壁に耳あり障子に目あり
元々、ハンターとは死と隣り合わせの仕事である。
欠員があれば補充の必要は出てくるし、それを一々役場で精査するのも手間である。
だからこそ、前線基地に限らずハンターの小隊は、各隊の隊長に人事権がある。
これを強制する権利は、たとえ雇用主にもない。とはいえ、それは法的な話である。
強制する権利がなかったところで、雇用主には契約を継続するかどうか決める権利があるのだから、結果的に強い発言力を持つ。
強制的な発言権はないが、実質的には強制。それが実情だった。
つまりグレーゾーンである。
今回大公は、このグレーゾーンによって、新入隊員を減らそうとした。
実際には完全に遮断されたのだが、だからと言って文句は言えない。
なにせ本来の正規ルートは今まで通りである。
熱意と実力があるのなら、他の隊に入るのではなく自力で参加すればいい。
それが本来のやり方であり、それが通常なら文句は無理だろう。
結局裏道は裏口であり、封鎖しても問題はない。
正規は難しすぎる、裏口も封鎖。
であれば犯罪に走るしかない。
そう思った者も、少なからずいた。
※
初めて訪れた先で後ろ暗いことをするのであれば、やはり現地人の協力を得ることが肝心である。
特にこの前線基地では、それが重要だった。
狐太郎がカセイで暮らしていれば、面倒なことはしなくてもいい。
単純にカセイは広く、人の出入りが激しいからだ。
一日に何千人も出入りする、何万人も暮らしている街など、どれだけ頑張っても完全に把握することは難しい。
城の中へ入りこむならともかく、ただ街で潜伏する分にはとても簡単である。
だがこの前線基地には、ハンターとその関係者しかいない。
人間が少なすぎて、違う人間が入りこめば一発でわかってしまう。
誰かに気付かれればそのまま始末すればいい、ということもない。人が死ぬということは、いなくなるということ。
どれだけ精巧に隠ぺい工作をしても、それは死体が見つからないようにするということで、生きている人間の代わりを用意できるわけではない。
そして人が死ねば、それを口実に捜査が始まってしまう。
そうなれば、いよいよ詰みというものだ。
もちろん大公も最初から怪しんでいるだろうが、だからこそ強権を振るう機会を与えてはならないのだ。
とにかくまずは、協力者を募るところから。その対象は、既に決まっている。
言うまでもないことだが、この前線基地に閉じ込められている役場の職員たちである。
「……呼び出したのは、貴方ってことでいいのかしら」
「そう思ってくれて構わない」
とある貴人から狐太郎に関することを調べてくるよう言われた密偵は、討伐隊志望者に偽装して前線基地に入った。
そのあと役場に行って、役場の職員しか行かない場所にメモを置いてきたのである。
役場の職員は全員が受刑者なので、誰が拾ってもいいとは思っていた。そしてそれを拾ったのは、もうすぐ中年になるか、という女性である。
明らかに怪しい手紙を読んでその通りに役場を出てきた彼女は、警戒しつつも叫び声をあげようとはしていなかった。
「夜に役場の裏から出て、そのあたりの道をぐるぐる回れとは書いてあったけど……」
「当てもなくふらふらしているだけなら、途中で見つかっても言い訳は立つだろう? それよりもメモの方はもう処分してあるか?」
「ええ、水につければ溶けるってあったけど……本当だったわ」
「ならばいい」
なぜ一般職員ではなく、役場の職員なのか。
理由の一つは、単純に字が読めるからである。
証拠が残るというリスクはあるが、それでも手紙という手段はやり取りをする上で確実だ。
また、何かの弱みを手に入れても、見つけた本人が読めないのであれば、落語のように『重要そうな文書だと思ったらチラシだった』というオチが待ち受けかねない。
「先にこちらの用件を言おう。私の目的はAランクハンター、虎威狐太郎の身辺を調べることだ」
加えて、ある程度知識がないと『しんぺんってなんですか』ということから話さなければならなくなる。
それこそ落語ではないので、長々問答をするわけにはいかなかった。
「間違っても毒を飲ませろとか、事故に見せかけて殺せとか、そんな話ではない。むしろそれをしようとすれば、止める立場だと思ってくれ」
「……てっきりそういう話かと思ったわ」
「そんなわけがないだろう。それをして何になる」
殺人さえ自分で実行しかねない彼女の振る舞いをみて、密偵は第一段階のクリアを確信していた。
長々調べる時間がなかったので実質運まかせだったのだが、それでも犯罪への忌避感が薄い者が来てくれた。
今晩中に一人は協力者を確保しなければならないので、幸運に恵まれたというべきだろう。
或いは噂通りに、役場の職員全員がどうしようもない輩なのかもしれない。
「私の最終的な目標は、狐太郎と接点を作ることだ。もちろん弱みを握って脅せるのなら手っとり早いが、別に破滅させたいわけではない」
「……なんでよ。弱みを握ってむしり取ろうとは思わないの」
「……」
「なんで黙るのかしら」
「お前がなぜここに居るのかわかっただけだ。いいか、精神的な束縛とは絶対ではない。仮に弱みを握って脅すことに成功しても、要求が度を超えていれば『もうどうでもいい』と思って凶行に走りかねないのだぞ。その場合、先に死ぬのはお前だな」
「……それは」
「加えていえば、狐太郎を破滅させても私に得はない。むしろ大損だ。Aランクハンターの弱みを握れたのなら、むしろAランクハンターで居続けてくれた方がありがたい。破滅させれば、むしろ利用価値がなくなってしまう」
おそらくこの女性は、犯行を犯す時に『これぐらいなら大丈夫だろう』だとか『バレても謝ればいい』とか『前も上手くいったから今後も上手くいく』としか思っていなかったのだろう。
そうでなければ、短絡的に相手を絞り上げようとはしない。
金を産むガチョウなら、むしろ手厚く保護しなければならないのだ。
「あのボンボンに、そんな価値があるとは思えないけど……」
「無駄話はいいだろう。それよりも本題だ、協力するのかしないのか」
「……その前に、大事なことを忘れているでしょう。報酬よ、報酬。協力の見返りに、何をくれるの?」
この役場の職員は、下手をすれば囚人よりも待遇が悪い。
仕事の内容は通常の役場と大差がないにも関わらず、給料は一切支払われない。一切外出できないことも含めて、一般の職員よりも格下だった。
「まずは、お近づきのしるしだ」
「……砂糖菓子、どころか黒砂糖じゃない」
「いらないか?」
「これが報酬とか言わないわよね?」
「お近づき、と言っただろう」
黒砂糖、細かく割った砂糖の塊。
砂糖自体が高価とはいえ、あまりにも雑な『お菓子』を、彼女はすり取って口に突っ込んだ。
「大体報酬も何も、お前自身がよくわかっているだろう。国外への脱出、それ以外には報酬になりえん」
仮に、役場の職員へ金銭を渡したとする。
その職員が何か買おうとしても、前線基地ではよく知っている商人しかいない。なぜ役場の職員が現金をもっているのか、という話になってしまう。
最悪、横領を疑われるだろう。
かといってこの基地を出れば、それこそ犯罪者として手配される。
捕まれば、そのまま死刑執行だろう。あるいは逮捕されずに、その場で殺されるかもしれない。
であれば、この国の法が及ばないところまで逃げるしかないのだ。
「……国外への、脱出。夢のような話だけど、約束を守る保証はあるのかしら」
「国外への脱出に、保証も何もないと思うが……半金を渡すわけにもいくまい」
「それだけじゃないわ。何をどこまでやったら脱出させてくれるの? 殺しなら成功の基準もはっきりするけど、貴方の言い方じゃあ曖昧過ぎるわ」
「それもそうだ」
当然だが、密偵は報酬を支払うつもりなどない。
先ほど渡した黒砂糖の塊が、正真正銘最初で最後の報酬だった。
国外への脱出を餌にしたが、それをするだけのノウハウなど持ち合わせていない。
「だが証明する手段がない以上、私は他を当たるしかないな」
「だったら! だったら、私は貴方のことを他の人に教えるわ。いいえ、この場で大声を出せば、それだけで身の破滅でしょう?」
「で? それでお前に何になる? 侵入者が来たことを通報して、何か得るものがあるのか?」
もしも一般職員が密偵のことを通報すれば、それなりに得る物がある。
しかし役場の職員に、そんなものはない。誰もが一生かかっても返せない負債を抱えているので、それに当てられておしまいだ。
「そして私が、既に黒砂糖を報酬として渡したことを言えば……」
「わ、罠にはめたの?!」
「大声を出してもいいのか?」
どのみち、役場の職員にできることなどない。
約束を破った側が圧倒的に強ければ、破られた側は泣き寝入りである。
結局彼女は、それを受ける以外にないのだ。
もしかしたら、本当に、自分は国の外に脱出できるかもしれない。
その淡い希望を抱きながら、危険な橋を渡るのだ。
(そろそろか)
さて、今更ではあるが、当然ネゴロ十勇士はこの状況を把握していた。
なにせ役場の近くを監視していればいいのである、相手がプロの密偵でも見つからないようにするのはたやすい。
潜伏している彼は、短い筒に口を当て、息を吹きかけた。
とても小さく、高い音が、不規則に鳴った。
その直後、武装した白眉隊が鎧を鳴らしながら現れる。
「貴様、役場の職員だな? こんな夜に、何をしている!」
「役場の職員は夜間外出を禁じられている。にも拘わらず出るとは……到底許せるものではない!」
「そこのお前もだ! 何者であれ、業務時間外に役場の職員と会話をすることは禁じられている。であれば……お前にも来てもらうぞ!」
まだ何もしていないのに、突如として破滅的な状況になった。
二人はとっさに逃げようとするが、四方八方を包囲されては身動きが取れない。
「わ、私は、この男に利用されそうになって……私、怖かったんです!」
役場の職員は、なんとか取り繕おうとする。
ハンターからも嫌われている役場の職員たちだが、白眉隊だけは見捨てずにいてくれた。
だからこそ、助けてくれるはずと期待していた。
「ならん! お前は禁を犯したのだ! 罰は受けてもらう!」
「元よりこの役場の職員は執行猶予中。その間に過ちを犯したのだ……覚悟はできているな!」
勘違いしてはいけないのは、白眉隊は法律の味方であって役場の職員の味方ではないということ。
正直苛立たしく想っていた相手が、ようやく罪を犯してくれたのだ。これはもう、きっかり報いを受けてもらうしかない。
「え、ちょっと……なんでよ、離してよ!」
「……ここまでか」
密偵と職員は、そのまま連行されていく。
その末路まで見届ける気がないネゴロ十勇士は、再び監視体制に入った。
(相手が法を犯してくれるのであれば、なんの問題もない……こちらには大公閣下の権威がついている。つまり信頼できる戦力へ、捕縛を依頼できるということだ……!)
今までのネゴロ一族は、権力の届かないところで動いていた。
だからこそ、何もかもを自分でやらなければならなかった。そのうえで、法の目が届かないように、処理まできっちり考える必要があったのだ。
だが今のネゴロ一族は、そんなことを考える必要がない。
拘束することや処理することを考えず、ただ監視して違法行為があったことを知らせればいいだけだった。
後は荒事の専門家が、ずびしと終わらせてくれるのだ。
もちろんただ監視する、というのも重労働ではある。
だが他のことをしなくていい、考えなくていいのは楽だ。
短剣を相手の背中に押し付けて、脅して武装解除させる……などという危険を冒さずに済む。
(飼い犬とはすばらしいものだ。噛みつく必要はなく、吠えて危険を知らせるだけで扶持がもらえるのだからな!)
隠れ潜む闇の中で、ネゴロ十勇士は笑っていた。
世にも哀れな同業者が、何もできないままここを去っていく。
それを見ているだけで、優越感に浸ることができたのだ。
(しかも、もうしばらくすれば交代……寝れる! ありがたい、本当にありがたい……!)
一応は公務員となったネゴロ十勇士。
彼らは集中力などの問題もあって、夜間は三交代制を敷いていた。
十人もいれば、寝ずの番など必要ない。先は長いので、使い潰さないように配慮されていた。
(まったく……ケイだかランリだかには感謝だな。奴らが暴走したおかげで、こんないい仕事につけたのだから。まあ、口にすれば諍いを招くが……心の中では言ってもいいだろう)
彼は知らなかった。
まさか当のショウエン・マースーが、この前線基地に来れてよかったなどと思っていることを。




