他人の不幸は蜜の味
ショウエン・マースーは豪傑である。
色男かどうかは議論があるが、好漢であることは事実だろう。
がっしりとした体は鍛えられており、どこにも弱さはない。
ワイバーンに乗り空を駆け、貫通属性の矢を射かける様は正に空中の支配者だった。
その頼もしい雄姿と輝かしい戦果を、この場の四人はきちんと覚えている。
「大公閣下からのお言葉を伝えます」
「……ええ、おねがいします」
「まず、助力の提案には感謝しています。しかし今後のことを思えば、悪しき前例を作ることもまた避けたい」
今回のことは、ウメイ自身からの提案である。
しかし今回の提案をそのまま受け入れれば、今後戦線に赴いた別のハンターが「好意」を強制させられる根拠になりかねなかった。
もちろん詭弁もいいところだが、少なくとも護衛として参加させることはできなかった。
「見学という形で同行していただくのなら、それで構わない。もちろん受け入れずともよい、と」
「十分です」
ここで戦った、という事実は残せない。
書面上では狐太郎のAランク認定の時に、大公やリァンが同行したのと同じ扱いである。
よってここで戦っても、彼女たちに名誉も報酬もないのだ。
だがそれでも、彼女は良しとした。記録には残らずとも、この場のハンターたちに戦うところは見せられる。
それならば、本来の目的は果たせるのだ。
いいや、名目上の目的、掲げたお題目は果たせるというべきだろう。
「……ショウエン」
「……すまない、ウメイ」
こうして、話す時間が欲しかった。
本当はそれだけなのだ、彼女にとってはそれが大事だった。
今ショウエンは、ここで話す時間がある。
誰も咎められることなく、ウメイと会話をすることが許されている。
それだけで、命を賭ける価値があった。
そしてそれに対して、側近の三人は、決して文句を言わなかった。
側近三人にとっても、価値の有ることだった、与えたい時間だった。
「大公閣下からも言われただろうが……君たちには負担を強いた」
どう言い訳をしても、前線にいなかった、
ただの一兵士として、どれだけの恥辱にまみれても、戦線に残るべきだった。
少なからず、そう思っていた。
もちろんそんなことをしていれば、今彼が守っているものさえ失っていたのだろうが。
「いえ、良いのです。ショウエン……結局私たちも、貴方を守らなかった」
「守るとはね……見当違いもいいところだ。私たちは加害者であり、君たちは被害者だ。被害者に守ってもらうなど、あまりにも滑稽だろう」
ショウエンは、自嘲する。
結局父親が妹を護衛候補として派遣していなければ、それだけで全部解決したはず。否、そもそも起こらなかった問題なのだから。
「これで善かったのだ、これで」
寂しそうに、彼はこの結果を受け入れていた。
「それはそうでしょう。ですが、貴方自身はどうなのですか」
「……酷なことを聞くな、貴女は」
「法は正しく機能し、将軍だろうとその娘だろうと正しく罰を受けました。ですが、貴方は、一人の息子として、兄として、納得しているのですか?」
「している、わけがない」
悪感情が、そこにあった。
憎悪というべきものが、ショウエンの顔に現れていた。
「妹が殺され、父親が殺された。その相手に従っていて、発端になった人物に従っていて……何の悪感情も抱かないわけがない」
氷の冷たさではない、鉄の冷たさだった。
常温の冷たさが、そこにあった。
決して溶けることのない、冷たさが確固としてあった。
「時折思う。無防備な狐太郎を、私の前に立つ大公を、今なら簡単に殺せると。妹を直接殺した、公女をこの手で殺せると……!」
以前、ショウエンはリァンへ「邪魔です」と言って退かせた。
その時に、果たして暗い感情はなかったのだろうか。
言う機会が巡っていたので、これ幸いと荒い言葉を選んだのではないか。
他でもない彼は、そう思ってしまうのだ。
「……思わないわけがない」
思う己を、笑っていた。
「だが、思うだけだ。私はこの衝動を恥じている」
思うだけなら罪ではない。
思うことは仕方がない、実行に移さなければそれだけだ。
「もう一度言おう、これでいいのだ。貴族としては罰を受け入れ爵位を返上し、軍人としては兵を率いて別の地で防衛にあたり、兄として子としては怒りを堪える。それが人というものだろう」
「貴方はそれでいいかもしれません。でも、貴方のお母様は……」
「ああ、会ったのか」
当然だが、ショウエンには母もいる。
娘を殺されただけではなく、夫まで処刑され、侯爵夫人の地位まで奪われてしまった、世にも哀れな母がいた。
「それは済まないな……さぞ気を悪くしただろう」
「……」
「母は……母も仕方がないのだ……ああなって当然だ」
ここに来る前に、ウメイは側近を連れてショウエンの母の元を訪れた。
以前暮らしていた邸宅に比べれば小さいが、それでも穏やかに暮らすには十分すぎる広さの、田舎の端にある別荘のような家である。
少々不便ではあるだろうが、それでも喧騒や厄介なこととは無縁の、穏やかな生活が送れるはずだった。
当人の心が、穏やかであれば。
「母が怒ってくれているから、私も救われている。これでもしも母まで達観したようなことを言っていれば、それこそ何をしていたのかわからない」
東方から来たウメイに対して、ショウエンの母は罵声の限りをぶつけた。
その中でも特に四人を傷つけたのは、先日の戦争についてである。
『お前達はなぜ生きている、全員死ねば良かったのだ。戦線が崩壊し国土に攻め込まれれば、その時こそショウエンが立ち上がることができたのに』
メンジの死によって、戦争は起こった。
それによって多くの死者が出たが、それだけだった。
メンジが死んでも、ショウエンがいなくなっても、戦線は崩壊しなかったのである。
メンジという将軍は名将ではあったが、東方の防衛線にとってはいなくても何とかなる存在だった。
ショウエンという竜騎士は精鋭だったが、東方の防衛線にとってはいなくても何とかなる存在だった。
彼女の描く本来のあるべき姿なら、東方戦線は崩壊し、国家は荒廃し、メンジという将軍を罰したことを誰もが後悔するはずだったのだ。
残った息子のショウエンが立ち上がり、兵をまとめあげて国家を救済するはずだった。
だがそこまでにはならなかった。メンジがいなくなったことで戦争が起きても、結局はいなくても何とかなったという結果が導き出されただけで……。
彼女の期待は、裏切られたのだ。
「……母としては、クーデターでも起こしてほしかったのだろう。多くの将兵が立ち上がり、父の処刑を止めて欲しかったのだろう。幼いころから付き合いがあったにも関わらず、妹を殺した公女様を殺してほしかったのだろう」
そうなってほしかった、そうなるべきだった、そうならない理由が見つからなかった。
なのに、そうなっていない。その予兆さえ、そよ風ほども起きなかった。
ただ粛々と事態は進み、娘に続いて夫まで失った。同じ苦しみを分かち合っている息子にさえ、我慢するしかないと言われている。
これで、世を呪うなという方が無理だった。
「自分では何もしないのに、世界が勝手に自分にとって都合よく回ってくれることを期待しているのだ」
自分の手が一切汚れることなく、自分が一切の罪を負うことなく、己たちを陥れたすべてが勝手に破滅していって、自分達への行いを後悔して欲しいと願っていたのだ。
「バカな話だろう。無実の罪で娘と夫が殺されたと思っているのに、もっと大勢の人がなんの非もないまま死ぬべきだと思っているのだから。……まあもっとも、やる気を出されても、それはそれで困るのだがね」
ショウエンの母親だけが、特別ではない。
誰だってそうなるだろう、何もかもをいきなり失えば。
「……」
痛ましかった。
ショウエンは何もかもを悟り、何もかもを抱えて、それでもまあ仕方がないと諦めていたのだ。
ウメイにとって、あまりにも切ない心中だった。それが本音だと分かってしまう、本気の言葉だった。
美醜を問わず、親しい人の本音は胸に響く。
「そう気にしないでくれ、仕方がないことだ。何度も言うが、君たちに一切の非はない。非がない君たちが多くの血を流したのに、何かができたはずの私へ同情するなど滑稽だ。むしろ、其方の方が辛いよ」
もうどうにもならない。
その事実を再確認してしまったウメイは、一歩前に進んだ。
「ショウエン」
また一歩前に進んで、もう前に進めなくなった。
彼女の鼻息が、彼の胸板にあたる距離だった。
「私に、何ができますか」
この世界は、誰の思い通りにもなっていない。
大公の思う通りにも、ショウエンやその母の思う通りにも、ケイの思う通りにも、狐太郎の思う通りにもなっていない。
誰の思い通りにもならない世界とは、こんなにも残酷だった。
「貴方のために、何ができますか……!」
側近たちは、背中を押したくなった。
もしも今、ウメイの背を押せば、二人は線を越えるだろう。
だがそれを彼ら二人が堪えているのに、手を出すことなどできなかった。
「明日……狐太郎様を守ってくれ」
互いに、棒立ちする。
ショウエンは彼女を見ず、ウメイは彼を見なかった。
手を伸ばすどころか、動かすこともできなかった。
「彼は、誰かに守られなければならない人だ」
「わかり、ました……」
ウメイは、将の顔になって一歩下がる。
「ええ、東方の将として全力を尽くします」
「ああ、頼んだ」
武人同士としては、綺麗なところに話は収まっている。
だが側近の三人としては、正直面白くなかった。
「ショウエンさんがそうおっしゃるのなら、そりゃあ全力で守りますけども……正直、厚遇され過ぎじゃないですか?」
キショウがうかつなことを言うが、姉の二人はそれを諫めなかった。
ここは私室なので軽口も許されるし、その二人も同じように思っていたのだ。
「あのアッカって人もそうでしたけど……大公様は、いくら何でもAランクハンターを甘やかしすぎですよ」
この地で戦い続けたアッカには、多くの特権が与えられていた。
しかし特権があるからと言って、それをフル活用すれば当然反発はある。
いくら強く実績があっても、世界は彼を中心に回っているわけではない。彼へ反感を持つ者も少なくないし、それによって大公の名声も下がっている。
「いくら許されているからって、都市一つ吹き飛ばすことを許可するとかおかしいじゃないですか」
「なるほど、そうかもな」
その軽口もまた、ショウエンには嬉しかった。
重い話ばかりして、嫌な思い出だけで別れたくなかった。
たわいもない愚痴を聞いて、それを軽く注意するような、失った日常を楽しみたかった。
「それじゃあ君は、前線で戦った後故郷に帰ったら、実家に文書を偽造されて何もかも失っても、まあ仕方ないと諦められるんだな?」
「うっ……」
「大公閣下が協力したのは、それも一因だ。廃嫡自体は仕方ないとしても、最前線に送り込んで利用するのは良くないだろう」
もちろん当時のハクチュウ家からすれば、正当なことだったのかもしれない。
今まで散々迷惑をかけられたんだから、それぐらいいいだろう、というかもしれない。
だが前線から帰ってきた者に、人脈ができていることは考えるべきだった。
「それに、厚遇されているのはAランクハンターばかりではない。この地で働くBランクハンターもまた、同等に近い待遇を受けているよ」
一灯隊の本拠地であるトウエンの近くには兵の詰め所を置き、周辺の悪漢へ睨みを利かせている。
抜山隊は素行の悪さが目立っているが、それもある程度は許されている。
白眉隊に至っては、男爵という一番下の位とはいえ、貴族としての地位も与えていた。
目立った恩恵を受けていないのは、それこそ蛍雪隊ぐらいだろう。
「大公閣下は、この地のすべてのハンターをAランクのように扱っていらっしゃる。だからこそ、この地のハンターは全員が忠を誓い、誠意をもって当たっているのさ」
※
「主題にまったく関係ないので先にはっきり言っておく! なんで我が一灯隊の戦いを全員見ていなかったのか?! 物凄い遺憾だ! 以上! 本題に入ろう!」
役場に集まっている各隊の隊長と狐太郎は、明日に向けて集会を開いていた。
その中で最初に発言をしていたのは、腹に据えかねていた一灯隊のリゥイである。
彼にしてみれば、バカにされたようなものであろう。
主題の重要性を考えれば仕方はないのだが、それでも腹が立つのは仕方がなかった。
「議論の速やかな進行に協力してくれて感謝する。明日のコンディションを考えれば、早く終わらせることに越したことはないからね……」
悪いとは思っていたジョーは、申し訳なさそうに議題の進行に務めた。
「相手がプルートである以上は、速攻戦は望めない。それこそ悪魔であるササゲ嬢の即死攻撃でさえ、意味を持たないだろう。アレは灰からでも蘇る……いや、蘇るというと語弊はあるが、とにかく一撃では始末できないモンスターだ。それこそカームオーシャンでもなければ封殺は難しいだろう」
Aランク上位モンスターは、異常に生命力が強い。
ラードーンはすべての首をちぎっても生えてくるし、エイトロールは体の節ごとに分裂するし、カームオーシャンは実体に触れることが難しい。
その例にもれず、プルートもまた殺しにくいモンスターだった。
奇怪な生態によって、悪魔の呪いもさほど意味を持たない。
「本来であれば、コゴエ君の気候変化に頼りたいところだが……それだけではどうにもならないだろう。なにせプルートは、Aランクさえ配下に置いているからな……」
冬場のコゴエはほぼ無敵である。
仮にAランク上位モンスターが群れを成したとしても、事前に準備をしていればほぼ負けないだろう。
だが今は夏ごろである。そこまで猛暑ではないが、それでもコゴエの全力を発揮するには時間がかかるし、冬場程の力は望めない。
「厄介なのは、この森に生息する昆虫型モンスターを、ほぼ無尽蔵に集めることができることだ。一度排除しても、プルートが健在な限りモンスターは集まり続ける。嫌でも持久戦を強いられるだろう」
「あの……参考までに聞きたいんですが」
狐太郎が、やんわりと挙手をした。
「私の前の、アッカさんの時はどうしたんですか?」
「アッカ様一人で乗り込んで皆殺しにし続けた」
「すみません」
何の参考にもならなかった。
アッカは歴代最強の名に恥じぬ強さを持っていたため、Aランク上位モンスターさえ敵ではなかった。
ましてやAランク下位や中位など、恐れるに足りなかったのだろう。もちろん狐太郎たちは、そうもいかないのだが。
「幸い、個体としてのプルートは、雌ならば脅威ではない。雄が出るまでは私たちも戦力になるだろう。だからこそ……この場の全員の力が必要だ」
その説明を聞いて、狐太郎は顔をしかめた。
今回討伐するべきプルートについて資料で読んだとき、他の四体もそろって「意味が分からない」と首をひねっていたことを思い出したのだ。
※
Aランク上位モンスター。
すなわち、この世で最も恐れるべき怪物。
多頭竜型最強種、ラードーン。
これは見るからに恐ろしい。
哺乳類型最強種、ベヒモス。
これもまた、その巨大さが恐ろしい。
節足動物型最強種、エイトロール。
その奇怪な姿は、まさに醜悪だ。
スライム型最強種、カームオーシャン。
姿を見ることさえ困難だが、その不気味さは比類ない。
では、昆虫型最強種、プルートとはどのような怪物か。
おそらく、すべてのAランク上位モンスターを並べれば、とても弱く見えるだろう。もしもプルートより弱く見える上位モンスターがいるとすれば、ダークマターぐらいである。
それもそのはず。このモンスターに酷似している昆虫自体が、そもそもまったく強そうではない。
蟻や蜂のような、優れた筋力や毒を持つわけではない。
カブトムシやクワガタムシのような、飛びぬけて頑丈な外骨格を持つわけではない。
セミやコオロギのように、大きな音を出すわけでもない。
蝶やバッタのような、長距離を大群で移動する種族ですらない。
さほど珍しくなく、その存在を誰もが知っているが、しかしその全貌を詳しく知る者は少ないだろう。
だからこそプルートを初めて見た者は、それが何かの昆虫に似ていることは察しがついても、具体的にどの昆虫に似ているかは言えないはずだ。
そしてそのプルートは、この夜更けに、餌を吸っていた。
モンスターの死骸に取りつき、その体液をすすっていたのだ。
エイトロール。
プルートと同格とされるこのモンスターは、しかしすべての胴体を食い破られ、絶命していた。
その死体の一つに管をさし、悠々と吸い上げては捨てていく。
大急ぎで食べることはなく、優雅に食事を楽しんでいるようでさえあった。
だがプルートは、エイトロールと戦って勝ったわけではない。
エイトロールと戦ったのは、プルートの配下である大量の昆虫型モンスターだった。
長大にして強大なるエイトロールを、さらに膨大な数の昆虫型モンスターが襲い、食い破ったのだ。
Aランク中位や下位のモンスターが、Bランク以下のモンスターが、命を捨てて襲い掛かったのだ。
そして、すべてが絶命している。
もちろん、プルートはまるで気にしていない。
プルートがばらまいた劇薬は、摂取した昆虫型モンスターを大幅に強化することができるのだが、戦いが終われば絶命させるという毒でもある。
つまりプルートは、従えているモンスターを自爆させて獲物を狩り、そのすべてを平らげるモンスターなのだ。
死体の山に君臨するプルートの元へ、新しく昆虫型モンスターの群れが参じる。
プルートがどれだけ恐ろしいモンスターなのか、自分達を使い潰す存在なのか、知った上でも参じてしまう。
その参じた昆虫たちへ、プルートは「恵」をあたえた。
摂取した栄養を蜜に変えて、大量にばらまいたのである。
正に蠱惑の香りを持つそれに、虫たちは群がる。
そう、プルートは巨大な『アブラムシ』だった。
本来植物に寄生しその液を吸うはずのアブラムシだが、プルートはあいにくと他の動物性モンスターさえも餌にする。
その蜜を求めて群がる昆虫を支配使役し、意のままに操り、自らのために狩りをさせる。
冥王、牧場主。
死を克服し、死を操り、死に君臨する虫の皇帝。
このモンスターにとって、他の昆虫など家畜に等しかった。




