藪蛇
当然ではあるが、シュバルツバルトのモンスターが暴れるのは年中無休で不定期である。
侯爵家の学生がカセイへ来たことなど一切気にも留めずに、相手が人間であるかどうかも調べず、空腹のままに食らい続ける。
ある意味でとても純粋な生命であり、だからこそ凶悪だった。
なにせ食事である、交渉が通じる可能性はまったくない。
現在の前線基地は、とても戦力が整っている。
だがそれでも、容易ならざる相手というものはある。
それがAランクの上位モンスター。
他のAランクモンスターさえ餌として貪る、シュバルツバルトの食物連鎖の頂点たちである。
※
狐太郎の護衛、斥候として雇われたネゴロ十勇士。
狐太郎が森に入るときは、当然斥候として共に入る。
では狐太郎が森に入っていないときは、どうしているのか。
半数は狐太郎の傍に控えて、もう半数は森の中に入るのである。
(狐太郎様のおっしゃる通りで……我らが怪我をすれば、その分狐太郎様の生還率は下がる。我らがこの森になじみ、モンスターの習性を理解して、怪我を少しでも減らせれば、その分成功率も上がる)
(これも修行……まずは我等だけで突入し、隠れる。元Dランクの老兵でもできることだ、我等にできぬはずはない)
とても今更ではあるが、蛍雪隊の隊員は引退したDランクハンターたちである。
もちろん身を隠す属性を宿しているのだが、それでも機敏俊敏に動けるわけではない。
ただ隠れて潜みやり過ごすだけなら、この森でも生き残ることはできる。
もちろん狐太郎たちへ危機を知らせる関係上、ずっと隠れるというのは難しい。
だがまず隠れることに徹して、森の状況を調べれば、自ずと普段の護衛も楽になるというものだ。
十勇士の内半数は、臆することなく森の奥へ進む。
どのモンスターを倒すというノルマもなく、ただ行って帰ってくるだけの簡単な仕事。
その、はずだった。
「待て!」
潜入中であるにもかかわらず、先行していた勇士の一人が叫んだ。
通常なら常人では聞き分けにくい笛の音を使うのだが、ここには人間の敵などいないので普通に叫んでいる。
「どうした?」
「おかしい、森が静かすぎる。それに……森の奥が明るい」
この森における一つの基準として、森を構成する太い木をへし折れるかどうか、というものがある。
もしも出会ったことのないモンスターに遭遇したのなら、そのモンスターが木を折れるかどうかをみるのだ。
もしも木が折れているのなら、それはAランクモンスターである。
魔境という土地の性質上、少々奥へ進んだところで縦断などできるわけはない。
であれば森の奥が明るいということは、森の木を大量にへし折ったモンスターがいるということだった。
「……確認するか?」
本来であれば、脅威を察知したにもかかわらず、わざわざ確認せず逃げるなどありえないことである。
だがここは森の奥であり、なおかつ護衛対象が近くにいるというわけでもない。わざわざ危険を冒す意味は薄い。
「必要あるまい、他の隊が近くにいたとしても我らがどうにかする義務はないし、その力もない」
「そうだな、引き返そう。欠員の危機があるのなら、さっさと逃げるべきだ」
「……む!」
五人の内一人が、ある異常に気付いた。
目が、ひりつくように痛んだのである。
「毒だ! 退くぞ!」
五人は迷わずに、基地への帰還を急いだ。
周囲が静かな理由が、一瞬で理解できたのである。
「むう……息がしにくい。これ以上濃度が上がるとまずいな……」
狐太郎の着ている服ほどではないが、十勇士に支給されている服もまたサバイバル性能が高い。
Aランクモンスターの攻撃に耐えるような防具ではないが、毒そのものはマスクなどによって防げる。
解毒剤の類も携帯しており、多少視野は狭くなるが防毒用の眼鏡も所持している。
マスクで防毒をしているということは、毒の濃度が高まると呼吸がしにくいということでもある。
逆にそれによって、毒の濃度をある程度推定することも可能だった。
「……お前達、気づいているか? 背後を見てみろ」
「むぅ……なんたることか」
「わざわざ私たちを追っているわけではないだろうが……森の明かりが近づいている」
音もなく姿もなく、森の木々を消しながら進む謎のAランクモンスター。
その進行方向は、皮肉にも彼らと同じである。
「……姿を隠しながら進むことは止めだ、急ぐぞ。どのみちこの毒の中では、CランクやBランクのモンスターなど生き残れまい」
基地にAランクのモンスターが接近している。
その事実に至った五人は、全速力を出して森を駆け抜けていく。
そして彼らが察したように、そのモンスターは五人を追いかけているわけではなかった。
そのモンスターは、ただ進んでいるだけである。たまたま偶然、進行方向に前線基地があるというだけで、そこに意図などない。
ネゴロ十勇士は、賢明だった。
もしもそのモンスターの『姿』を確認するために接近していれば、全員命を落としていただろう。
森の木々は、倒れているわけではなかった。
森の木一本一本が、地面の中へ吸い込まれている。
命がある者は、それを目視できない。
だがもしも目視できたなら、それを『影』だと錯覚するだろう。あるいは、『黒い湖』か。
極めて平面的な、厚みの感じられない『水面』が、ゆっくりと前に進んでいる。
それが過ぎ去ったあとには、やはり平坦な地面だけが残っていた。一切生命力を感じられない、死の大地が残されている。
木も、モンスターの死体も、その黒い湖面に触れるや否や、沈み込んで消えていく。
近づくだけで絶命し、何もかもを食らう影。
その威容は、まさにこの森の生態系の頂点に相応しい。
Aランク上位モンスター、カームオーシャン。
厚みのない、重さのない、高さも速さもない怪物は、ただ前に進んでいた。
※
戻ってきた五人の報告を受けて、前線基地では緊急招集がかけられた。
一灯隊は全員がカセイにいるのだが、それ以外は全員集まっていた。
状況から見てカームオーシャンだと理解した面々は、緊張した面持ちになる。
まだカームオーシャンに遭遇したことのない狐太郎も、流石にAランク上位モンスターの名前と脅威は知っていた。
(Aランク上位か……しかも広域に毒をばらまくタイプ……森で出会ってたら……俺は大丈夫か? この服、毒にも強いらしいし……いや、俺だけ大丈夫でもきついけども)
「まず、ネゴロ十勇士。よく戻ってきてくれた。おかげで対策が立てられる」
「いえ、これも任務の一環です。偶々森に入っていたところで接近を察知でき、姿も見ずに逃げてきただけのこと」
「それが最適解だ。カームオーシャンには、Aランクモンスターさえ近づけない」
白眉隊隊長、ジョー・ホース。
やはり彼が指揮を執っていた。
そしてそれに対して、ガイセイはひたすら不満そうな顔をしている。
だがしかし、それでもその場を離れようとはしなかった。
彼自身分かっているのだ、今の己ではカームオーシャンをどうにかすることができないと。
「狐太郎君、既にコゴエ君へ指示を出してくれたかね?」
「はい、もう雪を降らせています」
「ありがたい。もう春ではあるが、先に雪を降らせてもらえれば、彼女の力を強くできる。相手が相手だ、できることはやっておきたい」
ある意味では、悠長な話だろう。
なにせAランク上位モンスターが接近しているのに、わざわざ会議など開いているのだから。
だがカームオーシャンは攻撃範囲が広い代わりに、移動速度は極めて遅い。だからこそ全員を集めて、作戦を練ることもできた。
「では……シャイン君。申し訳ないが、この場の面々へカームオーシャンの説明を」
「ええ……わかっているわ」
ベヒモスやドラゴンイーターさえ拘束した彼女をして、今回は表情が曇っている。
「カームオーシャンはAランクの中でも上位に位置し、あのドラゴンイーターさえ逃げ出すと言われているの」
(アレが逃げる?!)
Aランク上位モンスター、ドラゴンイーター。
Aランクのクラウドラインでさえ怖がって近寄りもしないうえに、それを誰もが納得してしまう化物の中の化け物である。
後退や撤退を忘れて食い続けるその姿は、まさに脅威の捕食者という他ない。
それが逃げるというのは、食われるということより驚きだった。
「種類としては、スライムに分類されているの。粘性が低くて、きわめて薄く広がっているけれども、それでもれっきとしたスライムなのよ」
もしもカームオーシャンの姿を見たうえで生還した者がいれば、その説明に一定の納得を示すだろう。
どうみてもそうは思えないが、他の何かだとも思えないと。
「見た目は『移動する黒い水たまり』のような姿をしているらしいけども、実際には違うらしいのよ」
学者らしからぬ、ような、だとか、らしい、という表現。
それは彼女をして、よくわからない調べようがない相手ということだった。
「地面に出ている水面のような部分は、本当に水面で……本体は地下深くに染みわたっていて、土壌を汚染しながら前進しているそうよ。水の精霊が地面の中を移動しているようなもの……と思ってちょうだい」
(水の塊が意思をもって、土の中を染み込みながら移動している……無茶苦茶な生物だな)
まさに移動する湖であろう。
それが毒をばらまく捕食者というのだから笑えない。
「厄介なのは、その毒の範囲。水面から大量の毒を撒きつつ移動するから、まず近づくこともできないの。加えて地面と一体化しているから、大抵の拘束技が意味を持たない。そのうえでカームオーシャンそのものが強酸性の肉体を持っていて、触れれば大抵の武器が壊れてしまう。エフェクト技も殆どが効かないし……有効な属性でも、威力が足りなければ倒しきれないどころか、さらに毒を撒くことになってしまう」
(この森の生態系はどうなってるんだ?)
ほかのAランクと違って逃げることぐらいはできそうだが、それでもとことん殺しにくい相手である。
散布された毒はマスクである程度防げるようだが、強酸の肉体が地面に浸透しているので攻撃が通らない。
なるほど、倒すことは難しそうだった。
「今の俺じゃあ、まだ無理だな。悪い」
へそを曲げた顔で謝るガイセイ。
「前にアッカの旦那が倒したところを何度か見たが……あの威力は、今の俺じゃあまだ出せない」
今の自分では、Aランク上位を倒すことはできない。
ガイセイは拗ねながらも認めていた。
「じゃあ私のレックスプラズマを当ててみる?」
「当たればいいけど、位置が分からないでしょう? それに下に向けて貴女の大技を使うのは、正直おっかないわ」
「そ、そうだね……」
アカネのレックスプラズマならば、当たりさえすれば倒せるだろう。
だが問題は、地中にいる相手にそれを撃っていいのかということだった。
威力が威力なので、被害が甚大になりそうである。
「そんなのが相手じゃあ、私も戦力にはならないわね。となると……コゴエか貴女ってところかしら」
物理攻撃しかできないクツロは、早々に諦めていた。
相手がAランク上位である以上、ガイセイとシャイン、それから四体の魔王以外は戦力に数えられなかった。
であればもはや、頼れるのは決まっている。
「しょうがないわね……」
物凄く嫌そうな顔をして、ササゲは了承する。
話に聞く限りでも、まったくもって面白くなさそうな相手だった。
だが自分しかできないのなら、ごねるのもおかしな話である。
「ブゥ、今回は何もしなくていいわよ」
「あ、はい……」
「次は期待しているわ」
「はい……」
悪魔使いを顎で使う悪魔というのは、ササゲらしいのかもしれない。
ともかく、カームオーシャンの討伐は、悪魔と雪女に託された。
※
目もなく、鼻もなく、肌もなく、核もない。
スライム族特有の、単細胞生物のような見た目さえない、移動する湖の如きモンスター。
それにあるものは、前進と食欲だけ。
魔境の中を徘徊するその怪物は、湖面に触れるすべてを消化吸収しながら前に進んでいる。
その湖面に触れる以上の、大量のモンスターを殺しながら。
毒を撒き、進み、食らう。
それだけを行い続けるこの怪物に、理性や知性と呼べるものはあるのだろうか。
ただの毒沼にしか見えないそれから、そうした『余分なもの』を察することはできない
だが仮に、その怪物に知性があったとしても、恐怖はないだろう。
この森の中でさえ、この怪物はおごり高ぶることが許される。
近づくものをすべて殺し、触れるものをすべて食らう。
何かに攻撃されることさえなく、生きた生物に会うことさえ稀で、触れるすべてが餌ならば、この生物はごちそうだらけの世界で生きているようなものだ。
急ぐこと、焦ること、恐れること。
それらの感情がなくとも、一切不都合がない。
その生物は、ただ前に進んでいた。
この生物が通るとき、誰も声を発することはできず、動くこともできない。
故に凪の海、カームオーシャン。
「なるほど、これがスライムの頂点か。この世界のモンスターはやはり恐ろしい……特にAランク上位は、生物としてありえない力を持っている。元の世界にいる人間をして、コレに近いものを創造することはできないだろう」
生きた化学兵器ともいうべきカームオーシャンを見下ろすのは、生きた自然災害氷王コゴエであった。
大量の雪で『かまくら』を構築し前線基地を覆った彼女は、その影に気付いていた。そのうえで、生存している。
「だが……性質を理解しているのなら……やはり狩りの獲物でしかない。強大な捕食者であればあるほど、人間は容易く絶滅させられるというが……まさにそれだな」
周辺一帯を雪で覆った彼女にすれば、毒を撒く湖など恐れるに足りない。
地面の奥深くまで氷漬けにすることはできないとしても、地面の表層を凍結させることはたやすい。
雪と氷で地面をふさいでしまえば、毒の入り口をふさがれたような物。
あとは吹雪を放てば、周囲に残っていた有毒ガスは完全に散ってしまう。
凪の海が、吹雪に負けるとはなんとも皮肉なことだった。
「さて、次はどうする? 地下に深く潜っている本体よ、表面が塞がれてしまったが、まさかこのまま死ぬことはないだろう。お前もまた、Aランク上位なのだからな」
コゴエの挑発を聞いたわけではないだろう。文字通り、聞く耳があるとは思えない。
だがおそらく、このカームオーシャンには呼吸が必要だった。
湖面として地表に露出させている部分が雪や氷でふさがれてしまえば、その呼吸は封じられてしまう。
それはこの生物にとっても『苦痛』であり、だからこそ『打破』しようとする。
自らが浸透している大地。その構成物である土を圧縮して、湖面から大量にばらまいた。
攻撃という意図ではない。呼吸が苦しいので、口の周りにまとわりつくものをはがそうとしただけなのだろう。
だがそれは、もはや攻撃としか言いようがない。
さながら、毒のスプリンクラー。
強酸の肉体によって汚染された大地は、凍結した地表を破壊しようとする。
その威力たるや、当たれば人間など軽々と貫くだろう。
「シュゾク技、薄氷壁」
しかし、十重二十重の氷の壁には無力だった。
地表に重ねられた氷の壁は、毒のスプリンクラーの銃口さえもふさぎ切ったのだ。
「厄介ではある」
カームオーシャンは、Aランク上位モンスター。
地中深くに本体がもぐっていることもあって、倒すことは非常に困難である。
だが逆に言えば、このモンスターは地表にほとんど出ていない。己の全力を、地表に出すことができないのである。
「だが、攻撃力は、それほどでもない」
なおも振り続ける雪は、銀世界を作り出す。
それは汚染された大地を、文字通り覆い隠していく。
「どうやらお前は湖面を移動させられなければ、本体もそのまま動けなくなるようだな。であれば……この後どうするのかも、概ね想像はできる」
果たしてこれでこのまま、窒息させることができるだろうか。
そんなことは、最初から考えていない。
「頭を押さえたぐらいで、大人しく死ぬわけはない。それが生物の本能だ」
大地を覆う氷が割れ、雪が黒く染まっていく。
一瞬のうちに、間欠泉のように黒い液体が噴き出した。
まるで油田のように、噴火のように、膨大な本体が溢れたのだ。
それによってあふれ出る毒は、当初の比ではない。
藪をつついて蛇を出すというが、これは正に竜を巣穴から出してしまったような物。
その脅威は、さらに跳ね上がっていた。
「だが……お前は逃げるべきだったな。私はただの……時間稼ぎだ」
吹き上がる大量の肉体。
それは当然、知覚能力など持っていない。
だからこそ、気づけない。
「タイカン技……」
狐太郎を抱きかかえている魔王ササゲが、その姿を見下ろしていることに。
「終末の悪魔!」
タイカン技の即死攻撃。それは如何なる生物も逃れられない。
最強の生物は、何が原因なのかを知ることもできずに、命を落としていた。
祝、評価者200人!
応援ありがとうございます。




