逃がした魚は大きい
一旦森の中に入ってから、戻ってきた一同。
奇襲をされずに済む、その心配をしなくてもいい、という快適な戦闘は狐太郎にとって意義のあることだった。
最初からわかり切っていたことではあるが、タイカン技を使うまでもなく、四体とブゥがそろっていれば戦力的に不備はない。
文章にしてしまえば『先制攻撃ができる』あるいは『奇襲を受けない』。
ただそれだけの、ささやかな効果。それがここまで意味を持つのは、大公も認識していたように狐太郎のモンスターがこの森の中でさえ屈指の強さを持っているからだ。
ましてAランクが来ないのであれば、狐太郎はそこまで怖がることはない。
今までにない快適なハンティングを終えた狐太郎たちなのだが、基地に戻ってきたときの十勇士を見て唖然とした。
「いかがでしたか……! 狐太郎様……!」
「お怪我がなくて何よりです……!」
「ぐふぅ……わ、我等は斥候役の任を成し遂げました……! ごほぉ!」
「うぅ……ご、護衛としては合格だと、そう思っていただけますか……あぁあ……」
血まみれで、今にも死にそうだった。
もちろん自分の足で立っているし、なんとか歩けている。
彼らもこの世界の住人らしく、狐太郎とは比較にならない程頑丈なのだ。
だがそれでも、体のいろんなところがぼろぼろである。
「え、えっと……」
まるで大魔王を倒して帰ってきた勇者のような、達成感のある顔をしている八人。
Aランクに遭遇して打ち取ったわけではなく、普通に斥候をしてぼろぼろになってしまっただけなのに、異様に誇らしげなのはなぜか。
(そういやこれは試験だったな……)
一瞬間抜けなことを言いそうになった狐太郎だが、頭の中が一気にクリアになっていくことを感じていた。
(……そりゃそうだ)
よく考えれば、彼らがぼろぼろになっているのは当たり前である。
今まで知ったすべての情報が、こうなることが必然であると示していた。
誰もネゴロ十勇士が最強だと言っていないし、この森に入って無事で済むとは言っていないし、そもそも誰も欠けることなく任務を終えるなど考えてもいなかった。
大公が彼らを雇用する段階ですでに『欠員の補充』を前提としており、だからこそ一族全体を抱え込むことにしたのだ。
ちらりと、狐太郎は長の二人を見る。
この試験をやり遂げたこと、狐太郎が無傷で生還したこと、己たちが生きて戻ってきたこと。
それらのすべてを誇らしげに見ている。
「……も、もちろん合格だ、うん。文句の付け所がない」
自分を守るためにぼろぼろになった八人に対して『なんで無傷じゃないの』という程狐太郎は無神経になれなかった。
文句をつけたいところではあるが、いろいろ顧みると文句を付けられなかった。
「おお!」
「光栄です!」
「今後も尽くします!」
満身創痍と言っていい姿の八人は大喜びし、長の二人も安堵で胸をなでおろす。
その姿を見て狐太郎は、先ほどまで抱えていた罪悪感やら嫌悪感やらが吹き飛んでいくのを感じた。
そのかわり、別の感情が胸を包んでいくのであった。
※
幸いというべきだろうか、彼ら八人は迅速に治療を受けて寝ている。
狐太郎は彼ら八人へ『いったん里に帰って宴会でも開いてきなさい』と言ってさらに現金を渡した。
数日で治療は終了するはずなので、それが終わり次第彼らは里に戻って、今度こそ吉報を伝えるのだろう。
フーマが連れてきた『お色気要員』もいったん帰している。
もしかしたら家族へ最後の別れを言うかもしれないが、十勇士がズタボロになったことを思えば文句は言えまい。
さて、狐太郎は状況を冷静に把握していた。
「……眠気がぶっ飛んだ」
そんな彼の周囲にいる四体も、微妙に気まずそうである。
「やっぱり順番って大事だね……最初にああやって頑張ってもらってたら、もう少し優しくしてあげようって思えたよね」
アカネの言う通りであろう。
物凄く今更のように、命がけのプロ意識を見せられても困る。
そして、認識が甘かったのは自分たちなのだと、改めて思い知った。
「正直に言わせてもらうんだが……俺の認識が間違っていた。『最高の護衛じゃなくていい、仕事がこなせればそれでいい』と言ったが……それは残酷な言い方だった」
狐太郎はすぐにでも斥候が欲しかった。
大公はそれを理解していて、だからこそ『その場しのぎ』でもいいから斥候を用意したのだ。
最低限の水準を満たしている、狐太郎のことを守ることができる、ギリギリの斥候を用意したのだ。
当然の帰結であろう、この森の過酷さを知りながら、それでもなぜ無傷で帰ってくると思ったのか。
当人もその周囲も『命がけである』と認識していたし、狐太郎にもそう言っていたのに。
「……俺は、彼らの覚悟を軽く考えていたんだな」
思い返すのは、大公の笑顔。それに加えて、ネゴロとフーマの笑顔だった。
「俺のことを命がけで守ってくれる人を、本気で用意してくれた……か」
とにかく、結果が全てであろう。
狐太郎が安全に森の中から戻ってこれたのだ、奇襲を一度も受けなかったのだ。
それは彼らのおかげである。文字通り命がけで死地に臨んでくれたおかげだった。
「私たちにとってCランクは脅威ではないけど、彼らにとってはとんでもない強敵のはず。その群れを監視し、私たちへ報告する。危険な仕事ね、バレればただでは済まない」
クツロが改めて彼らの仕事を評価する。
もちろんただ隠れるだけならそこまで難しくはないだろう。
だが彼らはまず狐太郎に同行しなければならない、つまり移動しながら隠れなければならない。
しかも狐太郎の位置を確認しつつ、その周囲を監視できるように移動する必要がある。
そして一番難しいことに、逃げることができない。
常に狐太郎の周囲にいて、異変を察知すれば知らせなければならない。
勝ち目がないモンスターに囲まれてもなお、全力で離脱することができない。
「護衛とはもとよりそういう仕事でありましょう、彼らへ哀れみを向けても喜びますまい。試験に合格したことを告げたうえで、追加の報酬を与えたことは英断だったかと」
コゴエは相変わらず冷静だった。
アカネやクツロは彼らの痛ましい姿を憐れんでいたが、彼女はその覚悟を最初から汲んでいたのだ。
「それとも、彼らが実力不足だと言って追い返しますか?」
「……いいや、それはない。彼らのためにもならないし……俺自身の命も惜しい」
十勇士は、本当に勇士だった。
「……いいや、違うな。認識がおかしくなっていただけだ。最近はそんなに大けがをする奴を見ていなかったから感覚がおかしくなっていたけども……ここで戦うってことは、そういうことだった。いや、コゴエの言う通り、護衛をするのならどこでも同じか」
俺のために命を賭けて戦えよと言っておいて、本当に命を賭けてズタボロになって帰ってきて『え、マジで命かけてきたの』というのは失礼どころではあるまい。
「なまじ前の護衛候補たちが優秀過ぎたから、それを基準にしちゃったのね」
ササゲが嘆息する。
前回の護衛候補たちは、大けがをすることがなかった。
その理由はとても単純で、他薦自薦を問わず、大公に推薦できるほどの実力者だったからだ。
言い方は悪いが、彼らは全員成功している者たちである。彼らがネゴロ十勇士よりも優秀なのは当たり前だった。
特に風の精霊使いランリ・ガオは、その性質上一人でネゴロ十勇士を凌駕していた。
斥候要員が十人隠れ潜むよりも、四方八方に風の精霊を配置するほうが安全で安心である。
まあ言い出せばキリがないのだが……。
「あの時のメンバーなら、こんな思いをしなくてよかったのに……」
ササゲが言ってしまったので、思い出す狐太郎。
本当に返す返す、あの編成は理想的だった。
壁になる亜人の兵隊がいて、安全に周囲を索敵できる精霊使いがいて、機動力に秀でた竜騎士がいて、Bランク上位の悪魔使いがいて、しかも回復役までいた。
即席のメンバーではあったが、それでも超優秀な者たちがかみ合うチームだった。
彼らに比べてネゴロが劣るのは仕方がない。
そもそも斥候が補充されただけで、壁要員や回復要員もいないのだから、負傷者の手当てが遅くなるのは普通だった。
「いいや、もう……。うん、もういい。ネゴロ十勇士がまともに頑張る気になっただけで、俺はもう満足だ。というかこれで満足したい」
先ほどまで狐太郎は『あいつら殺しておけばよかったな』と思っていたことさえ後悔していた。
目の前で実際に死にかけられると、死ねばいいのにとは中々言えない。
命の大切さは、命が安い世界でこそ輝くのだ。
「アレだ……ロレンスとロミオを呼んでこよう。ついでにジュリエットも。あの三人にも今後頑張るように、とか言おう……うん」
彼らにできるだけ気持ちよく働いてもらうため、己の中にある罪悪感をぬぐうため。
狐太郎は、いよいよ終わりを求めていた。
※
さて、今回の作戦の功労者と言えば、間違いなく原石麒麟であろう。
作戦の立案から演出、実行に至るすべてを取り仕切る手腕は、まさにテロリストの親玉である。
如何に暴走気味だったとはいえ本職の密偵を、見事に欺ききったトリックには慄いたものである。
というか、今回の騒動で株が上がったのは抜山隊であろう。
株が上がったというか、悪名がとどろいたというか、まああまりいい噂ではないことは確かだった。
ガイセイは粗野な暴れん坊だが、その腹心として入ってきた麒麟は純朴な少年……のように見られていた。
しかし実際には優れた頭脳犯の手際があった。これによって獅子子や蝶花も、怪しく見られてしまう。
まあ実際犯罪者集団のトップなので、疑われるも何もないのだが。
だが抜山隊にとってはどこ吹く風。
元々ガイセイも言っていたが、荒くれ者の集まりが品行方正なお坊ちゃんを受け入れるわけがない。
今回のことも独断ではなく提案の上で協議されたことであり、作戦を立てた本人が働いたのだから文句などあるわけもなかった。
よって、抜山隊にとっては、何もかもが終わったこと。
周囲が麒麟たちを怪しむことがあっても、それで何か心中が変わるわけはない。
終わりとは、区切りである。
狐太郎が求めている終わりとは、後に続かないこと、残らないこと。
まさに抜山隊は、今回のことを完全に区切っていた。
その一方で、まだ区切られていないことがある。
それは今回の事件の中で、唯一起こってはいけなかったこと。
何の非もなかったネゴロの中で起きた、明らかな問題。
それに対しても、区切りが必要だった。
狐太郎たちが試験のために森の中に入っている時に、憔悴したロミオはロレンスを伴う形で獅子子の許に来ていた。
ロミオの行動は到底許されるものではなかったが、結果として『なかったことにする』という結論に至った。であれば彼は今後もこの基地で働かなければならない。
それは獅子子と同じ前線基地で生活することを意味していた。
「獅子子さん」
「……ロミオさん」
困った顔をしている獅子子。
とても恥ずかしそうにしているが、それは断じて好意からくるものではない。
それがわかる程度には、今のロミオは冷静である。
「まずは……その……なんと言っていいのかわかりません」
「い、いいのよ、貴方は滝に打たれに行っていて、私のところに行こうとはしなかったんでしょう?」
「それはそうです。ですが……周囲に誤解させるような振舞をしてしまったことは事実」
ロミオがうかつな行動をしていなければ、少なくとも大公を騙す必要はなかった。
里に集まっていた十勇士全員が前線基地に戻って、そのまま対決していればよかったのだ。
麒麟が戦えなかったということもあって、数名の犠牲者が出ることはあり得ただろう。
だがしかし、それはそれで仕方がないことだった。それで誰が何人死んだとしても、それは不本意な結果ではあるまい。
「私が貴女への想いを周囲へ匂わせていなければ……いえ、そもそもちゃんと伝言を残しておけばよかったのです」
恋は病だという。
少なくとも、頭の働きは鈍っていた。
「恥ずかしい思いをさせてしまいました」
「……」
勘違いで傷つけてしまった男が自分に惚れて、しかもそれが原因で一族が崩壊の危機にさらされている。
それはもう、なにかの冗談だった。恥ずかしくて死んでしまいそうだった。
何が酷いのかと言えば、獅子子にしてみればロミオなど十人の内一人でしかなく、好意以前に見分けさえつかなかったことだろう。
「私は今後も、この基地で働かせていただきます……貴女にしてみれば、気分の悪いことでしょう。ですが、他の方々のお心遣いを想えば……自分からモンスターの餌になることも、自決をすることも、心苦しいことです」
彼女にしてみれば、本当に迷惑だったのだ。
「……本当に、申し訳ありません」
それを理解したからこそ、ロミオは涙を流していた。
「本来であれば、私の想いなど伝えることなく、そのまま会わないようにするべきでしょう。ですが貴女の心にも区切りは必要なはず……こんな見苦しい男に好かれたまま、なあなあで終わらせては区切りになりません」
「ええ、そうですね」
「終わらせていただけませんか、この愚か者の迷いを」
決着が必要だった。
少なくともロミオと獅子子には、このどうでもいい話を終わらせる決着が必要だった。
「では……貴方の都合もあるでしょうし、最初から最後まで私が言わせていただきます」
「お願いします」
獅子子の表情が、凛としたものになる。
涙を流す長身の男へ、毅然とした態度をとる。
「お伺いしたところによれば、貴方は私へ好意を抱いていらっしゃるとか」
ロミオの心中には、嘆きしかない。
物事に『もしも』はつきものだが、今回は特にそうだった。
少なくともロミオがもう少し思慮深く行動していれば、この最悪な決着にはならなかったのだから。
自分の行動が原因で、愛した人を傷つけた。それは断罪に値する、断罪を必要とすることであった。
「はっきり言って、迷惑です。私に貴方へ、個人的な感情はありません。もう二度と……私事で話しかけないでください」
「……うぅ!」
短い恋だった、はかない恋だった。
自分の想いを、自分で伝えることもできなかった。
わずかな出会いで恋に落ちて、そのまま甘い思い出を作る間もなく終わってしまった恋だった。
出会いはともかく、過程は変えられるはずだった。だが自分の選択によって、必然的に最悪の状況になってしまった。
「ありがとうございました!」
深く、頭を下げるロミオ。
泣きじゃくる彼は、やはり獅子子へ熱を向けていた。
それがもう届かないと決定して、涙があふれたのだ。
「失礼します!」
だがこれでいいのだ。獅子子は恥ずかしがることがなくなる、嫌な思いをせずに済む。
ロレンスにしがみついて泣き叫んでいた時わかったのだ、彼女は自分との恋を喜ばない。
ネゴロ一族が駄目になることを承知でも、自分と恋に落ちてくれたなら、その道を二人で選ぶことはあり得たかもしれない。
だが彼女は喜ばなかった、自分の恋で見ず知らずの一族が憂き目を見ることを恥じた。
であればどうして、一族を捨てることができるだろう。
自分では彼女を幸せにできない。
その事実を受け入れて、彼は立ち去った。
ロレンスはそれを見届けて、改めて獅子子に深く頭を下げる。
そしてロミオの後を追ったのだった。
「ふぅ……」
「よかったんですか、獅子子さん」
「そうよ、良い人だったじゃない」
それを見送る側も、熱を消費していた。
彼が本気だと分かったからこそ、断ることに力を使ったのだ。
そんな彼女に、外野は勝手なことを言う。
「いい人、ね……その基準は何かしら?」
「真剣に愛していたと思いますよ」
「私もそう思うわ……言葉にはしなかったけど、獅子子の幸せを願っていたと思う」
「そうかもしれないわね」
獅子子は彼の背後を見送っていた。
その表情に、未練はない。
「出会い方が少し違えば、というか、過程が違えば、私も私なりに悪くは思わなかったかもしれない。でもきっと、それでも袖にしていたでしょうね」
「なぜですか?」
「なんでよ」
「……はぁ」
露骨にがっかりした顔をして、獅子子は二人に背を向ける。
「教えてあげない」
もしも自分が彼と本気になったらどうなるのか、それも考えずに焚きつけてくる思慮の浅い二人。
しかしながら、そんな二人を彼女は大事に思っている。
この二人を不幸にしてまで、幸せにはなりたくなかった。
「それに……あれだけ傷心なら、また別の人といい出会いがあるでしょう」
区切りは終わった。
彼にもきっと、新しい恋があるだろう。
※
ここで終わればきれいな話なのだが、このすぐ後にジュリエットがロミオを慰めて、そこからするりと想いが移った。
そのまま戻ってきたネゴロとフーマの長がそれを見て、『二度とこんなことが起こらないように所帯をもたせよう』ということになり……。
ネゴロとフーマの同盟に合わせて、フーマの長の孫娘ジュリエットはネゴロ十勇士のロミオと夫婦になるという段取りになった。
もうとっとと決めてしまえという具合であり、そのまま狐太郎へ報告である。
それを聞いた狐太郎が『なんでこいつらは俺を素直にしてくれないのだ』と思うわけだが……。
それはしつこすぎるということで。
次回から新章、人魚姫




