捨身
狐太郎の下に、ネゴロとフーマの長と、その護衛達がはせ参じた。
狐太郎が生存しているというだけで最悪の事態が避けられたことは明白なのだが、ネゴロとフーマにとってはそれでも致死圏内である可能性は残っている。
特に危ういのは、殺人未遂犯を出したフーマである。しかしそのフーマもジュリエットを通じて今回の作戦を知っており、よって道連れにできる状況は続いている。
「何しに来た」
そのうえで、狐太郎は途方もなく不機嫌だった。
まず前提の前提として、命が狙われて大喜びする人種は希少である。狐太郎が不機嫌になるのは当たり前で、彼から見ればネゴロもフーマと同じである。
「いや……まず座れよ」
狐太郎の屋敷で応接室に案内された一団は、全員が床にひれ伏していた。
狐太郎は四体に守られながら椅子に座って頬杖を突き、持てる限りのすべてを費やして自分の不機嫌さを露わにしている。
罪悪感による寝不足によって表情はとても悪い。もちろん心中も激憤の直前であった。
「いいえ、座ることなどできませぬ」
「へえ、つまり俺がどうして不機嫌なのかもわかってるわけだ……」
「この度、ネゴロ一族とフーマ一族を救っていただくために、大公閣下を欺く大芝居を演じさせてしまい……大変申し訳ありません!」
「お前らのためじゃねえよ……!」
狐太郎は未だかつてない苛立ちを、正当な相手に向けていた。
「お前らのためじゃねえ……でもなあ……お前たちのせいではある……!」
恩義のあるお人を、意図して騙す。
その罪悪感は甚だしく、文字通り夜も眠れないものであった。
これで性格が攻撃的になったとしても、誰も何も思うまい。
むしろこの程度で済んでいることは、相当に寛大である。
「……」
とっとっとっと。
狐太郎の指が、苛立たし気なリズムで椅子を叩いた。
「……」
ぴくぴく。
彼の顔の筋肉が痙攣する。
「で、何しに来たんだっけお前ら」
「まずは此度の騒動に関して謝罪を……」
「で」
「……今後のことに関して、でございます」
今後狐太郎の護衛を、ネゴロも請け負う。
それは元々決まっていたことであり、狐太郎が承認した以上は変更などありえない。
だがそれでは、フーマの長がここに居る理由はない。
「この度は我が一族から貴方様を狙う不届き者が出たこと……それを管理できず、始末をお任せしてしまったこと……深くお詫びします」
フーマの長は、さらに深くわびた。
「で」
「……恥ずかしながら、彼奴等十人に同調する者も少なからずおります。また後年同じ阿呆をしでかす者が出ないとも限らず……そこで大変申し上げにくいのですが……我等フーマは、長年の遺恨と共に名前を捨てて、ネゴロに吸収されることとしました」
「……ネゴロのおこぼれに預かると」
「左様でございます」
「ふん……口止めか」
「ええ……おっしゃる通りです」
フーマの中にいる考えの浅いものが今回の真実を喧伝すれば、ネゴロは当然倒れる。あるいは狐太郎にも被害が及ぶだろう。
だが今回こうしてネゴロがフーマを吸収し、フーマ一族の暮らしが改善すれば、喧伝のリスクは大幅に下がる。
もちろんなくすことはできないが、減らせるのならやるべきだった。だがしかし、それで十分とは言い切れない。
「……これは貸しだと思え」
あらかじめ用意してあった、金貨の詰まった袋をいくつか並べた。
もちろん持ってきたのはクツロである。
「お前たちに管理能力がないことはわかってる。これで美味いものを食わせて、末端のやつらの機嫌を取ってこい」
「よ、よろしいのですか」
「借金を押し付けたのにお礼を言うのか?」
「……!」
「冗談だ。つまらない物で悪いが……こっちは他に渡すものがない」
本気でうんざりした目でカネを見ている。
羨ましいようで、羨ましくない目だった。
「俺はな……というか俺達はな……今日という日まで、問題が積み重なるばかりで、何一つ解決してこなかったんだ……」
今の狐太郎の態度は、ある意味でAランクハンターに相応しい振る舞いだった。
不愉快であるという感情を前面に出し、相手を威圧する。そこに抵抗の余地はない。
「それは俺達だけじゃなくて、大公閣下も抱え続けてきたことだ。もういい加減、流石に、うんざりしている。これから抱え込むことになるネゴロとフーマの問題ぐらいは、もう脳裏にもよぎらせたくない」
「はっ……」
「いいな? 俺の耳に、俺の身に、お前たちが危険だってことを思い出させるなよ? 思い出したら何をするのかも全然わからねえからな?」
「承知しました……!」
狐太郎が怒る、人が変わったように怒る。
今まさに狐太郎は、大公の気持ちを理解していた。
仮にも仲間だと思っていた連中が、失敗を通り越した行動を行ってくると、本当に苛立ってしまう。
そりゃあ殺したくなるだろう。もう彼らがどうなってもいいし、何であれば自ら処断してもいい気分になっていた。
しかしそれは、ある意味一般的な感性である。
自分の命を狙った一団を懐に迎え入れて、しかも護衛を任せなければならないのだ。
だからこそ、ネゴロとフーマは返す言葉を持たない。
身内から護衛対象を暗殺しようなんて輩を出すなよ、などと、言われている時点で最悪である。
「……大公様に感謝しろ。大公様が追い詰められていなかったら、お前らなんか見捨ててた」
思い出すのは、あの笑顔。
罪悪感は相変わらずだが、彼があんなに笑っていたのは初めてだった。
それが偽りの上に立った笑顔であるのは確かだが、だからこそ曇らせたくない。
「……これが忖度か」
「は?」
「なんでもない」
ともあれ、フーマから再び暗殺者が出る可能性は下がった。
というよりも、これでだめだったらもう見捨てる段階である。
そんな狐太郎の機嫌を取るべく、フーマの長もまた動く。
今フーマの立場はとても悪い、それこそネゴロ以下である。
ここで何もしなければ、ネゴロ一族から更なる反感を受けかねなかった。
「……我らがフーマもまた、貴方様へ人員を派遣させていただきます」
「なに?」
「もちろん実力者は残っておりませんが……そうでない者ならば……」
フーマの長が連れていた者たちの中には、五人ほどの若く美しい乙女と、華奢な体をした少年がいた。
会話の流れからして、彼らが『贈呈品』であることは明白である。
「つまらない者ですが……お受け取りください」
「つまらない者ね……ふん、下品な話だ。それで俺が喜ぶとでも?」
「他に差し出せるものなどなく……」
狐太郎は露骨に苛立った。
これを欲しがっているわけではないし、そもそも欲しがっていると思われることさえ屈辱である。
しかしフーマ十人衆が全員いなくなったのであれば、他に出せるものがないというのも納得であろう。
「いかようにも、お使いください」
「……いかようにも、か」
「はい、いかようにも。この国の教養は仕込んでおりますので、傍においても恥をかくことはございません……」
玉手箱の騒動の時も思ったが、人間を渡されても困るだけだった。
少なくとも狐太郎に、人間を上手く使う器量はない。
しかし追い返すことも、その場で台無しにすることもできなかった。
「ロミオ、ロレンス。半分はお前たちに預ける、身の回りの世話をさせてやれ」
「承知しました」
「残り半分は、そうだな……ブゥ君」
「え、僕ですか」
「そうだ。君も色々あるだろう、人手がいたほうがいいんじゃないか」
「……まあそうですけども、いいんですか?」
ネゴロとフーマを案内してきたブゥは、自分に人間を預けていいのか疑問のようだった。
言われて狐太郎が十人を見ると、物凄く青ざめて震えている。
(そういえばブゥ君は悪魔使いで、世間から恐れられているんだった……)
軽い気持ちで側近へ人員を提供しただけのつもりだったが、客観視するととても恐ろしいやり取りである。
狐太郎本人は最上位の悪魔を従えているので怖くないのだが、周囲からすればBランク上位の悪魔を従えているブゥというのは邪悪の権化であろう。
それこそ文字通り、生贄にされかねない。
(……まあいいか)
だがそれでもいいか、という気分にはなっていた。
それだけ彼も、本気でイライラしていたのである。
「文句ないだろう」
「もちろんでございます」
フーマの長は、まるで動じなかった。
最初から狐太郎が悪魔を従えていることは知っている、であればここで躊躇するほうがどうかしていた。
「他に言うことはないか? ないならちょっと付き合え」
「は?」
「ネゴロは残りの十勇士を連れてきたんだろう?」
「そ、それはもちろん……表で待たせています」
「ロミオとロレンスは体調が悪いみたいだから置いていくが、残った八人の腕前を見せてもらう」
※
かくて、狐太郎たちは久しぶりに森の中へ入っていく。
普段の四体に加えて、ブゥとセキト。
そしてネゴロとフーマの長と、八人の十勇士を従えていた。
(ああ、嫌だ嫌だ……自分が嫌だ)
如何に正当性を謳っても、結局やっていることは恫喝だった。
しかも自分では何もしていない、無力な男の恫喝である。
どれだけ怒る理由があって、どれだけ不愉快な思いをしていて、どれだけ死ぬ危険に晒されていたとしても、怒鳴りつけるのは楽しいことではない。
少なくとも、狐太郎はそういう男だった
怒るので怒鳴るが、怒鳴ると自分が嫌になる。
(そもそも長は悪くないしな……。責任者ではあるけども……)
自分は何も悪いことをしていないのに、若造へ全面的に謝るその心中たるや。
一族の長とは、かくも過酷な役割なのである。
(送り出した配下が名乗りを上げる前に捕まったとか、心折れて帰ってきたとか、恋をして失踪したとか、仇敵が八つ当たりで殺しに来たとか……言われても困るだろう、絶対)
責任者への同情はある。それはそれとして許せない怒りもある。大公への罪悪感や忠義もある。
今一番強いのは、やはり『終わりにしたい』であろう。
(もう問題が積み重なっていくのはうんざりだ)
決着、あるいは解決。
さっき言ったことこそ、心の底からの本音。
つまり思い出したくもない、であろう。
(こいつらが前評判通りでいい。強くなくてもいいし、そこまで忠義を誓ってくれなくていい。とにかく仕事をしてくれればそれでいい)
怒鳴って怒りをぶちまけたことで、狐太郎の心中はいくらか楽になっていた。
その分ネゴロとフーマの長は重くなっていただろうが、とにかく重荷は減ったのだ。
「……なあササゲ、クツロ、アカネ、コゴエ」
寝不足でまともに働かない頭が、怒ることを放棄したがっていた。
「これが終わったら、おしまいにしよう。蒸し返すのも掘り返すのも無しだ……それでいいよな」
あえて、隣を歩いているネゴロとフーマの長に聞こえるように言った。
「そうですね……ええ、そうしましょう」
「うん、これ以上引きずるのはなんか嫌だしね!」
「ま、切り替えて行きましょう。流石にしつこいわ」
「そうなさるのがよろしいかと」
四体が笑いながら同調してくれたことで、ネゴロとフーマの長の緊張がゆるんだ。
「ブゥ君とセキトもそれでいいだろう?」
「そうしてください……正直この間から空気が悪くて……」
「私もです。そろそろこの雰囲気に飽きてきたので」
他人を虐げ続けても面白くない。
区切りが重要であり、それを誰もが求めていた。
その禊となるのは、やはり本番であろう。
先日の茶番で道化を演じたことなど、毛ほども問題ではない。
狐太郎たちが求めていたもの、それは優秀な斥候役たちだった。
狐太郎を脅かす、低ランクながらも高速で奇襲を仕掛けてくるモンスター。
それを相手どる、危機察知能力に優れた者たち。それが大公の鍛え上げた、ネゴロ十勇士であった。
「ん?」
特に警戒することもなく歩いていた狐太郎たちの前に、一本の短い矢が刺さった。
あまりにも小さく、短い矢。それは小さい弓でも撃てるようにしてある、兎ぐらいしか殺せない矢だった。
それが地面に刺さると、爆竹程度に破裂する。まさに、音だけの爆発だった。
「来たか!」
それに一瞬遅れる形で、大量のモンスターが現れた。
狐太郎たちが初めて出会ったこの世界のモンスター、マンイートヒヒである。
「な?!」
「なんと!!」
もうマンイートヒヒ程度ではそこまで驚かなくなった狐太郎だが、ネゴロとフーマの長はとほうもなく驚いていた。
なにせ数が数である、数十頭もの巨大な猿が襲い掛かってくれば、怖がらないほうがどうかしている。
「デビルギフト、ホステレリィ」
怖がらないのは、それこそBランクが全く脅威にならない実力者だけだった。
最初から戦闘能力だけを買われてこの森へ来たブゥは、特に何の感慨もなく迎撃する。
「お見事」
「来るってわかっていれば、どうにかなりますよ」
数十頭のヒヒは、己の影から突き出た棘で体を貫かれていた。
もちろんその程度で即死するヒヒばかりではない、脳が無事ならばしばらくもがくことができた。
しかしタイラントタイガーさえ縫い留めるブゥの拘束技である。それをBランク下位のヒヒが引きちぎれるわけがなかった。
「おお……」
その雑な対応を見て、フーマの長は感嘆する。
だがこの程度で感嘆していては、それこそこの森で生きていくことはできない。
四方八方から矢が飛んできて、そのすべてが破裂する。
これが何を意味するのか、もう全員が分かっていた。
「おおっ?!」
「なんと!」
百にも及ぶであろう、膨大な数のマンイートヒヒ。それが四方八方から殺到してくる。
ブゥが拘束しているマンイートヒヒはまだ暴れる力があるため、拘束を解くことはできなかった。
「デビルギフト、ホステレリィ」
だが、ブゥにとってはまったく問題ではない。
元より同時に技を使うという点では卓越している彼である、百にも及ぶ敵にも慄くことはない。
最初から拘束している相手を縫い付けたまま、さらに他のヒヒを縫い留めた。
もちろん、まるで堪えていない。
「んん……これで終わりですかね?」
ブゥはもともと、とっさの判断能力に劣っている。
斥候要員とは完全に真逆で、奇襲への対応能力はとても低かった。
だがそれが補われれば、自分側が先に殴れるのであれば、ブゥ一人でもBランク相手なら後れを取ることはなかった。
(凄い順調だな……!)
この後も、鼠色小猿やアンダーバンブーのような隠れ潜むモンスターが襲ってくるものの、そのすべての奇襲を事前に予期することで対応できた。
ある意味当たり前なのだが、だからこそ狐太郎は感動する。
森を出る段階になって合流したネゴロの八人が、瀕死の重傷を負って戻ってくるまでは、それはもう気分が良かったのだった。




