便所の神
「では皆さんには、自分の息子や自分自身が、シュバルツバルトのモンスターに食われる覚悟があるということですね?」
「正規軍を派遣するのですから、当然皆さんかそのご兄弟、或いは将来生まれるであろう息子さん方もそこで兵役につくということです」
「それだけではなく、大将軍一人を常駐させなければなりません。必死になって戦場を駆け抜け、多くの武勲を挙げてようやく到達できる地位。軍の頂点へ至ったにもかかわらず、モンスターを封じ込めるために数年間常駐しなければならないなど……果たして受け入れていただけるでしょうか」
「あえて申し上げますが……皆さんは『自分がやりたい』か『自分がやりたくないか』で法を決めてはいけません」
「必要かどうかで、判断してください」
「よろしいですか、皆さん。『自分がやりたいかどうか』という考え方は、極論すれば『やりたくないことはしなくていい』ということになってしまうのです。それでは国家は立ちゆきません。必要だと判断したなら、嫌なことでもやらなければならないのです。貴方がたがやりたくない仕事でも、誰かにやってもらわないといけません」
「誰にどれだけ頑張ってもらうか、その対価はどうするのか。それを議論することが、皆さんの仕事になるでしょう。そして多数決に参加する以上は、その決定が意に沿わぬものであっても従わないといけません」
※
未熟な四人による合体技など、長く維持できるわけもない。
淡く光る壁は数分で消え去り、薄暗い雪洞だけが残った。
既に天井も構築され、外気も遮断されている。
窒息の恐れはあるが、それでも凍死をある程度防ぐことはできるだろう。
だが、それでも、外のモンスターがこちらに倒れてくるだけで、あっという間に壊滅する。
全員まとめて潰されて死んでおしまいだ。
そうでなくとも、戦闘で地面が揺れている。この雪洞の天井が崩れれば、それはそれですぐさま窒息死するだろう。
そんなことは、誰でもわかることだ。
少なくとも雪洞の中の五人は、それを理解している。
だが、狐太郎は余りにも泰然としていた。
むしろこの苦境を懐かしがっていた。
貧弱なる小男は、歴戦の雄めいて泰然としている。
その姿を見ていれば、ただそれだけで四人は冷静になれていた。
もしもこの場の四人が狂乱すれば、それだけで雪洞は崩れる。そうでなくとも、狐太郎へ無茶な凶行をしかねない。
それでも命とりだったのだが、狐太郎自身の落ち着いた振る舞いが、五人全員の命を救っていた。
(弱ってる……今にも死にそうだ)
(それでも取り乱さない……取り繕おうともしていない……)
(怖くないの……? このまま死ぬって思わないの……?)
(これが、竜王の主……)
光のほとんどない雪洞の中で、狐太郎は少しずつ弱っていた。
それが戦闘の圧によるものだとは見当がつく。
本当に彼が弱いのだとは分かるが、だとしても貫禄があった。
死を間際にしても、それに怯えない。
取り乱したところで誰も咎めないのに、平然とし続けている。
(……これが、押し付けられた男か)
キコリは、カセイのことを理解した。
カセイの今後、三択の本当の意味を理解した。
本質から言えば、こんな森の近くに街なんぞ立てたことが間違いだった。
だがそれが生み出す富が膨大であったため、誰もがカセイを維持したがった。
そして、Aランクハンターに押し付けた。
誰もやりたがらない仕事を、金で押し付けた。
大公の気持ちが分かる。
街をさっさと移動させれば、こんなところでハンターたちが戦う理由はなくなる。さっさとそうするべきなのに、誰も賛同してくれない。
その癖、守ってもくれない。正規軍を置いてもくれない。
もしもキコリがカセイを治めていたなら、この森を視察しに来たのなら、街を放り出して逃げるだろう。
Aランク中位のビッグファーザーでさえここまで恐ろしいのだ、これよりも恐ろしいAランク上位になど関わりたくもない。
なのに、それが襲撃する圏内に街がある。いつ突破されるともしれないのに、そこで暮らさなければならないのだ。
どれだけ大金をもらっても、どれだけの権威を得ても、到底足りるものではなかった。
(でも、逃げたとしても……街をどうこうしようとは思えない)
なんとしても街から逃げようとするが、しかし街を移動させようとはしないだろう。
周囲から賛同は得られないし、費用は負担しきれるものではないからだ。
だから自分だけ助かる道しか選べない。誰かに押し付けるばかりで、責任を取ろうとしない。
そして、押し付けられた鉢が回ってきたのが、狐太郎だ。
この虚弱な小男に従うモンスターたちがいなければ、カセイは壊滅する。
その責任を、彼が負っている。
この国の貴族王族、全員の責任が回りまわって、彼にたどり着いたのだ。
(この人は、英雄だ)
務めから逃げず、全うしようとしている。
責任を負って、投げ出さずにいる。その責任の重さでつぶされて死ぬことさえ、もう受け入れている。
(誰もが嫌がることを請け負って、人知れず倒れようとしている。この人は、英雄だ……)
国境の最前線で、恐れるべき外敵から国土を守っている英雄たちがいる。
その彼ら同様に、狐太郎もまた国土と国民を守っている。
国家の繁栄を支える、礎となるものたち。
自分たちが安寧を享受できるのは、彼らのおかげだと理解できる。
(情けない話だ……)
ここで働きたくない、ここに近づきたくないと思ったことさえ、恥に思える。
この地の守りは、本来正規軍が負うべきだ。
それを率いるのは、自分のような貴族の生まれの者だ。
にもかかわらず、嫌がった。誰かがやればいいのだから、自分がやらなくていいのだと思っていた。
目の前の彼が死にかけているのは、自分の責任でもある。
キコリもまた、狐太郎に責任を押し付けた者の一人だ。
(俺は、これができるだろうか)
もちろん、前線はここだけではない。
他の前線で同じような責務を背負っている者はたくさんいるし、そもそもこの基地でさえ狐太郎以外にもBランクハンターがいる。
ここで働くことだけが、この国を支えることではない。
だが、ここではないどこかで働くとして、同じように職務に殉ずることができるだろうか。
嫌だからと逃げ出さず、怖いからと投げ出さず、必要なことを全うできるだろうか。
こんな立派な大人になれるだろうか。
(……先生は、きっとこうなってほしいんだろうな)
誰もがやっている課題をこなすだけではなく、目標を持ってほしい。
この国の貴族として、意欲を持って臨んで欲しい。
この国に役立つ人間になって、仕事に殉じて欲しい。
この数か月努力をしたが、この森で何かができる水準ではない。
だとしても、無駄ではなかった。ここに来て、最前線を体験して、それだけでも意味はあった。
後は、生き残ることができれば。
ここに来る前、ここに来たいと思う前よりは、成長ができると思う。
(生きて帰りたいな)
切に願う。苦痛を味わいたくないからでもなく、やり残したことがあったからでもない。
自分が何を感じて、何を想ったのか。それを、教師や両親へ伝えたかったのだ。
両親は、教師は、今何をしているだろうか。
自分たちが死なないことを願っているだろうか、祈ってくれているだろうか。
もしもの時は悲しんでくれるだろうか。そうなら、少しだけ嬉しい。
狐太郎の気持ちも、少しだけわかった。
(バブル……お前はどう思ってる?)
傍らには、惚れた女がいた。
もしも彼女が自分のことを考えて、そのうえで一緒に死んでくれるのなら、それは確かに救いだった。
(ま、どうせ俺のことなんて……)
「ねえ、キコリ」
音を吸う雪に囲まれた中で、バブルの声だけが全員の耳に届いた。
「な、なんだ?!」
「あのさ……もしかしたら死んじゃうかもしれないから、言っておくね」
「あ、ああ……」
「ありがとう」
彼女は、相変わらず笑っていた。
「キコリだけじゃなくて、マーメとロバーがいなかったら、ここには来れなかったと思うからさ」
悔いなく笑う彼女は、薄暗い中でさえ輝いていた。
「ここに来れてよかったよ。うん、そう思う」
彼女は、相変わらず夢を見ていた。
「こんなところで働いているだなんて……やっぱりドラゴンの王様は凄いんだよ! そのドラゴンの王様も、凄い立派な人だったし! 会えても全然幻滅しなかったし!」
この絶望的な状況で、なおも彼女は笑っていた。
「やっぱり、私の想像よりもずっと、この世界は凄いんだよ!」
夢見た場所が、思ったよりも大したことがない。
必死になってたどり着いたのに、噂が誇張されただけだった。
そんなことはない、想像を絶する世界は確かにある。
絵にも描けない美しい世界がある。百聞しても伝わらない、一見しないといけない景色があるのだ。
「この森に来たことは……私が見た夢よりも凄い冒険だった……!」
無垢なる喜びに、空気が緩む。
彼女もまた、己の冒険心を裏切らなかった。
「シャインさんと話が合いそうだな……君は」
バブルのことを笑うが、嘲りはない。
狐太郎は、彼女をまぶしく思う。
「できれば君たちにも生き残ってほしいけども……?」
雪洞の中が、にわかに明るくなった。
雪洞の天井の雪が少しずつ取り払われ、光が届くようになったのだ。
果たして、この雪をどかしているのは誰なのか。
これだけ優しく配慮をしているのだから、既にわかったようなものではあったが。
「ご主人様、ご無事ですか」
「……ああ、お前のおかげでな」
消耗した姿の雪女が、ふんわりと雪洞に降りてきた。
「……憔悴させてしまい、申し訳ありません」
「それはお互い様だ。お前が頑張ってるのはよく知ってるよ……いつも感謝してる、ありがとう」
光が差し込んだ中で見る狐太郎は、やはりやつれていた。
開き直ろうが諦めようが、彼の心身にかかった負担はどこまでも大きい。
もはや一人では立てないほどに、疲弊してへたれていた。
「あ、狐太郎さん! 大丈夫ですか?」
「ブゥ君……」
「す、すみませんが、僕ももう限界でして……! ちょっとこれ以上は、まあ……期待されてもな、という感じです」
「いや、もう無理しなくていいよ」
「そうですか? いや~~よかった~~!」
崩れ落ちるように、縦穴となった雪洞にブゥも入ってくる。
彼もまた役目を果たして、余力を使い切っていた。
「タイラントタイガーは僕が全部倒したんですけど、インペリアルタイガーは時間稼ぎがやっとでした。結局コゴエさんがビッグファーザーとまとめて倒してくれまして……。今は一応、周りにモンスターはいないみたいです。これだけ寒ければ、Aランクでも近づきたがらないでしょうけども」
「十勇士とシャインさんのところの隊員は?」
「みんなご無事ですよ。防寒用の備えをしていたのが効いたみたいで、怪我らしい怪我もしていません。ただ蛍雪隊の隊員さんはお疲れみたいで、身を隠しながら休んでます。十勇士さんは半分が残って周囲の索敵をして、半分が救援を呼びに行きました」
腰を下ろして休む姿は、全員同じである。
「前線基地の方も落ち着いていると思いますし、助けは来ますよ。多分」
「まあ正直それを期待していたしな……」
今回の強襲を退けたにしては、誰もが誇っていなかった。
ただ疲れたと、助かったことを安堵するばかりである。
「おおい! いるか! どこだ!」
「くそ……なんだ、この、バカみたいな雪は!」
「ちょっとはどかしておけよな、まったく……!」
悪態をつく声が、こちらに近づいてきた。
「……今回は一灯隊か」
「僕、あんまり得意じゃないです……」
「俺もだ……」
互いに疲れきった中で、それでも寄り添い肩を貸し合う。
全力で戦う彼らは討伐隊であり、大公の信頼を受けるハンターであり、真のプロフェッショナルだった。
傷つきながらも死地に入り、雪をかき分け、手を差し伸べる。
「おい! とっととここから出るぞ! 寒すぎるんだよ!」
「手を取れ、引っ張ってやる!」
「あの……すみません、ちょっと限界でして……」
「ふざけるな! 俺達だって限界だ!」
そして、同じ基地に帰る。
それを見る生徒たちは、前線の何たるかを知って……。
「……あの雪洞、お前らが掘ったのか」
「あ、はい……」
「こいつを守ってくれたみたいだな! 感謝する! こんなんでも、討伐隊のトップだからな!」
「え、ええ~~!?」
「正直死んでもいいが、俺達を助けるために死なれたんじゃあ、夢見が悪いんでな!」
そして、多少は役に立てたことを喜んで、学校に帰るのだった。