鯉の滝登り
重ねて言うが、タイラントタイガーやドラミングゴリラが、どうやって異なる種族のモンスターを支配しているのかはわかっていない。しかしプルートに関しては、その蜜そのものによるものだとわかっている。
その味は虫を虜にし、その香りは遠くにいる虫さえ集める。
それが何を意味するのか。
プルートは無から虫を発生させるわけでも、自分で産むというわけでもない。
あくまでも周辺の虫を集めているだけなので、近くに虫がいなくなればそれ以上集めることはできない。
もちろんプルートもその事態になれば、さらに広範囲へ蜜をばらまくだろう。流石にそれぐらいはできる、Aランク上位なのだから。
だがもしも、一旦周囲の虫が尽きたうえで、周辺一帯に巨大な壁ができれば。
それもただの壁ではなく、雪でできた低温の壁ならば。
それは周辺へ匂いを拡散させない蓋になるだろう。
もちろん、そんな雪の壁がそこまで頑丈であるわけがない。
匂いの拡散を防ぐための、分厚く高いだけの、固くない壁。
Bランク中位モンスターがぶつかれば、一部は崩れるであろう脆い壁である。
それこそAランク同士が激突すれば、その余波だけで壊れかねない。
だからこそ、とても遠く、とても大きく円形の壁を作った。
大きな円を構築するため手間はかかったが、一旦完成すれば余波では壊れない。
また改めて語るが、プルートによる虫軍団は完璧に統率されているが、しかし知性がなく戦術もない。
特定の対象にフェロモンを浴びせ、攻撃の対象とすることはできる。
だが「周囲を囲む雪の壁を破壊しろ」という複雑な命令はできない。
そもそもプルート自身が、周囲に雪の壁ができたことを把握できているのかが怪しい。
プルートの軍勢はプルートが命令するだけの一方的なものであり、少なくともプルートへ配下が報告をするということはない。
いやもっと言えば、遠くに壁ができて蜜の流出を防いでいるということが理解できない。自分のすぐそばに壁を作って動きを拘束しているのならともかく、自分の行動になんの支障もないのだから理解ができない。
アブラムシのモンスターは、アブラムシであることから脱することができなかった。
かくて無尽の軍勢は、この雪の壁に囲まれたものだけになる。
もちろん、もっと早い段階でどうにかできればそれが一番ではあった。
だが雪の壁の設置をした後で、香りに寄せられていたAランクやBランクモンスターが外から突っ込んでくれば、それだけで壁に穴ができてしまう。
竜騎士隊が蜜の流出を促し、周辺の昆虫型モンスターを根こそぎ集めたことで、ようやく発動できた罠なのだ。
「見るがいい! ここに策は成った! 我等の奮戦は無意味ではなかった!」
楽な策ではない。
一網にとらえて打ち尽くすと言えば恰好はつくが、そもそも周辺一帯の昆虫型すべてを相手にしている時点で、まったく楽ではない。
だがだからこそ、まだプルートは気づいてもいないはずだ。自分の周囲にモンスターがいる以上、まだ限界を意識していない。
もう底を打っていると、気づいていないのだ。
「さあ、己が陥れられたことにも気づかぬ虫を叩き続けろ! 己が窮地であることに気付く前に!」
終わりが見えたことで、士気が上がる。
ショウエンの奮起に従って、竜騎士たちは攻撃を再開していた。
※
周辺から集まってくる虫は、当然ながら防御壁に守られた狐太郎たちにも襲い掛かってくる。
それを迎撃するのは、やはりウメイの務めだった。
「ボムクリエイト、エリアナパーム!」
広範囲を破壊する爆発属性の攻撃によって、接近してくるCランクやBランク下位の群れは殲滅されている。
疲労はたまっているが、まだまだ戦える。不十分な栄養で連日戦い続けたのならともかく、昨日までしっかりと食事をして睡眠もとっていたのだから、へたり込むのは早すぎる。
軍人にとっては、瞬発力よりも持久力が求められる。
途中で疲れましたなど、誰も言うことはできない。
己で立ち続けるものだけが、生き残ることができるからだ。
「ボムクリエイト、ラージエクスプロージョン!」
爆発属性は、とても使うことが難しい。
非常に攻撃的で殺傷能力に長けるが、当然ながら自分にも当たる。
エフェクト技で使う場合は、よほど威力を抑えなければ死んでしまうだろう。自分が。
最低でもクリエイト技。
それが爆発属性を修める者の基準である。
そうでないと死ぬからだ。
とはいえ、だからこそこの状況では有用である。
広範囲を単独で殲滅するにあたって、爆発物ほど簡単なものはない。
とりあえず前に撃てば、右も左もまとめて吹き飛ぶ。
吹き飛ぶということは、相手が近づけないということ。
ダメージを与えながら相手を近づけさせない。
それは火炎属性や突風属性の効果を合わせたものである。
ましてやウメイはジョーやショウエンと並ぶ実力者、Bランク下位までなら負けることなどありえない。
「あわわわ……」
「大丈夫です、安心してください。柔軟属性と拡散属性、軽減属性の壁に守られているんです!」
「そうです、爆発の余波で壁は揺れているかもしれませんが、内側には影響はないんです!」
「これはそういう壁なんです、落ち着いて……いや、本当に大丈夫ですから」
そしてそのすぐ後ろにある狐太郎たちの防御壁は、それはもうぐにゃぐにゃと揺れていた。
巨大なシャボン玉のような防御壁は、まさに原型が分からないほどにぐにゃぐにゃと変形し続けている。
何時割れてもおかしくない、そんな状況に見える。
自分を守る唯一の壁が割れそうになっていれば、普通の人間は慌てふためくだろう。
狐太郎が想像し、なおかつ今まで自分を守ってきた結界は、普通に硬いものだ。
硬度で守る、硬質な壁。安心で安全な装甲である。
それに対して、この壁は衝撃緩衝材に近い。人が中に入るタイプのゴムボールや風船を思い浮かべれば、大体合っている。
周囲からの攻撃を受ければ容易く変形するが、変形することによって受けた力を吸収する。
さらに拡散属性や軽減属性によって、受けた力を逃がし続け減らし続けるのだ。
もちろん無敵ではないし、強固というわけでもない。
装甲と緩衝材は相互互換であり、一長一短である。
とはいえ少なくとも、この状況では十分に機能している。
だがそれでも狐太郎は怖かったので、普通に怯えてうずくまっていた。
「ひぃいいいいいい……!」
そして狐太郎が怯えていることとは何の関係もなく、事態はどんどん進んでいく。
※
今まで殺到し続けていた虫が、ついに底を見せ始めた。
倒しても倒しても湧いてきた虫が、だんだんとまばらになってきたのである。
底なしの軍勢は、ついに供給の限界に達した。
こうなってしまえば、無尽の地獄も戦力の逐次投入に成り代わる。
死をも恐れぬ軍勢というのは、強く数が多いからこそ恐ろしいのであって、数が尽きればただ殺して終わる。
むしろ逃げて間合いを取るだの、戦い方を変えるだのとしていたほうが、死を恐れる軍勢の方が面倒になる。
攻めているだけで勝てるのなら、兵法は要らないのだ。
「やれやれ……思ったより脆くなっちまったから、大きさが分からなくなるまで砕いちまった」
「大きさ比べ、本当にするつもりだったんですか……」
プルートは、体格に比べて小さな瞳で周囲を見ていた。
一気に、あっという間に、自分の戦力が激減したことを把握した。
防御力を下げられ続けていたAランク中位モンスターが一気に殲滅されたことで、それはより明らかになる。
プルートは恐れず騒がず、大量の蜜を能動的にばらまいた。
だがモンスターは現れない、参じない。
「ショウエン君、よくやってくれた! 一旦下がりたまえ! そろそろ遠くへ匂いを撒こうとするぞ!」
「隊長……了解しました! 竜騎士隊、下がれ!」
もちろん己の死などかけらも怖くないが、それでも現状を打破しようとする。
プルートは蜜を霧状にして、勢いよく噴霧する。
それはすさまじい圧力をともなって、周辺一帯に風を起こした。
昆虫にとっては極上の甘露であろうが、人間にとってはねばつく、甘すぎて鼻につく匂いでしかない。
加えていえば、これは攻撃ではなくただ噴霧しただけ。近くにいれば圧力で吹き飛ぶだろうが、多少距離を取れば問題はなくなる。
もちろん甘い香りは周辺一帯を越えて、さらに遠くのモンスターを寄せるはずだった。
だが、それでも来ない。
明らかにおかしな事態に、プルートはようやく混乱する。
「冥王プルートにとって、広域への噴霧は使いたくない手よ。当然よね、栄養をばらまいていることに変わりはないのだから、自分がやせてしまう」
ようやく一息つくことができたシャインが、周囲と合流しながら解説する。
「普段は分泌する蜜程度……私たちにしてみれば発汗程度の負担しかない蜜で寄せて、緊急時には出血に等しい負担による噴霧を行う。逆に言えば、緊急事態に気付くまでは、噴霧は行わない」
Bランク上位を相手にしていたアカネやクツロも、シャインを守っていた一灯隊の面々も。
誰もが疲れているが、鋭気に満ちている。
後はこれ一体、無力な裸の王様を殺して終わり。
そう思えばこそ、気力はみなぎるのだ。
「そして更なる一手、虫を死に駆り立てる禁忌の蜜も、その噴霧の後にしか使わない。当然よね、一体一体の命なんてどうでもいいけど、群れを一旦壊滅させるなんてそうそうできない」
皮肉なほどに、プルートは王だった。
誰が何体死んでも気に留めないが、全滅だけは避けたいと思っている。
その生態は合理的だが、知られてしまえば対応する余地を与えてしまう。
「こうなれば、こうなってしまえば……冥王プルートには最後の手しか残っていない!」
追い詰めはした。
追い込みはした。
追いつきはした。
だがこれで勝てるのならAランク上位、昆虫型最強種に選ばれていない。
単為無性生殖で増えるアブラムシだが、雌だけというわけではない。
種類にもよるが、雄を生むこともある。単為生殖ではなく、両性生殖をおこなうこともあるのだ。
そしてこのプルートが雄を産むとき。
それは手勢のすべてを失って、自ら戦うしかないと判断したときである。
「来るぞ……雄だ!」
今までと違い、母体は生きたまま産卵を行った。母体に比べてあまりにも小さい、やや湿った虫の卵。
それを見て、揃い踏みしたハンターたちは気を引き締める。
その卵が一つなら良かった、だが一つだけではない。
何十もの卵が孵化し、そのすべてから壺を背負っていない形質で生まれてくる。
相変異。
特定の昆虫が特別な環境に置かれた際に、通常から変異した個体を産むこと。
比較的無害な孤独相から、有害極まりない群生相に変異する蝗が特に有名である。
そしてそれは、このプルートにも起きる。
単為相から、雌雄相。あるいは支配相から戦闘相へ。
胎卵生から卵生へと切り替わったこの怪物は、先ほどまでのように、配下が敵を殺すことを待つ状態にない。
自ら戦って、殺しきる構えである。
そして、その卵に囲まれた母体を最後に食い破って現れた「昆虫」こそ、真にAランク上位と呼ばれるモンスター。
戦う姿になった雌でさえ、はるかに劣る最強の昆虫。
「……プルート」
戦う力など持ち合わせない雌に囲まれて現れたのは、戦う力の塊だった。
蜜のツボを背負ったような雌と違い、そのシルエットは余りにも「シンプル」だった。
だがもしも、その生物の特徴をあげるのなら、口がないことだろう。
これは人間の口のようなものだとか、大顎がどうとかではない。
消化器官、口や胃、腸などがない。その構造上、水の一滴さえ飲むことはできない。
それとは対照的に、全身には凶器が生えている。
湿り気の有る粘液に包まれた針には返しが付いており、刺されば抜けないことが確信できる。
図体に比べれば小さいが、それでも全身を守るように、相手を殺すための凶器が生えそろっている。
蟻牧とも呼ばれるアブラムシの親玉にしては皮肉だが、比較すれば蟻に似ているのだろう。
食うことを、生きることを放棄した怪物は、いまここに誕生した。
「ブゥ、もうちょいと頑張れよ」
「……わかってます。貴方一人じゃ、到底勝てませんからね」
「その通りだ、恰好がいいじゃねえか」
「ブゥ君とガイセイだけには任せられないよね!」
「タイカン技は無理だけど、それ以外ならなんとか行けそうよ……」
『ブゥの中には私もいるのだけどね』
生まれたばかりの皇帝を迎えるのは、二人の若き英雄と二体の疲労した魔王。そして多くのハンターたち。
放っておいても翌朝には死ぬはかない怪物だが、その天寿をまっとうさせる気はない。
この雄を放置すれば、すべての雌と交尾をしてしまうだろう。それがどんな結果に至るのか、考えたくもないことである。
既にここまでの戦いで疲労の色が濃い者たちだが、それでも退く気はない。
誰一人例外なく、最強の昆虫に向かっていく。
「雄のプルートは確かに強大よ、その戦闘能力はAランク中位を大きく超える。でも他のAランク上位程じゃないし、この相になったプルートは雄も雌も殺せば死ぬわ! もう不死身は使い切っている!」
シャインが改めて叫ぶ。
ここに来るまで楽ではなかったし、ここを越えることはなお辛い。
だが、ここで終わり。
さりとてプルートの群れも恐れる道理はない。
元より目の前の相手を全て殺せば済む話、疲れ切った相手に生まれたてのものが屈するものか。
戦闘相となった雄と雌は、己たちの母たちとは比べ物にならぬ俊敏性を発揮して、狩人たちを殺そうとする。
それを、東方からの軍人たちはただ見守ることしかできなかった。
※
かくて、大討伐は終わった。
疲れ切ったハンターたちは一時休息をとると、長くとどまることのできない森から去っていく。
雪の壁の向こうでは、大量の壁を作って疲れ切っているコゴエや、彼女の供をしていた獅子子が待っていた。
ともに生還の喜びを分かち合い、その上で重い足取りで帰っていく。
当然ながら森は静かなもので、モンスターの襲撃はまったくなかった。
おそらく数日は平和だろう。プルートの配下が食い荒らし、そのプルートたちを討ち滅ぼしたのだから、流石のシュバルツバルトも暫しの静寂を得たはずである。
疲れ切った、やり遂げたハンターたちは、少しばかり喉を潤して軽い食事をとると、そのままベッドで倒れていた。
精も根も尽き果てた彼らは、等しく倒れて眠りを得たのである。
その中には、守られていたとはいえ心理的負担の大きかった、狐太郎も含まれている。
今回討伐に参加した者の中で、疲れ切らずに済んだのはウメイたち四人だけだろう。
「……凄かったですね」
キショウは、語彙のない表現でまとめた。
もちろん四人も疲れているので、宿で椅子に倒れている。彼女の語彙が貧弱になっているのも、疲れていることが大きいだろう。
お世辞にも行儀はよくないが、それでも文句を言えるものはいない。
彼女たちもまた、死地に踏み込み、役割を果たした者たちなのだから。
「ええ、モンスターも凄かったけど、ハンターたちも凄かった……全員があの化物に向かっていけるなんて……」
ウショウはそれに頷く。キショウのいう「凄かった」が、ハンターとモンスターの双方を評していると分かったからだ。
Aランク上位モンスターは、遠くで見ていても恐ろしかった。それへすべてのハンターが立ち向かえるのだから、大公が自慢に思うのも納得である。
確かにあれだけ勇敢で精強なハンターならば、戦地へ自信をもって送り出せるだろう。
「大公閣下は、よくぞあれだけの兵を集められましたね。ウメイ姉様はどうやったと思います?」
大公自身でさえ不思議に思っていたことだが、この地には精鋭が集う。
普通の軍隊、あるいはハンターの隊ならば、臆病風に吹かれるような雑兵も混じる筈だ。
それがないというのは、相当特殊なことである。
イショウが疑問に思うのも、無理らしからぬことであろう。
「大公閣下が彼らへ誠意をつくしていることもあるのでしょう。それはまず確実です」
この地の視察を終えたウメイは、まずそう評した。
それこそ、公の場でも言えるような順番で、まず最高責任者を褒めたのである。
「ですが世の中には、そうした誠意を受け取らぬものが多いことも事実。大金を受け取ってもしめしめとしか思わぬような、卑劣な輩はどこにでもいます」
他人を利用し制度を利用し、それどころか己の責務を果たさぬことを「賢い」と思うもの。
そういう輩はどこにでも湧き、結果として周囲を腐らせてしまう。
だがそれは、この基地の討伐隊にはいなかった。
もちろんどこか悪いところのある者もいるだろうが、それでも己の責務はまっとうしている。
「しかし……この地では実戦が頻繁に起きすぎる上に、人数が少ないのです。特に各隊はまとまりが強いため、サボタージュを決め込むものはすぐに見つかってしまう。そして相手が大量のモンスターである以上、遁走すればそのまま食われておしまいです」
誰だって、鍛えればクリエイト使いまでにはなれる。
どんな属性であれクリエイト使いまでなれば、社会で大きく認められる。
だが毎日地道に努力をすることは難しい。だからこそ、クリエイト使いは数が少ないのである。
しかしこの地では、クリエイト技が使えないものは、まず確実に死ぬ。
膨大なCランクやBランク下位を相手に、自分の身を守れる最低限の強さがなければ、ここで生きていくことはできない。
そしてその最低限の基準が、世間と比べてとても高いのである。
「……彼らは淘汰を乗り越えた者たちなのです」
モンスターには、命乞いも泣き落としも通じない。
逃げれば食われるし、弱くても食われる。
この基地には傑出した実力の者が集まると同時に、それ以外の者が死んでいくのである。
だからこそ、玉石混交になっていないのだ。
「この地で逃げ出さず、戦い強くなった者たち……大公様の誇りでしょう」
その誇りである討伐隊を、彼女は選ぶ権利がある。
その配慮のありがたさを改めて感じながら、ウメイは四つの隊のどれを連れていくのか、今から考えていた。
いや、今から考えるというよりは、今しか考えることができないというべきだろう。
彼女たちは元々東方戦線の将である、長く離れることはできないのだから。
(ショウエン……貴方は新しい戦地で、良い戦友を得たのね)
討伐の達成や戦力の確認とは別のことで、彼女は安堵の表情をしていた。




