ている。
Aランク下位モンスター、鵺であった。
「どうされました、ご主人様」
三体に分離した状態ではなく、一体の女性になっている鵺は、とても緩い顔をしている。
森に入ることを怖がっている彼女だが、それでもBランク上位でしかない壺の悪魔より一段上だった。
(こいつが戦ってくれればいいのになあ……)
今更ながら、飯炊きだけさせていることが呪わしい。
こいつが命がけで戦ってくれれば、全体の負担も大幅に減っただろうに。
まあ逆に命がけで戦う対価を求められても困るので、これでいいのだと自分を納得させる。
「あの、もしかして私に森へ入れとか?」
「いやいや、そんなことは頼まない。実はお前に用意して欲しい物があってな」
「用意して欲しいもの?」
「材料なら用意できるから、とにかく早めに、雑でいいから作ってくれ。なんだったらそれっぽく見えればいい。御礼として……残っている雲を縫う糸のお酒を……」
「何でもやりますぜ!」
(森には入ってくれないのにな……)
やはり鵺も酒は好きであるらしい。
まだ具体的な指示はしていないのに、大船に乗るつもりだった。
「……それじゃあ頼む」
「お任せを! で、何をするんでしたっけ?」
「まずは、三枚の御札を作ってくれ」
悪魔を騙す、あるいは悪魔が騙されるしかないと観念する、小芝居の準備を始める狐太郎であった。