引っ越し蕎麦
狐太郎は教養があり、疑うということを知っていて……。
つまり物事が画一的ではないと知っている。
この世界のパンが固いのは、原則として「固いパンが好きな人が多い」ということだろう。
もちろんその固いパンを食べられるぐらい顎が強いのだろうが、それを抜きにしても固いほうが好まれるのだろう。
(日本のパンはおいしいけども、柔らかすぎるとか誰かが言っていた気もするしな。同じ世界の違う国でもそうなんだ、この国ではそうだったとしても不思議じゃない。というか当たり前だな)
極端なことを言えば、カレーに辛口や大辛があっても、甘口より甘い味がないのと同じだ。
おそらく狐太郎の好むパンは、この世界の基準だと途方もなく柔らかい、柔らかすぎるという判定なのだろう。
(ほかにも小麦の品種とかあるかもしれないが……わからんから考えるのはなしだな)
多分店で売っていないので、オーダーメイドである。
狐太郎専用食パンの製造が待たれるところであった。
「へへへ、Aランクハンター様。いくつか試作品を作ってきたんで、ちょっとつまんでくれやせんか」
ということで、ホーチョーの出番である。
匂いの時点でもう美味しそうなパンを、お盆の上にのせて運んできた。
「うわ~~! おいしそう!」
「ちょいと竜王様、喜んでいただけるのはうれしいんですがね。こりゃあ試作なんで、感想をいただかねえと困っちまうんですよ」
「……一つ一つ感想をいうの?」
「ええ、すみませんねえ」
メモの用意をしているホーチョー。
彼の用意してきたたくさんのパンは、一つ一つが狐太郎の一口サイズだった。
(逆に作るのが面倒な奴だぞコレ!)
試食用の場合、大きいパンを小さく切っている。
しかし今回のこれは、小さいパンをたくさん作っていた。
素人目線でも、面倒だとわかってしまうことであった。
(マーケティングのやり方が割とガチだな……こっちも全面協力しよう)
職人の勘で「これでどうですか」と出してくるよりも、ずいぶんとまじめだった。
さすが一流、基本的なことが分かっている。
「みんな。全員で同じ種類を一つずつ食べて、順番に感想を言おう。おいしいのがあったらあとで作ってもらえばいいから、ちゃんと協力するんだぞ」
「そうしていただけるとありがたいですねえ! さすが大公様の信頼なさっている人だ!」
しつけの基本はマテである。
さすがに待てと言われて待たないのは、一体もいなかった。
「……じゃあさ、せめてどれから食べるかは私に決めさせてよ!」
「じゃあってなによ、せめてってなによ……」
「それぐらいいいでしょう?!」
なお、アカネはかなり不満に思っている模様。
「ああもう……クツロ、そんなに怒らなくてもいいだろう。アカネに決めさせてやろう」
「やったね!」
「ご主人様、甘やかすのはよくないですよ?」
「クツロ、お前だったら利き酒とかで我慢できるか?」
「……」
「肉とか並べられてもいいんだな?」
「……」
「もしもその時が来たら、お前お預けな」
「ご主人様! ちょっとひどくないですか?!」
「甘くしたらダメなんだろう」
「それはそうですけども!」
どうやら、大鬼は自分のことは棚に上げるらしい。
自分が食事中にどれだけ羽目を外しているのか、理性的に判断できるようだ。
だがそれはそれとして、理性的にふるまうつもりはないし、その機会を逃す気もないらしい。
「クツロは大鬼、欲望に忠実なのです。その性質を否定するのはよくないかと」
「コゴエ……! 貴女ならわかってくれるって信じていたわ!」
「アカネは性格的な問題ですから、きちんとするべきかと」
「酷くない?!」
欲望に忠実な大鬼に理解を示す、欲望のない雪女。
他種族の在り方、生態に詳しく、なおかつ寄り添った意見である。
なお、生物的ではない特徴には厳しい模様。
「はっはっは! いやあ、魔王様がたの会話ってのも、聞いているだけで楽しいもんだ! でもまあ、まずは食ってくんな! そうでなくちゃあ、せっかくの焼き立てが冷めちまう!」
「まったく同感だわ。アカネ、早く選んじゃいなさいよ」
「わ、分かってるよ! ちょっと待って!」
ササゲに促されて、アカネは慌ててパンを選ぶ。
なおその姿を見ているホーチョーは楽しげであった。
(自分の作ったパンが全部おいしそうに見えて、どれから食べればいいのか悩んでいる子供か……俺としてもそこそこかわいいと思うが、パン職人としては誇らしいんだろう……)
おそらく彼も、竜王とはどのようなものか、自分のパンをどう食べるのか、気にしていたに違いない。
それがこうも、子供のように喜べば、顔もほころぶというものだ。
「じゃあこれで! この平たいの!」
「それじゃあみんな、いただこう」
比較的薄く、しかし所々が膨らんでいるパン。
それを食べた一人と四人は……。
「ナンだな」
知っているといえば知ってて、知らないといえば知らないパンだったことに気づく。
それほど頻繁に食べる種類ではないが、比較的よく食べられる「パン」。
インドなどで食べられる、ナンに近い食べ物だった。
「……そうだね、ナンだね」
食べた面々は、ナンだなあ、という感想しか抱けなかった。
洒落でもなんでもなく、ナンだなあ、としか思えない。
もちろんとても美味しいのだが、求めていたものと方向性が違った。
「どうですかい、噛めますかね」
「ああ、はい。これなら問題なく」
「そりゃあよかった。ちょいと物足りないかもしれませんが、これはもともとひき肉やらを乗せて食べるもんなんで。テーブルにもっていく時をお楽しみに」
なお、ホーチョーも最初からそのつもりだったらしい。
比較的柔らかいパンの一種として出しただけのようである。
(やっぱり、ガチの人だな)
思った以上にまじめな試食会だった。
試食会というのは『製品』、『商品』の試食ではない。
狐太郎がどんなパンなら食べられるのか、実際に確かめるための試食なのだ。
例えるなら、産地や品種の違う米を炊いて、小さく並べただけだった。
美味しいと言えば美味しいのだろうが、ちょっと期待していたものとは違っていた。
「蒸しパンだね……」
「ああ、蒸しパンだな」
「こっちはパンケーキだね」
「そうね、パンケーキだわ」
「これって……名前何だっけ」
「パウンドケーキよ」
「に、肉の入ってない肉まんかなあ」
「そうだな、「あん」の入っていない饅頭だな」
趣旨として、味の好みを調べるというより、噛める硬さを調べていたらしい。
幸いにして、用意されたものは全部食べることができていた。
「こりゃあどうも……にしても、皆さん方、やっぱり舌が肥えていらっしゃいますねえ」
「わかりますか?」
「ははは! おとぼけなさって! これだけ並べて全部食べたことがあるようなお味だってんなら、そりゃあ舌が肥えてるでしょうよ!」
自分の作って並べたパンをみても驚かず、微妙にがっかりさえしていたのだが、それでもホーチョーは笑っていた。
(よく考えたら、俺達の育ちはいいってことになってたんだったな……)
狐太郎たちにしてみれば、今回の料理に新鮮味はなかった。
だがそれでも笑って納得するばかりで、決して機嫌を損ねなかった。
「すみません、なんかその……文句をつける気はないんですよ、本当です!」
とはいえ、少しばかり気まずいのが本音である。
素に戻った狐太郎は、自分達の言動が彼を傷つけてしまったのではないかと危ぶんだ。
実際のところ、どれもちゃんと食べられる、上質な味だった。
思っていたのと方向性が違うだけで、どれも美味しかったのだ。
「ははは! お気にせんでくだせえ! こんなんで大喜びされた日にゃあ、逆にやりがいがないでしょうさ! むしろやる気がわいてきましたぜ! 大王様みてぇに古今のうめえもん食ってきたおぼっちゃまの舌を満足させるなんざ、職人冥利に尽きますわ!」
とはいえ、そんなことはホーチョーも百も承知である。
出したものが全部食べてもらえたのだから、逆にありがたかったぐらいである。
彼にとって嫌だったのは、出したものが全部何かの理由で食べられない時だった。
今回のパンは、食べられればそれでいいのである。つまり大成功だった。
「この程度の固さで十分行けるんなら、普通のパンも何とか工夫すれば行けるでしょう! あっしにお任せくだせえ!」
「そ、そうですか……ありがたいです」
しかし食べてみると、思いのほかバリエーションが豊富だった。
もちろん彼が専門家なのもあるだろうが、それを抜きにしても多くの種類のパンがある。
広い意味ではパンに分類されるけれども、パンの専門店では扱わないようなものさえあった。この国では全部まとめてパンなのだろう、たぶん。
「……ですがその、このパンがこの国で食べられるのは驚きました」
「そりゃあそうでしょうね、これは裕福な家の子供のおやつなんで」
「……いや、でも」
「ぶっちゃけていえば、金持ちの離乳食なんですわ」
「これが?」
離乳食でこれを食べる、というのはちょっと信じられなかった。
確かに思い返すと、朝昼に食べるというよりも、三時に食べるおやつのような物ばかりである。
だが対象年齢が低すぎるように思えた。赤ちゃんがこれを食べるというのは、流石に誇張ではないだろうか。
「離乳食は言い過ぎですがね! まあ幼児向けって奴で、これをちょっとお姉ちゃんやらお兄ちゃんになった子に出したら、赤ん坊扱いするなって怒り出しちまいますよ。ましてや大人の男に、これはねえ! ましてやAランクハンター様にこれを出すとなったら、けしかけられちまうんじゃないかって怖くなるでしょうさ!」
なるほど、と納得せざるを得ない。
この世界の大人からすれば、『おこさまランチ』的な意味合いがあるのだろう。
仮にこのパンの作り方を知っていても、大人に出すようなパンではないからと、最初から候補に入れないはずだった。
(まあそれを抜きにしても、普通に上手だと思うしな)
流石に一口サイズのパンで、腕前が分かるということはない。
しかし小さいからこそ焦げないように作ることや、逆に火が通るようにすることの難しさも察せる。
超一流かどうかはともかく、プロの仕事を感じることはできた。
「それにしても……これだけの種類のパンを作るのは大変だっただろう」
食事の必要がなく、食欲もないコゴエは、しかしその手間暇に感嘆した。
今回のパンは、『生地』が全部違った様に思える。
いくら量が少ないとは言っても、生地の段階から複数作るのは大変だったはずだ。
ましてや全部焼き立て出来立てにするには、相当のマルチタスクが求められるだろう。
「ははは! プロですぜ? そこいらのお母様がたならともかく、プロに向かってそれはねえでしょう!」
なお、普通に笑って返した。
もちろん専門家の中にも細分化はあるのかもしれないが、彼は職人頭ということで、なんでもできるようにしているのだろう。
それも含めて、腕前なのかもしれない。
「やっぱり一流のプロは違いますねえ」
「Aランクハンター様がおっしゃることですかね!」
「……まあそうかもしれませんが」
思ったのとは違う流れではあるが、しかしむしろ、思った以上にいい試食だったと思う。
彼の作るパンには、かなりの期待ができそうだった。
「それでですね、Aランクハンター様。大公閣下らは既に聞いてらっしゃると思うんですが……」
「なんでしょうか」
「今回作った生地、結構余ってましてね……」
「……ああ、なるほど」
※
比喩でも誇張でもなく、情報は正しく伝達されていた。
つまり狐太郎の元に、大公が『国一番のパン職人を派遣した』ということである。
正真正銘まったくもって正しくて、何一つ訂正の余地がない。
ホーチョーという男は本当に凄腕のパン職人で、実際に大王が食べるパンを納めていて、国一番を名乗っても許されるレベルだった。
その彼が狐太郎の元に来たのだから、普通にめちゃくちゃ贅沢なことである。
そして前線基地には、それを許せないと思う一団がいた。
「みんなに! はっきり言っておくが! 今回の件で怒らないように!」
当然ながら、一灯隊である。
白眉隊や蛍雪隊は、他の隊がどんな風にお金を使っていても一々目くじらを立てない。抜山隊ならば、クツロ同様に酒や肉を大量に求めるので、一切羨ましいとも思わない。
しかし一灯隊は違う。彼らの主観において、今回のことは許しがたい成金趣味であった。
「ホーチョーとかいうパン職人に罪はないし、紹介した大公閣下もお気遣いをしたまでだろう。なのにあの狐太郎たちにだけ怒りを向けるのはお門違いだ!」
許しがたいからこそ、隊長のリゥイはあえて演説していた。
自分もかなり怒っているので、だからこそ全体を止めようとしたのである。
ブランド物のバッグを売っているお店や作っている職人は尊敬されるが、それを持っている人が悪いように見られてしまうアレである。
「はっきり言って! それはただ敵視しているだけだ! 狐太郎が何かお金を使うたびに一々イライラしているだけだ! 何をしても気に入らないだけだ! そこに義はない! だからみんな、我慢するように!」
リゥイは客観的に自分の心境を把握していた。
要するに狐太郎が金を使っていると、ただそれだけでむかつくのだ。
生活に潤いをもたらすパン職人を雇うことにお金を使っても怒るし、物凄く高級な防具を買って装備しても怒るだろうし、どこかに寄付してもそれはそれで怒るだろう。
モンスターを戦わせて得たお金で何かしている、それ自体に反発しているだけだ。
悲しいことに、それは多くの人が抱いてしまう感情であり、一灯隊だけが特別というわけではない。
この基地で一灯隊と同じ考えに至るものはほとんどいないというだけで、仮にカセイで今回のことが公表されれば、かなりの反発が予想される。
まあ、そんなことを発表することはまずあるまいが。
「だから! 美味しそうなパンの匂いがしても! 絶対に、絶対に! 狐太郎を憎まないように! その美味しそうなパンの匂いに一般職員の子供たちが群がっていたとしても……いたとしても! 狐太郎に憎しみを向けてはならない!」
言っている本人が、その情景を思い描いただけで、既に腹を立てていた。
この街で暮らす一般職員は、納税の義務を免除されているし、基本的に仕事も与えられている。
だがだからと言って、裕福というわけではない。生活に必要なパンは買えるが、嗜好品の段階になったパンを買うことはできない。
もしも買えるなら、こんな基地、とっとと出て行っている。
「俺達一灯隊は! リァン様を大公様からお預かりしている! その意味を! 重々理解して欲しい!」
リァン以外の隊員へ、血が流れるほど強く握りしめた拳を震わせながら、まさに力説していた。
「みんな……我慢してくれ!」
物凄く怒っていることを自白するリゥイ。
理屈では怒る理由がないと自覚しているのだが、むかつくものはむかつくので、我慢するのはつらかった。
「ものすごく認めたくないが、狐太郎は何も悪くないんだ……! 多分大公様のご厚意によるもので、要求したわけでもないはずだ……!」
と、彼は結んだ。
流石にそれなりの付き合いなので、彼が厚かましくないことは知っている。
「ということで、リァン様のため、大公様のために、暴力はもちろん文句は直接言わないように!」
言わないと前のように、狐太郎の前で暴言を吐くことが予想されるので、未然に防ごうとしたリゥイ。
実際のところ、彼の前にいる一灯隊の隊員たちは、物凄く不服そうであった。
「では、かいさ……」
解散しようとしたその時、一灯隊のいる一灯隊隊舎に、物凄く美味しそうなパンの匂いが入ってきた。
匂いというのは厄介で、音や光と違って簡単には消せない。ましてや料理をするとなれば、換気の必要があるので、どうしても溢れてしまう。
「……ぐ、ぐぅう……!」
毎日きちんと食事をしている一灯隊をして、食欲をそそられる香りだった。
だからこそ、彼らは憤る。この基地で働く、一般の職員やその家族は、どんな思いをしているのかと。
「……さあ、並んでくださいね。たくさんありますから」
「おうおう、大王様にもお納めしていた、このホーチョー様のパンが食べられるなんて、お前さんがたも運がいいねえ!」
憤っていたら、知っている声が聞こえてきた。
しかも、子供たちの嬉しそうな声も聞こえてくる。
「こ、公女様?!」
慌てた一灯隊は、現場に向かった。
するとそこには、一口サイズの小さなパンを食べる子供たちと、パンを配っているホーチョー、リァンがいた。
流石にお腹いっぱい食べさせるというほどではないが、それでも子供たちは取り合うことなく美味しそうに食べている。
「あら、隊長! 今狐太郎様の好意で、余ったパンを配っているところなの!」
「へえ、其方さんが公女様の上官殿で! 実は試食用にパンを作ったのはいいが、作りすぎちまったんでさあ! 捨てるに忍びねえんで、こうして配って食ってもらってるってわけで!」
一つ一つは小さいが、それでも配っている量はけっこうなものである。
とてもではないが、作りすぎて余った、という量ではなかった。
それこそ最初から、配るために多く作ったという感じである。
「そ、そうですか……!」
一灯隊たちは、思わず涙腺が緩んだ。これは間違いなく、大公の配慮である。
それも一般職員に対してではなく、どちらかと言えば一灯隊に向けての配慮であった。
今回の人事で一灯隊が反発することは目に見えたので、多少なり緩和しようとしていたのである。
「気遣い……ありがとうございます!」
怒るのを我慢しろとしか言えなかったリゥイは、リァンやホーチョーに感謝していた。
それを見て、二人は笑うばかりである。
「へっ、作りすぎただけだってのに、何を泣いていらっしゃるんだか!」
「ええ、そうですよ隊長! 気になさらないで! 一般職員のお子さんたちに、ちゃんといきわたる分があるもの!」
にっこりと笑う彼女に、一切の影はない。
「役場の人間の分はないわ!」
なお、期待して隠れていた役場の職員も、この話を聞いていた模様。