嘘も方便
翌朝。
よく晴れた空の下で、捕縛された九人のフーマ一族が連行されていた。
白眉隊によって引っ立てられている彼らの顔は、とても沈痛であった。
城壁の上で狐太郎たちと共にそれを見送るロミオとロレンスは、途方もなく虚無を湛えた目で見送っている。
白日の下にさらされている彼らは罪人であり、彼らと変わらなかったはずのネゴロ十勇士たちは『勇士』だった。
「狐太郎様、寝言を言うことをお許しください」
「いいよ」
「我らは……姑息な卑怯者です」
「そうだな」
クツロと狐太郎は、その虚無を分かち合っていた。
現場を見たわけではないが作戦は聞いていたし、ロミオとロレンスの顔を見れば成否も明らかである。
「正直俺としては、俺の安全さえ確保できていれば文句はないんだが……気持ちはわかる」
「ありがとうございます」
アカネはものすごくもにょもにょとした、思ったことを全部ぶちまけたい衝動を抑えた顔をしていて、ササゲはお腹を押さえながら身震いしている。
この状況、まさに大規模な欺瞞でありお芝居であり、茶番もいいところだったのだ。
「私たちは……何もしていません。しいて言えば、あやつらの接近に気付いたことぐらいでしょう」
「後は役柄を演じるのみ……これも賞賛されたいと思ってしまったが故でしょうか、称賛される英雄を演じることになるとは……」
虚無を湛えた二人ではあるが、しかしそれでも合理的に動かざるを得ない。
ここで何か思ったとしても、役柄を最後まで演じるほかないのだ。
「……私たちは、称賛されることを望んではいけなかったのでしょう。その報いが偽りの称賛ならば、甘んじて受け入れます」
「我らが道化になることで閣下が救われるのであれば……」
必死で自分に言い聞かせているロミオとロレンス。
仮にも自分の護衛対象を殺そうとした相手にさえ心苦しさを感じているのだ、恩義のある大公へ嘘を貫くことは更に負担だろう。
だがそれでも、やり遂げなければならないのだ。
「忠義と忍耐、それを証明いたします」
「狐太郎様、どうかご覧願います」
「ああ……うん、頼む」
中々斬新な忍耐である。
狐太郎は、彼らを心配さえしてしまった。
※
数日後。
狐太郎たちの許に、大公が現れていた。
それも物凄くほくほく顔で、見るからに上機嫌である。
(まるで太陽のような笑みだ……)
何かと難題を抱えている大公は、基本的に難しい顔をしていることが多い。
その彼がはちきれんばかりの笑みを浮かべていることに、原因を知っている狐太郎であっても困惑さえしていた。
「さて……狐太郎君、今回は申し訳なかった。私が雇用したネゴロ一族の因縁によって、君の命が狙われてしまうとは……まさに本末転倒と言えるだろう」
ほくほくの笑顔ではあるが、それでもちゃんと謝ってくる。
誰がどうして襲い掛かってきたのかはちゃんと認識しているらしく、よって真っ先にそれを謝った。
「ええ……正直に言いますが、とても怖かったです」
「そうだろうとも。ただでさえ危険地帯で仕事をしている君だ、これ以上の負担は辛いだろう。本当にすまない」
笑顔になるまいと取り繕っている大公だが、声に喜びが隠せていなかった。
「とはいえ……今回のことは大目に見てやって欲しい。まったく別の国から来た君でもなければ、過去の因縁と完全に切り離されることは難しいのだ。ネゴロに非があったわけではなく、フーマの暴走と思ってくれたまえ」
「ええ……動機は伺いましたが、本当に嫉妬によるものですからね」
大公はネゴロを擁護した。
実際のところ過去の因縁がない人間など狐太郎ぐらいであり、『誰からも恨まれていない実力者』など探すことは不可能であった。
今回ネゴロの因縁で迷惑がかかったが、だからといって因縁を持たない替えを用意できるわけでもないので、我慢してもらう他なかった。
「それに、聞けばネゴロ十勇士の二人が捕縛したとか。俺も獅子子さんも何もせずに済みましたし、もう気にしていませんよ」
「そうかね!」
むずむずした顔のアカネと、邪悪に笑うササゲ。
今この場には、欺瞞が満ちている。
この瞬間程、真実がないがしろにされていることはないだろう。
あまりにも虚無、あまりにも虚構、あまりにも虚偽。
この場の全員が、あるいは前線基地の誰もが、この大公を欺いているのだ。
(アカネとササゲが、凄い言いたそうにしている……)
確かに捕縛したのはロミオとロレンスであり、狐太郎と獅子子は何もしていない。
しかしその言葉の裏には、多くの影があったのだ。言っていないことが、山盛りである。
「うむうむ……私も直接フーマを尋問したわけではないが、彼奴等はネゴロ十勇士二人に対して、何もできずに拘束されたことを嘆いていたとか……。私が試練を課すまでは実力は互角だったらしいが、今や実力差は歴然としている」
狐太郎の脇に控えている、ロミオとロレンス。
彼らは拳を硬く握って、歯を食いしばって、次来る言葉に備えた。
「あの特訓に、意味はあったのだな!」
びりびりと、体をきしませる二人。
「あの特訓によって、お前たちは段違いに強くなったのだな!」
唇をかみ、歯の奥に仕込んだ気付け薬をかみ砕き、なんとかこらえる。
「獅子子君に負けたことは残念だが……無駄ではなかったのだよ!」
だがどうしても、涙が止まらなかった。
大公からの祝辞が本心とわかるからこそ、全身を槍で貫かれるようだった。
「私も鼻が高い!」
嗚咽が漏れた。
太陽に近づきすぎた鳥が焼かれるように、太陽のように無垢な笑顔が薄汚い密偵を焼いていく。
「お前たちが一族のために頑張ってきたことには、意味があった……私が言っても白々しいかもしれないが、実力を発揮できてよかったな」
救いがあるとすれば、悲しみの涙と喜びの涙は区別できないということだろう。
ロミオとロレンスの涙は余りにも美しく、それ故に視点が違えば見方も変わってしまう。
「狐太郎君……どうだろうか、彼らネゴロ十勇士を今一度信じてくれないか」
ロミオとロレンスは、ついに床に手をついた。
まだ称賛の途中だというのに、重荷に耐えかねて崩れたのだ。
もはや罵倒されたほうが良かった、ここから何を言われるのかわかってしまうだけに、苦しくて悲しくて嘆かわしかった。
「同業者九人を苦も無く捕縛した、彼らの実力は本物だ!」
麒麟の作戦は完ぺきだった、その実力も本物だった。なにせ大公を完璧に騙している。
「裏稼業の人間など信じるに値しないと考えてしまうかもしれないが、そんなことはない。彼らは決して君や私を裏切らない!」
もう狐太郎だって耐えられなかった。
大切な人を裏切ることが、こんなに辛いなんて知りたくなかった。
「私は彼らになら、君の命を預けられる! 君も、私を信じてくれたまえ!」
「……」
狐太郎は即答できなかった。
今この基地にいるハンターたち全員が、大公を騙そうとしていることを告げてしまいそうになる。
(だ、駄目だ……言うな! 本当のことを言っちゃダメだ!)
救いがあるとすれば、狐太郎にも即答できないだけの理由があったということだろう。
最初に謝罪をしたように、ネゴロがいなければフーマは来なかったのだから。
ネゴロが呼び寄せた敵をネゴロが片づけたとして、それが信頼の証にはならないからだ。
「……彼らを、信じてくれたまえ」
そう解釈した大公は、さらに擁護する。
「彼らは過酷な特訓に耐え、ただでさえ優れていた技能をさらに磨きあげた。今回の成果こそ、彼らの忠義の証拠。実績こそが信頼につながることは、君も知っているだろう」
辛い。
(死にたくなってきた……)
信頼を裏切るということが、どれだけ悲しいことなのか。
それが相手を思いやる気持ちからくるものだったとしても、いいや、だからこそ。
この罪悪感はぬぐえるものではない。
しかしこれで耐えなければ、誰も救われない。
辛い真実よりも甘い嘘を貫くと、皆で決めたことだから。
だから、騙す。いや、騙さなければならない。
「ご主人様」
ひんやりとした手で、コゴエが狐太郎のほほをなでる。
「コゴエ」
「私はご主人様の御心を尊重しますが……彼らの涙が軽いとは思えません」
気遣いのできる雪女の言葉に、狐太郎の心はさらに揺らされる。
ロミオとロレンスは、もう鼻水まで垂らしていた。
「ご主人様」
今度はクツロだった。
力強い手で、狐太郎の肩を掴む。
そのまま体を反転させて、大公やロミオ、ロレンスたちから自然に視点をそらす。
「私たちはご主人様のいいところをたくさん知っているわ。その中には……自分よりも誰かを大事にできる心もあると思うの。だから……ね」
狐太郎は、合わせる顔がなかった。合わせる顔がないままに、承諾する。
「……大公閣下、ネゴロ一族を私の護衛にしていただけませんか」
「も、もちろんだとも!」
「彼らの思いは受け取りました……信じてみようと思います」
狐太郎でさえここまで辛いのだ、ロミオとロレンスはどれだけ辛いのだろう。
それを想えば、口から出せる言葉は決まっていた。
「ネゴロ十勇士、ロミオとロレンス」
「はい!」
「はい!」
顔をそむけたものと、顔を伏せた者。
三人の心は、今一つになっていた。
「俺の身辺警護は任せたぞ」
「お任せください!」
「この命に代えましても!」
とにかく大公に帰ってほしかった。
願うことは、もはやそれだけである。
「そうかそうか……ふふふ、私も安心したよ! ようやく君との約束を果たせたのだからね!」
彼が笑って帰る。
そのために支払われたものは、あまりにも大きかった。
※
それからさらに数日間、狐太郎はほとんど眠れなかった。
もういっそ、殺し屋に狙われていたほうがましであった。
なにせ殺し屋というのは迎え撃てばそれまでであるし、少なくとも殺し屋本人を憎むことはできる。
だが己の中の後ろ暗さは、どうにもならなかった。
(心がキツイ……)
あの輝かしい笑顔が、実は嘘の上に成り立っている。
その嘘を、自分たちが積極的に構築している。
彼を欺いているのは、この基地の全員だ。
だとすれば、なんという罪深さだろう。
(あとどれぐらい時間があれば、この苦しみに慣れるんだろうか……)
もしも欺瞞によって成り立つ笑顔に満ちた世界があるのなら、もっとも苦しんでいるのは笑っている人たちではなく嘘をついている側ではないか。
そう思ってしまうほどに、狐太郎は疲弊していた。
「ご主人様、めっちゃつらそう……そりゃあそうだろうけど」
「痛ましいけど、むしろそれでこそご主人様ね。もしもこれで何も思っていなかったら、私たちはついて行かなかったわ」
あるいはこの世界に来てから一番のダメージを負ったであろう狐太郎。
心苦しさで胸が張り裂けそうな彼は、周囲からも心配されていた。
「こちらも辛そうだがな」
「ええ、森に入る前に死にそうだわ」
なおロミオとロレンスは、さらに死にそうだった。
寝ずの番をしているわけでもないのに寝ておらず、まだなんの仕事もしていないのに激務で疲れたかのような顔をしていた。
(もしかしたらあの時討ち死にさせて『ネゴロ十勇士はフーマと刺し違えました』とでも報告したほうが良かったのかもしれない)
人間二人を殺すべきだったかと後悔している狐太郎だが、案外そっちの方がロミオとロレンスにもよかったかもしれない。
それはそれで大公に『死んで忠義を示した』となった可能性はあるし。
さてそんなことを考えていると……。
「あ、狐太郎さん。ネゴロとフーマの長って人が来ましたよ~~」
ようやく、物事の決着が付こうとしていた。




