棚から牡丹餅
前線へ向かうは一灯隊。
白羽の矢が立てば、あとはもう向かうだけである。
壮大な送別会が催されるわけもなく、一灯隊は速やかにカセイへ向かった。
一灯隊にとっての家族、トウエンに挨拶をした後で、そのまま速やかに前線へ行くのだろう。
彼らが現地から生きて帰れるとは誰にも言い切れないが、たぶん大丈夫だろう。
どちらかといえば、問題を起こさずに済むだろうか、の方が心配である。
ある意味当たり前だが、一灯隊が去った後には、やはり空白だけがある。
都合よく穴埋めをしてくれる誰かなど現れないまま、時間が過ぎていく。
劇的な変化のない、しかもいなくなってどこかで安心のある面々なので、狐太郎たちは休息を再開した。
四体と狐太郎は、くつろぎながら話をしていた。
「そういえばさ、この世界って今戦乱の世だったりするのかな」
雑談の話題として出すようなことではないが、アカネの疑問ももっともではあった。
東方戦線が大ダメージを受けたのだから、少なくとも周囲の国に領土的な野心があるということだろう。
そうでなかったら、将軍が一人処刑されたぐらいで、襲い掛かってくることはないはずだ。
「まあ可能性はあるわね。そもそも、治世と乱世が厳密に分かれているわけでもないでしょうし、ふとしたきっかけで戦争に発展する可能性があるからこそ、一灯隊が東方に行ったわけだし」
クツロがその可能性を、あっさりと認めた。
彼女たちの世界において、戦争とは過去の出来事である。
昔はこんなことがありましたけど、今は平和ですよ~~。
というのが彼女たちの世界観であり、逆に言えば他所の世界では戦争が起こりえると考えている。
今元の世界に帰ったら戦争中ですよ、というのよりはよほどリアリティがあるのだろう。
「そっか……この世界だと戦争してるんだよね~~……ねえご主人様、場合によっては私たちも駆り出されるのかな」
「茶飲み話でするような話題じゃないと思うんだが……」
今回一灯隊は、戦時徴兵という形で前線に向かった。
であれば戦局が悪化すれば、狐太郎が駆り出されないとも限らない。
「可能性がないとは言えないが、それってこの国が滅亡寸前になった時だぞ」
今回一灯隊が徴兵されたことで、逆に狐太郎は自分が戦地に向かわないことを理解していた。
もちろんないわけではないのだが、可能性は低いと言い切れる。
なにせ狐太郎がここを動けば、そのままカセイは壊滅するのだ。
もちろんガイセイがAランクハンターになれば、狐太郎も動けるようになる。だとしてもガイセイの方を徴用するだろう。
二人いてどちらを選ぶかと言えば、この国の人間から選ぶはずだ。
それに悪魔使いである狐太郎を、戦線に呼び込みたがらないものは多いだろうし。
「というか、俺達に頼る段階になったら、もう大分手遅れだと思うけどな……」
「ご主人様の言うとおりね。この世界は電話やらテレパシーやらがないから、私たちが必要な事態になっても連絡自体出来ないでしょうし……」
狐太郎の推測を、クツロは補強する。
良くも悪くも、狐太郎たちはここを動けない。たまたま偶然前線の方に行って、居合わせて対応する、というのはほぼ無理だ。
電撃的に攻撃を受けてしまえば、助けに行くどころか、助けを聞くこともできない。
もちろんすぐ近くにあるカセイへ敵が攻め込めばその限りではないだろうが、国境でもなんでもないカセイに攻め込まれている時点で、やはり滅亡寸前であろう。
「……ねえ今更なんだけど、よく考えたらこの世界ってどうやって国を守っているのかしら?」
自分で説明して自分で考察しているうちに、矛盾に陥ったクツロ。
今まで把握した情報を並べると、なぜ国家が維持されているのかわからなくなる。
「Aランクハンターや大将軍は、一つの時代に何人かいるんでしょう? それに相当する実力者がどこかの国の首都に攻め込めば、それだけで滅亡じゃない」
(言われてみれば確かに)
今回ガイセイが選ばれなかった理由として、大将軍に匹敵する人材を動かすと、相手の国を警戒させることになるからだという。
相手が大将軍を戦線に投入すれば、こちらも大将軍を投入せざるを得なくなり……とまあ正面衝突することになる。
だが大将軍は個人であり、あくまでも人間である。
ガイセイは狐太郎よりも圧倒的に大きいが、それでも一人の人間であることに変わりはない。
強行軍で、単騎で敵国に攻め込む大将軍が、いないとは言い切れなかった。
少なくともそれは想定されてしかるべきであろう。
しかし想定できたからと言って、どうするのか。
一軍さえ相手にならぬAランクモンスターを、容易く倒す大将軍。
それを相手に、対処も何もあったものではあるまい。
「そのための斉天十二魔将だろう」
それに対して、コゴエは短く答えた。
「話を聞いた限りでは、王都に詰めている十二魔将の中には、ガイセイを凌駕する実力者が何人かいるらしい。つまり相当の実力者が奇襲を仕掛けた場合に備えて、最初から王都に実力者を置いているのだ」
(……なるほど)
「それに……大将軍になれる者は限られている。敵の本陣に単独で送り込み、消耗させるような真似はしないだろう」
Aランク上位モンスターさえ倒せる大将軍にとって、同等の実力者だけが脅威である。
だから敵国から大将軍を送り込まれればこちらも大将軍をぶつけざるを得ないし、当然どちらかが死ぬ可能性もある。
勝ったとしても消耗し、他の武将に討ち取られる……ということもありえた。少なくとも、無視できる可能性ではない。
「たとえ大将軍であっても、Aランクハンターであっても……相手にもいればやはり無敵ではないということだ」
今回プルートを討伐した四体だが、だからこそ逆に、アレを単独で撃破できる普通のAランクハンターがどれだけ強いのかわかってしまう。
しかしそれでも、この世にただ一人というわけではない。
一人ではないということは、どうしても好き勝手には振舞えないということだ。
「他の国との兼ね合いもある。そうそう容易ではない、ということだ」
「面倒くさい話だねえ……」
この前線基地も終わりのない戦いをしているが、他の前線も終わりの見えない戦いをしているようである。
大公も言っていたが、ここだけが辛くて苦しい、というわけではないようだ。
「その面倒くさいところも含めて人間でしょうに。それともなに? ガイセイよりもよっぽど強い人間が、ここのモンスターみたいに一心不乱に全滅するまで殺し合うところを見たいの?」
「……そうは言ってないけどさ」
「面倒で済むのなら、ここよりよっぽどマシってものよ」
面倒だというアカネを、ササゲが諫める。
政治が面倒であることは認めるが、ここの様に政治を捨てて殺し合うよりはマシである。
捨て身で来られると、被害を覚悟するしかない。我が身可愛さで攻め手を緩めてくれるのなら、ありがたいことだった。
(まあ確かに、戦線を整えるのも抑止的な意味が強かったみたいだしな。少なくともこの国は、領土的野心が薄いらしい)
他の国次第ではあるが、戦争など起こらないのが一番だ。
今回戦地へ赴いた一灯隊だって、できれば無傷で全員帰ってきて欲しいし、可能なら一度も戦わずに帰ってきて欲しい。
割と仲の悪い狐太郎でさえそう思うのだから、トウエンとやらの人たちもそう思っているだろう。
多分。
(いやでもなあ……ジョーさんやショウエンさんのご実家は名をあげて欲しかったみたいだけどなあ。名をあげて欲しがる家族ってなんか嫌だな……)
トウエンという孤児院で働く人や、預かっている子供がどんな性格なのかわからない。そもそも意思が統一されているとも思えない。
だがそれでも、できれば意見は自分と一致していて欲しかった。
「ああ、でもさ、ちょっと考えたんだけど……もしかしたら、私たちが暮らしている国が、昔どこかの国から領土を奪って、それをかつての国が取り返そうとしている……っていうパターンはあるかもね」
「そりゃあるでしょうけど、だから何よ」
「私たちの暮らしている国が、正義じゃないってパターンの話」
毎度のことながら、アカネは物語で物事を考えているらしい。
確かに狐太郎たちはこの国を基準に考えているのだが、それはこの国を「正義の基準」として見ていることにもなっている。
実はこの国の人がものすごい悪党で、協力していたことは間違いでした、というパターンの話は確かにある。
「……アカネ、俺は最初からこの国やこの国の人を正義だと思ったことはないぞ」
だがそれは、逆に言って「相手国が悪」であると信じていなければ成立しない。
狐太郎たちは今まで外国というものを意識したこともないので、裏切られるも何もあったものではない。
仮にこの国が現在進行形で何かの悪をなしていたとしても、まあそうだろうなと納得して終わりである。
今日まで過酷な任務に就き続けてきたし、狭い世間を出たこともないが、それでも与えられてきた情報に偏りや誤りはないように思える。
良くも悪くも、絶対的な正義を信じたことはない。
「それともお前は、この国の人が善良だと思ってるのか?」
「……全然」
そもそもこの基地にある一種の実力主義こそが、狐太郎やアカネたちの知る正義と大きく異なっている。
少なくとも役立たずは死んでいいとか、戦地に来たら死んでも探されないとか、相当にモラルが低い。
狐太郎やアカネの世界なら、役立たずだから殺していいとか、死にそうでも助けないとか、そんなことは通らないのだ。
まあその分苛立ちが募ることもあるが、だからと言って暴力や死が隣り合わせの世界にも住みたくないのである。
「大公閣下は一生懸命な人だし、ウメイって人もそうだったよ。自分の私腹を肥やすことしか考えていない、腹黒い役人って感じじゃない。手伝う理由は、それだけで十分だ」
彼らに正義があるかどうかはともかく、絶対的な悪ではない。
いわゆるお話に出てくるような、狐太郎を利用するだけ利用してポイ捨てするような、悪い王様ではない。
そういう人間は、王様ではないとしても「実在」するので、比較すれば違うと分かるのだ。
「ただそうだな……今回の件で、世界が広がったのは感じた」
いわゆる物語の舞台は、カセイと前線基地だけだった。あとはドラゴンズランドか。
しいて言えば、王女のいる王都ぐらいで、脳内にある白紙の地図にはそれぐらいしか書いていなかった。
だがそれでも、これからは違う。この基地の外は、一体どんなところなのか。
役目を終えた後で世界を見て回る、その楽しみが深まった気もする。
「なあみんな、元々ドラゴンズランドに行く予定ではあったけども……それを抜きにしても旅をしないか?」
柔らかく、温かい夢ができた。
持っているだけで幸せになる、柔らかい夢だった。
「この国から出られないかもしれないけど、それでもいいから旅がしたい。ブゥ君やネゴロ、フーマも誘って……冒険なんて大げさなことじゃない、旅行がしたいな」
「……いいね! 絶対行こうね! 計画立てなくちゃ!」
「ええ、いいと思います。今からでも、資料を取り寄せましょう」
「大変よろしいかと」
「いいわねえ~~旅行。面白くてもがっかりしても、一喜一憂の繰り返し。計画を立てることも含めて楽しくなってきたわね~~」
今まではとにかく役目を終えて、ここを離れることしか考えていなかった。
だが今は、ちょっとだけ外に目が向いている。
ここを出て何をするのか、本格的に考えるようになっていた。
「あれ? でもここでの役目を終えたら、ご主人様って公爵になるんじゃ?」
「あのね、アカネ……公爵でも王族でも、旅行ぐらいするでしょう。大体ダッキだってしょっちゅうここに来てるし」
「そうだね、クツロ。ダッキちゃんも……あれ?」
ふと、アカネはあることに気付いていた。
「あのさ、コゴエ。さっきコゴエは「王都を守るために十二魔将がいる」って言ってたよね?」
「うむ」
「で、あんまり強い人は、前線に置けないってウメイさんは言ってたじゃん」
「そうだな」
「ってことはさ、今前線にいる十二魔将の人は、そんなに強くない上で普段は暇をしてる人だよね?」
「そうだろう」
この場の面々は、十二魔将を三人しか知らない。
普段からダッキと同行している、例の三人組である。
「それって、キンカクさんたちなんじゃないの?」
「……その可能性はあるな」
「で、キンカクさんたちが東方にいるってことは、ダッキちゃんここに来れないんじゃ……?」
「そうだな」
仮にダッキの警護を務めていた三人以外が派遣されているとしても、戦力が減ったことは事実だろう。
今まではダッキのお守りをしていた三人も、その分暇ではなくなっているはずである。
あの三人が護衛を務められない以上、ダッキが来る可能性は大幅に下がっていた。
「……そうだな」
「でしょ」
「なんだ、悪いことばっかりじゃないなあ」
正直に言って、ダッキが来ていいことなど何もないので、当分来てほしくないと思う狐太郎であった。
※
一方そのころ、王都では。
「やだやだやだ! ダッキ、カセイに行く! 前線基地に行く! 玉手箱を見に行くんだもん!」
自室でじたばたともがき、抗議するダッキの姿があった。
普段やっている稽古事を放り出しての、全力の抗議である。
「よろしいのですか、陛下」
「しばらく放っておきなさい、あの子の我儘に応えられる状況ではない」
普段は娘に甘い大王だが、今回は流石に駄目だった。
カセイへ行くだけなら斉天十二魔将を三人も付ける必要はないのだが、前線基地に行くのなら最低でも必要な人数である。
その最低限必要な人数が確保できない以上、ダッキの我儘は最初から通らないのだ。
「それにまあ……いい加減飽きて欲しいしなあ」
大王は思い出していた。
崩れかけた東方へ、あの三人を向かわせたときのことを。
『いやあ、残念残念! ダッキ様、お供ができません!』
『本当に残念で、涙が出そうです! 帰ってくるまでいい子にしていてくださいね!』
『具体的に言うと、我がままを言わない立派な王女になってくださいね、マジで』
不安定な戦地に向かうのに、物凄い解放感に満ちた顔をしていた。
「……いい加減、厳しくしたほうがいいだろう」
大王が父親として、少し立派になった時であった。
次回から新章です