虎は死して皮残し、人は死して名を残す
人が一人死ぬということ、殺されるということ。それは、人が一人死んでおしまい、ということにはならない。
殺した、殺された。その結果は、必ず残る
良くも悪くも、小さくとも大きくとも、その時代に傷を残すのだ。
※
東方からの侵攻に対して、メンジ将軍を失った東方戦線は、しかし単独で防衛に成功した。
メンジが政治的な理由で処刑されてもなお、東方戦線は堅牢さを発揮し、侵略を退けたのである。
しかしそれでも多くの兵を失ったがゆえに、兵力の補充は急務であった。
だが悲しいことに、死力を尽くして戦った東方に対して、国内の有力者は協力を渋った。
もちろん少なくない兵やハンターを送ってくれはしたのだが、一番求めていた即戦力、精鋭に関しては渋ったのである。
一般的なDランク以下のハンターと、一般的なCランク以上のハンターに著しい実力差があるように、兵たちもまた精兵か雑兵かで実力差が著しい。
だが前線ではない地帯では精鋭を育てる必要性が薄く、だからこそ逆に精鋭が希少だった。外敵からの侵略とは無縁でも、モンスターやハンター崩れに領地が侵されることを想えば、精鋭を派遣することはためらわれた。
そんなことは東方の前線もわかっているのだが、それでも戦力が増えるわけではない。
そんな東方に対して、大王は助力を惜しまなかった。
元々予備戦力、遊軍としての意味合いがある斉天十二魔将のうち三人を、東方の最前線へ速やかに派遣した。
国王直属の精鋭は、それ故にネームバリューも大きい。敵は恐れ、味方は奮起する。
だがそれでも、足りるとは言い切れない。かといって、大王は最大の助勢を既にしており、これ以上求めることはできなかった。
藁にも縋る想いで東方戦線が助力を求めたのは、東方の重鎮メンジ将軍を処刑した大公ジューガーであった。
「この度は、よくやってくれた。君たちの奮戦がなければ、この国は侵略されていただろう。よくぞ水際で踏みとどまり、国土と国民を守ってくれた」
前線から遠い、国家の中央に近いカセイ。
国家第二の都市ともされるがゆえに、とても繁栄している華々しい場所だった。
そこを治める大公ジューガーは、己の執務室に東方からの使者を迎えていた。
「君たちが血を流してくれなければ、より多くの血が流れただろう。その君たちへ、助力をすることは大公として当然だ。資金の援助は当然のことだが……君たちが何よりも求める精鋭の派遣に関しても、惜しむ気はない」
東方からの使者、東方の将とその護衛達は、想定と違い過ぎる歓迎に驚いていた。
なにせメンジを殺した男が、メンジの仲間を温かく迎えているのである。
東方側から依頼をしたとは言え、門前払いにされないこと自体がおかしかったのだ。
「私は現在、一人のAランクハンターと、四つのBランクハンター隊を抱えている。流石にAランクハンターを派遣することはできないが、Bランクハンターであれば其方へ一時的に派遣することもできる。どの隊も……戦闘能力だけは私のお墨付きだ。既に其方へ行っている、斉天十二魔将にも引けを取らないと保証しよう」
この国において、Bランクハンターというのは身元が保証された、或いは貴人から保証された凄腕のハンターである。
武勇と礼節を兼ね備えた勇士だけが名乗ることを許されており、制限が厳しいからこそ外れがない。
そしてシュバルツバルトの討伐隊は、数少ない例外。礼節や身元の保証を度外視して、純粋な戦闘能力だけでBランクに食い込んでいる。
実力だけならば、同じBランクハンターさえも超えているとの噂だ。
もちろんそれはハンターの間での認識であって、軍隊がそれを信じている道理はないのだが。
だが大公にとってもBランクであると認めているハンターは懐刀である。
それを借り受けられるのなら、ありがたいことだった。少なくとも文句をつけることはできない。
「とはいえ君たちは前線の軍人だ、実力を目にしなければ配置する気になどならないだろう。まずはシュバルツバルトに赴き、その実力を確かめてくれたまえ。そのうえで彼ら自身と交渉し、同意が得られればそのまま連れて行っても構わない」
もちろん、これが形だけという可能性もある。
とりあえず話を聞いて、とりあえず実力を見せて、適当な口実で断ることで格好をつけるというものだった。
ありえない、とは言い切れない。
だが先入観を抜きにすれば、今の大公が嘘をついているようには見えなかった。
口にしている敬意が、嘘偽りない真実のようにさえ思えてくる。
「……ご協力感謝します」
大公に対して『彼女』は礼をした。
武人であり、貴人への礼儀を知る身としては、ややぎこちない振る舞いだった。
万人規模の白樺隊を率いる将、ウメイ。
彼女とその背後に控える三人の側近は、初めて会った大公が想像と違い過ぎることに戸惑っていた。
「感謝しているのは私の方だ。既に私の討伐隊にも言い含めたが……君たちという最前線があってこそ、後方の安全が確保されているのだ。敬意を払うのは当たり前だよ」
「……恐縮です」
「下品な話だが、多くの嗜好品を包んでおいた。前線へ帰るときに土産としてほしい。恩を売る気はない、君たちの慰めにして欲しいのだよ」
「皆、喜ぶでしょう」
元々、大公のことは聞いていた。
メンジ将軍の友であり、若き日には東方戦線を共に守ったという。
その大公がメンジを処刑したのだから、イメージは一転していた。
だが今の大公は、まさにメンジから聞いていた通りの人物である。
「私もかつては東方で戦っていた。あの地の険しさや恐ろしさは変わっていないだろう、せめてここに居る時は気を張らず、羽を休めてくれたまえ」
戦士へ敬意を惜しまぬ名君。
この地を治める大公ジューガーは、少なくとも彼女たちに対してはそうとしか見えなかった。
「前線を長く留守にすることはできません。ご厚意は嬉しいのですが、どうかお許しを」
「すまない、余計な気遣いだったようだ」
歯がゆかった。
形式通りとはいえ、丁寧に相手をしてくれている。
貴人の中には前線を血なまぐさい辺境だと断じて、軽んじる者も少なくない。
かつて戦線に立っていたものさえ、長く安寧を過ごせば横柄になることもあるというのに。
「……」
いっそ、そうしてくれれば良かったのだ。
なぜメンジ将軍を殺した男が、こんなにも自分達へ親切なのか。
そもそもメンジを殺さなければ、こんなことにはならなかったというのに。
「……本来良くないことだが、一杯やり給え」
大公は、強い酒を入れるための瓶から、強い酒を入れるための小さい盃に五人分の「なにか」を注いだ。
最初は酒の瓶のガラスについている色でわからなかったが、酒器に注がれると透明であることが分かる。
そして、何の匂いもしなかった。
(水杯……!)
この国において、水を酒器に注ぎ飲ませるというのは、一種の無礼講を意味している。
形式的とはいえ酒を飲んだのだから無礼なことも許される、という暗黙の了解だった。
「喉がつかえているようだったのでね、要らぬ世話だったのかもしれないが……どうぞ」
大公が率先して呷った。
これで大公は、形式的に酔っぱらっていることになっている。
「では、失礼します」
四人も水を呷る。
もちろん毒の類はなく、ただの清潔な水でしかない。
だがこれで、四人は大公という国内最大の権威へ口を利くことが許されていた。
「……大公閣下、なぜこうして杯を」
「謝罪だよ」
これで側近である三人にも、話すことが許された。
だがそれでもあえて、将であるウメイが問う。
「君たちは被害者だ。政治的な理由で、一切かかわることができない理由で、君たちは攻め込まれてしまった。関与した人間としては……心苦しくてね」
メンジを殺した男は、メンジが殺されたことによって被害を受けた彼女たちに謝った。
「メンジが処刑されたからこそ、東方からの侵攻はあった。私もそう考えている。国内に混乱があったこと、前線の統制が乱れていることを期待したのだろう……想定されていたことだ」
大王が三人も十二魔将を送ったことも、それと無関係ではあるまい。
中央の政治によって、地方が被害を受けたのだ。当事者ではない者が犠牲になったことは、中央にとっても心苦しいのである。
「では、なぜ!」
大公に対して、三人の側近のうち一人が叫んだ。
もちろん酒の席ということになっているので、これは許可されている。
「ではなぜ、メンジ将軍を殺したのですか! こうなると分かっていてなお、メンジ将軍を殺さなければならなかった理由はなんですか!」
おそらく、東方の誰もが思っていることだろう。
詳しい事情は分からないが、娘の不祥事で名将が殺されるなど国家の損失である。
事実として被害が出ているのだ、責任は重い。
「……先ほども言ったが、君たちは当事者ではない。君たちがどう努力をしたところで、今回の件に関わることはできなかった」
彼女たちは何も悪くないのに、彼女たちは被害を受けた。
おそらく今回のことで、彼女の戦友も命を落としたのだろう。
大公に対して怒りをぶつけることは、むしろ当然である。
「だが、メンジは当事者だ、加害者と言ってもいい。奴の罪は重い、責任は重い。殺しても殺し足りん」
ある意味では、東方の前線が想像する大公そのものだった。
メンジという男に対して、並々ならぬ憎悪を向けている、恐れるべき暴君だった。
「君たちが何をどこまで知っているのかわからないので、あえて最初から説明する。このカセイの近くには、非常に強力なモンスターの住まう魔境がある。そこは常にAランクハンターが常駐しなければならぬ危険地帯なのだが、長年勤めたアッカという男の後継者が不在だった」
アッカ、という男の名前で、また四人は顔をひそめた。
「現れたのが、虎威狐太郎という外国の貴人だった。彼は非常に虚弱だったが、その護衛として従っているモンスターはありえないほど強かった。それこそ大将軍やAランクハンターに準ずる力を持ち、四体そろえば彼らの代理が務まるほどだった」
大将軍、Aランクハンター。
言うまでもない、この世界で最強の怪物である。
あらゆる数的不利、地形的不利、天候的不利を覆す英雄にして勇者だった。
「彼はその地を守る任につくことを請け負ってくれたが、その対価として新たなる護衛を私に求めた。そこで私はメンジや他の有力者に依頼をしたのだが……メンジが推薦してきた娘のケイ・マースーは……ゴミだった」
憎悪があった。
隠しても隠し切れない、憎悪があった。
「よりにもよって、私の代理人として派遣した娘のリァンの前で、狐太郎君をAランクハンターだと認めないと言ったのだ。私にはAランクハンターを任命する権限があり、将軍にもその娘にもそれを否定する権限はない。にもかかわらず、ただ護衛の候補として集められただけのくせに、そんなバカなことをほざいたのだ」
「だから、殺したのですか」
「そうだ、当たり前のことだ」
大公は、飲み干した杯を指で叩いた。
お世辞にも、行儀がいいとは言えない。
「君たちは盃を飲んでも、こうして私に対して文句を言っても、一線は超えないように配慮している。それは褒められることではなく、しなければならないことだ。あの娘は、正式な場で侮辱の限りを尽くしたのだ」
まるで本当に酒を飲んだかのように、大公は顔を赤くしていた。
「狐太郎君が弱いことが気に入らないという、わけのわからない理由でな!」
一時、静寂が挟まれる。
「……だから、殺したと」
「娘の判断は間違っていなかったと、今でも思っている」
「ではなぜ、メンジ将軍まで処刑を?」
酒の席の冗談は、本題に戻る。
「東方から侵攻される可能性があると分かったうえで、なぜ処刑をしたのですか」
東方戦線の兵士も、できれば戦いたくないと思っている。
もちろん軍役に着いているからには、命を捨てることも仕事の内だろう。
だが内政の失敗によって敵が好機を見出し、それによって攻め込まれたのであれば、到底許容できるものではない。
大公が先ほど謝っていたことは、まさにそれだった。
「メンジほどの男を殺せば、東方が危うくなる。それは誰もが分かっていた、今回のことは想定されたことだった。多くの者が私に反対した」
「では、なぜ!」
「メンジを殺さなければ、狐太郎君が報復すると想定されたからだ」
芯がある、どころではない。
巌が、そこにあった。
「一切非がないにも関わらず、狐太郎君は私が紹介した護衛候補に、力の限り罵倒されたのだ! 私にも責任はあるし、メンジにも責任はある! そして彼から見れば、私たちこそが国なのだ! この国が、命の限り戦わせておいて、難癖をつけて怒鳴りつけてくるなど思われるわけにはいかなかった! 身を切って証明するしかないのだ!」
相手の視線に立つ、ということだった。
敵国が攻め込むことが想定できたならば、狐太郎たちが怒って暴れることも想定できたのだ。
結果論で起こりえなかった、など当時の誰も証明できない。
だが少なくとも自分ならどうするかと考えれば、想定されて当然のことだった。
「もしも狐太郎君がこの地を去り、敵国に取り入り、攻め込んでくればどうなったと思う? それがあり得ないと誰が言い切れる? それを回避するために、最大の謝罪、できる限りの礼を尽くすのは当たり前だ!」
何もかも、ケイが悪い。
ケイがわけのわからないことを言い出しさえしなければ、事態は発生さえしなかった。
「前線で戦っている者の地位や名誉を否定するゴミを、君たちは許容できるのか! 君たちは言われて耐えられるのか! なぜ耐えなければならないのかと、自問自答するのではないか!」
メンジが処刑されるとなれば、クーデターが発生する可能性もあった。
東方戦線が、我慢を強いられるからだ。
だがメンジを処刑しないということは、狐太郎が我慢を強いられるということだった。
なぜ被害を受けた側が、我慢を強いられなければならないのか。
「当時の私は、彼のことを良く知らなかった。彼が何を好み、何を嫌い、何に怒るのか知らなかった。だが……自分と自分の護衛が、命を賭けて戦ったにもかかわらず、その国の人間から罵倒されれば、怒るのも無理はないと想定できた!」
罪を犯したのなら、我慢するか、罰を下すしかない。
そして狐太郎が、我慢してくれる保証はなく、我慢を強いる正当性もなかった。
メンジ将軍が偉大な男であることは認めるが、だから殺さないというのなら、この国のことを知らない狐太郎には通じないことである。
むしろ偉大な将軍を切ってでも、誠意を示すべきだった。
「あのゴミがバカげたことをしでかした時点で、狐太郎君かメンジの、どちらかを切るしかなかった。非がある方を切るのは当たり前だ! だからメンジも処刑を受け入れたのだ!」
間違いなく、心中の吐露だった。
彼女たち四人は、大公が何を想ってメンジ将軍を殺したのか、それを知ることができた。
知ることができたと、信じることができたのだ。
「……奴を殺したことが、無駄だったとは思えない。奴の死んだ後に、同じ侯爵家の子が私のところに来たが、実によくしつけられていた。君たち同様に、『個性』を切り捨てた振る舞いができていた」
一罰百戒。
一人を重く罰することで、それ以降の犯罪を防ぐ。
狐太郎に無礼を働く貴族は、当面現れないだろう。
「……私はね、不敬罪というものが嫌いだ」
静かに、大公は漏らした。
「不敬罪とは、王族や貴族に対する無礼や侮辱を罰する法だが……本来、誰に対しても侮辱や無礼は許されないと思っている。誰が誰に対して無礼を働いても、罪に問われるべきだと思っている」
この場で言うことではないが、大公は自分の娘が荒くれ者に殴られたことを思い出していた。
公女を殴ったということで、彼らは想定以上の罰をうけた。
だが公女でなかったら、悪質であっても少々の罰で終わっていたのだ。
それが、彼には嫌だった。
もちろん、罵声や罵倒のすべてを、取り締まることなどできない。
小さな罪でも、すべて死罪にするべきだとも思っていない。
今以上に管理するなど、不可能だとは知っている。
だがそれでも、できることなら、悪には後悔が伴って欲しかった。
「君たちにしてみれば、これから行くであろうシュバルツバルトの前線基地など、前線とは思えないだろう。他の国境を守る前線ならともかく、ハンターが寝泊まりする砦を認めきれないだろう。最初はそれでいい、だが口にはしないで欲しい」
自分の想いを口にするのは、熟慮の末であるべきだった。
自分の発言が、ただ口から出ただけの言葉が、どれだけ意味を持つのか考えてほしかった。
そして、できることなら、衝突は避けたかったのだ。
「互いに敬意を払って欲しい。私から見れば、君たちも彼らも等しくこの国の英雄なのだから」




