はじめちょろちょろなかぱっぱ
バブル・マーメイドが言い出して、他の三人を巻き込んだ春の冒険はひとまず終わった。
多くの大人たちの好意や援助によって、彼女たちは得難い経験をしてきたのだ。
五体満足で生還し、かつ大公の機嫌を損ねなかった時点で、大成功と言っていい。
ここで怖くなって投げ出して挫折したとしても、まったく損はない。
彼らは普通ではありえない努力を自らに課して、それを達成した。
学生にとっては、それだけで大成功なのだ。
学園へ戻った彼らを待ち構えていたのは、好奇の目を光らせている生徒たちと、歓喜に震える教師たちである。
「ねえねえ、また竜が来たって本当?」
「今度は結婚式だって言ってたけど、どんな感じだった?!」
生徒たちの興味は、やはり三度目の竜だった。
危険な魔境に足を踏み入れたことのない生徒にとって、シュバルツバルトがどれだけ恐ろしいのか想像もできない。
想像もできないことには、興味もない。だからこそ、空を泳いだ竜について聞いていた。
「お前達! 大公閣下からお褒めの言葉を賜ったそうだな! すごいじゃないか! それでこそ、ドルフィン学園の生徒だ!」
「うむうむ……ロバーはいつか何かをやり遂げると思っていたし、バブルはいつか何かをやらかすと思っていたが、まさかこんなことになるとはなあ……」
「お前たちを送り出してよかった……お前達四人、全員頑張ったな!」
一方で教員たちは、行って帰ってきたこと自体を褒めていた。
彼らは教員として現地のことを調べたが、調べれば調べるほど『こりゃ死んだな』というものだったので、本当に喜んでいた。
生死を賭けた冒険からの帰還者四人は、周囲からもてはやされた。
それはもう、うんざりするほどに。
ただ実際に生きて帰ってきた身としては、まあそうだろうなと納得できてしまう。
あそこは本当に死地だった。そこから生還できただけでも、自分たちは大したものである。
「……でだ、バブル。俺はお前が行こうか行くまいが、俺の中での答えに関係はないんだが、そのうえで聞くが……続けるのか? あの森で働くために、これからも頑張るのか?」
いろいろなことがひと段落した後で、四人は集まって話し合いをすることにした。
少々時間を置いたこともあって、全員が冷静になっている。変に興奮しているわけでもないし、かといって悲観しているわけでもないし、普段通りのテンションになっていた。
「行くに決まってるじゃん!」
つまり、バブルも今まで通りだった。
「凄かったよね~~ビッグファーザーは! あのね、大昔にAランクハンターが、自分の戦うところを画家に描かせたことがあったんだよ。嫌がる画家を現場まで連れて行って、態々ポーズまで決めたんだって! で、その時にAランクハンターが戦ったのがビッグファーザーだったんだけど、その時のビッグファーザーが最初から顔にけがをしていて、牙が露出していたんだよ。だからその画のビッグファーザーは口を閉じていても牙が見えたんだけど、普通は見えないんだよね。私たちも見たじゃん、口閉じてて、威嚇もしない顔。でもさ、その画の出来が良すぎて、後世に見本にされちゃったんだよね。だから大抵の画では、サーベルタイガーみたいに牙が出てるの。でもって資料とにらめっこして忠実に描いても、お客さんが『ビッグファーザーなら牙がでてるだろう、描きなおせ』とか言うから、図鑑以外では牙が出てるんだよね。ああ、ちなみに似たような話で、デザインとして尻尾の大きさや形が気に入らないから画家が勝手に大きさや長さを調整したモンスターが多いんだよ。同じような話で、大きすぎるモンスターの全身標本なんて作れないから、各部を分解して展示しているんだけど、それだと全身像がいまいち想像しにくいでしょ? だからいい骨格標本があって、それをもとに精密なデッサンを描こうとしても、上手くいかないことがあるんだ~~」
もううんざりするほど話かけられて、もう嫌というほど土産話をすることになった一行なのだが、それを撃退したのはバブルだった。
立て板に水を流すようにペラペラペラペラしゃべり続けられるので、もう相手が嫌になって最終的に引き下がるのだった。
その彼女がフリーになった今、むしろ敵になっている。
最大の敵は、やはりバブルだった。
「とにかく! 私は、私だけでも! あの森で働けるように頑張ります!」
困ったことに割と実現可能な目標であった。
他の三人は連携しないと駄目だが、治癒属性のバブルだけは単独で役割を果たせてしまう。
仮に他の三人が諦めて放棄しても、彼女はまったく困らないのだ。
「そうか……バブルは強いな」
その姿を見て、ロバーはまぶしく思っていた。
「俺は鼻っ柱を折られたよ。正直に言って、とても怖かった……。何もできないまま死を待つのは怖かったんだ」
あの雪洞の中で、狐太郎はすべてを諦めていた。
だがそれは、彼にとって通り過ぎた場所であり、懐かしい状況だった。
大して執着することのない彼だからこそ、ああも開き直れた。
だが未来に希望のあるロバーには、あの境地に達することはできない。
「じゃあ諦めるの?」
ロバー以上に怖気づいているマーメは、あえて問う。
この答えがどんなものであるのか、既に察しはついているが。
「嫌だとか怖いだとか、そんな理由で諦めるのは貴族じゃない。必要かどうかで決めるのが貴族だ」
諦めても仕方がないと、誰もが許している。
行く前に臆病風に吹かれたならまだしも、実際に行って怖くなっても仕方がない。
嫌がるものを無理やり徴用しても、あの森では役に立たない。
しかし、それは恥だと知っている。
「俺は頑張るつもりだ」
「……ドラゴンズランドに行きたいから?」
「それは報酬みたいなものであって、実際にはカセイを守ることが職務だから。報酬目的で国家の心臓を守るのなら、何も恥ずかしくないから。だから俺は悪くないと思う」
「ぺらぺらと……言い訳を言うのは恥ずかしくないの?」
「あ、諦めるほうが恥ずかしいから、言い訳を言うのは相対的に恥ずかしくないと思う……」
「都合のいい恥ね……」
ロバーとバブルが諦めない以上、キコリとマーメも諦められなかった。
もはや一蓮托生である。
(ここで諦めたら、本当にこの二人でくっつきかねないものね……家のこともあるし)
(吊り橋効果ってヤバいよな……あれでかなり惚れ直したというか……)
なまじ惚れた相手と死地を共にしたからこそ、死地でどれだけ相手が好きになるのか知ってしまった。
このままだと本気でお互いを好きになりかねない。
(今回のことで理解したけど、バブルとロバーって相性がいいのよ。感情的で前向きなバブルと、理論派で浪漫派で現実的なロバーって、お互いの足りないところを補い合えるのよね……)
(そうだよな、それは先生も褒めてたしな……二人そろうと、死ぬまで止まらないぞ)
焦燥する若き貴族たち。
なお、自分たちがお互いに、微妙に相性がいいことには気づいていない模様。
「いざ、ドラゴンズランド! 行こう、竜の棲む国へ!」
邁進するバブル。
その気概こそが彼女の長所であり、一種の才能だった。
自分の知らないところへ行きたいと思う気持ち、それは生物の本能である。
彼女はその衝動の赴くままに、前へと進むのであった。
※
今回もクラウドラインは現れた。
なんでも親戚の子供が結婚するので、それを祝福してほしかったらしい。
もはや竜王というかお地蔵様のような扱いだが、とにかくドラゴンズランドの竜たちからすればアカネは『ありがたいお方』であるらしい。
結婚式に彼女が立ち会ってくれれば、それだけで景気が付くようだ。
逆に言うと、今後もドラゴンたちが結婚したり子供が生まれたりするだけで、彼女のところへ訪れるということである。
不定期ではあるが、年に数回は来るだろう。そこまで頻繁だとカセイの民は飽きそうだが、観光客を呼び込むという点ではありがたいだろう。
なにせ年に数回、竜が来るという触れ込みだ。年がら年中宿に客がやってくるだろう。
特定の時期に盛況というのではなく、年中客が絶えないというのは最高の話だった。
とはいえ、管理する側はそうもいかない。
流石に手を打とうという話になっていた。
このまま放置すれば、実証のある詐欺が横行しかねない。
つまり……『明日は来るかもしれないですね~~』とか『来月来るかもしれないですよ~~』とか、そんな触れ込みで客引きや引き留めが起こる可能性があるのだ。
もちろん詐欺とは言い切れないが、それがずっと続けばカセイの評判は地に落ちかねない。
幸いなことに、ここに来るときの顔役はクラウドラインの長老で固定されている。
元々エイトロールのいる森の近くなので、竜たちも近寄りたがらないし長居も嫌がっている。
つまりクラウドラインへ『この時期にここへ来てくださいね』というお願いをしておけば、それだけである程度コントロールできるのだ。
一種の神殿めいたものを作って、そこに特定の時期に来てもらうという形にすれば、竜たちも悪い気はしないだろう。
問題はその場所と時期である。
なまじある程度自由に決められるので、どうしても論争に発展するのだ。
「まず、真冬は控えるべきでしょう。観光客は嫌がるでしょうし、宿にしても敬遠するはず」
「いや、そうでもあるまい。戦力という点からすれば、氷の精霊が最大の力を発揮できる真冬こそ、火竜である竜王が一番暇になるのでは? 逆に真夏を指定すれば、火竜が森を離れることが難しくなる」
「それはありますな。あそこにエイトロールがいること自体はどうしようもないのですし、もしもクラウドラインたちが襲われてしまえば、余計怖がって来なくなってしまうかも……」
「では真夏だけは例外としましょう。これはもう決定でよろしいのでは?」
「そうですねえ、これだけは議論の余地はないかと。というか、そもそもドラゴンに厳密な暦の概念があるとは思えませんし、大雑把に『春に来てください』とか『夏に来ないでください』とか、そんなお願いにしたほうがいいのでは」
「相手が長く滞在しないこともありますから、細かくないほうがいいでしょう。となると、春秋冬のいずれかですが……」
「どうしても冬でなければならない、というわけではありません。であれば春か秋のいずれかにしたほうがいいのでは」
「……春と秋は元々祭事が多いですし、この際どっちでもいい、というか両方でいいのでは?」
「そうですね、あんまり縛らないほうが不興は買わないでしょう。では春か秋だけ来てもらうことにして、夏と冬は控えてもらうように、Aランクハンターへお願いをしておきましょう」
「複数回来るかもしれませんが……まあそこまで縛るのも良くないですしね」
とまあ、時節については割とあっさり決まった。
動かない根拠やどうしようもない理由があれば、こんなものである。
問題なのは、それがない場合だった。
「では降りてもらう位置はどうしましょうか? 竜にとっては、森から遠い方がいいと思いますが」
「それはそうだが、Aランクハンターが基地から離れすぎるのも良くない。それでは本末転倒だ」
「そのとおり。竜が来る日が厳密ではない以上、カセイとシュバルツバルトの間にして欲しいですな」
「しかし……多少は融通をして欲しいですなあ」
「うむ、どこから見やすいのか、というのを考えていただきたい。今は建築ラッシュなのです、せっかく建てたホテルや物見台から見えにくいということになれば……商人から苦情がありますよ」
「いや、それを言い出せばキリがない! 高い建築物が乱立しているのだ、お互いに邪魔になるのは必定だろう!」
「というか、どこに降りてもらうのかを決めれば、お互いが邪魔にならないように調整もできるだろうが……」
「しかしそれでも要望はあるだろう。無下にはしづらい」
「もうこの際オークションにするのはどうだ? いくつか候補地を作り、どこがいいのかを商人たちに問い……商人たちに競り合わせるのだ」
「それは賄賂だろう! 外聞も悪い!」
「その金で降りる地点を整備するのだ。それなら文句もないだろう」
「……それがありえるだろう」
大公も、この会議に参加していた。
誰もが私腹を肥やしたいわけではないが、それでも誰かが得をする以上議論は過熱する。
「そもそも狐太郎君は、あと四年で出ていくのだ。いや、三年半ほどか。大金を投じて竜が見物できる地点を作っても、三年で終われば不満も出るだろう」
「そうでしたね……」
「では大公閣下。Aランクハンター殿には、任期が終わった後にはこの街で暮らしていただくのはどうでしょう。前線基地で生活するのではなく、このカセイに住んでいただくのです。ここは大都市ですし、大公閣下のおひざ元で暮らすのなら配慮もできますし……」
「そうは言うが、竜にとってはシュバルツバルトから遠い方がいいのだぞ? そもそもダッキ様とご結婚なさるのなら、それなりの領地を陛下から与えられる可能性もある。それを引き留めることはできまい……」
「うぬぬ……我らは別にいいが、商人たちはどう思うか……」
「カイを忘れるなともいう。別に大損をさせるわけで無し、一時儲けるだけでも文句は言えまい。Aランクハンターの意向を優先する形にしてだな……」
大公たちが頭を痛めているのは、前線基地で暮らしている狐太郎と違って、商人たちと貴族は縁が切れないということである。
つまり会うたびに袖の下を渡そうとしたり、粘って介入をねだったりしてくるのだ。
それを断る口実というものを、彼らはもたない。
はっきり言って、面倒だった。
そんなにお金に困ってない貴族たちからすれば、手間が増えることの方が問題である。
だが商人たちにしてみれば、そんな『お貴族様の贅沢な悩み』に付き合えない。
言い方は悪いが、とにかくがっついているのだ。必死で儲けようとしている。
「だが、どうやって断ったものか……」
「諦めてくれるといいんだが……」
なまじ清廉で私腹を肥やさない貴族たちだからこそ、悩みは深かったと言える。
※
さて、狐太郎である。
割と頻繁に来るとは言っても、数か月に一度であり直ぐ帰るので、彼らの主観では来訪自体に問題はなかった。
あとは、そのお土産である。
結婚式の引き出物のように渡された物は……やはりドラゴンズランドの一般的な土産物だった。
しかしそれはこの国ではさほど知名度がなく、需要もなく、よって一般的には価値があるとは言えなかったのだが……。
「酒! 最高!」
今までで一番喜ばれた。
まあ二度目は孫の手形だったので比較すること自体が間違っているのだが、三度目のお土産は普通だった。
酒樽と醤油樽と味噌樽と米俵だった。それもわりと、結構な量だった。
酒に関してはクツロが全部独占しているが、他の物は麒麟たちを招いて食べることになったのである。
「いやあ……正直今度は何を持ってくるのかってびくびくしてたけども、すげえ普通で安心した。やっぱり土産物は食べてなくなるのが一番だな」
お世辞にも、凄い美味しいお米、ではなかった。
脱穀してある白米ではあったが、舌の肥えている麒麟や狐太郎たちにとって、天上の美食ではない。
そもそも米を炊くというのも炊飯器がないので、慣れない料理人に『はじめちょろちょろなかぱっぱ』といういい加減な指示でお願いしただけなので、そこまで炊き加減が良くなかった。
小学生が家庭科の授業で、鍋で炊いたような火加減と言えば伝わるだろう。
「この世界に来て久しぶりに心底から嬉しいわ。もしかしたら初めてかもしれないわ。アカネ、貴女の眷属もやればできるじゃない」
「もう、ササゲってば! 褒めても何も出ないよ! でもまあ、お爺ちゃんたちも最初からこれを持ってきてくれればよかったのに~~!」
「味噌と醤油をつけてくれたのはありがたかったな……おかげで皆の食が進んでいる」
そんなお米で作った料理、すなわち焼きおにぎりである。
炊いた米を三角形に握ってからさらに焼いて、味噌か醤油をつけたものである。
本当はみそ汁にしたかったのだが、出汁がないので断念した。
というかさっさと焼きおにぎりにして食べたかった。
「コゴエさんの言う通り、味噌と醤油があってよかったですね。お米だけだったら、少し味気なかったです」
「そうね、味噌と醤油が……うっ、頭が……!」
「蝶花、落ち着いて! 誰も貴女にラーメンを作れなんて言ってないわ!」
以前のカレー作りがトラウマになって、料理研究の可能性を感じるだけで頭が痛くなっている蝶花。
料理漫画で料理に悩み過ぎて挫折した料理人のようになっている。
食にこだわりすぎるのは良くないと、身をもって証明してくれていた。
「あ、あの、蝶花さん。もう難しいことは考えなくていいですよ。楽しく食べられればそれでいいじゃないですか」
狐太郎も、これでいいと思っていた。
これを料理したシェフは出来に不満そうだったが、もっとおいしくする必要などない。
お店に出せる味ではないとしても、故郷の味を懐かしむことができるのならそれで十分だった。
「くぅ~~! 冷えたお酒も最高ね! ありがとう、コゴエ!」
「そうか」
「次は熱くしてちょうだい、アカネ!」
「なんでもいいんじゃん、クツロ」
「みんなで飲むお酒なら、いつでも最高よ!」
難しいことにこだわっても救いはない。
これに文句をつけるなど、無粋の極み、野暮天である。
というか、文句があるなら食うな。
「しかしまあ、あの子たちはドラゴンズランドに行きたがっていたけども……俺も行きたくなってきたな。竜が支配していてもいいや、ここの任期が終わったらみんなで行こう」
「賛成! やっぱりドラゴンズランドはいいところなんだよ! お米とお味噌と醤油があるんだもん! 海苔もあるよ!」
もしかしたら子供たちの期待しているような街ではないかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。
お米と味噌と醤油があるのだ、行く価値は十分である。
「そうだな! 海苔もあるな!」
きっと海苔もある。
そんな素晴らしい未来を夢想して、狐太郎は味噌をつけた焼きおにぎりを食べていた。
(任期をまっとうしたら、移住だな。迷惑じゃなかったらだけども)
一同、笑顔だった。
クツロが楽しそうに酒を飲んでいて、他のみんなが笑顔で。
ぶっちゃけ、この世界に来てから一番の幸福が満ちていた。
次から新章、目黒のサンマ。
風が吹けば桶屋が儲かると同様に、短い話の予定です。