坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
「……このチャンピンは、僻地だ。ある意味では国境に近いが、そもそも人間が住む土地の端だ。ここより西に、人間が暮らす地域はない。だが西へ西へと進んでいくと、Bランク上位モンスターが大量にいる魔境があるという。彼はそこを目指して進んでいたが、道中でたまたまドラミングゴリラの群れと遭遇したので、その場で殲滅したそうだ」
ある意味当たり前だが、ドラミングゴリラが拠点を作った場所は、人里からとても離れている。
だからこそ逆に、人里から離れていたアッカと、ドラミングゴリラは遭遇したのだ。
「彼は近くにチャンピンがあることも知らないまま、何事もなかったかのように修行の地へ向かったそうだ」
あまりにもけた外れな武勇伝に、どの面々も言葉がなかった。
ハンターの頂点にAランクがいるというのは、この国の頂点に大王がいるというのと同じで、この場の者からすれば雲の上の住人である。
実在するとは知っていても、生涯関わることのない相手なのだ。
そのAランクハンターの武勇伝の一部によって、自分たちが生かされていた。
その事実に、思わず息をのむ。
「このことを知っている者は、ほとんどいない。だが別に隠したわけではない、知らせる意味がなかっただけだ。重ねて言うが、数百年間一度も現れなかったBランク上位モンスターが、たまたま通りがかったAランクハンターの卵によって殺されたことなど、言っても誰も信じないし真に受けないだろう。何より、なんの参考にもならない」
空から隕石が降ってきたが、また別の隕石も同時に振ってきて、ぶつかり合って軌道が変わって助かったようなものだ。
これを周囲に知らせても、一笑に付されるだけだろう。
「現に今回も、このことを言う意味などまったくない。アッカは一年ほど前に引退したらしいし、仮に在籍していたとしても今から呼びに行けるわけがないし、それは他のAランクハンターも同じだ」
そもそも、遭遇するモンスターに偏りが生じることは、どこにおいても何かの前触れだとされている。
地震や嵐のような自然災害の予兆でもあるし、あるいは今回のように強大なモンスターが現れた証拠とされている。
だが同時に、たまたま偶然ということもある。むしろそちらの方がよほど多い。
子爵自身自覚していたが、単に当事者だった子爵が過敏に反応したというだけである。仮に代替わりしていれば、この話を聞いていてもここまで早く動くことはなかっただろう。
普通ならばよくあることだと思って、経過を見守るはずだった。
「それとも、ここで言わないと分からないことかね。Aランクハンターを呼べば全部解決だ、などと」
まったくもって、何の参考にもなっていない。
前回と同じやり方で解決をするなど、到底不可能だった。
「私が今説明したのは、私が過敏な反応をした理由を諸君が気にしているからだ。それ以上の意味などまったくない。前回の経験など、ほとんど役に立っていない。私たちは今から、自分の手で、自分の力で、今回の問題を解決しなければならないのだ!」
彼の宣言に、志を持つ者は強く頷く。
志を持ちえぬものは、悲観しつつ運命を呪った。
しかしどちらも、都合のいい解決策がないことは知ったのだった。
「ではこれより、作戦の説明を行う! 水夫隊隊長、ソルト君!」
「はっ!」
気概に満ちた老雄が、大きな地図を横断幕のように掲げさせた。
それは簡略化された、チャンピンと猿山を結ぶルートを描いたものである。
「子爵様の下で働かせていただいている、Cランクハンター、水夫隊隊長ソルトだ。この場に精鋭であるBランクハンターが三組もいらっしゃるのに、私のような老いぼれが作戦の指示を行うことへ不満を持つ者もいるだろう!」
老いている彼には、意思が満ちていた。
全盛期であるBランクハンターを抑えて、自分が指揮を行うという、意思に満ちていた。
この役割を譲る気は、毛頭なかった。
「だが! 私には天の時がある! 地の利がある! 人の和がある! あの時から十八年、私はずっと頭の中で策を練っていた。もしも再びドラミングゴリラが現れれば、どう迎え撃つべきか! 私が現役の間に現れることはないと察しながら、それでも脳裏に描いてきた! その策を信じて欲しい!」
決して、死にに行くわけではない。
負けると分かっても、無策で無為に死ぬわけではない。
確実に、勝利への道がある。か細くとも、可能性は確かにある。
「まずドラミングゴリラの特徴からだ! このドラミングゴリラは、DランクからBランク下位の猿型モンスターを従えて行動する! しかもただ従えるだけではない! 奴は群れが窮地に追い込まれたと判断すれば、強化属性のエナジーを放ち、群れ全体を強化する!」
一体一体ならば、さほど脅威ではない猿型モンスター。
それが大量に群れを形成していることも問題だが、そのうえで強化まで行えるのだから悪夢である。
もしも知らずに戦えば、戦っている相手が突如として強くなってしまい、一気に窮地に追い込まれる。
「もちろん! 強化される前に倒せるのなら、それが一番だろう! だがそんなことは、Aランクハンターでもなければ不可能だ! であれば、次善の策をつかう! 猿の数を、可能な限り削るのだ!」
横断幕に描かれた地図。それに描かれたルートに、いくつかの点が打たれている。
「ドラミングゴリラは群れを形成し進軍するが、率いられているモンスターは下等だ! そこまで知恵が回るわけではない、少し刺激してやれば確実に誘導できる! 君たちはこれから、私が見繕った場所に簡易な陣地を作ってもらう。もちろん高位のモンスターには意味がないが、CランクやDランクの猿には十分有効だ。義勇兵の諸君は、自身の作った陣地から弓矢で攻撃し、向かってくる猿たちを槍で迎え撃ってもらう!」
雑兵に分類される者たちには、やはり雑魚を削る役割が与えられた。
しかし武器を持たされてそのまま突っ込むのではなく、陣地という簡易な城に拠る防衛戦なのだと知った。
「雑兵の矢がどれだけ刺さったところで、Bランクのモンスターは気づきもしない! それを逆手にとって、とにかく弱兵を誘う! これを何度も繰り返し、可能な限り分散させるのだ!」
シンプルな作戦だったが、だからこそ想像も容易だった。
戦いの経験がない者たちも、これならばと安堵する。
「ここまでが作戦の第一段階だ、ここからは第二段階に移る。ある程度群れの数が減ったところで、私たちCランク以下のハンターで敵の群れに向かう。数を削った分強い猿ばかりが残るだろうが、それでも雑魚の妨害がない分戦いやすいはずだ! そのまま戦いを続ければ、ドラミングゴリラも群れを強化するべくドラミングを始めるだろう。そこで一気に散開! 戦闘を放棄し、逃げの一手を打つ! ドラミングゴリラによる強化には時間制限があり、しかも一度使うと数日は再使用できない! よって強化を始めたところで逃げれば、その強化を無為にできる!」
彼が無念を抱えていたことが分かる策だった。
彼はドラミングゴリラの出現に気付けなかったことを悔い、もしも現れたのならどうするべきか、この十七年考え続けてきた。
また来る保証はない、むしろ来ないほうがいい。仮にBランク上位のモンスターが再度襲撃してきたとしても、ドラミングゴリラである可能性は低い。
それでも彼は、周到にドラミングゴリラの生態や討伐法を調べていたのだ。
「そして最終段階! ドラミングゴリラの強化が終わり次第、温存していたBランクハンター、精鋭兵が決死隊となってドラミングゴリラへ突撃する! 散開したCランクハンターを追う形で、他のモンスターも散っている可能性が高い。ドラミングゴリラへ突撃することも無謀ではなくなる!」
この作戦が、都合よく上手くいくとは考えられない。
一般から無理やり徴用した者たちが善戦してくれるとは思えないし、猿たちのルートが外れた場合は陣地も使えなくなる。
それでも、上手くいけば、という可能性は生じた。
「我らは、数でも質でも猿に劣る! しかし知恵ならば、武器ならば、備えならば猿に勝る! 子爵様の慧眼によって、我等は時を得た! この時間を用いて、陣地の構築を行える、訓練ができる!」
老雄は燃えていた。
今日この日のための命だと思っていた。
不運の遭遇が、埒外の幸運によって帳消しになって、自分が無為の存在なのだと思い込んでいた。
いいや、そうではないのだと思いたかった。
一人のハンターとして、男として。
たまたま助かっただけの人生で終わりたくなかったのだ。
「我らは我らの力で、我等の財産と家族を守るのだ!」
この戦場で散るなら本望。
その熱意が、全体へ伝播していく。
「では全員で、陣地の下準備を……」
抗うための戦術が示され、誰もが生き残るために最善を尽くそうとする。
その時であった。
「ご、ご報告が!」
猿山の監視を行っていたハンターのうち一人が、慌てた様子で走ってきた。
「どうした、猿が動いたのか?!」
「いいえ、違います! どこかのハンターが、猿山につっこみ、勝手に戦闘を始めました!」
「なんだと?!」
あまりにも、無謀すぎた。あまりにも、無意味すぎた。
兵法書を読むまでもなく、戦いは如何に相手の数を削ぎ、己の数の優位を保つかにある。
多数に突っ込めば、明日などありえない。
「なんということを! どこの誰だ、そんなことをしたのは! なぜ止めなかった!」
子爵さえ、顔を赤くして怒っていた。
この状況では、己一人の命さえ自分の判断で捨てることは許されない。
すべての命が、目的を達成するために動かなければ、勝利や生存を得ることはできないのだ。
「そ、それが……」
慌てた様子の彼に続く形で、彼と同じ隊に属するハンターたちも走ってきた。
彼らが怯えているのは、猿山の大将にではない。
「それが、そのハンターがとんでもない強さで……たった二人で、群れを全滅させたんです!」
※
ドラミングゴリラは群れを構築する時に、まず周囲の餌をすべて集めさせる。
だからこそ餌となるモンスターは逃げ出し、かつ集合がかかったことで猿型のモンスターは数を減らすのだ。
そして一旦猿山を構築すると、しばらくは待つ。
群れ全体が集めた食料を消費しつくし、ある程度飢えたところで進軍するのだ。
逆に言えば、しばらくの間は小康状態となる。
進軍の時を待つ猿たちには、近づかなければ問題がない。
だが、無謀にも近づく二つの影があった。
「なあ、お前好き嫌いとかあるか?」
「もちろん、君のことが大好きさ、ご主人様」
一人は剣を構えた若者、もう一人は冬服のように露出の少ない恰好をした少女。
まるで逢引でもしているかのような二人は、しかし危険なモンスターの群れに突っ込もうとしていた。
「でもね、ご主人様。僕も不満はあるんだよ? いつまでもお前って言われるのは、流石に嫌かな?」
「そうか」
「……あのさ、そうか、じゃなくてね。僕に名前を付けて欲しいんだけど」
拗ねた様子の少女に対して、若者はそっけなかった。
「……何度も考えたし、ちゃんと付けただろう。そのたびに気に入ったと言って……少ししたら嫌がったのは誰だ」
「そ、それは……ほら、その時々の気分というか……年齢相応というか……」
「お前はもう少し自分を統一しろ。名前のことにこだわり過ぎなんだ、お前」
そっけないどころか、とても苛立っていた。
「だってさ……ほら、小さいときは、可愛い名前がいいだろう? でも今ぐらいのときは、名前に由来だとか意味だとかが欲しくなるんだよ。でも少し大人になったら、落ち着いた雰囲気というか、飾らない感じが欲しくなるんだよ」
「全部に当てはまる名前なんてないだろうが、贅沢言いやがって。しかも形態ごとに名前を分けようと言っても、それは嫌がるし。俺にどうしろって言うんだ」
「ちょっとぐらい贅沢をいってもいいじゃないか! 名前は一生の送り物なんだよ?」
若者が前に出ていて、少女はそれについていく風である。
ある意味当たり前だが、剣を持っている若者に戦意があり、少女は乗り気ではないようだ。
「お前の我儘は、ちょっとじゃない。とんでもない贅沢で迷惑だ。こっちが真面目に考えた名前を、つど駄目だしされてるんだぞ。そりゃあ嫌にもなる!」
「うっ……!」
「一生ものだからちゃんと考えてやったのに、何度も返品しやがって……!」
「ご、ごめんなさい……」
「お前なんか、当分『お前』で十分だ」
「そ、それは酷いと思う……」
「反省しろ!」
「……ねえご主人様、もしかして、イライラしてる?」
「ああ、イライラしている!」
ついに、猿たちが二人の接近に気付いた。
威嚇し、今にも攻撃をしてきそうである。
「俺は特に好きなものはない!」
「僕は?!」
「だがな、嫌いなものはしっかりある!」
なんとも不運なことに、猿の群れの中では上位に位置するBランクモンスター、マンイートヒヒが牙をむいて襲い掛かった。
それも一体や二体ではない、十体まとめてである。
「俺はな……猿が大嫌いなんだよ!」
Dランクハンター、ホワイト・リョウトウ。
彼は、以前マンイートヒヒに食われかけたことがあり、それが原因で猿型のモンスターが大嫌いになっていた。




