猿山の大将
今回、子爵とソルトが大いに慌てて、しかしそれを民衆に伝えないことにはそれなりに理解があった。
この世界において、誤報とはとんでもない罪悪である。
カセイの場合は前線基地によって完全に抑え込まれており、モンスターの脅威が及ばない安全地帯だと認識されていて、仮にモンスターが来るかもしれないという噂がたっても誰も本気にしない。
しかしこのチャンピンでは、モンスターの襲撃は直に来るものである。ハンターや兵士の死者が出るからこそ、民衆はその脅威を肌で感じていた。
もしも強いモンスターが来るという噂がたてば、それだけで民衆はパニックを起こしかねない。
どんな狂乱が起こったとしても、まったく不思議ではないのだ。
とはいえ、疑わしい情報があるのなら、確認するのは当たり前である。
何もなければそれでいいのだし、何かあれば多少のパニックがあったとしても避難させるべきだった。
パニックによって死者が出てしまっても、避難せずにモンスターに襲撃されれば全滅さえあり得るのだから。
なので、防衛と並行して調査を行うのは当たり前である。
だがしかし、それとは別の疑問がハンターたちにあった。
「……」
「どうしました、副隊長」
城壁の外、その周辺でモンスターがいないか調べている水夫隊。
彼らは気が立っている隊長を子爵の元に残し、九人で行動している。
副隊長は三十代であり、他の面々は二十代。
なにもおかしくない、平均的なハンターの構成だった。
「どうにも、腑に落ちない」
「狩猟の結果に偏りがあることですか? 大したことじゃないと思うんですけど」
「そっちじゃない」
狩りの成果が偏る、それ自体を大したことだと思わない若手はいる。
しかしベテランならば、調査をするべきだとは思うのだ。
些細な兆候を見逃さず、無理のない範囲で周囲の捜索をする。
それ自体が、チャンピンの防衛力を確固たるものにすると理解しているからだ。
一種の防災訓練だと思えば、定期的に行ってもいいぐらいである。
だからこそ、そっちに疑問を持っているわけではない。
「子爵様や隊長もあれだけ怯えていたんだ、二十年ぐらい前になにかあったんだろう。それは疑ってない」
「……?」
「問題なのは、俺が全然それを知らないってことだ」
水夫隊の副隊長は、チャンピンの生まれである。
一時期は離れたこともあったが、二十年ほど前なら確実にチャンピンにいたはずだった。
「そりゃまあ、俺だって記憶力に自信があるわけじゃない。だが、隊長たちがあれだけ怯えるようなことが実際に起きたなら……いくら何でも覚えているはずだ」
「……それは、そうですね」
「いや、それだけじゃない。被害があったならその復旧もあったはずだろう? それもない」
あれだけ青ざめているのだから、それこそ大きな問題が発生したのだろう。
であれば被害も相応に大きいはずで、人や物が失われたはずだった。
しかしたったの二十年前なのに、それを現地の人間が覚えていないのはおかしすぎた。
「というかだな、何かあったんなら、俺の親も真剣にハンターになることを思いとどまらせていたはずだ」
「……そういえばウチの親も、何かあったようなことはなかったですねえ」
「それじゃあ隊長や子爵様が、このチャンピン全体に隠し事をしているってことですか?」
「まあそうかもしれない。人が死んでなくて物が壊れてないから隠せてるんだろうが……それって大したことじゃないだろう」
隠せることというのは、大したことではない。
大したことならば、隠せるわけがない。
チャンピンで当時育っていた面々が覚えていないということは、つまり単純に大したことは起きなかったということだろう。
であれば当人たちが怯えているのは、小さい悪事ということになる。
「それじゃあ……なにか悪いことでもしたんですかね?」
「ソルト隊長には恩義がある。あの人のことを悪く言いたくはないが、そうなるな。だが……」
客観視すればするほど、何かの犯罪を隠ぺいしていたが、それが暴かれそうになっているということになる。
しかし、これも腑に落ちない。
「大きなことが起きて小さなことを隠したならともかく、何も起きていないのに小さなことを隠して、しかもそれが再発するってのはどういう状況だ」
「……そうですねえ」
例えばソルトと子爵が誰かを殺してしまったとして、それを襲撃されたモンスターによるものだということにする。
まあできなくはない。
だが実際には、二十年前に特に大きなことは起きなかったのだ。
しかもそれでは、モンスターの不穏な動きに怯えていることの説明にはならない。
「つまりやっぱり普通に考えれば、二十年前に今回のような予兆があって、その後に強大なモンスターが襲い掛かってきたということなんだろう」
「でも、何も起きなかったと」
「そうなるな」
悪意のある想像も、順当な想像も、やはり筋が通らない。
「どうします? ウチの親父とかに聞いてみますか」
「あほ。それで何か起きたら、信用問題だぞ」
この下種な詮索も、結局は意味がないことだった。
最初の段階でわかっていることだが、想像するよりも現地に赴いて確認すればいいだけである。
何もなければそれでいいし、何かあればそれに対応するだけだ。
「これは私語で、仕事の話じゃねえ。いいか、二十年前のことは忘れろ。今何が起きているのか、それに対応するのが俺たちの仕事だ」
「そうですね……」
しかし、若きハンターたちは知らない。
これからこの地で起きる、二十年前の再演を。
水夫隊隊長ソルトの、最大の心残りを。
彼らは、実際に目にすることになる。
※
野馬隊は、指示された場所に接近するたびに、私語が減っていった。
誰かに指示されたからではない、単に口を開くことが恐ろしくなったからである。
彼らは野の獣の如く、音を立てることなく、静かに前進し続けた。
進めば進むほど、異常があらわになる。
子爵やソルトが異変だと感じたことが、そのまま濃度を増していく。
(……ソルト爺さん、アンタは正しかった! これはいくら何でも異常すぎる!)
モンスターに、出会わないのだ。
捕食する側も、捕食される側も、どちらもまるで見かけない。
その死体さえも、見つからない。
大型のモンスターが現れて、そのすべてを食い散らかしたのかとも思ったが、それですらない。
周りの木々に、何の影響もなさ過ぎた。
たまたま偶然通りかかったBランク中位のモンスターが、他のモンスターたちを食い散らかしたのなら、それ故に森の木々は踏み散らかされているはずだ。
加えていえば、何かの足跡も残っているはずである。
それが一切ない、なぜなのか。
(理由はわからない……だが何かある!)
雑食性のモンスターが餌にする、木の実が根こそぎちぎられていた。
昆虫などが餌にしている、倒れた朽木が持ち去られていた。
食べられそうなものがなくなり、しかも異常がない。
それが余りにも、異常を伝えている。
野馬隊の面々は、恐怖を感じていた。
例えるのなら、無人の街に近いだろう。
人がいるべき時間、人がいるべき場所に、人がいない。
それと同様に、モンスターがいるべき場所に、モンスターがいない。
一切、争った痕跡さえなく。
それでも前に進むのは、彼らがCランクハンターだからか、或いはチャンピンで生まれ育った男だからか。
いいや、そんな高尚なものではない。未知が恐ろしければ恐ろしいほどに、脅威の実態を求める生物の本能だった。
確かめずに帰る方が、実体のない虚像に怯える方が、よほど恐ろしい。
彼らは進み続け、そして……。
「止まれ……ここからはゆっくり進む」
指定されていた地点に到着した。
そこは今までと違って、あまりにも活気に満ちていた。
もちろん、そこで活気づいているのは人間ではない、モンスターだ。
直接現場を確認するまでもなく、既に大きな叫びが聞こえてくる。
一種類だけではない、多種多様なモンスターたちの叫びだった。
「……猿山だ」
木々の合間から状況を把握した彼らは、そうとしか表現できなかった。
木が一本も生えていない禿山に、大量の猿が群がっている。
それはもう、ありえないほど多種多様な、猿型のモンスターだった。
「……まずい」
その光景を見た時点で、野馬隊のハンターたちは悟っていた。
もうこの時点で、彼らは状況を完全に把握できてしまっていた。
だからもう、これ以上状況を確かめなくて良かったのだ。
だが、彼らは見てしまった。
図鑑などでも描いてある、世にも恐ろしい大物のモンスターを。
「あ……」
Cランクハンターとしての地位を持ち、偵察任務という信頼される野馬隊。
彼らは時として、Bランク下位モンスターさえ狩る。
自分たちがチャンピン一のハンターだと思ったことはないが、それでも一人前のハンターだと思っていた。
強敵を単独で下せる、十分な実力のハンターだと思っていた。
しかし、その姿を見て、卑小さを知った。
己がどれだけ取るに足らない、この世界にいてもいなくても変わらない存在だと思い知った。
「……に、にげろ!」
何も思い浮かばない。
彼らの脳は、初めて見たものを理解することに情報処理能力を使い過ぎていた。
Bランク上位モンスター、ドラミングゴリラ。
タイラントタイガー同様に、眷属を従えるモンスター。
繁殖期に入ると特に大きな群れを形成し、周辺の魔境や人間の街を襲って壊滅させる恐るべき化物である。
猿山の頂上で胡坐をかいている巨大なゴリラだけでも絶望的だが、改めて最初から見えていた猿たちを見てさらに絶望する。
あれら全てが、ことごとく敵なのだ。ただ猿が集まっているだけではない。膨大な猿のすべてが、ドラミングゴリラの眷属なのだ。
「だ、だめだ……逃げないと!」
状況は、完全に、完璧に、この上なく明確に判明した。
もしも彼らが鏡を持っていれば、或いは互いの表情を見る余裕があれば、自分たちが子爵やソルトと同じ顔をしていることに気付くだろう。
だが気付いたところで、それに意味はない。
表情など些細だ。感想など、心証など、何の意味もない。
彼らをぞっとさせたのは、先日の顔ではない。
楽しそうに遊んでいた、多くの猿たちの歓喜だった。
※
チャンピンを治める、子爵の屋敷。
その執務室で、子爵と護衛の兵士、ソルトとその副隊長がそろっていた。
彼らは緊張した面持ちで、野馬隊の報告を直に聞こうとしている。
「ど、ドラミングゴリラです……Bランク上位モンスター、ドラミングゴリラがいました……!」
這う這うの体で帰ってきた野馬隊。
他のどの偵察隊よりもはやく戻ってきた彼らは、子爵やソルトに状況を説明した。
途方もなく憔悴した姿は、プロのハンターとは思えなかった。
何の証拠も持ち帰らず、ただ血相を変えて『Bランク上位モンスターを見た』と言っても、普通なら信じないだろう。
なにせBランク上位である、そんなに頻繁に遭遇するモンスターではない。
Bランク中位と間違えたのではないか、そう思う者も少なくなかった。
「……やはりか」
だが子爵とソルトは、それを疑わなかった。
「二十年ほど前にも、その場所でドラミングゴリラが群れを形成していた。モンスターの名前を聞いていないお前たちがドラミングゴリラの名前を出したということは、やはりそういうことなのだろう」
想定されていたモンスターの名前を言わなかったということには、いくつかの意味がある。
一つは特定のモンスターに対して警戒をさせてしまい、別のモンスターだった場合に対応が遅れてしまうこと。
もう一つは、教えていないはずのモンスターの名前を調査隊が言うかどうかで、信ぴょう性を上げることができる。
元々野馬隊を疑うわけではないが、以前のことをなぞる結果に背筋が震えていた。
「Bランク上位モンスター……子爵様! これはもう、我等だけで対応できる問題ではありません! 周辺の街にも連絡を!」
「……うむ、そうするほかないな」
護衛として控えていた兵士が、あわてて要請を提案した。それに対して、子爵も頷く。
蝗害ならぬ、猿害。これから膨大な猿の群れが、周辺一帯を襲うのだろう。
この街を放棄して、周辺の街に逃げ出す、ということさえできない。
周辺の戦力をかき集めて、決戦をするしかないのだ。
Bランク上位モンスターと言えば、Bランクハンターが連合を組むか、武将が精鋭を率いてぶつかりぎりぎり勝てるという相手である。
Cランクハンターしかいないこの街で、どうにかできる相手ではない。
「……ソルト君。君はこの街のハンターを統率し、準備にあたってくれたまえ。備蓄をどれだけ、どう使っても構わない」
「お任せください!」
ソルトは奮起していた。
なんとしても、この街を、この周辺を守らなければならなかった。
老いてなおCランクハンターの隊長であり続けた男は、拳を握りしめて誓っていた。
「……よろしいでしょうか」
その姿を見て、水夫隊の副隊長は正に自分が思っていた疑問をぶつける。
「二十年ほど昔にも、その地点にドラミングゴリラがいたというのですが……その時はどう対応をなさったのですか」
決して、見当違いな質問ではなかった。
二十年ほど前に、子爵もソルトも現役だったはず。
であれば、その時と同じような対応をすればいい。
むしろ今聞いておいた方が、後に響かないはずだった。
「……如何しましたか、子爵様」
「うむ……」
何もおかしな質問ではない。
しかし子爵は、中々答えられなかった。
それはソルトも同じである。
「……そのことは、後で話す。まずは準備をしてからだ」
「わ、わかりました」
言えない理由、言いたくない理由でもあるのだろう。
そしてそれを問いただす時間がない。
これがもしも、猿型のモンスターではなく亜人なら、何かの取引が行われたと邪推する余地はある。
しかし相手はBランク上位のモンスター、交渉やら誘導やらが通じる相手ではない。
(悪魔とでも取引をしたのか? ないとは言えないが……いや、ないな。Bランク上位モンスターをどうにかできる悪魔と取引をしたとなれば、対価は膨大なはず……)
ますます混乱する、正答が分からなくなる副隊長だが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
※
付近にBランク上位のモンスターが群れを作っている。
その報告、警告を受けた領主たちは、即座にかかえているハンターを送り込んで調査させた。
また、その報せを信じないハンター達も、現場へ向かった。
その結果が望ましくないことは、今更である。
幸か不幸か。子爵の慧眼により、群れの早期発見が出来たことにより、対応する時間は確保されていた。
各地の領主は連名で異常を大王へ報告しつつ、最低限の避難を開始した。
予測される被災区域の外へ、幼い子供や戦えない者を逃がした。
その一方で、ハンターや兵士だけではなく、健康な男子には武器が配られ、戦うことを強制されていた。
とてもではないが、全員を安全な場所へ避難させるだけの余裕はない。
時間的にも、移動手段的にも、ギリギリの線を見極めなければならなかった。
もちろん、逃亡しようとする者も出た。ハンターの中からも、兵士の中からも。
あるいは戦える年齢ギリギリの子供を、連れて逃げようとする母親もいた。
それらに対しては、容赦のない厳罰が下された。
余りにも急な変化に、一般人は困惑する。
今まで普通の領主だと思っていた貴族たちが、いきなり暴君に変わったようだった。
これじゃあまるで戦争だ。
そんな、暢気なことをいう者もいた。
それに対して、領主は答える。
そうだ、戦争だと。
Bランク上位モンスターは、常人が勝てるギリギリの相手である。
だからこそ逆に、逃げることが許されない。
言い方は悪いが、勝ち目があるのに逃げれば、敵前逃亡である。
この世界において、外敵とは他国の軍隊だけではない。
突如現れた、付近にいないはずのモンスターも、迎え撃たなければならなかった。
なにせ、相手は飢えている。
仮に全員が逃げ出せば、確実に追いかけてくるだろう。
そうなれば、被害は増す一方だった。
比喩誇張抜きで、これは戦争なのである。
「Bランクハンター、三組。Cランクハンター、三十五組。Dランク以下のハンター、およそ百組強」
「十の都市からかき集めた、正規兵、およそ千。そして……男衆か」
集められた男たちは、半分は覚悟を固め、もう半分は楽観に染まっていた。
もちろん前者は精鋭側であり、後者は雑兵側である。
チャンピンに集められた男たちは、この世界の住人であるがゆえに屈強だった。
もしも真面目に数を数えれば、五千人はいるのではないか。いいや、もしかしたらもっと多いかも。
これだけ多ければ、自分が死ぬことはないだろう。むしろ、勝って帰って英雄になれるかもしれない。
そう思うものが、少なからず……いや、多くいた。
「君たちに、予め言っておくことがある」
チャンピンの領主である子爵は、厳かに話を始めた。
その内容は、極めて冷徹なものだった。
「今回襲撃してきたモンスター、ドラミングゴリラ。あるいは、Bランク上位モンスター……このレベルのモンスターを迎え撃つ準備は、我等にはない」
子爵は政治家であり、政治の専門家である。
もちろん軍事にも多少は明るいが、大工仕事や野良仕事に詳しいわけではない。
だからこそ逆に、大工や農夫がモンスターに対して詳しくなかったとしても、まったく咎める気はなかった。
「およそ二十年ほど前、正しく言えば十八年ほど前のことだが……その時に一度だけ、ドラミングゴリラが襲撃を仕掛けてきた。その後に資料を確認したが、少なくとも二百年以上もの間、そうした襲撃はなかったと記録されている。つまり……二百年に一度もなかったことが、ここ十七年で二回もおきたということだ」
カセイにはAランクハンターが常にいなければならない。
なぜならば、頻繁にAランクモンスターが襲撃してくるからだ。
だが逆に言えば、常に最強のハンターがいてくれるということ。
不慮の事態、など起こり様がない。常に危険度が最大値に達しているがゆえに、備えは怠られない。
だがこのチャンピン、あるいはその周辺は違う。
たまたま偶然Bランク上位が現れたというだけで、常日頃からBランク上位が現れているわけではない。
だからこそ、守りが薄い。
不測の事態に対する備えが、最初からないのだ。
「その上で……はっきり言う。この場にはBランクハンターが三組いるが……彼ら全員が束になって、ようやくドラミングゴリラを討ち取れる……可能性がある」
子爵からの厳しい評価に、他の地から派遣されてきたBランクハンターたちは決して異論をはさまない。
極めて適切な評価だと、むしろ信頼されているとさえ思っていた。
「Bランクハンターをして、Bランク上位モンスターは、討ち取ることが非常に困難な相手だと思って欲しい。よって……残酷なことだが、彼らと一部の精兵は、最後まで出し渋らせてもらう。分かりやすく言えば、ドラミングゴリラ以外とは戦わないということだ」
これを聞けば、軍務に経験のない人間でもわかるだろう。
お前たちは、捨て駒だと言っているのだ。
「もちろん、多くの死者が出るだろう。むしろ、全滅の可能性もある。だが私たちが踏みとどまらなければ、周囲に大きな被害が出る。避難した君たちの親族や隣人も犠牲になる。それを理解したうえで、作戦に臨んで欲しい」
いっそ、余裕で勝てる作戦があるから大船に乗った気分でいろと言ってくれた方が、どれだけ気が楽になるか。
しかし気を楽にさせて棒立ちにさせても意味はない。彼らには、死に物狂いで戦ってもらう必要がある。そのためには、実情をわからせなければならなかった。
「これは、ハンティングなどではない! 侵略に対する防衛戦争だ!」
確固たる意志を持って、明確に断言した。
食うか食われるかの生存競争、対等な種族同士の……個の命を捨てた戦いになる。
「……さて、では今の話を聞いて、誰もが疑問に思ったことを説明しよう」
子爵の顔から、勇猛さが消えた。
一種の悔しさがにじむ、情けない顔になっていた。
「十七年ほど昔に、一度ドラミングゴリラの襲撃があった。今回のように、ドラミングゴリラは群れを率いて、このチャンピンを狙おうとしたことがあった」
できれば話したくなかったが、仕方がない。
そんな想いが、顔に現れていた。
ぞうきんを絞るように、何があったのかを話し始める。
「しかし、その当時は戦力をかき集めるなんてことはしなかった。大勢の人間を避難させることもなかった。なにせ……まずその時間がなかった」
些細な兆候も見逃さなかった子爵の慧眼には、Bランクハンターさえも瞠目していた。
最速で最短、最善で最良の判断をし続けたと言ってよかった。
重ねて言うが、この近辺にBランク上位モンスターが来ることは稀である。
誰だってそんな報告を受ければ、まず信頼できるものに確かめさせに行くだろう。
その信頼できるものが戻ってきて、真偽が明らかになって、それでようやく諸侯も動き出すのだ。
もしも大公や大王なら権威でごり押しできるが、下から数えて二番目である『子爵』如きでは不可能である。
とにかく早期発見、早期警告が大事なのだ。
それが今回できたのは、前回の教訓を活かしたものである。
つまり前回は、ギリギリになるまで判明しなかったのだ。
「チャンピンに在籍していた……今も在籍しているハンターが、遭遇するモンスターが少なすぎることを疑問に思って、周囲を確認した。そして今回と同じ場所、チャンピンに比較的近い場所で、ドラミングゴリラが群れをつくっているところを発見した」
最初は、モンスターの偏りだった。
普段多くとれるモンスターが減り、普段は見つかりにくいモンスターが多く取れるようになった。
そのあと、段々とモンスターとの遭遇回数そのものが減っていった。
そしてまったくなくなった時期に、ようやく「水夫隊のソルト」は動いたのである。
「そのハンターは、大いに焦った。全力でチャンピンに戻り、私に報告した。だが時すでに遅く、逃げることも救援を呼ぶこともできなかった。私はそのハンターと共に兵を率いて決死隊を結成し、せめてもの抵抗をしようとしたのだが……」
子爵は、完全に黙った。
過程はともかく、戦果はわかっている。
少なくともチャンピンは無事で、そこで暮らしていた人間たちも被害がない。
だからこそ守らなければならないのだが、そもそもその時はどうやって守ったのか。
「結論から言えば、被害はなかった。誰も死ななかったし、何も壊れなかった……」
迂遠な言い回しに、誰もが困惑する。
如何なる神算鬼謀によって、Bランク上位モンスターの率いる軍勢から、この田舎都市を守ったのか。
「わ」
子爵の顔が、引きつった。
「わ」
尊厳というものを台無しにされた、領主の顔がそこにあった。
「わたしたちは、なにもしていない」
彼は、なんとか、なんとか。『彼』のことを褒めようとした。
「たまたま偶然通りかかった、当時Dランクハンターだった男……その数年後にAランクハンターになった『アッカ』という男が、一撃ですべての猿を消し炭に変えたのだ……!」




