餅は餅屋
さて、時間はかなり遡る。
ブゥが来てしばらくたった時期の話であり、狐太郎たちの暮らす家が新築された時のことである。
狐太郎たちの家へ、大公がパン職人を紹介してくれたのだった。
「実は兄上……大王陛下御用達のパン屋があるのだが、そこで一番の職人がトラブルで辞めてね……ちょうどいいので、君の屋敷で働いてもらうことにした」
「またずいぶん急ですね」
「私も驚いたよ。だが兄上にパンを納めていた職人だ、腕も身元も安心していい」
大王御用達のパン屋ということは、つまり大王が好きなので良く買って食べているパン屋ということだろう。
確かに身元も腕もばっちりである。これで疑い始めたら、誰を信用していいのかわからないレベルだ。
「ですが、私の家でパン職人が一人って言うのは……いくら何でももったいないのでは?」
「実を言うと……娘や一灯隊、他の隊にも卸してもらうことになっているが、名目上は君の専属ということになる」
「……なるほど」
「まあそれにだ、君の専属というのもあながち嘘ではない。君は普通のパン、というよりこの国の食べ物が食べにくくて困っているそうじゃないか。だがパンが嫌いというわけではないのだろう? それなら専門家に、君の好みのパンを焼いてもらった方がいい」
「それはそうかもしれませんね……」
この世界の人間はとても屈強であるため、料理を噛む力も高い。
そのため、狐太郎が噛めない、歯が立たない料理も存在している。
スープなどに浸してふやかせば食べられるのだが、それでも別に美味しいと思ったことはなかった。
もちろんシャインからレシピを習って、スコーンを作ってもらうこともあったが、流石にずっと食べていると飽きる。
プロが作ったわけではないので、そこまで上質でもなかった。できることなら、プロの味が楽しみたい。
贅沢な悩みだとは思うが、金はあるし他に使う当てもないので、お願いすることにした。
「じゃあお願いしてもいいですか?」
「ああ、では数日後にここへ来てもらうよ」
※
「ねえねえご主人様! 王家御用達のパン屋さんって、とってもパンを焼くのが上手なんだよね?」
「ああ、そうだと思うぞ」
「楽しみだな~~! 一時期はスコーンをずっと食べることになったし、もっと色々食べたかったんだよね~~!」
「それはお前がちゃんと断らなかったからだろう」
パン屋さんというか、パン屋で勤めていたことのある職人が来るということである。
これを聞いて喜んでいたのは、やはりアカネだった。
ぴょんぴょん跳びはねて、どずんどすんと着地している。
「あの、ご主人様……ワイン職人やビール職人は来ませんか? 肉屋でもいいのですが……」
「それは別に要らないだろう」
「まあそうですけども……」
なお、クツロは特には喜んでいなかった。
ビール職人やワイン職人が来たら違ったかもしれないが、普通に酒を注文して取り寄せたほうが早いであろう。なんでも職人を呼べばいいというものではない。
「ねえクツロ。まさかとは思うけど貴女、肉屋が農家を兼業していると思っているの?」
「こ、言葉の綾よ! 気にしないで!」
「気にするわよ。小学生の『社会科』並みの知識も無かったら、流石に恥ずかしいじゃない」
クツロのボケに対して、ササゲは真剣に案じていた。
世の中には、知らないと恥ずかしいことがたくさんある。
社会の常識は、特に学ばなければならないことだった。
(というか酪農家をこの前線基地に呼んだとして、農業をしてもらうつもりなのか? こんな超危険地帯で。嫌がらせか?)
なお、狐太郎も同様に慄いていた。
「そういえばさ、ご主人様。この世界のお肉、牛とか鶏とかって、私たちの世界と同じなのかな?」
「今怖いことを聞くなよ」
思いついたことを言ってみただけであろうアカネだが、聞いている狐太郎にとっては知らないほうがいいことだった。
もちろんアカネの懸念は正しい。
野生動物の生態系がこれだけ違うのだ、家畜だけ同一というのは逆に不自然である。
だが自分が食べていたものが牛だと思わせて大分違う動物だったとしたら、凄い怖いことであった。
仮に違うと分かっても、一切解決の目がないだけに気にするだけ無駄である。
「そっか……じゃあ違うこと言うけどさ、こうやって他所から凄い腕の人が来てくれるって、とっても『お話』っぽいよね」
「まあ……そうだな」
「もしかして物凄い美少女で、ご主人様のハーレムに入っちゃったりして……?」
「お前まず俺のハーレムがどこにあるのか考えろよ、ないだろう」
言いたいことはわからないでもない。
トラブルを起こした職人が、主人公のところへ来るというのはよく聞く話だ。
(……期待のハードルは、下げるだけ下げておこう)
だが狐太郎は大人なので、精神防御力をあらかじめ上げておいた。
期待値を下げておくことで、悲しいことがあっても我慢できるようになるのである。
狐太郎には教養があるので、『ごちそう』に期待し過ぎない節度があるのだ。
きっと相手は最善を尽くしてくれるだろうが、それでも自分の舌に合う料理ができるとは限らない。
飽食の世界から来た狐太郎は、庶民ながらも舌が肥えているのだ。
この世界に来てから舌がやせたが、それでも一般人よりは大分太り目である。
(今までよりはマシになる、という程度で考えよう)
高い給金を払っているとはいえ、居丈高で横柄な態度をとることは良くない。
狐太郎は自分にそう言い聞かせると、あまり期待しすぎないように己を戒めていた。
なお、それはそれで大分失礼であるということは、言うまでもない。
「ご主人様。少し気になっているのですが、そもそもどのようなトラブルが起きたのでしょうか」
「……聞いてなかったけども」
コゴエからの質問には、はっとさせられた。
言われてみれば、ここに来ることになった理由はまるで知らない。
大公が狐太郎へ紹介したのだから、特に深刻ではないだろう。そう思って、聞こうともしなかった。
「そうですか……トラブルと言っても様々ですから、当人に非がないこともありますし、気にしても仕方ないですね」
「コゴエがそういうと気になるな……お前が悪いわけじゃないけども」
狐太郎は凡人なので、自分の身の回りに起きるすべてのことに気を配っているわけではない。
言われて初めて気になる、ということもしょっちゅうであった。
とまあ、そんなことをしている間に、狐太郎の家へパン職人が来た。
「へいどうも! Aランクハンター様! あっしは王都で『メギュロ』っつう店で職人頭をやらしてもらってました、ホーチョーってえもんです。どうぞ今後ごひいきに!」
ホーチョーと名乗ったパン職人は、特に奇をてらうことなく男性であった。
狐太郎が見上げるほど大きいのは当たり前だが、その体はとても筋肉質である。
筋肉と言えばリァンだが、彼女よりは体脂肪率が高そうな『お腹』をしている。
しかしそれを抜きにしても、腕が太い。おそらくパンを作るにあたって、多くの力作業があるからだろう。
とにかく、見るからに職人っぽかった。
「あ、はい、どうも……狐太郎です」
「いや~~大公閣下からはえらい背が低いお人だとは聞いてましたがね、こりゃあ確かに! やっぱり他所の御国の生まれですかねえ? それじゃあこの国の食いもんも合わんでしょう! その御口にあうパンを、このあっしがつくってみせましょう! 大船に乗ったつもりでお任せ下せえ!」
というか、別の職人に見えた。職種が違うと勘違いしてしまいそうになった。
「それで、そちらのお嬢さん方が、例のモンスターさんで? へへへぇ? こりゃあ皆さん別嬪さんで! 俺が二十若けりゃあ口説いているところでさあ! モンスターなんてとんでもねえ、うちのカカァの方がバケモンに見えらあ!」
「……ねえクツロ、私たち褒められてるのかなあ?」
「た、たぶん小粋なトークみたいなものだから……親父ギャグだと思って流しなさい」
想像とは違うタイプの職人に、クツロとアカネも戸惑っていた。
中々会ったことのないタイプの人種である。
「聞けば、お嬢さん方もパンを召し上がるとか? 嬉しいねえ、人間だけじゃなくてモンスターのお嬢さんもあっしのパンを食ってくれるなんて! 職人冥利に尽きますわ! 皆さんのほっぺが落ちちまうようなパンを焼くんで、楽しみにしてくんねえ!」
初対面なのに、かなりテンションが高かった。
その距離感についていけない狐太郎だが、一つ分かったことがある。
(多分食ってかかったのはこっちの方だ……この人が何か文句を言ったんだ)
ある意味アカネと同じタイプである。
自分から積極的に問題をこじらせるように見えた。
「あ、あの、ホーチョーさん? 少しよろしいですか?」
「へい! なんでやんしょう!」
何やらペンと紙片を取り出した。
多分メモでもするつもりなのだろう。
「いや、パンの注文とかじゃなくてですね……王都のほうでトラブルがあったとか……もしもよろしければ、何があったのか教えてくれませんか?」
「おおっ! よくぞ聞いてくださいました! これが聞くも涙、話すも涙……職人泣かせの玉ねぎ話でして!」
どうやら物凄く話したかったらしい。
ちょっと聞いただけで、膝をパンと叩いて話し始めた。
「あっしも若けえ頃からパン職人一筋、うん十年。メギュロの店で毎日毎朝パンを焼いて、焼いて、焼いて。気づけば職人頭になっちまいましてね、パンを焼いてるだけじゃあねえ、若い衆をまとめて面倒見ることもあったんでさあ」
「はあ……」
「若い連中ときたら、昔のあっしと変わらねえで、年上の言うことなんて聞きゃあしねえ。そこをえいやっと黙らせて、ギッタンバッコン! てな日々でした。まあそれはそれでやりがいもあったんですがねえ……」
(もしかして今の話は本題と関係ないのか?)
「Aランクハンター様もハンターの頂点なら、ハンターにとって何がしんどいかってわかるでしょう?」
「え?」
「そう! 客や部下なんかじゃねえ、上にふんぞり返ってる連中からの『ご苦情』よ!」
「……ああ」
狐太郎には社会経験があるので、一発で分かった。
つまり客からのクレームでトラブルが起きたのではなく、パン屋の経営者との間にトラブルが起きたのだろう。
「なるほど。大公様はできたお人なのでそんなことはありませんが、上司と方針が食い違って強いられたらしんどいでしょう」
「そのとおりで!」
ぱんぱんぱん、と膝を叩くホーチョー。
「お客さんから、やれ生焼けだの苦いだの、味が変わったんじゃないのかだの、そういうのはまあしょうがねえ。なにくそ、文句が口から出てこないぐらい頬張りたくなるパンを焼いてみせらあ、と意気込んでこそ職人でさあ。ですがね、新しいオーナーの坊主ときたら……そろばんだけ弾いてりゃいいものを、えらそうにパンの焼き方にケチつけやがった!」
案の定というか、ホーチョーは相当衝突したらしい。
「バターのひとつもこさえたことがねえ癖に、えらそうに厨房に入ってあれこれ指図してきやがって。しかもあげくに仕入れ先にまで勝手に変えやがった。こっちのほうが経済的だの、効率的だの、合理性があるだの、ほざきたいだけほざいて『あとは任せた』なんて言って丸投げよ! へっ、やってられるかって辞めてきてやったぜ!」
おそらくどの世界でも起きているであろうことだった。
どちらが正しいのかはともかく、新しいオーナーとやらは下の同意を得る気がなかったらしい。
ワンマン社長か、それに憧れていたのだろう。
ふと狐太郎が四体を見れば、とても嫌そうな顔をしていた。
おそらく狐太郎がそう振舞ったことを考えて、嫌な気分になったのだろう。
人間を上位と認めている彼女たちではあるが、すべての人間を認めているわけではないし、人間の悪性まで肯定しているわけではない。
「こーすりゃ給料が上がるって言われてもねえ、だからなんだってんだ! 小銭を投げ渡せば尻尾を振ると思ってやがる! あんな考えじゃあ、犬だって飼えねえだろうよ! 頭でっかちの大馬鹿野郎が! どーせそれで味が変わったとか言われたら、『お前の努力が足りないんだろう』とでもほざくんだろうぜ!」
うんうん、と頷く四体。
(そういえば俺、雇用する側になってたんだな……ずっと現場だけど)
戦闘中に指示らしい指示を出すことが滅多にないので忘れていたが、狐太郎は四体を指揮する立場である。
アットホームな職場過ぎることや、他の同僚が個性的すぎること、大公が雇用主として接してくることで、自分の役割を忘れかけていた。
(でもまあ魔物使いであるという立場を忘れて、こいつらに結構辛辣なことを言ってるんだよな……それはそれで甘えているような気が……というか失礼な気が……)
なお、アットホームな職場過ぎて、死地にも同行することには疑問を感じなくなった模様。
「へえまあそういうことなんで、不味いだの硬いだのはいくらでも言ってくだせえ。ですがね、あっしの仕事場に入って偉そうにあれこれってのは勘弁を」
「……うん、わかりました。よろしくお願いします」
他人が本気で怒っているところを聞いて、それが自分への当てつけのように感じる。
それはそれで、狐太郎がまともな大人である証拠であった。
祝、ブックマーク1000件突破!
今後も頑張らせていただきます。