12
なんの収穫もなく自分の家に戻った一行。
少しだけ温めた山羊の乳を飲みながら、自分たちの前途が暗くなったことを嘆いていた。
考えてみれば当たり前の話である。
まっとうに努力して、まっとうな仕事についていて、まっとうな収入のあるCやBランクのハンターがこんな危ないところにわざわざ来る必要がない。
ましてや、身元の怪しい魔物使いの護衛など、そうそう引き受けることはないはずだ。
(地道に努力している人を求めている一方で、俺達は地道に努力をしていないわけだからな……)
社会の仕組みを嘆く一方で、非があるのは自分たち側であると納得してしまう狐太郎。
そんな彼は、全く気が進まないままにシュバルツバルトへ突入していた。
お金を貯めなければ、ここから出ることもままならない。危険ではあるが、とにかく働くしかなかったわけで。
失意に沈んでいるのは、狐太郎だけではない。
基本的に同じ反応をすることがない四体も、そろって不機嫌な顔になっていた。
(こいつらのいいところは、ここで俺へ無意味な期待をしないところだな)
自分達のご主人様なら、異世界のモンスターでも仲間にできる、などという現実と乖離した思考をすることはない。
この世界にはこの世界の常識があり、同じようにモンスターを使う人がいたとしても、その方法は著しく違って当たり前と思っているのだ。
この森で出会ったモンスターたちが、仲間扱いされたくないようなものばかりというのも大きいのだろう。
「こういう時、小説とかだと都合よく仲間が加入するんだけどな~~」
そうぼやくのは、生まれた世界で娯楽に浸っていたらしいアカネだった。
確かに狐太郎も知る限りでは、困ったときには解決策が都合よく現れるものである。
仲間が必要な時には、都合よく自分に従う仲間が現れるものだ。そしてそれは、大抵の場合美少女である。
「こうやって異世界に来ること自体がお話みたいなものだけど、貴女の読んでいる小説だとどんな仲間が加入するの?」
打つべき手がないことで、時間が空いたのだろう。
対して興味もなさそうに、時間つぶし程度の気持ちでクツロはアカネへ尋ねていた。
「魔法で封印されていた吸血鬼とかサキュバスとか」
「……なんでよ」
吸血鬼やサキュバスという、それなりに有名なモンスターの名前を聞いて、ササゲは嫌そうな顔をした。
「だってほら、絶滅しているし。今生きているモンスターを出せばクレームが入ったりするけど、とっくの昔に絶滅しているモンスターなら、何をしてもいいからじゃない?」
(そういやそうだったな)
吸血鬼やサキュバスは、とても有名なモンスターである。しかし第一作であるモンスターパラダイスには登場していない。
存在していなかったのではなく、既に絶滅している種族だからということで、第二作以降は絶滅種を復活させるという方式で登場していた。
「昔は表現も緩かったんだけど、最近は人間の団体がうるさいんだって。ただの絵とか文なのにねえ」
「そういう話はよく聞いたわね。でもまあ、ありがたい気持ちもあるわ。私も歴史の教科書に出てくるような、古い鬼の絵には微妙な気持ちだったもの」
「そうだよね、昔の漫画とかでも変な鱗がある竜とかいるし」
(面倒くさい話だな……)
アカネとクツロの会話を聞いて、狐太郎はモンスターパラダイスの世界で創作している人たちに同情した。
竜や鬼が実在していないのなら骨格やらなんやらを一切気にせずに描いてもいいが、竜や鬼が実在している世界では実物に忠実でなければならないのだ。
それならいっそ、遠い昔にいた絶滅種を出したくなるだろう。今は生きていないのだから、実物との違いも指摘しにくいし、本人が文句を言ってくる可能性もほぼない。
「そういえばさ、なんで絶滅したんだっけ?」
「当時の人間が絶滅させたのだ、常識だろう」
アカネの疑問に、コゴエが呆れながら答えた。
「いや、それは知ってるんだけどさ。人間が絶滅させた理由を忘れちゃって」
「人間に歯向かったからだろう。人間を捕食するモンスターは、特に人間への抵抗が激しかったからな」
「ああ、人間を食べるモンスターだったからか~~、思い出した」
他人事のように、人間がモンスターを滅ぼしたことを語るモンスター。
当人たちはまったく気にしていないが、客観視するとかなりおかしい気もする。
(完全に他人事だもんなあ)
だがしかし、納得もできる。
狐太郎自身、人間同士で殺し合った歴史を良く知っている。別の国同士で殺し合っただけなら、加害者に対して憎悪を抱くようなことはなかった。
ましてや彼女たちは別の種族なのだ。大昔に人間が滅ぼしていたとしても、何か思うことはないのだろう。
(それに人間を食べるモンスターが相手なら、絶滅させるのをやりすぎとは思えないしなあ)
アニメや漫画では、吸血鬼やサキュバスと友人や仲間になることもある。
しかし生態から言えば、相手は捕食者なのだ。人間を襲わなければ生きられない怪物なら、生かしておくわけにはいかないだろう。
「私たちが倒した魔王が、勇者に封印された後の話ね。竜や悪魔は真っ先に人間への服従を誓ったけど、半端に頭が良くて融通が利かなかった連中は根絶やしにされたわ」
どこか懐かしそうに、ササゲが歴史を語り始めた。
「魔王が封印された時代の人間はとんでもなく強かったもの、勝ち目がないと踏んで服従を誓った種族は多いわ。平和な時代が長く続いたせいでご主人様みたいに弱い人ばっかりになったけどね」
(この体が弱いのは、そういう理由だったな……確か、第三作では先祖返りした人間たちが敵だったような気が……)
魔王を封印した人間たちは、魔王の下僕だったモンスターたちに服従か死を突きつけた。
目の前の四体は、服従を誓った側の子孫と言うことである。
「馬鹿だよね~~。人間が強いんなら、人間以外を食べればいいのに。私だってこの世界では不味いのを我慢して食べてるけど、死ぬよりはましだよ」
「そういうことは言わないほうがいいわよ、アカネ。人間を食べないぐらいならまだしも、人間に服従を誓いたくなかったんでしょう。貴女だって牛や豚に服従を誓いたくないでしょう?」
「そ、そうだね……」
アカネの言葉も正論に聞こえるが、それを否定するクツロの言葉は更に正論であろう。
確かに人間を食べないことは我慢できても、人間に服従を誓うことは我慢できない。
クツロのたとえ話通り、人間でいえば牛や豚に服従するようなもんである。
「人間側も、人間を捕食するモンスターに対しては過激だったと聞く。無理もない話だが、仮に服従を誓っていてもそのうち絶滅させていただろう」
コゴエが断じたように、必然の結末であろう。
どちらが正しいかではなく、どちらが強いかの問題だった。
「ねえクツロ、鬼はどうだったの? 直ぐに人間に服従を誓った?」
「当時の鬼はかなり下等だったらしいわ。統一政権どころか国家もなく、村単位で生活していたそうよ。魔王に忠誠を誓っていた集落もあったらしいけど、最初から人間に服従していた集落もあったとか」
「そんなもんか~~」
「家畜に近い扱いだったそうだけど、奴隷よりはいい扱いだったらしいわ。なにせ人間の奴隷が世話をしていたぐらいだし」
「それはなんかひどい話だね」
クツロとアカネが酷い話をしているが、数千年前の話なので子孫にまったく悲壮感がない。
少なくとも狐太郎は、鬼の世話をさせられていた奴隷に対して気の毒としか思えなかった。
(人間が支配する人間の国でも、底辺層はいるって話だな……この前線基地もそうなわけだし。逆に言えば、この四体は人間が支配する世界でも面白おかしく、文化的に満たされた生活ができていたわけで)
考えてみれば、数千年前どころか数百年前だったとしても、十分異世界のようなものである。
世界史や生物史という教養があれば、異世界に転移してもそれなりには適応できるのかもしれない。
少なくとも、文化の違いがあるということには耐えられていた。
「人間の奴隷か……この世界にもいるのかな?」
「そりゃいるでしょう、いないほうがおかしいじゃない」
(酷い話だな、おい)
被支配種族が人間社会における奴隷の必然性を語るというのは、一種滑稽めいたものがある。
しかし狐太郎自身、奴隷がいるだろうとは思っていた。奴隷制度が否定されていても、似たような呼び名をされているか、あるいは同じ扱いを受けている人間はいるはずである。
(社畜だって奴隷みたいなもんだったしな……そりゃあこの世界にもいるか)
今の自分たちには関係のない話題と言うことで、奴隷への考察はいったん打ち切られた。
「そろそろ、建設的な話をするべきでは」
コゴエがそう切り出す。
「ご主人様。私が提案した件は、情報収集の結果否定されました。申し訳ありません」
「別に損をしたわけじゃないし、もっともな意見だったから、怒ってないよ。それに遅かれ早かれ、確認することだったと思うし」
全員が、改めてため息をつく。結局、何の問題も解決していない。
むしろ、解決するのが難しいという事実に至っただけだった。
(どうすっかな……)
結局のところ、この前線基地でモンスターを討伐していって、お金を稼ぐという方針に至ってしまった。
現在の戦力で戦闘を継続するのはとても不安定だが、他の手段はなさそうである。
「ご主人様……私は思いなおしました。他人の努力に期待する、その心根が既に負けていたのです」
決断した表情で、クツロが立ち上がる。
立ち上がったクツロはやはり大きいので、とんでもない迫力があった。
「まず私たち自身が、この状況を打破するために動きましょう! この森でさらに強くなり、経験を積み、私たちだけでご主人様をお守りしてみせます!」
現在の戦力に不安があるのなら、強くなれば全部解決する。
ある意味当然すぎる結論に、アカネも賛同していた。
「そっか……そうだよね、まず私たちでご主人様を守らないと!」
「その通りよ、魔王にさえ勝った私たちですもの、やってやれないことはないわ!」
なお、それを聞いている狐太郎は、不安そうな顔をしていた。
(物凄い不安だ……)
将棋やチェスのようなボードゲームに限らず、特定の弱いユニットを守りながら戦うゲームというのは存在する。その中でもアクションゲームに分類されるものは、大抵の場合難易度が高い。
大抵のプレイヤーでは、特別なユニットを守ることよりも、目の前にいる敵を倒すことを優先してしまいがちだからだ。
ゲームによっては敗北条件となる特別なユニットに耐久値が設定されていて、最速で敵を倒していればなんとか間に合うということもあるが、それはゲームの話である。
現実で自分が死にかけることを、戦術に組み込みたくない。しかもこれは魔王を倒す作戦でもなんでもなく、日常の業務でしかない。自分の日銭を稼ぐために、日常的に死にかけるなど冗談ではない。
矛盾した話だが、死にかけるぐらいなら死んだほうがましである。
(この仕事自体が命がけで、だから給料がいいんだろうけども……リアルに生き死にがかかっている仕事で、憶えゲーは無理過ぎる……)
これを否定しないのは、狐太郎自身他の案が出せないからである。
はした金で信頼できない護衛を雇う気にはなれないし、新しいモンスターを配下に加えることもできない。
であれば、現在の戦力で何とかするしかない。そういう意味では、クツロの意見は全面的に正しい。
「あらあら。ご主人様ったら、面白い顔色になっているわね」
「からかうな、ササゲ。ご主人様の沈黙は、あまりにも雄弁だろう」
狐太郎の心中を察したササゲとコゴエは、それぞれの反応をしながらも、アカネとクツロへの無駄な忠言はしなかった。
やる気を出しているモンスターへ、水を差すのは控えたのである。
※
こうして一行は、精神的には前向きになりつつ、しかし無策で森につっこむのであった。
(本当にただのゲームになってきた……)
今までも何度かこの森に入ってきたわけだが、それでも将来というものを意識したことはあんまりなかった。
脳内の選択肢として、この森ではなく別の場所へ行くというものがあったからだ。
何かのイベント程度であって、継続して森へ突入する日々が来るとは思っていなかった。
しかし今は違う、明確に日常の業務となってしまったのである。
もちろんこうした思考自体がヂャンの言っていた『嫌々ここに居る』という侮辱的なものなのだが、事実そうなのだから仕方ない。
そもそも、他人に嫌われていることを気にしている場合ではない。損得どころか、自分の命を心配しなければならない。
「ふっふっふ……どこからでても、鬼の拳で叩き潰してやるわ!」
「ドラゴンブレスで焼き殺してやる~~!」
(どちらかと言うと、索敵を頑張ってほしい)
明日も明後日も、この森に入らなければならない。
新しい護衛を雇うにしても、とにかくカネを貯めるとしても、Aランクのハンターを目指すとしても、長くこの森に入り続けなければならないのだ。
物凄く嫌な話である。何事もそうだが、危険な行為とは回数を重ねるほどに破綻する確率が上がるのだ。
(なんで練習もしないでいきなり本番なんだよ……! 本当にこいつらは、俺を守りたいと思っているのか? やっぱり熟練の護衛を雇いたかった……!)
ある意味ではアクションRPGらしい話、あるいは戦略ゲームらしい話だった。
深刻な課題を楽にする手段を得るには、深刻な課題を何度も乗り越える必要があるというわけである。
超強いドラゴンを十頭ぐらい殺せれば、ドラゴンを簡単に殺せる剣が手に入るようなものだ。もちろん、ちっとも愉快な話ではない。
非常に今更だが、この世界におけるハンターのランクについて共感を示すことができていた。
当初は『Bランクのモンスターを倒せるのならBランクのハンターでいいじゃないか』と思っていたが、現にBランクのモンスターを楽に倒せるモンスターに守られていてもまったく安心感がない。
この際Cランクでもいいので、長年の経験と実績のあるベテランに守ってほしかった。強いからいい、倒せるからいい、というのは雇われる側の都合である。
(生殺与奪を他人にゆだねるって、物凄くストレスがたまるな……今更だけど)
何もできずにおびえながら同行するという意味では、狐太郎は護衛を依頼する側と同じである。
ゲームと違って彼女たちになんの指示もできないし、怯えながら彼女たちの戦いを見守ることしかできないのである。
この死地に赴いて、何かをしなければ死ぬというのは恐ろしいことだ。しかし、死地に赴いておいて何もできないというのは別種の怖さがある。
うかつに何かしても死ぬし、おとなしく何もしなくても死ぬ。何もかもすべて四体にゆだねて、生存も死亡も受け入れるしかない。
護衛されるとは、こういうことなのだと理解するしかなかった。
「……心中お察しいたします。気丈な振る舞い、お見事です」
「無様じゃないってのは大事よね、無駄に無意味なことをされたら嫌になっちゃうもの」
コゴエとササゲが励ましてくる。
実際のところ、ここが不安全かどうかというだけで、これからの人生においてこれが継続するということは決まっている。
クツロとアカネがやる気を出しているのなら、文句をつけるのはデメリットしかない。
(そう……俺が不安を口に出しても、何もいいことはないんだ)
脇を固めているコゴエとササゲの察しているように、狐太郎は意識して沈黙を貫いていた。
何もできないのなら、何も言わないほうがいい。当たり前すぎることだった。
「さあ、どこからでもかかってきなさい! 殴り殺してやるわ!」
「焼き殺してやる~~!」
(俺のために頑張っている二人に、水を差すことなんでできない……まあ俺のためになってないんだけども)
シャドーボクシングらしきことをしているクツロとアカネにたいして、苦言を呈することなどできるだろうか。無償で奉仕してくれる、自分よりもはるかに強い魔物。そんな彼女たちへ、何かをいう度胸などなかった。
(どうせ後悔するんだろうなあ)
およそこの世のあらゆることは『どうしてこんなことになったんだ』なんてことにはならない。
主観的、あるいは客観的には『こうなるだろうと思った』になる。
やる前から危ないと分かっていても、もろもろの事情で回避できない事柄は多いのだ。
もちろん、狐太郎にとっては今がその時である。むしろ、これから数年間はその時であり続ける。
(俺も危機感が足りないな、もっと強気に断れればいいのになあ……)
そんなことを考えている狐太郎の背後、と言うよりは背中に何がくっついた。
そしてそれに気づいて悲鳴を上げるよりも早く、狐太郎の体が一気に浮上する。
(……は?)
一言で言えば、逆バンジーである。
もしもこの世界に逆バンジーがなかったとしても、こう言えば伝わるだろう。
釣られたと。
「ご、ご主人様がいないわ!」
足元の方で、クツロが慌てている。
その声を聴いて、ようやく狐太郎は大声を出せた。
「た、たすけてくれえええええええ!」
背中にカメレオンの舌的な何かが張り付き、狐太郎を樹上へ引き上げている。
真上を見れば誰が自分にこんなことをしているのかわかるかもしれないが、そんなことをする勇気も必要もない。
このままだと、確実に食い殺される。
「助けてくれええ!」
絶叫したことにより、樹の上から釣り上げられている狐太郎に四体は気づいた。
「ああ! ご、ご主人様がスライムに食われそう!」
「いらんことを言うな!」
狐太郎を見上げたアカネは、彼を捕食しようとしている魔物を見つけた。
そしてそれはカメレオンのような高等動物ではなく、もっと原始的な『なにか』だった。
「ひいいい!」
正体を聞かされた狐太郎は、思わず上を見てしまう。
そこにいたのは、巨大な単細胞生物だった。
この場の誰も知ることはないが、その魔物の名前はツリーアメーバ。
非常に巨大なスライムの一種であり、主に樹上に生息する。
獲物が下を通りすぎると体の一部を下に垂らして捕まえ、そのまま木の上の本体に運んで食べるというモンスターである。
言うまでもないが、人間も食べる。成長によってより大きくなり、それによってランクが変動する。
そして狐太郎を捕まえているツリーアメーバは、Bランクという最大級の個体だった。
「ひぎゃああああ!」
「ご主人様!」
みっともない狐太郎がゆっくりと本体に近づいていく姿を見て、四体全員が大いに慌てた。
コゴエでさえ絶叫し、攫われつつある狐太郎を助けようとするが……。
「な、なんだ?! 囲まれているぞ!」
周囲には、いつの間にか小型のスライムが展開していた。
小型のスライムと言ってもバスケットボールほどの大きさであり、それが木の幹へ大量に付着していた。
そして木々の間をバウンドしながら、四体へ襲い掛かったのである。
「う、くう! うっとうしい! この程度のスライム、なんてことはないけど……ご主人様を助けないと!」
小型のスライムは、まさに剛速球となってぶつかってくる。
大量に殺到してくるそれを食らっても、四体はまるで効いていなかった。
「どうやら私たちを弱らせてから食うつもりみたいね……この下等生物が!」
ササゲが蔑んだツリーアメーバは、分裂によって繁殖する。大型個体から分裂した幼体は、成体と違って跳ね回る弾力を持つ。
集団で襲い掛かり、ぶつかり弱らせてから捕食するという生態だった。
皮肉な話だが、その場に狐太郎がいたら重傷を負っていたかもしれない。
だが流れとして当然なことに、狐太郎は既に捕食される流れだった。
「まとめて倒す! 三体とも、私からいったん離れろ!」
らしくもなく、コゴエが絶叫した。
それを聞いて、迷わず三体はコゴエから距離をとる。
「シュゾク技……」
孤立したコゴエに対して、ツリースライムの幼体が集中する。
しかし彼女は、そんなものを見ていない。
今にも成体に呑み込まれそうになっている、狐太郎だけを見ていた。
「吹雪花!」
彼女の足元に、巨大な氷の華が咲く。
極めて透明度の高い氷が形成する、蓮の花にも似た繊細な細工。
当然ながら、氷細工を出すだけの芸ではない。
氷の華の中心から、超低温の空気が竜巻のように放出される。
比較的温暖だった周辺の温度を、急速に低下させていった。
「みて、スライムが割れてくよ!」
アカネが指摘しているように、周囲を跳ね回っていたツリーアメーバはどんどん動かなくなっていく。
周囲の気温が急激に下がったことで、柔軟な弾力が失われ脆くなり、木や地面にぶつかればそのまま破れて中身を露出させてしまう。
「この手のスライムは、打撃には強い分、炎や氷には弱いわ。とはいえ……」
大量の幼体だが、小さい分温度の変化には弱かった。
コゴエの凍気によってそのほとんどが死んでいくが、樹上の成体は巨大な分健在だった。
吹雪花からあふれる氷点下の竜巻は、樹上の成体には直撃している。
だがそれでも、狐太郎をゆっくりと飲み込むことをやめようとしなかった。
「下等でもあの巨体……一応はBランクってところかしらね……! コゴエ、もっと温度を下げなさい!」
「ササゲ、お前に言われるまでもない!」
如何に大輪とはいえ、華が一つでは追いつかない。
ならば大量に華を咲かせればいいだけのことである。
「シュゾク技、一面吹雪花畑!」
地面を覆いつくさんばかりに、大量の吹雪花が咲き乱れる。
そのすべてから低温の竜巻が吹き荒れ、下がっていく温度に拍車をかけていった。
「う、うぎゃ、も、もうなんか駄目だ~~!」
ついに成体の中へ呑み込まれ始めた狐太郎を、ツリーアメーバの体液が溶かし始める。
「こ、こんな森、来るんじゃなかった~~!」
人は追い詰められると本性が出るという。
彼は素のままに後悔を叫んでいた。
「うぐっ、うぐっ、俺、スライム的なモンスターに食い殺されるなんて……」
しかしその体液が狐太郎の体を溶かすことはなかった。
大量に噴き上げてくる竜巻によって、巨大なツリーアメーバの体が動きを鈍らせていく。
それどころか、酸性の体液による溶解さえ止まりつつあった。
「あ、あれ?」
非常に粘度の高かったツリーアメーバの体内が、柔軟性をなくしていった。
先ほどまでは何をどうやっても脱出できないと思っていたその体が、狐太郎の体重を支えることができなくなっていく。
「……ま、待て、ちょっと待て!」
今更だが、狐太郎は高い木に吊るされている状態である。
落ち方が悪ければ、そのまま死ぬ高さである。上手に落ちたとしても、足の骨が無事で済むとは思えない。
「ああああああ~~!」
どれだけ頼んだところで、ツリースライムの崩壊を止めることなどできるわけもない。
キャッチアンドリリースしたがっているわけではあるまいし、狐太郎は力なく落ちるしかなかった。
「ご主人様!」
無様にも自由落下する狐太郎を、空中でクツロがキャッチする。
お姫様だっこの状態だったが、抱えられ方を気にしている場合ではない。
「く、クツロ?」
「はい、クツロです! 申し訳ありませんでした……!」
大鬼であるクツロが成人男性である狐太郎をお姫様だっこすれば、さながら子供を大人が抱えている状態になる。
物凄く力強い腕に抱えられて、狐太郎は安堵した。
「ああ、助かっ……」
「着地します、舌をかまないでくださいね!」
クツロは空を飛べるわけではないので、ジャンプすれば落ちるだけ。
大きく長い脚をやわらかく使って、できるだけ衝撃を殺しながら着地する。
「げふっ!」
それでも、落下の衝撃が完全に消えるわけがない。
絶叫マシンというよりは、柔道で投げられて受け身を取り損ねたような、背中から全身へ伝わる衝撃。
(お、思ったよりもきつい! 思った以上に、ぜんぜんきつい!)
空中でキャッチしてもらえたのでノーダメージだと思っていたが、思いのほか辛かった。
クツロ本人は余裕そうだが、狐太郎はしばらく息ができなくなっていた。
「ご、ご主人様?! だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないでしょう、まったく……私が飛び出そうとしたのを、クツロが止めちゃうのが悪いのよ?」
自力で浮けるササゲが、クツロから狐太郎を奪い取る。
そのままゆっくりと回復技を使って、狐太郎のダメージを癒していった。
「もう立てるかしら?」
「はぁっ……はあっ……ああ、なんとか」
ササゲの体を楽しむどころではなかった。
そんな余裕があるわけもなく、狐太郎はなんとか自分の足で地面に立つ。
死にかけたばかりということもあって、生まれたての小鹿のようになっていた。
「ご、ごめんなさい! ご主人様を危ない目にあわせちゃって……」
慌てた様子のアカネが駆けてくる。
狐太郎が無事だったことに安堵しつつも、申し訳なさそうに頭を下げた。
「わ、私が、私たちが守るって約束したのに……死んじゃうところでした……! ごめんなさい!」
(まったくだよ……)
かろうじて命を拾ったが、物凄い勢いで死ぬところだった。
おそらく、あと少し遅れればそのまま死んでいたものと思われる。
(生きたまま食われるところだったんだけど……)
口を開けば文句しか出てきそうにないので、狐太郎はアカネに取り合うことができなかった。
「アカネだけじゃありません、私もご主人様を守れませんでした……お許しください」
合わせてクツロも謝ってくるが、それでもまるで許せる気がしなかった。
「……今日はもう帰ろう」
かろうじて、帰宅を促すのがやっとだった。
アカネやクツロはそれを止めることができず、同じように守り切れなかったコゴエとササゲも従う。
一行は無言で帰路につこうとして……。
「ん?」
狐太郎の足が、地面にめり込んだ。
「なん」
なんだろう、と思うよりも早く、狐太郎は地面の下へ引きずりこまれていた。
「あああああああ!」
「ご主人様⁈」
一種の様式美さえ感じさせる流れで、狐太郎は四体の前から再び姿を消したのだった。
「ひぃいいいい!」
足首に何かが巻き付いている。
先ほどは粘着性の何かがへばりついているようだったが、今は紐のようなもので拘束されていた。
光のない地中なので何も見えないのだが、それでも狭い穴を通ったというよりは、大きな空洞に引きずりこまれたようだった。
「ぎゃああああああ!」
そのまま、強く引っ張られている。
抵抗することもできないまま、何かの『口』に運び込まれている。
間違いなく、食われる。
「シュゾク技……鬼気壊々!」
光明が差し込んだ、どころではない。
クツロの鉄拳が地盤をぶち抜いて、闇の世界を光で照らしていた。
「うんぎゃあああ!」
それによって、狐太郎を捕食しようとしている生物があらわになった。
食肉植物、アンダーバンブー。
茶色の竹、と言えば伝わるだろうか。大小様々、太さも異なる竹が、風もないのにざわざわと揺れている。
そして恐ろしいことに、その竹たちは動物の死骸を貫いていたのだ。
大量の骨格の中には、人間らしきものさえある。
「ご主人様、もう大丈夫です!」
日光が入ってきたことで、狐太郎を引く力が一瞬緩んだ。
その隙を突いて、クツロが飛び込み狐太郎の足に絡みついていた竹の枝を引きちぎって穴の外へ離脱する。
「シュゾク技……ヘルファイア!」
それを確認してから、アカネの口から炎が吐き出される。
竹は植物であり、炎に弱い。もちろんよほど乾燥していないかぎりは、そう簡単に燃えるようなものではないが、彼女の炎は相当な強火である。
「へ、ヘルファイアか……」
痛いほど強くクツロに抱きしめられている狐太郎は、穴の中で燃え盛っているアンダーバンブーを見た。
断末魔の叫びにも似て、竹が燃えて内部の空気が破裂する音も聞こえてくる。
(ヘルファイアは相手を炎上させるシュゾク技……継続的に焼き続ける技……えぐいな)
いともあっさり倒せてよかったのだろう、穴の中で広がっていた『竹林』は自らが燃えることで全貌を見せていたが、それはもう林と言える規模だった。
もしも普通に戦うことになっていれば、苦戦は間違いなかった。
「さすがアカネだ……凄い火力だな」
「えへへへ……」
「喜んでいる場合じゃないでしょ!」
狐太郎の感嘆を褒められたと受け取ったアカネは喜んでいるが、クツロはそれを怒鳴りつける。
「あやうくご主人様を攫われてしまうところだったのよ!」
「そ、そうだった……うう……ごめんなさい」
この短時間で二回も死にかけて二回とも助かるとは、尋常の天運とは思えなかった。
呼吸が粗く、動悸も激しい。その一方で、表情は驚き一色だった。
何もかもが夢のようで、現実味がなかった。果たして自分は、本当に生きているのだろうかとさえ思ってしまう。
「な、なあクツロ。もうこのまま抱えて帰ってくれないか?」
「そうですね……私が、しっかりとお守りします!」
もう固いことを言っている場合ではなかった。
とにかく身の安全を第一に考えなければならない。
たとえ見た目が悪くとも、もうこのまま守ってもらうつもりだった。
(もういい、今日は帰ろう……)
そう思っていたとき、狐太郎は宙に浮いていた。
「ん?」
そして、クツロは自分の抱きしめていた狐太郎がいなくなっていたことに気付いた。
「あら?」
何が起こったのかもわからず周囲を見ると……。
「うぎゃあああああ!」
大型の猿たちに、捕まっていた。
Cランクのモンスター、鼠色小猿。
集団生活を行う彼らは、主に他のモンスターのおこぼれを盗んでいる。
しかし弱い獲物がいればその限りではなく、捕まえて誰も知らない住処でゆっくりと食べるのだという。
「ひぃいいいい!」
周りには猿、猿、猿。
しかも自分を餌だと思っていて、よだれを滴らせている猿だった。
荒っぽく拘束しながら跳びはねている彼らは、狐太郎を安全に運ぶ気はなかった。
子供に掴まれて放り投げられている小動物のようで、うかつに暴れることもできなかった。
「まずい、速いぞ!」
その集団の背中を見つけたコゴエが、自分の技の射程外にでたことを把握してしまう。
平地ならともかく森の中では、明らかにグレイモンキーの方が速い。
このままでは見失い、そのまま狐太郎は食べられてしまうだろう。
「仕方ないわね……シュゾク技、笛を吹く悪魔!」
横笛が宙に現れ、それをササゲが吹き鳴らす。
すると逃げていたはずのグレイモンキーたちは唐突に足を止め、それどころか反転してアカネたちの方へ走り出した。
「う、うぅおう?!」
グレイモンキーたちに放り捨てられた狐太郎は、それでも何とか起き上がる。
そして聞こえた曲から、使われた技を察していた。
「今のは笛を吹く悪魔……周囲のモンスターを呼び寄せる、RPGだとよくある技だけど……それを逃走防止に使用したのか」
周囲のモンスターを呼び寄せる技を使って、既に逃走した相手を呼び寄せる。
ちょっとした応用でありとっさの機転なのだろうが、それが何を意味するのか分からない狐太郎ではない。
すぐに血相を変えて、悲鳴を上げた。
「ひ、ひぃいいい!」
周囲から物凄い音が接近してきた。
狐太郎は慌てて近くの木に身を隠すと、そのまま頭を抱えて縮こまる。
そのすぐ後に、彼のすぐそばを大量のモンスターが通り過ぎていく。
周囲のモンスターを呼び寄せる技が、逃げているモンスターだけを呼ぶわけがない。
状況は先ほどよりも大幅に悪くなっていた。
「ご主人様、ご無事ですか」
そのうずくまっている狐太郎の前に、コゴエが静かに膝をついていた。
「ご安心ください、もう大丈夫です。引き寄せた敵は、ササゲが『誘惑する悪魔』で釘づけにしておりますので」
「そ、そうか……」
「アカネとクツロは敵を倒しております、今のうちに私と共に森を出ましょう」
「だ、大丈夫なのか、三体は……」
コゴエと一緒に森を出る、というのは三体を見捨てるということである。
ここですんなり見捨てられるほど、狐太郎は強くなかった。
「ご安心を、必ず合流いたしますので……さあ」
「ああ……」
後ろ髪を引かれるが、コゴエの言葉に従った。
あまりにも状況が悪化しているので、逆らうという発想がなかったのである。
それでも、心にとげが刺さっていた。
自分がやっていることが、お世辞にも恰好がいいとは言えなかったからだろう。
(みんな、無事に帰って来いよ……)
※
その日の夕方、門の前には大量の戦利品を抱えた三体がいた。
「無駄に多かったけど、即死が通るなら私の敵じゃないわよねえ」
「基本的に動物と植物だもんね、私も頑張って燃やしたよ!」
「私はあんまり役に立てなかったわ……残念。結局荷物持ちしかできなかった……」
物凄く大量の戦果は紐で雑にまとめられて、ずるずると引きずられていた。
もちろんクツロ自身も抱えていたが、それが問題にならないほど大量の戦果がまとめられていたのだ。
巨大な魔物を丸ごと引きずっているのではない、その一部だけを切り取って持ち帰ってきただけなのだ。
それでもなお、ありえないほど膨大な量だったのだけれども。
「……おかえり、みんなが無事でよかったよ」
燃え尽きそうなぐらいの徒労感と共に、狐太郎はかろうじて帰ってきた三体を迎えることができたのだった。