年寄りの冷や水
今回は、カセイ以外の都市の話です。
人は老いるもの。
それは決して悲劇ではない。特にこの世界では、老いる者はよほど幸運に恵まれたものだけである。
ましてや蛍雪隊の隊員のように、ハンターでありながら現役を続けられるものは、本当にごくわずかだ。
Cランクハンター、水夫隊隊長、ソルト。
五十代に入った彼は、そのごくわずかな例の一人である。
大河に隣接した森林地帯にあるチャンピンという都市を拠点としている彼は、防衛隊に属している。
都市を襲うモンスターを撃退、あるいは討伐するという要職であった。
なにせ失敗すれば都市に被害が出る。
Bランク下位やCランクのモンスターが襲撃を仕掛けてくるため、それを防ぐ防衛隊の任務の重さは計り知れない。
彼はBランクハンターになることこそなかったが、チャンピンの市長である子爵からも信頼は厚かった。
すでに後継者の育成は済んでいる。
現場に出ることは稀で、副隊長を務めている一人前のハンターが、事実上の隊長だった。
30代の益荒男、己を越えると言える自慢の弟子だった。
もういつ引退してもいい。むしろさっさと引退するべきだった。
時折現場に出る身ではあるが、そもそもこの年で戦闘要員を担当していること自体が異常である。
必要があるのならわかる。老骨に鞭を打つべき時もあるだろう。
だが大きい視点で見ても、小さい視点で見ても、戦う理由が一つもない。
ソルトには妻がいて子供はいるが、子供はとっくに成人し、まっとうな仕事についている。
資産もすでにあり、残った人生を過ごすには十分だった。
子供や孫からはもう前線に立つべきではないと言われている。
水夫隊そのものの戦力は充実している。
加えてチャンピンには多くのハンターが在籍し、防衛戦力は十分だった。
ではなぜ在籍しているのか、前線に立ち続けるのか。
彼はどんな説得にも応じることなく、かといって戦う理由を話すわけでもない。
ソルトは一線を退くことなく、現場に出続けていた。
とはいえ、まだまだ体は動く。
全盛期はとっくに過ぎているが、それでも並みのCランクハンターよりは強かった。
また五十代という年齢でハンターを続ける者も、いないではない。
よって周囲も強烈に止めることができず、彼は隊長であり続けていた。
老いてなお街を守る任務に就く彼を、心あるものは素晴らしいと称える。
体が衰えても街を守る姿勢を、大真面目に尊敬した。
確かにそうだろう、否定する者はいない。
だが心無い者はこう語る。
かつての栄光にしがみつき、己が必要とされる存在だと証明し続けたいのだと。
老いを認められず、後進を認められず、代替わりを認められない。
つまり自分が用済みになったことを、受け入れられずにいるだけだと。
そんな心無い者の言葉を、しかしソルトは決して咎めなかった。
それを寛大と捉える者もいれば、図星だと思い込む者もいる。
あるいは、どうでもいい相手に関わりたくないだけだと思う者もいる。
ともかく、彼は現役であり続けた。
その理由を、語ろうともせずに。
※
チャンピンは、密林に囲まれた土地に建っている。だがモンスターの襲撃は稀だった。
とても当たり前だが、カセイと違って魔境が近くにあるわけではない。
もちろん遠くまで行けば魔境もあるにはあるが、シュバルツバルトと違ってBランク下位のモンスターが魔境の主をしている程度で、Cランクハンターが多くいるチャンピンにとって脅威ではない。
これはこのチャンピンに限ったことではない。
どれだけ強大で凶暴なAランクモンスターも、魔境から遠いところに拠点を建てれば襲ってくることはまずないからだ。
たまたま交通の要所となったカセイと違い、チャンピンは入念な調査の元に作られた拠点である。
よってAランクハンターが駐留する必要はないし、それどころかBランクハンターさえ在籍する意味を持たない。
もちろんそこまで重要な拠点ではないので防御が甘いとも言えるが、カセイや王都と比べればどこも重要ではない。
まあともかく、大河の隣にあるこのチャンピンには、十分な戦力がそろっている一方で。
過分な戦力は存在しないということだった。
「みな、集まってもらって感謝している」
チャンピンの役場、ハンターたちの集まる場所。代表者である子爵は護衛として己の兵を控えさせつつ、主だったハンターの隊長たちを集めていた。
即時に集まる緊急招集ではなく、数日前に予め連絡をしておいての招集である。
主だったものだけ集めたことも含めて、さほど大きな問題が起きているようにも見えなかった。
「……実は今回集まってもらったのは、ここ一週間の狩りの成果に不自然なことがあったからだ」
この地においても、ハンターの報酬制度はシュバルツバルトと変わらない。
食肉用のモンスターを狩猟するわけではなく、ただ害獣を駆除するだけなので、一部の部位を切り取って持ち帰ればそれで報酬が与えられる。
もちろん容易に切り取れるような場所ではなく、殺してからでないと切り取れないような、殺したことの証明になるような部位である。
だが詐欺をしようと思えば、できなくはない。
普通の場合、狩りの成果に不自然な点があるとは、そういうことだ。
要するにこの場のハンターが、討伐していないモンスターを討伐したと言い張って、報酬をだまし取っていると疑っているのである。
「……?」
だが、それにしてはおかしな点があった。
各ハンターたちにしてみれば、自分が詐欺をしていないことはわかっているので、特に慌ててはいない。
しかし子爵の表情は、明らかに深刻そうなものだった。
まるで緊急招集をかけたかのような、青ざめた顔だったのである。
「君たちを疑っているわけではないし、君たち自身が特に気付くことはないだろう。だが……ここ一週間、駆除したモンスターの種類に偏りがあった。普段なら討伐されることの少ない行灯狼やワームキャットが多く駆除され……その一方でマンイートヒヒや小太鼓小猿などが減っている」
深刻そうに言い出した割には、確かに緊急性の低い内容だった。
ありえないようなモンスターが討伐されたわけではなく、比較的珍しいモンスターが多く討伐されているというだけなので、各隊は気にしていなかったのだ。
お互いの顔を見合って、お前のところもそうなのか、という具合に驚いている程度である。
「まあ確かに、ちょっと珍しいな、とは思いましたけども……だから何ですか?」
統計結果が正しいことは認めた。
詳しい割合はともかく、実際に普段とは狩猟できるモンスターに偏りが生じているのだろう。
しかしその偏りが何を意味するのか。防衛任務に就いているCランクハンターたちには、さっぱりわからない。
「……二十年ほど前にも、同じような割合になったことがあったのだ」
「……なんとっ?! あの時と同じだというのですか?!」
慌てたのは、この場で子爵と同じ年齢の、最古参であるソルトだった。
傍らに控えている副隊長が驚くほどに、明らかに取り乱していた。
「ソルト君、下がりたまえ」
「しかし……」
「客観視すれば、自分がどれだけ愚かなのかわかるだろう」
ソルトは周囲を見る。
重鎮だと思われている自分が騒いでいることで、困惑が広がっていた。
はやる心を抑えて、なんとか黙る。
「……ソルト君は慌てていたが、君たちの気持ちもわかる。というよりも、討伐の結果が少し偏っただけで、大騒ぎするほうがどうかしている」
子爵自身はとても深刻そうな顔をしているが、控えている兵士たちも少しばかり戸惑っていた。
子爵は客観視できているのだ、自分とソルトが大騒ぎし過ぎなのだと。
「私たちが大騒ぎをすれば、それだけでこのチャンピンの民は大いに困るだろう。余計な騒動は避けたい。だが私やソルト君には、この偏りが予兆に思えて仕方ない。なので君たちには、一度周辺の調査を依頼したいのだ」
子爵の判断は妥当だった。
何か起こっている可能性があるので、調査して確認する。
何かあれば対応するが、何もなければそれで終わりとする。
何もおかしなことはなかった。
「では私が行く! この目で確かめてくる!」
「た、隊長! 調査任務は体力勝負です。数日ここに戻らない可能性もあるんですよ?! 年齢を考えてください!」
「だからなんだ! 私は水夫隊長として、危険な調査に身を投じる義務がある! 一刻も早く確認したいのだ!」
「無理ですよ! いくら何でも、数日森の中を歩くなんてできません!」
「それでもやらなければならないことがあるのだ!」
ソルトも普段であれば、副隊長が反対すればそれに従っていた。
半分引退したようなものであるし、手塩にかけた副隊長はもう一人前だった。
今後この街を背負う者に、判断をゆだねるべきだと思っていた。
しかし、今の彼はとても強情だった。
それこそ二十年前に、何かがあったのだと想像させるに難くない。
「ままま、ちょっと待ってくださいよ~~!」
それを静止したのは、子爵でもなんでもない。
別のCランクハンター、野馬隊の隊長だった。
「ソルト爺さん。アンタが慌てる理由は俺達若造にはわからねえが、それが大ごとならなおさら、アンタはここに残るべきだ」
「なんだとっ? よく知りもしないくせに!!」
「一刻を争う事態なら、調査に向かうまでもなく、今何か起きるかもしれない、そうだろう?」
「むぅ……」
「普段の仕事もあるんだ、全員で調査に向かうなんて逆に不味い。残る隊と調査に向かう隊を分けるべきだ、そういう理屈で子爵様も俺達全員を集めたんでしょう?」
野馬隊の発言には正当性があったため、ソルトは言葉につまる。
ソルトが現場に出るか出ないか以前に、水夫隊が調査に参加するかどうかさえ今は決まっていないのだ。
「その通りだ。半数の隊には調査に向かってもらうが、半数の隊には有事に備えることと、普段の狩猟任務に就いてもらう。そして水夫隊には、調査ではなくこのチャンピンに残ってもらう」
「子爵様! それは!」
「ソルト君、気持ちはわかるが……君たちが調査に向かう場所に、必ずしも異常があるとは限らない。手分けをして調査をしてもらう以上、現場に向かうよりもここに残ったほうが把握も早いのだよ」
「……!」
危機感を共有しているはずの子爵に諭されて、ソルトはようやく諦めた。
しかしその体は、大いに震えている。
果たして狩りの獲物が偏ることに、どの程度意味があるのか。
この場にいる面々は、大方杞憂だろうと思って肩をすくめている。
まず調査をするべきだという子爵の判断は妥当だと思っているが、それも過敏すぎる反応にしか見えない。
「それじゃあ、野馬隊は調査に参加させてもらいますぜ。ソルト爺さんにデカい口叩いたんだ、きっかり確認してきますぜ」
今回の調査は、安全であることを確認する調査。
Cランクハンターたちは、特に気負うことなく調査する場所などの分担を決め始めた。
子爵の傍にいる兵士たちも、同様である。
安全であることを確かめて、子爵の心が軽くなればいいと思っていた。
そして子爵もまた、ある意味では同じだった。
どうか、何も起きていないでくれ。
何もなかったという報告だけを受けたかったのだ。
※
ハンターにとって、調査という任務は信頼の証である。
何かあればその証拠を持ち帰って『何かありました』と言えるが、何もなければ『何もありませんでした』と報告するしかない。
それではさぼっている可能性が残るので、こいつはさぼらない奴だ、嘘をつかない奴だ、と思われていなければ調査を任せてもらえない。
よって、最低でもCランクハンターでなければ、調査の仕事は回ってこない。
一区画の調査を任された野馬隊は、やはりCランク相応に信頼されているということだった。
「しかし隊長。俺達は指定された場所に向かっていますけど、他の隊も同じなんですか?」
「いいや、指定された場所の確認に行っているのは俺達だけだ。他の隊は広い範囲を、一週間ぐらいかけて回って、そのあと報告することになっている」
「それじゃあ、俺達が最初に戻ることになってるんですね?」
「その通りだ。だがな、手抜きをするんじゃないぞ」
Cランクハンターである野馬隊は、五人で構成されたハンターの隊である。
シュバルツバルトの討伐隊に比べれば少なすぎるように思われるが、これはある意味普通のことだった。
Cランクに限らず、ハンターとは個人から五人程度である。
「詳しいことは聞かなかったが、二十年前に異常が起こった場所を直に確認するのが俺達の仕事だ。つまり、一番何かある可能性が高いってことだ」
「どれぐらいですか、可能性は?」
「わからん。というか考える意味もない」
無駄話をしている間も、彼らは猛スピードで密林を駆けていた。
この無駄話も精神のコンディションを保つためであり、これが日常であると心で認識させることで、不安定にならないようにする意味があった。
「俺達は現場に行って、あるのかないのか確認する。それで終わりだ」
「でも、何もないですよね、たぶん」
「……くだらないことを言うな。いいか、何かあったなら……全速力でチャンピンに戻ることも、俺達の仕事なんだぞ」
現場に出た以上は、野馬隊の隊長も楽観はしない。
そして何よりも、彼自身、指定された場所へ近づくたびに、何か嫌な予感が強くなることを感じていた。
「気のせいなら、それが一番だがな……」
子爵やソルトが慄いていたこと、それが誇張ではないのかもしれないと、隊長は思い始めていた。




