日本武尊
大公が帰った後、狐太郎たちは自宅に戻って話し合いをしていた。
ちょっとした茶菓子をつまみながらの、休憩時間である。
Aランクハンターの業務はAランクモンスターと戦うことなので、暇な時間を作ろうと思えばいくらでも作れる。
というか大公と話をすると精神力が消費されるので、どうしても休憩が必要だった。
もっと言えば、意見のすり合わせも必要である。
「そういえばさ、その……えっと、鍵付きの坩堝って名前のツボだっけ。それって、封印ごと壊せないの?」
(すげえ力技だな……)
アカネからの提案だが、一考の余地はあった。
悪魔とは話をすること自体が危険なのだから、問答をする前に殺せればそれが一番であろう。
「無理じゃないわ。ただ、面倒よ」
その力技を、ササゲはできると言った。
なお、その表情は大賛成からは程遠い。
「例えばそうね……カマキリの入っている虫かごがあったとして、中身ごと潰すのは難しくないでしょう?」
「そうだね」
「じゃあライオンが入っている檻を、中身ごと潰すのは?」
「ちょっと手間だね」
(ちょっとした手間程度かよ……っていうかこいつら魔王だった……)
強大なモンスターを拘束し封印する檻は、当然ながら外部からも壊れにくい。
端的に言って、中身を一撃で殺す力の、さらに倍は必要だろう。
「じゃあBランク上位や、その眷属の悪魔を封印している壺を壊して、さらに中身を殺せるとなったら……貴女がやるしかないでしょうね」
「……レックスプラズマか~~」
アカネのタイカン技、レックスプラズマ。
Aランク上位モンスターさえ蒸発させるプラズマの奔流をもってすれば、封印も中身も全部消し飛ばせるだろう。
だがアカネにとっても、タイカン技は負担が著しい技である。仮にサポートを受けるとしても、できれば使いたくないだろう。
「それにまあ、どんな理由であれ封印されているのなら、開封してから始末をつけるのが礼儀というものよ。私たちは殺す気だけど、それでも相手の尊厳は認めなさい」
(封印されるような悪魔は、人間の尊厳を守っているのだろうか)
ササゲの言葉に正当性を見出すも、そもそも封印されている時点でろくな悪魔だとは思えない。
そもそも悪魔という種族そのものが余りいい存在ではないので、安心できる要素が一切なかった。
「アカネ。相手は封印されていた悪魔だ、状況から考えて人間と契約をした結果だろう。Bランク上位でありながら、眷属を率いて封印を受け入れた。ならば弁明もさせずに吹き飛ばすのは、あまりにも理不尽だろう」
悪魔は約束を守らせる能力を持つが、その代償として自分も約束を守ることになっている。
だからこそ、悪魔は約束を重んじる。もっと言えば、やりたくないことは絶対に約束しない。
Bランク上位の悪魔が眷属ごと封印されていたのなら、そもそもの時点で「壺に封印されてもいい」という約束をしていることになる。
自分から持ち掛けた場合は当然のこと、相手が持ち掛けてきたとしてもそれに乗ったということである。
自分にとって不利にしかならない約束を結んでいるのだから、その時点で誠意はあるのだ。
「……ねえササゲ、参考までに聞きたいのだけど、どんな理由で封印されることを選んだんだと思う?」
クツロが尋ねたのは、自分では思いつかなかったからだろう。
もしも自分が悪魔だったとして、どんな理由だったら「壺に封印されてもいい」という約束をするのか。
大鬼である彼女には、想像もできなかった。
「わからないわね。でもだからこそ、本人から聞きたいわ。そっちの方が楽しみかも」
愉快そうに笑う悪魔は、あえて想像を放棄していた。
同じ悪魔として、どんな約束を交わしたのか、とても興味深いのだ。
「一つ言えることがあるとすれば、相手に誠意があったことね。おそらくきっと、とても楽しい相手との約束だったはずよ」
「楽しい相手?」
「例えばそうね……ご主人様やブゥ君のように、自分の命が大事で、他にもたくさん大事なものがある人よ」
ブゥと狐太郎は、ともに悪魔に好かれやすい性格をしている。
だからこそ、その壺に封印された悪魔も、同じような相手と約束を交わしたのだろう。
「考えてもみなさいよ。例えば貴方達が真剣に勝負をして勝ったとして、その相手が「は~~どうでもいい」とか言い出したら嫌でしょう?」
「う……そうね」
「考えるだけでも嫌だね」
「約束も同じよ。死んでもいいと思っている奴が命を賭けてきたって意味はない、自分の家族なんてどうでもいいと思っている奴から家族を奪っても意味はない。捨て鉢になっていて、やけくそになっている奴と約束をする意味がない」
一つ前置きをしているからこそ、わかりやすかった。
つまり彼女は、悪魔は、相手が大事にしているものを奪うこと、賭けることに価値を見出している。
「相手が嫌々差し出してきたものを受け取るからこそ、私たちは喜びを覚える。差し出したものがどうなるか分かったうえで差し出して、実際にそうすることで悲しませて苦しませる……」
邪悪がいた。
この森に潜む野生動物の食欲とは違う、明確な悪意があった。
あるいは、悪魔にとっては真に食欲と言えるものなのかもしれない。
「それが私たち悪魔。約束を果たすことに意味を覚える種族よ」
(自慢げに言うことじゃねえな……)
明らかに空気が悪くなっている。
コゴエ以外の面々は、露骨に顔をしかめていた。
「だから捨て鉢な連中と同じぐらい、甘えている人間が嫌いなのよね。どうせそんなにひどいことはされないだろう、なんて緩い考えで悪魔と約束をされたらたまらないわ」
邪悪な悪魔は、悪戯っぽく狐太郎を笑った。
「ねえご主人様、もしも私が「明日一日、貴方を好きにする権利をちょうだい」って約束を持ち掛けたら、どうする?」
「絶対に断る、何があっても嫌だ」
本気で危機を感じていた。
今この状況でなくとも、どんな理由があっても、その条件は受け入れられなかった。
「お前、場合によっては殺すだろ」
「ええ、もちろん殺すわ。一日好きにしていいって言うんだから、殺す権利もありでしょう」
普通の物語なら「後日に影響を及ぼさない範囲」という但し書きが付くだろう。
もちろんササゲとて、そういう約束を結べば配慮するし厳守する。
だがそれが書いていなかったなら、口約束さえしていなかったなら、絶対に後日へ影響が残ることをする。あるいは当日殺す。
どうせそんな酷いことはされないだろうなんて甘い考えは、悪魔を侮辱しているのだ。
「世の物語だと、契約の代償として悪魔に娘を差し出したけども、悪魔は娘を幸せに育てていました、みたいな話もあるでしょう」
「まあ、似たようなのはあるな」
「私だったら絶対にそんなことしないわ。誇りにかけて、娘を差し出した親に後悔をさせる。想像した以上の最悪をプレゼントするわ」
実在する悪魔だからこそ、虚構の悪魔に不満を持つ。
抗議することはないが、しかし悪魔だと認めることができない。
「悪魔に右腕を差し出すのなら、その右腕をその場で引きちぎられるべきなのよ。そしてその右腕は一生失われるべきだわ、治そうとすることさえ許されない。嫌なら賭けなければいい、ささげなければいい、差し出さなければいい。それだけのことなのに、どうして人間はそれさえ曖昧にしようとするのか……」
悪魔の理屈ではあるが、真剣ではある。
真剣だからこそ、それが尊厳なのだと伝わってきた。
なお、狐太郎は本気でおびえている。
「どうでもいいものを差し出して悪魔と取引をすることも、差し出しておきながら取り戻そうとすることも、悪魔にとっては侮辱もいいところ。許しがたいことだわ。創作物だと大抵、悪魔を利用した悪役ぐらいしかそういうことにならないけども、主人公たちにもそういう報いはあってほしいわね」
(俺は彼女とどういう契約を結んでいることになっているんだろうか……)
いくら格下でも、Aランクハンターでさえ悪魔とは関わりたがらない。
その理由を思い知る一同は、ササゲからやや距離を取っていた。
「失礼します、お客様が参られました」
そんな一行のいる部屋へ、フーマ一族の女性が入ってきた。
当たり前だが、普通にドアをノックしてから入ってくる。
「獣の亜人のようで、魔王様にお目通り願いたいとおっしゃっております。手土産も持ってきたようですので、とりあえず応接室に」
「ん……こんなところまで来たのか……」
獣型の亜人、らしきお客。
その言葉を聞いて、狐太郎は改めて自分の手勢を見た。
(……なんかすげー今更だけども、獣型の亜人って相当早い段階で仲間になるもんだよな……。まあここで役に立つもんじゃないけども)
獣型の亜人というのは、異世界に行ったら現住民族として現れそうなものである。
しかし今日まであったことがないのは、やはり人間の国で暮らしているからだろう。
「まあお土産を持ってきたんなら、帰すのも悪いしな……流石に玉手箱とかは持ってきてないよな?」
「え、ええ……」
「ならいい、行こうみんな」
仮に手土産がとんでもなく高価だった場合、誰にも自慢することなく死蔵するつもりだった。
最悪の場合、ぶっ壊すだろう。それこそレックスプラズマを使ってでも。
「獣型の亜人か……さてどんな人やら……っていうかうるさいな」
応接室に向かう一行なのだが、その途中で声が聞こえてきた。
どうやら部屋の中で騒いでいるらしい。
偉く礼儀が成っていないな、と思っていたが、その内容にも驚いた。
「やったね、やったね! ついに私たちが魔王になれるんだ!」
「私たちにはこれがある、鬼退治の物語がたくさんある!」
「鬼を退治して、王様になろう!」
全員、クツロを見た。
物凄く不愉快そうに笑う、獰猛な鬼がいた。
「悪魔は怖い」
「雪女は怖い」
「火竜は怖い」
「だったら大鬼、鬼退治!」
楽し気な歌が聞こえてきた。
その内容は、かなり侮辱的である。
(でも俺も、こいつらの中からならクツロを狙うな……)
微妙に納得してしまう狐太郎。
他の面々も同じように納得していた。
納得できないのは、クツロだけである。
「……潰す」
魔王の座を奪うということは、殺すということ。
むざむざ殺される理由はないので、挑戦者を潰すのは当然の気構えだろう。
まだ遭遇してもいないのに、クツロは殺意に満ちていた。
(一灯隊並みの殺意を感じる……)
この場合は、殺してもいいだろう。狐太郎も、止める気はなかった。
なおも、歌は続く。
「昔々! あるところに! ヤマトタケルという人がいました!」
「その人は部下と一緒に女装して油断させて、クマソタケルを殺しました!」
「鬼だって一緒! 女装すれば殺せる! そして私たちは可愛い女の子! 女装しなくても行ける!」
がばがばすぎる『チート知識』だった。
なお、クツロは言うまでもなく女である。
作戦が始まる前に、既に失敗していた。
「……鬼の誇りにかけて、こいつらは殺すわ」
鬼の尊厳を賭けて、彼女は部屋に入った。
「あ、鬼だ! アレ、女の人だ!」
「ど、ど、どうしよう! まさか女だったなんて!」
「いや、わからないよ、やってみないと分からない! 案外女の子が好きかも!」
部屋に入ってきたクツロの前で、堂々と作戦会議をし始める。
「……私が鬼の王、クツロよ。何の用かしら」
その姿に、さらなる苛立ちを見せるクツロ。
こんなバカみたいな連中には、絶対負けられなかった。
「お酒をお持ちしました!」
「気が利いてるじゃない!」
負けた。




