隣の芝生は青く見える
この世界にも未成年という考え方はある。
成人していない者は、成人している者の指示に従い、判断を仰ぐというものだ。
特に貴族にとってはこの考え方は当然で、実の親以上に当主が発言力を持っている。
仮に逆らえば、貴族としての格を失うことになる。よって実質的に、当主に逆らうことはできないのだ。
ことが大きければ大きいほど、当主の判断が重要視される。
四人が大公の下で仕事に就けるかどうか、試験を受けられるかどうか、その判断は学校と当主にゆだねられているのだ。
「……俺、許可が下りた」
「私も……」
なお、許可が下りなかったらいいのにな~~、と思ってしまっていたキコリとマーメは、実家からの快諾を伝える手紙を恨みがましく読んでいた。
学校側の判断にゆだねるというものであり、実質的なゴーサインである。
ここまで話が来ると、途中で諦めるということもできない。
試験を受ける水準に達せませんでした、ということになれば大恥である。
それどころか途中で挫折したとなれば、それこそ大恥も大恥である。
当主や実家にしてみれば、生きて恥をかくよりも名誉の戦死を遂げて来い、という心境だろう。
なお、死地に赴くと言い出したのは当人たちである。
発言には責任が伴うというが、まさにそれであろう。二人は自分の軽挙、自分の若さを呪っていた。
「……なあ、マーメ。明日の予定ってなんだったっけ」
「……朝は走り込み、ご飯を食べたら筋力トレーニング、夕方は座学よ」
「……今日と一緒だな」
「そうね」
「……」
この世界の住人は、とても頑丈である。
これはただ力があるというだけではなく、回復能力も優れているということ。
よって『普通』では考えられないほど過酷な鍛錬を、ろくな休息も挟まずに重ねたとしても、決して体が壊れることはないということだった。
もちろん真面目に頑張れるものにとっては、とてもいいことだろう。
だがまじめに頑張れない者にとっては、辛い時間が長く続くということだった。
「あ~~!」
「いや~~!」
思わず絶叫する二人。
教育の内容がまともだと分かっているがゆえに、もう投げ出すことはできなかった。
不当に暴力を振るわれることなく、ただひたすら地道なトレーニング。
今日も明日も明後日も、下手をすれば来年になってもこの状況である。
未来を悲観して、のたうち回りたくもなるだろう。
なお、その二人の隣で、同じように手紙を読んでいるロバーとバブル。
学園が許可をするのなら良し、ただし合格の基準は緩めないで欲しい、というものだった。
やはりとても常識的である。
「俺は良しだった。頑張ってお前達三人を率いて、その頭角を示せだと」
「ウチもヨシだったよ! 正直凄く不安だっただけど、先生がいいならいいって!」
それだけ学園に信頼を置いているということであり、同時に旨味が欲しいからだろう。
王女と結婚する予定の男に、自分たちの子供が護衛になる。
その一点に絞るだけでもありがたいのに、国内有数の資産家である大公の依頼に応えることになるのだから。
「あのさ、二人とも。そんなに嫌ならもうやめなよ。はっきり言ってうっとうしいし」
「ぐぬぬぬ」
「えぐぐぐ」
うっとうしそうに、苛立たし気に、二人を邪険に扱うバブル。
言い出しっぺである彼女が余計なことをしなければこんなことにならなかったのだが、国家全体という視点から見れば彼女の方がよほど正しい。
というか誰もこの二人に頑張れなんて言ってないのだから、自縄自縛しているだけだった。
「バブルの言う通りだぞ、二人とも。こうなることはわかり切っていただろう、見苦しいにもほどがある」
「ううう」
「ぬぬぬ」
大公の下で仕事をするというのは、とても名誉であり尊敬されることである。
そして尊敬される仕事というのは、嫉妬されることさえなく『真似したくねえ』と思われるものであった。
「今更お前達二人の動機なんてどうでもいい、最後までやり切れるかどうかだ。途中で嫌になっても投げ出すかどうかで、俺達の価値が決まるんだ。俺達の価値を、俺達が決めるんだぞ」
ロバーの正論。
「うんうん! まったくだよ!」
それに便乗するバブル。
(バブルめ……まさか本当にやる気が続くとは……)
(このままだと、本当にバブル以下だということになっちゃう……)
ロバーはちゃんとやれている。
当たり前だが、彼は元々自分を鍛えていた。
そのメニューが少しきつくなったという程度で、他の三人よりも辛くはない。
既にクリエイト使いに達しているという意味でも、一歩も二歩も前にいる。
だがある意味最下位のバブルは、実際に特別授業が始まってもやる気を維持していた。
もしも彼女が『こんなにきついと思ってなかったよ~~!』とか言ってくれればまだ救われたのに、いまだにやる気に満ちているから質が悪い。
「あのさ、二人とも。いくらなんでも私のこと見下し過ぎじゃないの? 実は私のことが嫌いなんじゃないの?」
「授業を聞かずにずっと玉手箱のことを考えている奴に劣るとは認めたくないだろう」
「ロバーは私の味方じゃないの?!」
「模範的な生徒になれって言われてるだろう。ダメなところは意識して治せ」
「……うん、なるよ! 二人の模範になるような生徒に!」
(見本にしたくねえ)
(彼女を見習いたくないわ)
普段はやる気がないけども、好きなことを見つけたら一生懸命。
そんな性格だったバブルだが、同じことをする羽目になると常人にはキツイ。
「私絶対絶対頑張るから!」
学びの障害になることの一つは、学んでいることの意味が分からないこと、学ばなくてもいいと思ってしまうことだ。
特に数学など顕著だが、難しい数式が実生活や仕事の中でどの程度役に立つのかわからないのだ。
なぜ自分はこんなわけのわからない呪文を解読しなければならないのか、そこから考えてしまって勉強が辛くなってしまう。
しかし、きっかけで変わることもある。
明確に目標ができたなら、その目標を達成するために、誰に言われるまでもなく自ら頑張れるのだ。
「バブルはすげえよ……」
「でしょ?」
「すげえバカだよ」
「なにそれ!」
なお、それが周囲からバカだと思われることもある模様。
「別に諦めるとか止めるとか、そんなことは言わない。俺だって侯爵家の人間だ、恥は知っている。やり始めたことは投げないよ。ただ……辛いなと」
キコリはため息をついた。
嫌だからという理由で投げるなどありえない、もしもそれが許されるなら世界中の人間がそうしている。
だが嫌なものは嫌だった。
「去年にケイ・マースーって人が公女様に殺されて、大公様がマースー将軍を処刑して、そのまま家もつぶしただろう? 俺さ、アレがすげえバカだと思ってたんだ。もちろん大公様じゃなくて、ケイ・マースーの方がな」
だが実際に嫌な思いをしたからこそ、認識が変わることもある。
頭では分かっていたことでも、実際に体験すれば受け止めかたも変わるのだ。
「だってさ、要は断り方が下手だったんだろう? 普通に当たり障りのないことを言って、護衛を断ってればよかったんじゃねえか。そうだろう?」
「そうだな。全面的にその通りだ」
「その場にいたわけじゃないからよくわからないけども、よっぽど失礼なことを言って怒らせたんだろうが……その理由はわかった」
必死になって頑張る。それも年単位で。
それがどれだけ心をすり減らせるのか、キコリは知ってしまっている。
「ケイって人は、竜騎士になるため一生懸命頑張ったんだろうな。俺達が楽しく遊んでる間も、ずっと竜に乗るために辛い訓練に耐えていたはずだ。で、実際に竜に認められて家族に認められて、竜騎士として推薦されることになったんだ」
今の自分よりも、ずっと長く、ずっと辛い時間を過ごしていた。
理解できるからこそ、共感できる。
「で、それだけ頑張ったのに、シュバルツバルトに行ったら大したことがないような扱いだったんだろ?」
シュバルツバルトの討伐隊は、一般隊員でも精鋭並みで、隊長ならば武将に匹敵するという。
おそらく新兵であるケイは、抜きんでた存在どころか、大きく劣る兵だったはずだ。
「しかも、自分がどれだけ頑張っても勝てないようなモンスターが、その森にはひしめいてる。それをやっつけてるのは、一度も頑張ったことがない魔物使いに使われてるモンスターだ。そりゃあ腹も立つさ」
もしもこの状況になる前の自分が、今の自分を笑えばどう思うか。
頑張ったこともないくせに、何を偉そうにと思うだろう。
昔の自分は愚かだった。怒っていた彼女の、その本質を理解しようとしていなかったのだ。
評価されるために物凄く頑張っている人間にとって、頑張っていない人間が評価されることが、どれだけ辛いのかわかっていなかった。
「ケイって人は、怒ってたんじゃない。凄く怒ってたんだ」
「……そうでしょうね」
マーメも、それに同意を示した。
「はっきり言って、私はもうかなりうんざりしてる。私たちが必死になって頑張っても、それは活躍するためじゃない。私たちのレベルに見合わない、とんでもない最前線でなんとかぎりぎり役に立つためのものよ。ぎりぎりいないよりはマシという程度になるために頑張る……すごく辛いわ」
大活躍するために頑張るのならまだしも、その他大勢になるために頑張る。
それはとても心を削られることだった。
だがしかし、それはある意味では諦めだった。最初から期待をせずに済んでいた。
「でも、いつか大活躍してみせる、英雄になってみせるって思って頑張っていたケイにはきっと……とってもつらかったのよ」
辛いからといっても、周囲へ当たり散らしていいわけではない。だから罰を受けるのは仕方がない。
しかしそれでも、今はその辛さに共感できてしまうのだった。
「それとこれとは話別じゃない?」
なお、バブルはまったく共鳴していない模様。
「だってさ、そもそも文書で弱いって書いてたんでしょ? だったらそこで断ればいいじゃん」
「……いやまあそうだけども」
「……貴女に正論言われるとむかつくわね」
しかもその理由は理路整然としていた。
まったくその通り過ぎて、文句を言えなかった。
だが文句は言いたいので、とても歯がゆかった。
「きっとさ、ちゃんと読んでなかったんだよ。考えが浅いよね」
普段は何も考えていない少女に、考えが浅いと言われるケイ。
如何に罰されたとはいえ、故人の名誉が脅かされていた。
「バブルの言うことはともかく、だ。二人の気持ちはわかるが、公言はするなよ? 愚痴なら聞くが、表で言ったら庇わないからな」
聞きようによっては重罰に対する苦言ともいえる二人の発言を、ロバーは軽く注意した。
「それにだ。努力をしていたケイに共感をするのなら、現役でAランクハンターをしている狐太郎様にも想像力を働かせるべきだろう」
ケイにもケイの道理があった。
それはそうかもしれないが、狐太郎にも道理はあったはず。
罵声を浴びせられるほど、不当な存在だったとは思えない。
「狐太郎様は、護衛がいないときから継続してカセイの防衛にあたっている。護衛を就けてくれたら討伐隊に参加すると言っているのではなく、討伐隊に参加したうえで護衛を募集しているんだ。その心情も察するべきだろう」
片方にだけ肩入れするのは良くない。
自分と同じ苦しみを味わった者にだけ共感するのは、あまりにも不公平であろう。
「大体お前達は辛い辛いと言っているが、安全な学校で適切な指導を受けながら、ただ試練を超えようとしているだけだ。失敗しても咎められるだけで殺されるわけでも罰を受けるわけでもない。そんな分際で、今も死地にいる狐太郎様を軽蔑するのか?」
「そうだな、ロバー。お前の言う通りだよ」
「ロバーはやっぱりすごいわね、模範的な生徒だわ」
「私の時と反応違い過ぎない? なんでロバーの言葉は受け入れてるの?」
自分もいいことを言ったつもりだったバブルは、同じ志を持っているはずのロバーだけが評価されていることに不満だった。
とても露骨に、嫌な気分だった。
「私のことを模範にしようよ!」
「学校に来てから一度しか褒められてない奴を?」
「最近になってからは増えてるし!」
指折り数えて、自分が褒められたことを思い出しているバブル。
(両手の指で数えられるほどしか褒められてないのか?!)
なお、婚約者は結構深刻に驚いている模様。
「とにかく、最初の話に戻るけど……私たちの邪魔をしないでね! いい加減な気持ちなら、やめてもらって結構だから!」
びしっと言い切るバブル。
おそらく彼女の人生で言われ続けた言葉であり、彼女自身が言うのは初めてのことだろう。
「……なあバブル。俺はその……お前を守るため、じゃなくて、武勲を挙げるために頑張るつもりなんだけど……お前そんなにドラゴンズランドに行きたいのか?」
「行きたい!」
「命がけだぞ?」
もしも子供のころにドラゴンズランドに行きたいと言えば、それこそ夢見がちな子供扱いだろう。
だが今この状況でそれを目標に掲げるのは、現実的だからこそ笑われる。
「そりゃあお前、ドラゴンズランドはあるんだろうさ。俺だってあの竜の群れを見れば、ドラゴンズランドの実在は疑わねえよ。竜王の近くにいれば、行く機会だってあるんだろうさ」
ロバーが賛同したほどである、狐太郎に近づくことでドラゴンズランドにたどり着くことは現実的なことだった。
可能性があるどころではなく、ほぼ確実なことだろう。
「でもなあ、命を賭けるほどか?」
「命かけるぐらいで行けるんなら、むしろお得だよ!」
「お得かなあ……」
キコリもマーメも、玉手箱や竜の群れには感動した。
もしもドラゴンズランドに行けるのなら、確かに行ってみたいだろう。
だがしかし、命がけで戦ってまで行きたいかというと、流石にその限りではない。
というか玉手箱だって、わざわざ苦労をしてまで見に行くことはない。
以前は修学旅行で見学できるから見に行ったのであって、何かの対価を払ってまでは行きたくなかった。
「だってさ、人生を賭けて探して追い求めたって、見つかるとは限らないって言うか、絶対にたどり着けないんだよ? 二年ぐらいがんばって、二年ぐらい命を賭けたら行けるなんて凄いコスパいいじゃん!」
自分の命をコスト扱いしているが、同じようなことを考える者はいるだろう。
少なくともすぐそばに、ロバーという同志もいた。
「俺もそう思うよ。侯爵家の生まれとしての名誉を守りつつ、国家の利益になることをして、大公様に気に入られたうえで、子供のころからの夢をかなえる。命を賭けるには、十分すぎる理由だ」
侯爵家に生まれ育ったからには、国家へ貢献しなければならない。
それは少なからず命を賭けることであって、どのみち避けては通れない。
であればどうせなら、好きに生きたかった。
そんな彼を見ていると、マーメもキコリも、何も言えなくなってしまう。
※
翌朝。
四人はやはり運動場で走っていた。
他の生徒たちが起きて朝食を食べる時間に、既に走り出している。
とはいえロバーはやはりペースが速く、バブルは大いに遅れていた。
その中間あたりにいるマーメとキコリは、汗を流しながら話していた。
「昨日いろいろ考えたんだけどもさ、俺はやっぱり頑張ることにしたよ」
キコリの言葉は、ただこの状況を続けることだけにとどまらない。
もっと前向きに、研鑽を重ねることを意味していた。
「なんでよ」
「……あの二人は、俺達が不合格になってもあの森に行くだろう」
キコリとマーメがどれだけ鍛えても、二人の無事を保証することはできない。
むしろ四人まとめて死ぬ可能性の方が高い。
国内でも屈指の危険地帯に、ただの学生が向かうのだから当たり前だ。
だがそれでも、助かる可能性はわずかに上がる。少なくとも、ただ無事を祈るよりは意味がある。
「俺は……バブルが好きだし、ロバーのことも友達だと思ってる。だから死んで欲しくないし、夢も叶えて欲しい」
ふと前を見れば、やはりロバーが走っている。
今までも努力をしていた、どんな未来があってもいいように鍛えていた模範的な生徒がいる。
ふと後ろを見れば、必死で走っているバブルがいる。
最後尾をのろのろと走っているのに、その顔には充実感だけがある。
目標に向かって、確実に近づいている喜びに浸っている。
「あの二人のために、俺も護衛になりたい」
「それ、注意されなかったかしら」
「面接では上手いこと言うさ。それこそ武勲が欲しいから、とでもな」
「……そうね」
二人は、輝いていた。まぶしいぐらいに、青春を謳歌していた。
教師たちが応援したくなる気持ちが分かる、若い輝きに満ちている。
「もちろん、護衛の仕事もきっちりやるさ。どのみち護衛に失敗したら俺たち全員殺されるだろうし、必死になって守らないといけない」
「まあね」
「お前はどうだ?」
「……悔しいけど、私も貴方と同じよ」
別にいいだろう、内心でどう思っていたとしても。
自分達四人はそろって死地に赴く、無力だと知った上で。
「ただ……このまま負けるのはやっぱり癪だし」
「それもそうだ」
相手を下に見るのは良くないことだが、相手に負けまいとするのはいいことだ。
どんな理由でもどんな動機でもいいから、何かをしろと教師も言っていた。
「ロバーには負けてもいいけど、バブルには負けられねえよな」
「まったくだわ!」
行動の理由なんて、笑ってしまうようなものでもいい。
とにかく何もせず、漫然と生きるよりはずっといい。
「はははは!」
「あははは!」
そして、深淵を見る者は深淵に見られている。
「……バカにされている気がする」
バブルもまた、笑い合う二人を見ていた。




