大江山の酒呑童子
途方もない戦いを目にした時の表現として、「まるで神話を見ているようだ」という言い表し方がある。
そして今狐太郎は、神話を見ていた。酒につられて騙される大鬼という神話を。
(これはむしろ日本に伝わる昔話……)
上品な応接室で、酒盛りが始まった。
動物の耳や尻尾を生やしている少女たちが、クツロに大きな酒器を持たせて注いでいる。
どう考えても怪しいのだが、それでもクツロは上機嫌で呷っていた。
「……どうしましょうか、ご主人様。流石にこのままだと、毒を飲まされて死ぬと思うんですけど。でも私、正直こんなのを助けたくないっていうか……」
「むしろクツロが怒るんじゃないの、止めたら」
(関わりたくねぇ~~)
今まさに、チート知識による鬼退治が行われようとしていた。
鬼なんて簡単に倒せるよ、そう昔話の知識を使えばね!
という安易な思い込みが、実証されつつあった。
鬼は酒に弱い、というあまりにも雑な弱点が、あまりにも幼稚なやり方によって攻略されている。
このまま放置すれば、それこそチート知識で俺ツエー状態のまま、あの三人の少女によって毒殺されるだろう。
「あ~~! この辛口の酒がたまらないわ!」
当人はとても楽しそうに酒を飲んでいるが、それでも命の危機に瀕しているのである。
友として、仲間として、彼女を救い出さなければならない。
(くそ……このままだとクツロが殺されちまうってのに……なんで俺は、やる気がわかないんだ!)
あまりにも情けなすぎて、助けたいという気持ちがちっともわかなかった。
このままだとクツロが殺されて、三人の亜人の内誰かに王位が渡ってしまう。
それだけは避けねばならないのだが、見なかったことにしたかった。
(理性ではわかってるんだ、助けないとマズいって! でもどうでもよすぎて、やる気が起きない……!)
目の前にいるのは、途方もなく怪しい酒をがぶ飲みしている、能天気な大鬼だった。
(なんでこいつのために、俺たちが頑張らないといけないんだろう……)
戦うことの無意味さを、守るべき者たちの醜態によって悩む。
それも王道だった。果たしてこの大鬼に、守るべき価値があるのだろうか。
(……いやいや、さすがにこのままだとマズイ。絶対後悔する)
思い直した狐太郎は、最も信頼する雪女へ指示をしようとした。
「……コゴエ、悪いんだけども、こいつらを全員氷漬けにしてだな」
「ご主人様、お待ちを」
穏当に止めようとした狐太郎だが、コゴエはそれをあえて止めた。
「やったね、やったね! 伝説通り、お話通り!」
「やった、やった! これで私たちが王様だ!」
「さあ、酔いつぶれたところを、この毒で……」
「……」
しめしめと笑う三人の亜人。
彼女たちを見て、クツロは不満そうな顔をする。
「ちょっと貴方たち、なんで飲まないのよ?」
酒を注いでくれることはうれしいが、素面のままなのは気に入らなかった。
その巨大な手で適当な酒瓶を傾けて、他の酒器に注ぎ始めた。
「私も魔王だもの、酒をもらってばかりじゃ悪いわ。この国の酒もおいしいわよ、飲みなさい!」
さて、よくある光景である。
これを前にして、三人は何をするのか。
「ど、どうする? おいしそうなお酒だよ? この国のお酒だよ?」
「飲まなかったら怒って暴れだしちゃうよ! よし、飲もう! 正直飲みたかったし!」
「飲みすぎなければいいんだよ! 私たちはこれから魔王になるんだし、前祝だよ!」
飲むことにした。
そのありようを、他の面々はただ眺めることしかできない。
「さ、まずは一献!」
「いただきま~~す!」
「おいし~~!」
「王様、ありがとうございま~~す」
大鬼が酒を注ぎ、獣のごとき少女たちがそれを飲んでいる。
なんとも幻想的、神話的、伝説的な光景だった。
(俺は何を見ているんだ……わからない、わからないぞ……)
普通に酒盛りが始まった。
とても楽しそうに、そろって酒を注ぎあって笑いあう。
「よ~~し! 私の茶釜芸を見せちゃうぞ!」
「私、三味線弾くね!」
「じゃあ私は黒子役だ!」
「いいわよ、じゃんじゃんやりなさい」
「……私、もう耐えられないわ」
「うん、見てられない」
「……そうだな」
まさに素面では耐えられない状況だった。
なぜ真昼間から酒を飲んでいる連中を眺めていなければならないのか、まったくわからない。
「ご主人様、私は残っておりますので、どうぞ席をお外しください」
「……悪いな、いや本当に悪い」
疲れてしまった狐太郎は、この場をコゴエに任せて席を立った。
それに続いて、アカネとササゲも席を立った。
※
翌朝。
そこには、仲良く寝転がって寝ている四人の姿があった。
太く大きい大鬼の腕を枕にして、三体が絡み合って寝ている。
周囲には空になった酒瓶や酒だるが大量に転がっている。
その上、とても酒臭い。
「ご主人様、見ての通りです。まずこの三人の方が先に寝て、そのしばらく後にクツロも寝ました」
「そうか」
「如何しましょうか」
全員まとめて捨てたい気分だった。
お高くとまる気はないが、途方もなく残念過ぎる光景に品位を疑う。
「ササゲ、アカネ。濡れたタオルをもってきて、こいつらの体をふいてやってくれ。それが終わったら、適当なベッドに寝かせてやれ」
「……え~~? こんな酔っ払いにそんなことしてあげなくちゃいけないの~? それに私とササゲだけで……」
「気持ちはわかるけども、全員女なんだし、俺が手を出すのはよくないからな。それにコゴエは一晩こいつらの監視をしてくれたんだし、休ませてあげたい」
「そういうことなら仕方ないわね。アカネ、力仕事だけやりなさい。他の汚い仕事は私がしてあげるわ」
悪魔は飽きっぽいので、嗜好が絡まなければ合理的に動く。
この状況で好みのことを言い出しても仕方がない、長引いても面白くないので早く終わらせるに限る。
「コゴエ、こんなのを見ても面白くはなかっただろう? 悪かったな」
「いえ、面白くはありませんが、見ていて違和感がありました」
「……違和感?」
あの光景を見て違和感を覚える、というのは少々おかしい。
不快感ならわかるが、何がおかしいと思うのか。
コゴエの心に遊びがないのは知っているので、何かの言葉遊びではないとわかる。
「とはいえ、些細なことです。ご主人様、如何しますか?」
「如何って」
「相手はクツロを殺そうとしているのです。理屈からいって、もう殺してもいいのでは」
違和感を覚えた本人が、それをどうでもいいと切り捨てた。
実際のところ、殺す気でここにきているのは事実なのだから、今殺してもいいだろう。
ある意味三人の計画通り、酔いつぶれているところを殺せばいいだけだった。
「……そうだな、でも待ってくれ」
狐太郎には、モラルがある。
心の中に一種の基準があって、そこには当然『殺人の基準』があった。
彼の価値観、基準において、酔いつぶれている者を殺すのはよくないことだった。
もちろん彼女たちへ危機意識を向けていれば話は違うのだが、今回はその限りではなかった。
強く賢いからこそ狙われることがあるように、弱くて馬鹿だからこそ見逃されることもあるのだ。
「これは俺の勝手な想像だが、もしも楽しくお酒を飲んでいた相手が翌朝殺されていたら、嫌な気分になるだろう。少なくとも、心にしこりは残る」
品のなさがマイナスポイントになるのなら、モラルの高さはプラスポイントになる。
これが仕事なら話は別だが、狙われたのは身内で、対応したのも身内だった。
これでいきなり殺すようなら、四体も付き従うことはなかっただろう。
何事も、極端ならいいというわけではない。
「出来るなら穏当に帰ってもらいたい。他の人なら即殺すだろうが、俺は他の人じゃない。少なくともクツロが起きてからだ」
「それがよろしいかと」
正直に言えば、先延ばしにしたかっただけかもしれない。
出会う相手を一人一人、生かすか殺すかで考えるのは辛すぎる。
※
結局クツロが目を覚ましたのは、その日の昼頃だった。
「ぐぅ?! あ、頭が痛い……! な、何があったの……?!」
自室のベッドで寝ているにも関わらず、寝た記憶がない。
体を確かめても、特に不快感はなく、ただ頭が痛いだけ。
混乱していた彼女は、なんとか寝る前の記憶を取り戻そうとした。
「大公様がいらして……新しい悪魔が来るかもしれないという話があって……」
記憶とは、前後のつながりがあると強固になる。
大公が来るという話は先日から聞いていたので、まず忘れることはなかった。
加えてその大公が来て何を話したのかも、その後にササゲと話をしたこともあって、きっちりと思い出せた。
「そのあと……そのあと……?」
だが、そのあとに起きたことは、前後のつながりがなかった。
前々から予定されていたわけではないし、その後に記憶が補強されるようなことが起きたわけでもない。
そのため、回らない頭では中々考えがまとまらなかった。
「……だめ、頭が痛いわ。なんでこんなに頭が痛いの……外傷はないし……精神攻撃?」
クツロは基本的に真面目なので、自分の置かれた状況も真面目に推測する。
そのため、かえって正解から遠ざかっていた。
「この痛みは……吐き気も……ま、まさか?!」
青ざめて、羞恥する。
「ふ、二日酔い……」
真面目に考えていた分、ダメージもデカかった。
酒を飲み過ぎて酔いつぶれたことを、恥ずかしがる程度には彼女も品を知っている。
「な、なんで……いくら何でも、みんなが止めてくれるはず……次の日に響くほど飲んでたってことは、誰も止めてくれなかったわけで……ガイセイと飲んでいたのかしら」
基本的にクツロは酒を自重しないが、酒が入って酔っぱらって尚、狐太郎たちにはある程度従っている。
酒癖の悪い彼女の飲酒が許されているのは、大鬼という種族そのものが酒好きだということに加えて、周囲から真面目に止められれば諦めるからだ。
その彼女が酔いつぶれたということは、彼女の飲酒を誰も止めなかったということ。
ガイセイと飲み明かせば、そういうことにもなっている。
「違うわね、だったら抜山隊にいるはず。ここは私たちの家なんだから、家で飲む理由があって……」
今度こそ、彼女は青ざめた。
「きゃああ!」
思わず絶叫して、自分の声で頭が痛くなった。
「は、恥だわ……! 私、最悪だわ!」
さながらギャンブラーが、大金を使い果たしたことを翌日後悔するように、クツロもまた翌日に後悔をしていた。
「あ、あんなあからさまに怪しいお酒を飲んで、そのあげく酔いつぶれるだなんて……!」
記憶のピースはつながり、謎は解かれた。
大鬼という生物の特徴を加味しても、他の可能性は考えられない。
「ご主人様も、アカネもササゲも呆れるわ……バカにするどころか、ドン引きするわ……! むしろしているわ……」
この体たらくでは、あの三人の言うことを否定できない。
やはり大鬼は、倒すのが相対的に楽な種族なのだ。
「穴があったら入りたい……!」
二重の意味で頭が痛い彼女だが、いつまでもベッドの上でもがいているわけにはいかない。
立ち上がって、仕切り直そうとする。
「ご、ご主人様なら、きっと許してくれるわ……アカネに踏んづけられても許してあげたんだし、私だってたぶん……」
許すとか許されるとかではない。
仮に許されたとしても、醜態は残るのだ。
「わ、私のパワフルでクールでクレバーなビューティーなお姉さんというイメージが台無しに……! ああもう、お酒が悪いのよ!」
泣きそうになりながらも、彼女は部屋を出た。巨体で歩くが、まったく問題はない。
この屋敷自体がクツロも生活できるように設計されているので、身をかがめて歩く必要はないし、踏み抜く心配もない。
もっとも、今の彼女は、勇壮に歩く気概などまったくないのだが。
「あ、あの……ご主人様?」
普段は皆で楽しくおしゃべりをする居間に行くと、そこには呆れた顔の一同がいる。
かろうじてコゴエだけは普段通りだったが、それでもこちらに優しくはなかった。
「クツロ、覚えてるか?」
「ご主人様……ごめんなさい! お、覚えているわ! わ、私、あんな奴らの持ってきたお酒を飲んで……!」
「俺には謝らなくていいから、ササゲとアカネ、コゴエに謝れ」
呆れつつも、狐太郎は三体へ謝るように促した。
「まったくよ……凄い迷惑だったわ」
「みんなで呆れてたよ! いくらお酒好きだからって、ネジ外れすぎ!」
他人に嫌われるのが大好きで、人の嫌がるところを見るのが好きな悪魔。
さらにご主人の体を踏んで、怪我をさせる火竜。
その二体から、まったくもって正当な抗議が来た。
普段は下に見ている二体から正当性のある文句を言われると、途方もなく傷ついた。
これなら侮辱された方がマシである。
「ご、ごめんなさい……」
「謝って済む問題じゃないよ! 私がクツロをベッドまで運んだんだからね!」
「私が貴女の体を洗ったのよ、他の三人もね」
「す、すみません……」
大きな体を小さくして謝るクツロ。
その彼女へ、アカネとササゲは怒りを収めない。
「禁酒だよ禁酒! 一生禁酒!」
「そうね。一生はともかく、一年ぐらいは禁酒したら?」
「そ、そんな?!」
人魚に海で泳ぐなというような、とても残酷な通達だった。
ショックを受けて、クツロは硬直してしまう。
(というかこいつ、これだけ醜態を犯してまだ飲む気だったのか……)
アカネが一度踏んづけても乗せることを諦めなかった時のように、クツロが飲酒を続行するつもりだったことに驚愕する狐太郎。
「二人とも、そこまでだ。クツロも反省しているのだし、許してやってくれ」
やはり場をまとめたのはコゴエだった。
とても冷静な口調で、二体を諫める。
「飲酒についても、一度や二度の失敗で咎める方がどうかしている。誰かが怪我をしたわけではないし、罰を下すほどではない」
「コゴエ……!」
よき理解者である雪女へ、大鬼は感謝するしかなかった。
(……いや、禁酒しろよ)
なお、理解者ではない狐太郎は、普通に引いていた。
コゴエは雪女なので食欲を持たず、だからこそ食欲などに対しては寛容だった。
よくわからないけども辛いんだろうな、という認識である。
だが狐太郎は、自分に食欲があって酒の楽しさを知っているからこそ、それを我慢できないクツロに呆れている。
もちろん大鬼と人間では、同じ食欲や飲酒欲でも、衝動の強さは違うのかもしれないが。
「それよりもだ。クツロ、あの三人はどうする。今は寝ているが、起きればまたお前の命を狙うぞ」
「……!」
雪女であるコゴエからの質問に、クツロは答えられなかった。
やはり酒盛りをしたことで、一種の友情が生まれてしまったようである。
初めて会った失礼な奴が、自分の王冠を狙っているのなら殺すのは当然。
しかし酒を飲み交わしたのなら、もう友人同然だった。
(いや……あのやりかたで「命を狙う」って……文字通り狙ってるだけだと思うんだが……)
殺意や動機ははっきりしているのだが、犯行計画とそれを実行する知性、何より「黙る」ということができていない。
あれだけペラペラしゃべっていれば、次何をするのかも丸わかりである。
殺意はあっても、実行に移せないというか、その段階に達せなそうだった。
「貴方が何とかしなさいよ、クツロ。私嫌よ、あんな馬鹿な奴らの相手をするの」
「私も殺さなくていいとは思うけどさ、ちゃんと追い返しなよ」
狐太郎同様に、緊急性が感じられない二体。
ササゲとアカネは、もうまったく思い悩んでいなかった。
放置しても殺害計画が失敗しそうなので、残念ながら当然の反応である。
「追い返す……そうね、私が何とか諦めさせるわ」
殺しに来た相手に甘いかもしれないが、それでも殺すのはしのびない。
クツロはあの三人に諦めてもらえるように、決意をするのだった。
「あ、頭が痛い~~! なんでこんなに頭が痛いの~~!」
「殴られちゃったのかな~~、精神攻撃かな~~!」
「何が起きたのか思い出せないよ~~!」
その決意、まじめな感情は、聞こえてきた間抜けな声によってかき消えてしまうのだが。
「わ、私はバカだわ……恥ずかしいわ……」
酔い潰そうとした相手の誘いに乗った自分も間抜けだが、酔い潰そうとした相手に付き合って酔いつぶれた三人も間抜けだった。
こうして、非常に低レベルな頭脳戦が火ぶたを切ったのだった。




