私は知らないということを知っている
コゴエは雪女であり、よって降らせた雪を手足のように扱える。
しかし今回の彼女は、狐太郎をかばいながら戦ったため、とても疲労していた。
降り積もった雪を動かす体力は残っておらず、よって雪をかき分けることもできなかった。
なので、一灯隊はとても苦労した。
3m以上の積雪と格闘しながら道を作り……途中で諦めて白眉隊や抜山隊から応援を引っ張ってきた。
どの隊も疲れてはいたが、リァンや他の治癒属性の使い手によって多少回復したこともあり、なんとか除雪作業をして、六人とコゴエを回収した。
ある意味当たり前だが、全員疲弊していたので、帰りも抱えられての帰宅である。
文字通りお荷物だった。
それに対して不満げな一灯隊もいるが、それをけん制するのは、不満そうな顔をしているリゥイだった。
「おい、狐太郎! お前は持久戦に優れたコゴエを手元に置いて、他は全部こっちによこしたな! ラードーンを倒せるササゲや、氷の精霊と相性の悪いアカネはともかく、クツロまで! おかげでこちらは助かった! 感謝しているぞ!」
「あ、はい……」
「か、ん、しゃ、しているぞ!」
「……はい」
「ふん!」
狐太郎を抱えて歩いているのは、一灯隊隊長であるリゥイだった。
彼は不満たらたらで歩いているが、言葉だけでは感謝を伝えている。
言葉だけの感謝だと、逆に言わないでほしかった。
言葉にできない、偽りない本音である。
「……ヂャン、其方はどうなった」
「ああん? お前らが間に合ったおかげで、全員無事だよ。まあすげえ疲れてるけどな」
「そうか……なによりだ」
「……助かった」
「礼には及ばん」
「そうだろうな! 俺達が言われる立場だもんな!」
「ありがとう」
「皮肉が通じねえな、氷の精霊には!」
コゴエを担いで歩くのはヂャンだった。
状況を確認して安心しているコゴエに対して、なんとか嫌味を言おうとするが、まるで通じていない。
普段以上にコゴエに覇気がないため、空回りしている状態だった。
「疲れました~~」
「うるさいぞ、こっちも疲れているんだ! Bランク上位を相手取ったんだぞ!」
「……そうなんですか、すごいですね」
「お前今思いっきり含みを持たせたな?! 言いたいことがあるならはっきり言え!」
「怒りませんか?」
「怒らないからちゃんと言え!」
「Bランク中位を十体、Bランク上位を二体、全部一人で相手にして疲れました」
「ふざけるな!」
「怒らないって言ったじゃないですか」
なおブゥのことはグァンが運んでいた。
ちなみにグァンは割と最初から怒っているので、怒らないという質問をすること自体に意味がない。
「……すごいな」
他の一灯隊に抱えられたロバーは、周囲のハンターを見て息をのんだ。
誰もが死力を尽くして戦った後なのに、それでも背筋を伸ばして歩いている。
もしもモンスターが襲撃してきても、戦う構えができている。
当然だ、この森で討伐隊を務めているハンターなのだから。
誰もが、この狂気の森を隣人として生活している。
自分たちが手も足も出ない、Aランクハンター以外では倒せないモンスターが、大量に生息している森の隣で生きている。
最初の最初から、その志が違うのだ。
その彼らが恃みとしているのは、やはり狐太郎のモンスターたち。
彼女たちがいなければ、カセイの安全は一日たりとも保証されない。
逆に言えば、彼女たちはこの森の中にあって最強の格を持っている。
この森でも最強に位置するラードーンを、あっさりと討伐できるだけの実力を持っている。
それがどうして、人間に忠誠を誓っているのか。
それが、やはりわからない。分からないが、知る必要はない。
狐太郎がこの国の心臓部を支えている。
その事実を前にして、何を疑えというのか。
「いいや、この人たちが……」
狐太郎一人、そのモンスター四体で支えているわけではない。
この場の全員で、助け合いながら支えているのだ。
「大公閣下にとっての十二魔将……最強の配下か……」
隠されているわけではなく、むしろ昔から公表されている。
そのうえで無名の英雄たち。関わることさえ忌避された、嫌な仕事を押し付けられた男たち。
彼らこそ、国家の礎なのだろう。
「!」
一灯隊の隊員に担がれているバブルは、あるものに気付いた。
「ねえねえ! キコリ、マーメ、ロバー! 見てみて! アレ、アレ!」
担いでくれている人間に配慮せず、大いにもがいてアピールした。
彼女が指さしたのは、森の奥深くの方向である。
「なんだよ一体……!」
「なにが……!」
「あれは……!」
先ほどまで自分たちを食おうとしていた強大な虎、ビッグファーザーが氷漬けにされていた。
それもただ氷漬けではない。地獄の最下層、コキュートスの有様だった。
「……凄いよ、アレが最強の氷の精霊の力なんだね」
氷柱が、巨大な虎を刺し貫いている。
屈強なる虎の四肢を引きちぎり、五臓六腑をぶち抜き、その血潮さえ凍結させてしまっている。
死の間際の苦悶さえ、丸ごと保存されている。あまりにも惨く、容赦なく殺されたことが伝わってくる。
まるで死の間際、慟哭の一瞬を切り抜いて保存したような、残酷な氷の標本だった。
「ああ……最上位の氷の精霊の力だ」
ロバーは、畏怖する。
まさに自然の牙が、矮小な虎をかみ殺していた。
ロバーもバブルも、竜が好きというだけで魔物使いの専門家ではない。
同様にマーメもキコリも、さほど多くの事柄を知っているわけではない。
むしろ弱り切って担がれている時点で、コゴエがさほど強くないのでは、などという印象さえ受けていた。
だが勘違いだった。
冬が終わり春になり、まったく雪が積もっていない状況から、これだけのことができる。
その時点で、何もかもがおかしいのだ。
もしも真冬に彼女がその気になれば、おそらくAランクハンターでさえ止められないだろう。
春に雪を降らせる不自然が可能なら、真冬に自然と雪を降らせればどれだけか。
それを、前線基地の人々はもう知っているのだろう。
そして、それぐらい強くなければ、この基地は守れないのだ。
「きっとさ! 他のモンスターも、同じぐらい凄いんだよ!」
「そうだな……でもバブル、いい加減抱えている人がかわいそうだから止めろ」
大都市の近くに巣食う強大なモンスターを迎え撃つ、屈強なハンターとその使い魔たち。
なるほどきちんと見たい気もするが、とにかく今は暴れないほうが良かった。
※
かくて、職場見学は終わった。
よりにもよって一年に一度あるかないかという大侵攻の日に来たことは悲劇だったが、だからこそ理解できただろう。
狐太郎たち、現在の討伐隊には、まったく余裕がないということを。
もちろん対処はできる。
今回の件も、全員が最初から前線基地にいれば、もう少し余裕を持って対応できた。
だが少しでもずれれば、こうなってしまう。例えばガイセイがカセイで遊んでいれば、一灯隊が留守にしていれば、それだけで一気に危うくなる。
それでもタイカン技があるのだが、無理をしていることに変わりはない。
何よりも狐太郎が危うい。
彼を守ることに割ける戦力が、少なすぎるのだ。
「そうか……君たちが壁を……そのおかげで、狐太郎君の負担も和らいだだろう」
とはいえ、今回の報告を聞いて大公は安堵した。
以前に同規模の襲撃があった際、狐太郎は四体全員を基地へ派遣した。
だが今回は、一体を残したうえで、さらにブゥやネゴロ十勇士も護衛に参加できた。
もちろん四人の生徒は予定外だったが、それを抜きにしても成果は出ている。
狐太郎に護衛を用意する、という方針自体は間違っていないのだ。
「君たちには感謝している。確かにささやかなことだったかもしれないが、現場で正しいことができる者は少ない。初陣なら尚のことだ」
大公は四人の生徒を己の城に招き、その話を直接聞いていた。
元より侯爵家の子供たちである、直接会ってもそこまで非常識ではない。
生徒たちにしても、この状況は想定内である。あらかじめ教師から、他のいかなることよりも優先して教えられている。
(お前ら、わかってるな? いざとなったら、バブルを殴れ! 黙らせろ!)
(ああ……そうならないことを祈るが、いざとなったら仕方ない!)
(モンスターに食われずに済んだのに、大公様に斬られるなんて御免だわ!)
(みんな……私のことを何だと思ってるの?)
ある意味では、彼らの成長が問われるのは今からである。
なにせケイやランリが殺されたのは、今まさにこのタイミングなのだから。
これで二の舞を演じるようなら、いよいよ大公もこの国の将来を憂うだろう。
一罰百戒とはつまるところ、一つの罰を下すことによって再発を防ぐことなのだから。
「……まあ楽にしたまえ。正式な場ではないのだから、罰を下すようなことはない」
(勘違いするなよ、みんな!)
(ええ、言葉は慎重に選びましょう!)
(バブル! お前は何も言うなよ!)
(私のことを何だと思ってるの?)
通じあう、熱い友情。
お互いのことを知りつくしているが故の、心配り。
沈黙は金である。危ういのなら、黙らせるのが一番だった。
そして四人の脳裏に、師の教えがよぎる。
『いいですか、皆さん。大事なことは増やすことではなく削ることです。ケイさんが殺された時は、四人が別々に話す必要がありました。全員バラバラでしたからね』
『ですが皆さんは同じ立場です。つまり、大公閣下が一人一人へ質問をしない限りは、代表者一名がしゃべるだけでいいのです』
『よって、バブルは話しかけられるまで黙りなさい。挨拶の時と個別の会話の時以外は、口を縫い合わせるのです』
『いい印象を与えようと思わなくていいのです。最悪を避けなさい、それが生存への道です!』
生徒のことをよく見ている、教師の鑑。
彼からの具体的なアドバイスは、この場でも生きていた。
「この度は、私どもの要望を、聞いてくださって、感謝しております! 生徒四人を代表して、ロバー・ブレーメが御礼を申し上げます!」
「うむ」
「前線基地の、その責務の重さは、とても良く理解できました。もしもあの基地がなければ、カセイは、滅びてしまうでしょう」
「うむ」
「討伐隊の尽力には、貴族として、感じるものがありました!」
大公は相槌を打ちながら、満足げに聞いていた。
(ふふふ……この御礼の言葉も、学校の教師があらかじめ決めておいたのだろうな)
前線基地での感想と見せかけて、実際には学校を出る前には練習済みだったはず。
それを察した大公は、ほほえましく想っていた。
そんなことで目くじらを立てるほど、彼も驕ってはいない。
大人の言うことに従う、夢を見る子供。
それはある意味、生徒の理想像である。
(ここで私とどんな問答をしても、大人に言われるがままに話をしても、夢を裏切るわけではない。そう割り切れている証拠だな……真面目でいい子だ)
ここで大公と話ができる機会を、何かの好機だと勘違いしていない証拠だった。
こんなことで話をしたところで、大公は一々真に受けない。
今のこの場は、ただ決まった問答をするだけにとどまるべきだ。
ただ挨拶をする、礼儀があることを示す、というだけでも意味がある。
勘違いしてはいけない。彼らは狐太郎と違って、替えが利く上に強くもないし、誰かの役に立っているわけでもないのだから。
そして、当たり前のことが分かっている生徒たちには、大公も気が緩む。
決して言質は与えないが、それでも応援をしたくなるのだ。
「それは結構。君たちの気持ちはよくわかった」
一安心したロバーは、ぴたりと黙った。
大公が話すターンになったので、お行儀よく聞いているだけで良くなったのである。
他の三人も、ニコニコと笑いながら気を緩めていた。
「今回のことで、君たちは多くを学べたようだ。それがとても嬉しい。しかし……勘違いをするかもしれないので、大人としてはっきり言っておく」
そのゆるみが、緊張に変わった。
一体何を言われるのだろうかと、居住まいを正してしまう。
「カセイだけが要所ではないし、他にも前線基地はあるということだ」
不意に、キコリは森の中での自分の考えを思い出した。
前線基地など、国境地帯にいくらでもあるということを。
「これは私の都合のいい妄想かもしれないが、今回の見学で、君たちは『カセイを移設するべきだ』という私の立場を理解し、賛同してくれたかもしれない。ありがたいことだが、それは政治家として正しくないことだ」
ここで大公が、己に従わなければ護衛にしない、というのは簡単である。
だが立派な大人たらんとするならば、中立の立場を忘れてはならない。
「今回君たちはシュバルツバルトの討伐隊の大変さを思い知ったと思う。だが他の職場の大変さは知っているのかね? 比較できるのかね? 胸を張って確信をもって、公共の場で『シュバルツバルトの討伐隊は、この世で一番危ない仕事だ』と言えるかね」
四人はカセイの陰に隠れる恐ろしい地獄を知った。だが逆に言えば、他の場所のことはよく知らないということだ。
そんな四人の言葉を聞いても、他の現場を預かっている者はこう思うだろう。『ウチの現場のことは何も知らないくせに』と。
「私は私なりに、他の多くのことを顧みて、カセイの移動を提唱している。しかしだからと言って、他の要項を軽んじているわけではない。他の現場にも人は足りないだろうし、予算が不足しているところもある。己の立場を弁えて、大きな声が出せないところもあるだろう」
中立的な大人足らんとするならば、まず自分が何を知っていて、何を知らないのかを知るべきである。
「なんだかんだ言って、私の手元にはAランクハンターがいて、その候補も一人いる。予算は潤沢であり、誰かから支援を求める必要はない。その上大公であるため、兄上にさえ大きなことを言える。恵まれているのだよ、私は」
自分の大変さを、大公はアピールしている。
だが他にも大変なところはあると、彼は知っている。
「シュバルツバルトの討伐隊は、確かに尊敬に値する者たちだ。誰もが嫌がる過酷な仕事を、全身全霊で対処している者たちだ。だが……他にも多くの人たちが、身を粉にして働いている。縁の下の力持ちは、たくさんいる」
自分だけ、自分達だけが大変だとは、思っていないし思ってもいけない。
大公はそれを知っている。
「まあ、それはシュバルツバルトの討伐隊を侮辱していい、ということではないがね」
冷える言葉だった。
四人の生徒の背筋に、冷や汗がつたった。
「自分たちの知っている当たり前の日常、それを支える多くの人に敬意を払えということだ。難しいことではなく、当たり前のことであり……もしもできなければ、どんな教育を受けてきたのか、問いただしたくなってしまうよ」
きっちりと、釘をさす。
もしも今回の件で何かを勘違いして、周囲へ自慢しようものなら、それこそ彼女たち全員の将来を暗くする。
彼女たちの体験に価値があったことは事実だが、無駄に喧伝すれば敵を増やすだけであろう。大公の前でだけ気を使えばいいのではない。
「自慢はほどほどにしたほうがいい。今の君たちはただ現場に居合わせただけで、何かを成し遂げたわけではなく、何かの責任をまっとうしたわけでもないのだから」
大公自ら、薫陶を与える。
「返事をしたまえ」
「はい! うかつな自慢はしません!」
「はい! 身の程を弁えます!」
「はい! 注意します!」
「はい! 今後も精進します!」
「よろしい」
たまにしか会わない相手である。
これぐらい締めつけておいた方がいい。
少なくとも、甘えさせてはいけない。その程度の距離感は作っておきたかった。
「まあいろいろと言ったが、君たちが頑張ったことは私を含めて、君たちに関わった大人はよくわかっている。誰かが引いたレールの上という言葉もあるが、それをこなすことの難しさは知っているつもりだ」
この場の四人は、大目標を達成するための第一段階として、今回の見学を計画し成功させた。
もちろん一から十まで全部生徒で考えたわけではないだろうが、それでも大したものである。
「自慢をするのなら、自分の活躍を誇張せず、誰のことも蔑まないように。互いに喜びほめたたえ合うだけではなく、助けてくれた人や許可をくれた人に感謝を伝えたまえ。つまらないかもしれないが、そうしたほうが、周囲は褒めてもてはやしてくれるぞ。騙されたと思って、そうしなさい」
子供の計画は、大抵大雑把で細部が甘い。
その上一度成功すると、人生が完結したかのように大騒ぎをしてしまう。
もちろん子供なら仕方がないが、彼らはこれから大人になるので、大人の作法を学ばなければならなかった。
「君たちは十分凄いことをしている。それは余計なことをしなくても、周囲が十分褒めてくれることだ。もしも足りないと思ったなら、自慢ではなく成果を上げなさい。それが立派な大人になることだ」
具体的な薫陶は、教師だけではない。
大公もまた、貴族の後進を育てるためにいる。
「では一度表に出よう。以前のように、この街を眺めようじゃないか」
何時だったか、竜が舞った空。
それを見上げられる、カセイの城のバルコニー。
そこに出た一同は、改めてカセイを見た。
大公が治め、討伐隊が守る街。
とても栄えている、平和な街。
誰もが多くの税を納めているが、しかし不安におびえない街。
「……もうすぐ、もう一人Aランクハンターが育つ。ガイセイという、先代Aランクハンターの弟子だ。その彼がAランクハンターを名乗れるようになったら、私は彼をここに招待したい」
この街は移動するべきだと思っていても、それはこの街で生きる民を愛しているからこそ。
その彼は、人々の営みを愛おしく見守っていた。
「ガイセイが基地を守っている間に、ここで一緒に話をしたい。彼はまだこのカセイを知らないからこそ、その価値を知ってほしいのだ……」
狐太郎に、生きて任期をまっとうして欲しい。
そう願う大公の背を、四人は真摯に見つめる。
もしもその一助が叶うなら、自分たちの頑張りに大きな意味が生まれるはずだ。
いいや、ただ見たいだけだ。
大公と狐太郎が、ここに来て誇らしく並んで立つ姿を。
「それが私の、今の夢だよ……」
街の喧騒を見下ろしながら、空を仰ぐ。
どうか、その夢がかなうようにと、天にいる何かに祈った。
「……あ」
バブルが、何かに気付いた。
というか、他の面々も気付いた。
クラウドラインが三体、横に並んでカセイの上空を通り過ぎている。
「……思ったより早く来た」
瑞獣なのに、まったく有難味がなくなってしまったクラウドライン。
大公は思わずへたり込んでいた。
後日、魔女学園にて。
クラウドラインが結婚する時、髭を偉い人に結んでもらうという風習があるのだと学会に発表された。