お腰につけた黍団子
弱く、愚か。倒す価値がない弱者の皮を捨てて、鵺がその正体を晒した。
全身の毛を逆立たせて、目の前に立ちはだかる鬼の王を威嚇する。
それと対するクツロは、金棒を取り出さず拳を構えていた。
「るるる……るしゃああああ!」
咆哮する鵺は、巨体に見合わぬ俊敏な動きで翻弄する。
足を止めて迎え撃つ構えの大鬼は、その機をひたすら待つ。
「……む?」
一行に攻めてこない鵺へ怪訝になるクツロは、自分の周囲が帯電し始めたことに気付く。
鵺自身が放つ電撃によって、クツロの体にも電気が蓄積し始めていた。
「るうぅううっしゃあああああ!」
怪鳥のごとき気合一閃。
迸る電が、クツロ自身の体から放たれた。
圧倒的な電気の移動は、静電気どころではない。まさに雷そのものだった。
「……結構効いたわ」
ちりちりと体を焦がしたクツロが、放電と同時に飛びのいた鵺を褒めた。
「るるるるぅ……」
鵺は低くうなった。
今のですべての力を使い果たしたわけではないが、それでも全力の攻撃だった。
それが体を焦がすだけというのは、既に双方の格付けは済んだようなもの。
だがそんなことは、あの森から帰ってきた時点でわかり切っている。
鵺は恐怖を抱えたまま、雄たけびを上げて食らいつく。
「シュゾク技、鬼拳一逝!」
鉄拳が、猫の頭部にめり込む。
体重で勝る筈の鵺は、ボールのように吹き飛んで地面に落下していた。
※
「参りました」
「……早いな」
巨大な鵺が、めそめそ泣いている姿は一種シュールだった。
顔面の形が歪んでいるが、それでも割と平気そうである。
少なくとも地面に転がって気絶とか、うめいて死にかけるとかそんなことはなかった。
勝ち目がないと判断した時点で、十分痛い目を見た時点で、さっさと諦めたのである。
この森のモンスターはどんな格上が相手でも喰らいついていくが、この鵺はシュバルツバルトとは無関係なのでさっさと諦めることができるのだ。
これもまた、賢さということだろう。
「一撃で倒せたのはいいけども、正直スカっとしないわね……」
なお、早々にギブアップされたことで、クツロは不完全燃焼のようだった。
魔王の姿になったことで消耗しているのに、それに見合った楽しさはなかったらしい。
「いえ、もう勘弁してください……」
想いっきりぶん殴られて、顔がはれ上がっている猛獣は泣いていた。
モンスターなんだからもうちょっと頑張れよと言いたくもなるが、狐太郎もケンカをして相手に思いっきり殴られたらその時点でギブアップしそうなので、強くは言えなかった。
「所詮私など半端な妖怪。皆さまは当然のこと、雲を縫う糸の爺様にも及びませぬ」
「ご主人様、一応言っておきますが、この鵺はAランクですよ。下位ですけど」
自らを卑下する鵺だが、彼女を倒したクツロはその格をAランク下位とした。
下位であってもAランクなのだから、麒麟やジョー達が束になってもかなわない相手ということである。
それでも中途半端だと卑下するのだから、彼女の周囲には強力なモンスターがたくさんいたのだろう。
(Aランクでも下位だと、卑屈になってしまうもんか……いやでもまあそんなもんだよな、だってタイラントタイガーとマンイートヒヒぐらいの戦力比なわけだし)
狐太郎もこの地に来た当初は、マンイートヒヒとタイラントタイガーが、同じBランクであることに驚いていた。
Aランクという大味な枠の中では、鵺もクラウドラインもラードーンも同じなのである。どれだけ戦力差があっても、英雄以外には負けないという線は超えているからだ。
「我など英雄が出張れば一息に討たれる程度、人里で大きな顔ができるわけもなし。さりとて妖怪の中で暮らすとしても、同格相手にも後れを取る始末……伝説に語られる王冠を得れば、今のような卑屈な日々を抜け出せるかと思っておりましたが、叶わぬ夢でございました……」
これはこの世界において一般的なことだが、Aランクモンスターが大暴れするとすぐにAランクハンターがやってくる。
もちろん被害を食い止めることはできない。失われた命は失われたままなのだが、人間の里を襲ったAランクモンスターのところにはガイセイやホワイトよりも強いAランクハンターが殺しに来るのだ。
被害を受ける人間にすればたまったものではないが、加害者であるモンスターにしてもたまったものではない。Aランク上位モンスターさえ殴り殺す脅威の怪物が、地の果てまで追いかけてくるのだ。
これが逆にBランク下位までなら常人でもなんとかできる枠なので、討伐が遅れることもある。
だが下位でもAランクのモンスターならば、英雄じゃないと殺せないので直接最強ハンターに話が行くのだ。
鵺がAランクでありながら子供に擬態していたのも、軽業による小銭稼ぎをしていたのも、Aランクハンターに狙われることを避けるためだった。
まあ狐太郎も、Aランクハンターではあるのだが。
「己の分を弁えぬ愚かな私でございますが、どうか家来にしてくださいませ」
へこへこと頭を下げる鵺。
しかしその姿に、狐太郎たちは違和感を覚えた。
「ああ、その、なんだ、鵺」
「何でございましょうか」
「おまえってさ……それが本当の姿なのか?」
「左様でございます。先ほどまでの三人の童は、世を忍ぶ仮の姿。猫又と妖狐と化狸の混じったこの姿こそ、私めの本来の姿でございますので」
少女の姿をしていた時は、思っていたことを全部口に出していた。
三人全員が馬鹿なのかと思っていたが、三人が同一個体だったのだとすれば、話は一気に変わってくる。
(じゃあさっきのアレは、脳内会議だったのか?!)
道理で常に意見が一致していたわけである。
アレは本当に、脳内の会議が漏れ出ていただけなのだ。
「それからもう一つ。お前クツロの家来になるって言ってたけど、それは俺の部下になるってことだ。お前が俺の部下になるってことは、この森で戦うってことだぞ」
もちろん大型モンスターの一体ぐらい、食わせるだけの給料はもらっている。
だがその仕事と言えば、やはりシュバルツバルトの討伐隊なのだ。
先ほどまでの無力な少女ならフーマの者と一緒に仕事をさせることもあり得たが、下位だろうがAランクモンスターならば戦力としては十分に過ぎる。
「ご冗談を、主命であってもお断りします」
クツロも狐太郎もアカネもササゲも、ずるりとずっこけかけた。
まだ何も頼んでいないのに、いきなりの命令拒否である。
「あのように恐ろしい魔物が潜みよる森に入るなど、この鵺には荷が勝ちすぎまする」
(賢い……)
Bランク上位モンスターしかいないのならともかく、同格であるAランク下位モンスターさえ、鵺にとっては命を賭けなければならない強敵だ。
ましてや中位や上位がゴロゴロといるこの森では、下位モンスターが入っても餌になるだけだった。
つまりガイセイや四体の魔王でもない限り、森に入ること自体が無謀なのである。
そしてそれを、狐太郎は否定できなかった。
(そうだった……この森にはAランク中位であろうクラウドラインだって入りたがらないんだった……まともな神経をしているAランク下位モンスターが、入りたがるわけがない……俺の神経はどうなってるんだろうな……)
あまりにもまとも過ぎる意見が飛び出て、自分の正気を疑い始める狐太郎。
百足の支度よろしく、自分がどうして一年持ちこたえられていたのか、わからなくなり始めていた。
バカだと思っていた相手から客観的な意見があると、本当に打ちのめされてしまうものだ。
「じゃあ貴女何ができるのよ、軽業なんて年中見るものでもないでしょうし」
徒労に終わったことを嘆きながら、ササゲが呆れる。
三人の正体はAランクモンスターでした~~、Aランクモンスターが仲間になりました~~、戦力になりません~~。
一体この一連の騒動は、なんだったのだろうか。
「この私、なんでも致しますので! 後生ですから、お傍においてください! 森に入れともおっしゃらないでください!」
「だから、何ができるのよ」
もう誰も、何も期待していなかった。
この世界に来て、期待は裏切られ続けていたのだから。
「飯炊きができます!」
「採用」
※
数日後、狐太郎の屋敷に新しい竈が建設され、鵺の持ち込んだ米炊き用の釜による炊飯が行われ始めた。
「綺麗なお米、美味しいお米、幸せお米。残さず食うから旨くなれ」
人間の形態になった鵺が、歌を歌いながら米を炊いていた。
さらに出汁まで用意して、味噌を使った簡単なお味噌汁を準備している。
既にぬか床も準備しており、漬物の準備もばっちりだった。
「Aランクモンスターに飯炊きさせるのってどうかと思うけども、まあいいか。釜で炊く米は美味いし、もうどうでもいいや」
「そうだね、私たちの世界にいないキメラだとか、そんなのどうでもいいよね!」
「ええ、まったくだわ。漬物が出来上がるのも楽しみね、昔はそんなに楽しみじゃなかったけども」
「食に幅が出るのはいいことよね~~。元の世界のに比べると、そんなにはおいしくないのだけれども」
「皆が喜んでいるようで何よりです」
結論から先に言うと、鵺は料理が「できる」というだけで、ホーチョーのように非常に上手というわけではなかった。
だがそれでも、米の飯を炊けるというのは、一行にとってとても大きいことだった。
最初はなつかしさで美味しく食べられていたご飯だが、米の中に芯が残るようなこともあって、ちゃんと炊いて食べたいと思うようになっていたのだ。
鵺は抜群に上手というわけではないのだが、それでもちゃんと炊くことはできていた。
「後で麒麟君達も呼ぼう。うん、これはマジで食えるよ」
自分の心が摩耗していることを思い知りつつも、しかしこうして懐かしい味を楽しむこともできる。
あと二年半、頑張れそうな気がしてくる狐太郎であった。




