蛇に睨まれた蛙
悪魔がいるのだから、天使だっているだろう。
もちろんいる。
だが天使と言っても、上位に神がいるわけではない。
少なくとも、どの世界においても天使が崇める神はいない。
悪魔に魔王やらなにやらがいないように、天使にも神はいない。
もはやその時点で、万人が想像する天使とは違うのだろう。
さて、悪魔は「約束」、「取引」に依る。
端的に言えば、個人と個人同士のやり取りである。
たとえば「お前の家族を見逃してやる」という対価を示したうえで「俺の言うことをなんでも聞け」でさえ成立する。
もちろん他のモンスターに襲われている時でも、己自身が襲い掛かっている時でも、約束であり取引として成立する。
もちろん悪魔も約束に縛られており、少なくとも積極的に家族へ危害を加えることはできない。その一方で、取引をしてしまった者はあらゆる行動を縛られるのだ。
では天使は? 規律、法律に依るのである。
個人各々に対して約束をするのではなく、全体に対して一律の明文化されたルールを課すのだ。
わかりやすく言えば、酒を飲んではいけない、というルールを守っている者に対して、相応の恩恵を与える。
もしもこれが「生涯ただ一滴も飲んではいけない」というルールであれば強くなり「誓いを立ててから以降は飲まない」だと少し弱くなり、「お祭りの日に決められた量だけなら飲んでもいい」だとさらに弱くなる。
がちがちでぎちぎちのルールを守っている者ほど、多くの恩恵を得られる。
だがもちろん、そのルールを破った瞬間に、与えられた力をすべて失う。
重要なことは、破っても別に罰が下るわけではないということ。
もちろん人間同士の法律で罰が下ることはあるだろうが、天使からペナルティがあるわけではない。
しいて言えば受けていた恩恵を失うことが罰であり……実際のところ、それで十分に過ぎる。
なにせごまかしが一切聞かない。
これはお酒じゃありませんとか、これは呑まされただけとか、一切通じない。
厳格なルールによって恩恵を受けていたものがそれを失えば、それだけで権威や信頼は失墜する。
これが権力者にとって、どれだけ恐ろしいのか、考えるまでもないだろう。
どの恩恵を失ったかで、どの禁を破ったのか一発でわかってしまうのだ。
それが無垢な支持者からどれだけ軽蔑されるかなど、言うまでもない。
だがそれを抜きにしても、集団内で面倒ごとが起きることは想像に難くない。
末端同士でさえ、ルールを破っていないか監視し合い、さらにはルールの網目をぬって陥れようとするだろう。
つまり天使とは最初から集団を強化するためにあり、しかし集団の統率者にとって恐れるべきものなのだ。
天使を利用して国家を躍進させようとした王が、国家を巻き込んで破滅したことは枚挙にいとまがない。
はっきり言って、影響を受けて死んだという意味では、天使の方がずっと多いのである。
とはいえ天使が悪いわけではない。悪意を持って貶めようとする悪魔に対して、天使は善意でやっている。ルールも協議の上で決めるものであり、責任が一方に偏ることはない。
人間もバカではないので「天使に頼って考えなしにルールを作るからそうなる」という認識をしている。
よって人間が天使から恩恵を授かるときは、基本的に職務の範疇になっている。
具体的に言えば「この基地でモンスターと戦う時だけ腕力が上がる」だとか「この基地で人間と戦う時だけ防御力が上がる」などである。
恒常的に上げるのではなく一時的に、限定的に上げるというのなら、緩いルールでも十分な向上が見込めるため多くの状況で採用されている。
まあつまりは、あんまり頼り過ぎないほうがいい、というのが結論だった。
約束を守らせる呪縛も、法律を守ることによる恩恵も、人間社会全体からすれば大差がないのだ。
人間全体がそこまで賢くないことを、人間も天使も理解するべきなのである。
ここまで長々説明したのは、悪意をもって人間を陥れようとする悪魔に対して、なぜ天使を対抗手段として広く配置していないのか、の説明である。
嫌な話だが、天使で悪魔対策をするよりも、ルゥ家の様に悪魔使いに任せた方がいいのである。
※
あいにくの曇天。
不穏な空気を助長するような空の下で、狐太郎は配下を率いて門の前で待っていた。
とはいえ、今回の件は狐太郎だけではなく、その護衛であるブゥも関係者なのだが。
「……正直に申し上げますが、本当なら関わりたくない案件です。封印で済むのなら、封印しておけばいいんじゃないかなあって思ってます」
「安心してくれ、俺もそう思ってる」
「でも僕が当事者だったら、面倒だし怖いし嫌だなあ、って思うんです」
「それも同感だ」
「まあ家業がなくなるとかそういう不満もないわけじゃないと思いますが」
「そうだね」
狐太郎とブゥは割と話が合う。
基本的に精神構造が似ていて、嫌だけどまあしかたないかで生きているからだ。
なので会話が弾むことはないが、同調し合える間柄である。
「話がそれましたけども……正直封印されている悪魔って、本来封印したままの方がいいんですよ」
「なんで?」
「悪魔とは約束を守るものですからね。極端なことを言えば、Aランク上位悪魔が実在したとしても、そこいらの子供とコイントスをして負けたから封印される~~ってのもあり得るんです」
「……つり合いが取れていない気も」
「そうでもありませんよ。お互いの人生を賭けた勝負、という意味では対等ですからね」
(ああ、人生は賭けるんだな)
「かくいう僕の家だって、悪魔と対等とは言い切れません。だって考えてもみてくださいよ、僕がセキトを使うのと、セキトが僕を使うのでは話が違うじゃないですか」
「確かに」
ルゥ家の当主は、セキトに決める権利がある。
もちろん断ることもできるが、その場合主従が逆転するという罰がある。
ブゥにしてみれば嫌な話だが、セキトに利があるわけではない。
もちろん悪魔使いを悪魔憑きにできるわけだが、そこまで旨味はなさそうである。
「僕がその罰に怯えていること自体、実際に主従が逆転したときどうなるのかわかっていること自体が、一種の報酬みたいなものでして……」
「なるほど」
「まあとにかくです。Bランク上位の悪魔だって話ですけど、実際にはどれだけ高ランクの悪魔でも不思議はないんですよ。もちろん封印を一度解けばそれで約束は終わりますから、もう一度封印されてくれるわけでもない」
「最悪だな」
「ええ、最悪です」
何が最悪かと言えば、ササゲとセキトが、同じようににやにや笑っていることだ。
悪魔にとって、恐怖とは畏怖と大差がない。もしも恐怖されていないのなら、それは舐められているという認識だった。
同種の悪魔にも警戒を怠らない姿勢は、やはり好ましいものである。
「ですが今の状況なら問題ありません。大公様もおっしゃっていましたが、これだけ戦力が整っていれば不安も吹き飛びますよ。なにせ味方にAランクモンスターが五体ですからね、Aランク上位の悪魔だったとしてもどうにかできますし」
「そうだな、良く倒してるもんな」
よく倒している、と、もう慣れている、はまったく別である。
できれば避けたいが、断る理由がない。
(Aランク上位の悪魔とか、絶対関わりたくねえ……)
この世界におけるAランク上位モンスターは、本当に神話のモンスターである。
はっきり言って、本当に格が違う。その上生物としてもなにかおかしい。
今までは動物系かスライム系としか遭遇していないが、それでも意味不明だった。
悪魔系最強種だとか、絶対にわけのわからない能力を持っている。
「ともかくです。できれば問答無用で殺せる相手であってほしいですね」
「そうだな」
二人の心は一つ。
問答無用で殺せて、なに一つ罪悪感の湧かない敵であれ。
ぶっちゃけ新しい悪魔とか絶対要らない。
これ以上悪魔は不要である。
「……来たみたいだな」
数体の悪魔が、輿を担いでいる。
直接手で触れないように配慮しながら、鎖でがんじがらめに固定されている壺を運んでいるのだ。
Bランク下位に相当するであろう悪魔の群れが、ゆっくりとこちらに向かってきているのである。
その周囲には、Bランク中位にあたる悪魔もいた。おそらく護衛を担当しているのであろう。
(関わりたくねえ……)
だれがどうみても、邪悪な存在を復活させる儀式だった。
しかも事実である。
「先頭を歩いているのは、悪魔使いの人かな」
「ぼ、僕の、ね、姉さんです」
「ちなみに、従っているのは私の眷属ですよ」
固い雰囲気の女性だった。
ブゥと顔立ちが似ている気もするが、表情がまるで違う。
やはり狐太郎からすれば見上げるほどの大きさだが、それでも相対的にはそこまで大柄でもない。
「お初にお目にかかります、虎威狐太郎様。私はズミイン・ルゥと申します。当主を取り立てていただき、感謝しております」
「え、あ、はい」
いきなり跪いてきた。
もちろん野外である。
しかも悪魔たちも輿を下ろして、同様に跪いている。
(よく考えたら俺はブゥ君の雇用者で、この人はブゥ君の部下扱いなんだよな……しかも爵位が上がったきっかけだし、そりゃあそうなるか)
もうブゥのことは友人だと思っていたので、友人の姉から敬意を示されて戸惑う狐太郎。
しかし冷静に考えれば、当然である。なにせ未来の公爵であり、自分の家の直接的な主だ。礼を尽くすのは不思議でもない。
もちろん公の場でもないので、ここまでする必要はないのだが。
「皆、よく来た」
セキトがしゃべった。
意外にも、いや意外でもないが、圧迫感のある声だった。
彼は己の眷属たちに向けて、久しぶりに威光を示しているのだろう。
「ここにおわすお方こそ、我等の王。帰還なさった悪魔の王、ササゲ様である」
深く、深く、悪魔たちは頭を下げる。
「どうぞ、陛下。お言葉を」
「ええ、そうね……」
じろりと、アカネやクツロを見る。
優越感たっぷりに笑った。
「まずセキト、躾が行き届いているようで何よりだわ」
「恐縮です」
「表に出せないような、恥ずかしいモンスターだったらどうしようかと」
礼節を大事にしている悪魔たちを見て、ササゲは上機嫌である。
「むむむ! 雲を縫う糸のおじいちゃんたちは、良い人たちだよ!」
「ぬ、鵺は強力だし……」
「下がまともじゃないと、上が恥をかくのよねえ」
上から下までまともであることを喜んでいる。
何気に心配していたのかもしれない。
「さて……私が魔王ササゲよ、ルゥ家に従う悪魔たち」
示威の意味もあるのだろう、ササゲは一時的に魔王の姿をさらした。
「よく仕えているようで、私も安心したわ」
狐太郎たちはAランクの悪魔を警戒していたが、ササゲこそ魔王。Aランク上位さえ討ち取れる、最上位の悪魔である。
その姿を見れば、悪魔も悪魔使いも硬直して身動きが取れなくなってしまう。
「あ~~アレきついですよね……見慣れるのに時間がかかりました。お力を借りた関係もあるんですけどね」
「俺は未だに慣れてないよ」
正直に言って、直視して楽しい光景ではなかった。
狐太郎は世間話をして、なんとか直視を控えようとする。
「で、それが例の」
「はい。こちらが鍵付きの坩堝でございます」
なんとも禍々しい代物だった。
本当に封印できているのか怪しいほどに、悪そうなオーラが溢れている。
「ふぅん」
なお、それよりももっと濃度の高いオーラが溢れているササゲ。
なるほど、物凄い頼もしさである。
「まあ急ぐのもなんだし、これは私たちの家に運びなさい。っていうか、私の部屋においてあげるわ。いい威嚇になりそう」
「承知しました」
魔王の部屋に、悪魔の封印された壺が飾られる。
ある意味マッチングしているが、入りたくない部屋であった。
「とりあえず今日のところは休みなさいよ。明日になったらアレを開けるから、それまでは休みなさい。セキト、貴方も眷属をねぎらってあげて」
「承知いたしました、陛下」
「で、ズミインだったかしら。貴女……よかったらお話を聞かせてくれない?」
今回の案件は悪魔なので、ササゲの独壇場である。
見ているクツロやアカネは嫌そうだが、それでも黙って見守るしかない。
「光栄です。私も弟のことを聞きたかったので……」
「ええ~~」
なお、ブゥは普通に文句を言っていた。
※
Bランク上位と言えば軍隊でようやく倒せる規模である。
それだけ強い悪魔が封印された壺をここまで運ぶにあたっては、相当に神経をすり減らしただろう。
なにせ自爆覚悟で壺を割れば、それだけで悪魔が解放されるのである。
どう考えても怖いだろうが、ここまで持ってくれば全部解決だった。
少なくとも配下の悪魔たちはそう思っていたようで、安堵の表情をしている。
(悪魔の表情が読み取れるようになってしまった……)
それが分かること自体に、狐太郎は微妙に傷ついていた。
とはいえ、接客である。
臣下が臣下の礼を取るのなら、主には主の礼がある。
応接室で静かに座っているズミインへ、何かを言わなければならなかった。
なお、この部屋にはセキトとブゥ、ズミインの他には四体しかいない。
「ブゥ君は……いえ、ブゥさんはとても強くて助かっています」
「そうですか、それは何よりです」
ブゥを褒めようとしたら、強い子としか褒められなかった。
他にもたくさんいいところがあるんですよと言いたいところだが、あいにく他には思いつかない。
しかしながら、本心で褒めている。
なにせこの森は求められる基準がべらぼうに高い。
まともに戦える戦力は、本当に貴重なのだ。
「この前線基地はとてもレベルが高いんですけど、ブゥ君はその中でも屈指でして……今も成長しているんですよ」
「そうですか、鍛錬を怠っていないのなら何よりです」
じろりと、感情のない目がブゥをみた。
「この子は叩けば叩くほど成長するのですが、なまじ才能があるばかりに変な戦い方を覚えて……それで努力していると言い張っていましたから」
「そ、そうですか」
「ここに来て競争相手を得たことは、良いことなのでしょうね」
セキトがにやにや笑っていて、ブゥは顔を引きつらせて笑っている。
(お気の毒に……)
才能がまったくなくて困っている狐太郎だが、才能があるのも考え物だと思いなおしていた。
叩けば叩くほど伸びるというのは、彼がどれだけ叩かれてきたのかわかるというものである。
「ブゥ君は才能があるということですし、実際強いと思うんですが、どう才能があるんですか?」
「……精神的な素養を除けば、二つですね」
如何にも悪魔に好かれそうにない、感情の起伏が乏しいズミインは冷淡に解説し始めた。
「ご存知だと思いますが……治癒属性の技を使っても、虚弱すぎたり弱り切っていれば、正常に作用するどころか毒になります」
「ええ、存じています」
狐太郎は以前に心臓が止まったが、その時も治療に細心の注意を払われた。
要するに弱すぎて、回復技にも耐えられないのである。
「同様に強化にも限度があるのです。数十人の強化属性の持ち主から強化されても、元が弱ければ耐えられません」
「そうでしょうね」
仮に狐太郎を数百人の強化属性で強化したら、風船が割れるようにはじけそうである。
あっさりと納得できることだった。
「ですが世の中には、稀に強化の限界がないものがいます。ブゥもその一人で、どれだけ強化されても体が壊れないのです」
(主人公みたいな話だな……)
強化に限界がないということは、強化されればされるほど強くなるということである。
なるほど、とんでもない才能だった。
「とはいえ、それだけでは悪魔使いとして才能があるとは言えません。悪魔の力を宿せば、それだけでこのように……」
ズミインは、着ている服の袖をすこしまくった。
そこには、白い肌だけではなく、変色した青い肌が見えた。
「悪魔に汚染され、身を病みます。私も耐性は強い方なのですが、それでもこの通りです。もしも私がこの基地に務めていれば、数回戦っただけで力尽きていたでしょう」
この基地にルゥ家の人間を、今まで送り込まなかった理由。
それは悪魔使いが、天才以外は使い潰される者だからだった。
「もちろんこれにも才能が有ります。耐性が強いどころか、まったく影響を受けない者が。その双方の性質を持つのが、ブゥなのです。弟はどれだけ悪魔を使っても身を病まず、しかもどれだけ強化しても使いこなせるのです」
(よく考えたら、魔王の力を使っても平気って大概だな……)
ますます主人公っぽいブゥ。
なるほど、期待されるわけである。
「ですが」
「ひぃ!」
「それは悪魔使いの才能。戦闘の才能は違います」
ズミインは、まさに恐れるべき顔をしていた。
「ブゥ、あとで手合わせを」
「ひぃいいい!」