16
何もかもが、日常である。
狐太郎が味わった、この前線基地での異常。しかしそれらは、異邦の常識でしかない。
この前線基地で活動することができない、実力不足のハンターたちが離れていくこと。あるいはこの前線基地で活動するハンターたちの、軋轢や和解も。
狐太郎がそれを観測したというだけで、特に異常と言うわけではない。しいて言えば、狐太郎の加入こそが異常であり新しい要素なのだろう。
だがしかし、この前線基地はあくまでも『最前線』である。
たとえるなら防波堤であり、一番強く波を受け止める場所に存在する。
つまりこのシュバルツバルトに潜む本当の脅威、Aランクのモンスターの襲撃。
この前線基地が壊滅しかねない、最悪の災害。嵐や地震にも匹敵する、強大なモンスター。
昨日は来なかった、今日も来なかった、明日は来ないかもしれない。
しかしいつかは必ず来る。どの災害も、来るべくして来るのだ。
※
「むむ、むむむ!」
森に入った狐太郎一行は、周囲を警戒しながら前に進んでいた。
その中でもアカネは、目を皿にして周囲を見渡している。
「動物型モンスターで警戒しないといけないのは、風下の方向……だよね、クツロ?」
「ええ、そうよ」
「森の中は視界が利かないけど、それはモンスターも同じだから風下から匂いを追いかけてくる……だよね?」
「そうね」
「風下って……北だっけ、南だっけ……」
(いきなり不安になるな……)
よく、北や南を右左で聞く者がいるが、風上や風下を東西南北で考える者がいるとは驚きであった。
「……風下っていうのは、私たちから見て風が流れていく側よ」
「ああ! そうだった! 指に唾を付けて……どうしよう、全然風を感じない!」
「無風でいいんじゃないの?」
「そうか! 無風なんだ! えっと、無風の時は……地形に警戒するんだよね?」
「ねえみんな、一回戻らない?」
現場で一々確認してくるアカネに対して、クツロは宇宙の根源的な恐怖を感じていた。
(勉強って大事なんだな……)
今まさに命を賭けた狩りをしようとしているのに、襲撃に対してうろ覚えでは困るのだ。
少なくともクツロは、アカネに返事をしているので集中力がそがれている。
「クツロ、アカネに期待しても仕方ないでしょう?」
「アカネ、お前は黙っていろ。いいな?」
そんなクツロに対して、ササゲもコゴエも酷いことを言っていた。
最初から相手をせず、周囲の警戒に専念しろとのことだ。
「二人とも、ひどくない?」
「静かにしなさい」
「黙れ」
「ご主人様~~! みんながいじめる~~!」
今にも泣きそうなアカネ。
不真面目と言うわけではないし、むしろ一生懸命なのだろう。
そんな彼女に対して、狐太郎は如何に接するべきなのか。
「アカネ」
「うん!」
「頼む、みんなの言うことを聞いてくれ。俺の命がかかってるんだ……!」
その狐太郎の必死の表情と、命令ではなく懇願。
それを見たアカネは、申し訳なさそうにうつむいていた。
「……はい」
しょぼんという擬音が合いそうなほど落ち込んでいるアカネだが、狐太郎に彼女へ気遣う余裕はない。
なにせ自分の命がかかっているのだ、真剣そのものである。
「むぅ……!」
改めて、アカネは周囲を見渡す。
周囲の地形で、注意すべき点を確認しているのだ。
(ここのモンスターたちは、基本的にただの動物と変わらない。屈強で生命力があっても、やってることはただの狩り。だから原則に沿えば事前に予測ができる……だよね?)
動物は本能や経験という合理性に従って狩りをする。
だからこそ恐ろしいのだが、周囲の環境を知れば予測もできるのだ。
(潜んでいるモンスターを見つけるのはとても難しい、でも襲ってくる方向はある程度予測できる……って言ってた。もしもモンスターの群れが私たちを見つけているのなら……この木の上からかな?)
森の中にある道はとても平坦だが、常にまっすぐではないし、木と木の間隔も一定ではない。
巨大なモンスターの足場になりえる場所、隠れられる場所は限られている。
そして襲い掛かる側と襲われる側、お互いの合理性がぶつかり合った時。
(来るなら……!)
勝つのは、強い方である。
「来た!」
樹上から襲い掛かってきたのは、まだ若いツリーアメーバだった。
多くの木々にまたがるほどの巨大な先日の個体よりは小さいが、四体と狐太郎をまとめて包み込めるほどには大きかった。
ツリーアメーバは成長の段階によって捕食の形態が大きく変わる。
最大に達したときは狐太郎を捕らえたときのように、体の一部を垂らして釣り上げる。
最も小さい時は木々を跳ね回り、衝突して弱らせてから捕食する。
そしてその中間にあたる時期は、樹上で待ち構え、獲物が真下に来たときに木から飛び降りる。
大きくなった体を使って覆いかぶさり、相手を取り込んでそのまま消化するのだ。
「シュゾク技、ドラゴンファイア!」
対抗する手段がなければ、どうしようもない相手。
しかし火竜であるアカネにとって、来ると分かっていれば簡単に対応できる相手だった。
ツリーアメーバの巨体に、アカネの炎が襲い掛かる。
その熱量は軟体に含まれた水分を一瞬で蒸発させ、その勢いは落下の勢いを殺すどころか、逆に吹き飛ばしていた。
「……やった!」
アカネの炎が収まった時、炭化したツリーアメーバの残骸が地面に崩れ落ちていた。
格上に対して奇襲し、失敗した捕食者の末路だった。
「みた、ご主人様! 私ちゃんとやれたよ!」
「あ、ああ! ああ! 凄いぞ! 凄いじゃないかアカネ! やればできたな!」
ツリーアメーバに気付けなかった狐太郎は、いきなり炎を吐いたアカネに驚いていた。
状況を把握し、アカネが奇襲を未然に防いだことに気付き、大いに喜んでいた。
「うん! そうでしょ?」
「凄い! いや~~これでもう安心だな!」
涙ぐみながら、狐太郎は安心した。
この世界に来てようやく前進できた気がしたのだ。
「ご主人様、まだ油断なさらぬよう」
より緊張を深めた顔で、コゴエが冷気を放った。
アカネの炎によって上がっていた温度が、氷点下へ下がっていく。
「先日のグレイモンキーを忘れたか、アカネ。ここから一気に畳みかけが来るぞ」
空気中の水分が凍り付くほどに気温が下がっていく、彼女が力を出しやすくなっていく。
「ご主人様。先日の醜態、決してぬぐえぬと存じております」
この森では最低辺の強さしかもたないグレイモンキーは、本来さほどの脅威ではない。
弱ったハンターが狙われることこそあるが、そうでなければさらわれても自力で倒せるからだ。
だがCランクのモンスターの群れを倒せない狐太郎にとって、この上ない脅威である。
その存在を知らなかったとはいえ、クツロに抱えられた狐太郎をあっさりとかすめ取っていったのだから、その隠密性はこの四体にとって手に負えなかった。
接近することに気付けない、無音の略奪者。その敵に対して、コゴエは備えを怠らない。
「シュゾク技、薄氷壁」
四方八方に、透明な薄い氷の壁を展開する。
「アカネの炎によって、四方八方から襲撃者が殺到してくる。ならば四方八方を守ればいい、簡単な話だ」
しばらく無音が続いたが、突如として轟音が響いた。
「うぉう?!」
驚いた狐太郎がその方向をみると、透明な氷に壁の向こう側に大量のグレイモンキーが見えた。
先日のように無音で接近してきたが、無色透明な氷の壁に気付けず、全速力で衝突してしまったのである。
「まるで蠅だな」
コゴエはそう評した。
全速力で氷の壁にぶつかったことによりそのまま即死している個体もいるが、そうではない個体も氷の壁にへばりついて抜け出せなくなっていた。
皮膚や体毛が凍り付き、剥がれなくなってしまったのである。
「この程度の猿に、ご主人様を奪われた自分が腹立たしい……」
凍結から抜け出そうとしているが、しかしどれだけ暴れても剥がせない。
手を壁に当てれば、その手が壁に貼り付いてしまう。
壁との激突で出血している個体もいるが、その血さえ凍り付いてより強く凍結させてしまっていた。
「このまま凍死するがいい」
ふがいない自分に怒っているらしく、彼女の周囲は更に温度を下げていった。
しばらくはもがいていた猿たちも、やがて全身が凍結して死んでいく。
(まさに雪女、氷の女王ってかんじだな)
残酷な美しさを持つ彼女に、狐太郎は見とれていた。
ササゲは一種性的なのだが、コゴエには静的な美しさがある。
周囲が守られているという安心感もあって、狐太郎は彼女に見とれていた。
「で、どうする? 私がここで笛でも吹けば、飛んで火にいる夏の虫になるけど?」
その一方で、ササゲが中々残酷な提案をした。
泣きわめいていた猿に対して加虐の喜びを見出していた彼女は、このまま罠にはめようと思っているらしい。
「私が敵をおびき寄せて、このまま壁に貼り付けていくの。氷の壁に囲まれていれば安全だし、悪くないんじゃないかしら?」
「過信するな、ササゲ。私の氷壁は、そこまでの強度を持たない。CランクやBランクの中でも下級とされる種なら問題ないが、タイラントタイガーが来れば破られてしまうだろう。それにこれだけ猿が貼り付いていれば、それこそ猿でも近づくまい」
(たしかに)
氷の壁が見えなかったとしても、凍り付いた死体は見えるのだ。
いくら血に飢えたモンスターでも、何もないと思われる空間に凍った死体が浮かんでいれば、何かあったと思って警戒するだろう。
それでひっかかるのは、それこそゲームの敵だけである。
「それじゃあご主人様だけ壁の中にいてもらうのも、そんなに現実的じゃないわね」
「それができるなら最初からしている」
(ごもっとも)
「んじゃあもう移動する? これ以上ここに居ても、もう来ないだろうし」
「ちょっと待って」
アカネが移動を促したのだが、その直後にクツロが深刻そうな顔をして止めていた。
「もしかして、私の出番はないのかしら?」
少し間の抜けた話だったが、彼女はとても真剣な顔をしている。
「……そうかもしれないな」
少しだけ考えた狐太郎は、その話を肯定した。
ササゲとアカネは遠距離を攻撃でき、コゴエはそれに加えて設置技もできる。
しかし大鬼であるクツロは、自己強化と接近戦しかできなかった。
そのうえ俊敏性や機動力も低いので、奇襲への対処という意味ではどうしても後れをとってしまう。
「……そ、そんな。アカネでさえ仕事があるのに」
「それどういう意味?!」
(俺が一番仕事ないんだけどな)
人間関係の闇を見るが、それよりも深い主従関係の闇。
アカネもクツロもかわいそうなのだが、狐太郎は自分がかわいそうすぎて何も言えなかった。
「今気づいたの?」
「なぜ今になってそんなことを」
「……」
ササゲとコゴエも、クツロに辛辣だった。一種不思議そうですらある。
二体から呆れられてしまったことで、クツロは黙るしかなかった。
「ああ、うん。クツロは俺の一番傍にいてくれ。いざと言う時の備え、とかまあそんな感じで頼む」
「はい……」
自分のふがいなさを悔やむクツロは、大きな体を小さくしながらうつむいていた。
(まあ、完全に足手まといの俺を最後の最後に守ってくれる人がいるのは、ありがたい話だな。グレイモンキーからは全然守れてなかったけど)
先人の知恵とはありがたいものである。
未知の敵に対して行き当たりばったりの対応をしていた時と、戦力的に変化はない。
それでも敵の性質を知れば、出会いがしらを叩くことはできる。
(ゲーム風に言えば、出待ちができるようになったってことだ。流石に憶えゲーはできないとしても、モグラたたきにはなる。出てくる場所や、襲い掛かってくるタイミングさえわかっていれば、そこまで脅威じゃない)
狐太郎自身は相変わらず何もできていないのだが、現状の把握はできていた。
(クツロは何もできていないことが不満みたいだけど、他の三体で十分戦えるってことでもある。事故は怖いけど、そんなことを言ってる場合じゃない。現状はこれで何とかするしかないな)
そう、なんとかなっている。
狐太郎は既に、この世界における四体の相対的な能力を把握していた。
(何とかするしかないというか、何とかなるなこれ。事故がないとは言えないけども、キョウツウ技とシュゾク技しか使ってないのに、ここまで圧倒できている)
モンスターパラダイスにおいて、キョウツウ技とは『誰でも覚えることができる技』である。
ストーリーの進行に応じて習得できる技は増えていくが、ゲーム内の通貨さえ払えばどのモンスターでも覚えられる。設定上は人間でも覚えられるほどだ。
また習得できる上限もリメイク版には存在せず、金さえあればすべてのモンスターにすべてのキョウツウ技を教えることが可能だ。
とはいえ、それはもはややりこみですらない無駄な行為である。
キョウツウ技を使うとキョウツウPという、一種のマジックポイントが消費される。
そのキョウツウPが多ければ多いほどキョウツウ技が使えるのだが、当然モンスターの種類によって多かったり少なかったりする。
そしてさらに厄介なのが、消費されるポイントさえモンスターの種類によって上下するのだ。
例えば天使なら、体力を回復させたり状態異常を治す技や、味方を強化する補助技は消費が少ない。その上、効果も大きくなる。
逆に悪魔の場合は、それらの技を使うと消費が大きく、しかも効果が低かった。
これを『適性』と呼ぶのだが、発売当時はプレイヤーである子供たちを大いに混乱させていた。
とはいえ、そこまで面倒くさい話ではない。適性自体はマスクデータではなく大っぴらになっているし、キャラクターの説明にもきちんと書いてある。
要は回復技が得意な天使に回復用のキョウツウ技を覚えさせて、攻撃技が得意な悪魔に攻撃用のキョウツウ技を教えればいいのだ。
その辺りはゲーム内でもちゃんと説明されているので、不親切でもなんでもない。
シュゾク技はもっと簡単である。
言うまでもないがモンスターの種類によって覚えられる技が決まっており、レベルを上げていけばどんどん強力な技を覚えていく。
雪女は氷の技を覚えていくし、火竜は火を吐く技を覚える。そこにややこしい要素は一切存在しない。
当たり前だが適性が高い技しか覚えられないので、消費も効果もとても良い。
よって、モンスターにどのキョウツウ技を覚えさせればいいのか悩んだら、シュゾク技と同じ種類を教えればいいということになる。
同じ種類の技を覚えても意味がないと思われるが、そんなことはない。
キョウツウ技にはキョウツウPが消費されるように、シュゾク技にはシュゾクPが消費されるのだ。
技の使用回数が倍に増える、と思えば大体合っている。
大鬼のクツロが格闘に属するシュゾク技とキョウツウ技の両方を覚えているのは、つまりそういうことなのだ。
さて。
ではそれが全てなのかと言えば、それも違う。
(昔過ぎてあいまいだが、子供のころに俺がやった無印のモンスターパラダイスのクリアパーティーは、回復や補助の天使に、物理攻撃と壁役のゴーレム、索敵とか妨害用のフェアリーに、万能魔法型のホムンクルスだった……そっちにしておけばよかった……後の祭りだけど)
狐太郎が先日まで遊んでいたのは、モンスターパラダイスのリメイクなのである。
最初に発売された時から何度も続編が出た上での、リメイク。
シリーズが続くごとに技の種類がどんどん増えていくのはある意味当たり前であり、リメイクに合わせて元々なかった技が増えるのも当たり前だった。
(まあとにかく……一種絶妙なのは、リメイク版だってことだ。バグが消えたりゲームバランスが調整されているのもあるけど、技の種類が増えている。その中にはもちろんネタみたいなのもあるけど、強力なのもたくさんある……そして俺は、それを覚えさせたうえでクリアした)
狐太郎には楽観があったのだ。
まだ見ぬAランクのモンスターが相手でも、まだ使っていない強力な技を使えば十分勝てると。
狐太郎は度重なる死の危機に瀕して、奇襲へ過剰な警戒をしてしまっていた。
もちろん奇襲が彼にとって致命的であることは変わらないのだが、それ以外への警戒が薄れてしまっていた。
甘いと言わざるを得ない。
狐太郎はまだ気づいていなかった、自分がまだ体験していない恐怖について。
「!!!」
突如として、アカネの全身が震えていた。
それは彼女の肉体が本能によって反応したものと、精神が直感による反応をしたもの、その両方だった。
彼女に索敵能力はない、あるのならここまで面倒なことになっていない。
少々優れた嗅覚をもってはいるが、氷に囲まれた状況で匂いがわかるわけもない。
「来た!」
彼女の眼をみて、狐太郎は連鎖的に震えた。
そう、狐太郎は感じ取ったのだ。アカネが恐怖しているのだと。
「……!」
三体が身構える。
アカネと狐太郎の恐怖を受けて、森の奥に最大級の警戒を示したのだ。
「……信じられない!」
火竜は非常に強力な種族であるがゆえに、危機察知能力が低い。
その彼女が誰よりも早く危機を察知したということは、可能性はただ一つである。
「来た、来た、来た!」
彼女は来たとしか言っていないが、何が来たのかはわかり切っている。
「もう、すぐそこにいる!」
彼女よりも、さらに強い竜だった。
※
めきめきと音を立てて、シュバルツバルトの木々がへし折れていく。
意図して折っているのではない、強大過ぎるモンスターが前に進むことによって折られているのだ。
おそらくそのモンスターは、木々が自分の体にぶつかっていることにも気づいていないだろう。
「こ、れ、は……!」
おぞましい異形の怪物だった。
その姿を見て慄いたのは、狐太郎だけではない。
アカネだけではなく、ササゲもクツロも、コゴエさえも戦慄していた。
「じ、実在しないはずなのに……!」
同じ竜だからこそ、アカネにはその姿がなお恐ろしく映る。
邪悪凶悪にして、醜悪を極めるその竜は。
「多頭竜……!」
大量の首が、胴体から生えていた。
ヤマタノオロチ、あるいはヒュドラ。
神話で語られることこそあっても、実在することのありえない生物。
一体の竜でありながら、百にも及ぶ膨大な頭。
長い首によりうねる頭の一つ一つが、有害な膵液を垂れ流しにしている。
「うぐっ!」
狐太郎はこみあげてくる吐き気を抑えた。
見栄で抑えたのではない、目の前の怪物に目を付けられてしまうと思ってしまったからだ。
戦うという発想が出るまでもなく、既に負けていた。
心の中には、見逃してほしいという弱い叫びしかない。
「多頭竜……私たちの世界にはいなかったけど、この世界にはいるようね」
「確認するまでもないな、これはAランクだ。今までの相手と同じに思うなよ」
「それこそ確認するまでもないでしょう?」
その全貌を目の当たりにしたササゲとコゴエは、彼我の差を把握していた。
目の前の相手が、自分達よりも格上のモンスターであると。
「アカネ、戦える?」
「……うん、大丈夫」
「そうは見えないけど」
周囲の木々がなぎ倒されたことによって、視界は開けていた。
こちらから相手が見えるように、相手からもこちらが見られている。
百の頭、二百の眼。それらが全て、一行を捕らえていた。
「大丈夫!」
狐太郎に次いで、アカネは目の前の多頭竜に吐き気を感じていた。
同種だからこその忌避、同類だからこその恐怖。多頭竜のおぞましさを、アカネは感じ取ってしまっている。
「やれるよ!」
「……そうみたいね」
悪に立ち向かう心を正義と呼ぶのなら、己の中の弱さに負けないことを勇気と呼ぶのだろう。
アカネは奮い立ち、それを見てクツロももはや問わなかった。
改めて、四体は目の前の脅威と対峙する。
世にも恐ろしき多頭竜、その名はラードーン。
神話に刻まれた竜と同じ名を持つ種族は、当然のようにAランクを誇る。
魔境たるシュバルツバルトの生態系にあって、頂点に立つと言っても過言ではない竜である。
百をも超える膨大な数の頭部はそれぞれが毒の息を吐く砲台であり、もしも前線基地やその先の都市に達すれば数多の命を一息で奪い去るだろう。
「あ、あああ……」
その化物と対峙せざるを得ない、狐太郎。
彼は決して不幸や不運、事故によってラードーンと向き合ったのではない。
前線基地で討伐隊に参加しているハンターたちは、この化物と戦うことを使命としているのだから。
「ひっひっ、ひっ……!」
蛇に睨まれた蛙どころではない。
膨大な数の目のほとんどが、狐太郎を見ている。
大量の竜に睨まれた人は、なんの効果もないはずの視線だけで心臓が止まりそうになっていた。
「行くわ!」
その彼へ視線をやる余裕もない。
クツロを先頭として、四体は氷の壁から脱しようとする。
しかし、それよりも先にラードーンが動いていた。
百ある頭のすべてが、膨大な量の毒息を吐いたのである。
アカネの炎が、その圧だけでツリーアメーバを吹き飛ばしたように。
ラードーンの毒は、その圧だけで薄氷壁を吹き飛ばし、その内側にいた全員を呑み込んでいた。