恋煩い
さて、情報の共有とはとても難しいものである。
重要であればあるほど、誰とどこまで共有していいのかわからなくなる。
ことさらに、それが致命的で、しかも自分で解決できなければなおのことに。
そしてどのみち、選択肢はなかった。
一族の存亡をかけて、十勇士の一人ロレンスは狐太郎とガイセイの元へ向かったのである。
「……大変、申し訳ありません!」
ロレンスは潜伏することなく、速足で前線基地に向かった。
そのまま大急ぎで抜山隊に向かった後、ガイセイ達を連れて狐太郎の屋敷へ同行を願った。
先日の騒動に同席した者のうち、大公以外がそろっている状態である。
その中で平伏したロレンスを見て、一同は尋常ならざる事態が、自分たちの知らないところで起こったことを察したのである。
「大公閣下にはご内密の上、皆様に知っていただきたいのです!」
(やばい……絶対にろくなことじゃない)
彼らの必死さ具合を見れば、狐太郎でもわかってしまう。
おそらくもへったくれもなく、彼ら自身の失態であろう。
もちろん、知って楽しいことではない。
「……先に言っておくが」
周囲の温度が、急速に下がっていく。
最上位の精霊であるコゴエが、威嚇に近い意図的な興奮をしていた。
「我らは大公閣下直属のハンターだ。その我等へ『大公へ報告をするな』とは、我等への侮辱か?」
「……承知しております。ですが、なにとぞ……!」
コゴエのまっとうな言葉に対して、平伏して温情を願うロレンス。
どうにも本気でヤバいことらしい。
「あの、狐太郎さん。話を聞くぐらいは良いのでは?」
「俺もそう言おうと思ってたんだ……」
大公が聞いていたら『黙れ』というところだろうが、麒麟と狐太郎は甘いところがあるのでほだされていた。
「コゴエ、言いたいことはわかる。確かに俺達は大公様の部下だし、そもそも恩義も感じている。なにより、一生懸命な人だ。俺はあの人のことも助けたいと思っている……だがそれはそれとして、まずは話を聞かせてくれ」
「差し出がましい真似をしました」
「いや……優先順位ははっきりさせておいた方がいい。お前が最初に言ってくれなかったら、ずるずるいきそうだった」
中々厳しいことを言っている狐太郎だが、その顔は困り切っていた。
どう見ても、ロレンスたちを切り捨てようという顔ではない。
「まずはロレンス、話を聞かせてくれないか? 可能な限り協力するし、弁明が必要なら私だってまあ、一緒に頭を下げるぐらいは……」
「……まことに、身内の恥で恐縮なのですが」
元より、大公へ報告せずに済むとは思っていなかったのだろう。
ロレンスは言質を得られないままでも、話をつづけた。
「ネゴロ十勇士に選ばれたウチの一人、ロミオの行方が分からなくなりました」
「……は?」
「それがそこまで重要なことですか?」
先日のことを想えば、ネゴロ十勇士の一人がどこかへ姿を消しても、そこまで不思議ではない。
よって狐太郎も麒麟も、ロレンスがここまで追い詰められている理由が思いつかなかった。
しかしそれは、この場合に適さない。
何気に、この場でこの世界の出身は、ガイセイとロレンスだけであった。
「なるほどな、そりゃあヤバいか」
納得した様子のガイセイ。
彼は嘲るわけでも小ばかにするわけでもなく、深刻さを理解していた。
「隊長、何がヤバいんですか?」
「何がヤバいってのはだな……大公の旦那が抱えてる戦力が、どこにいるのかわからないってこと自体だ」
ロミオがそこまで強くないとしても、大公の部下であることに変わりはない。
つまり大公には管理責任が生じている。大公は常に戦力の位置を把握していなければならないのだ。
「狐太郎、お前らはこの前線基地に来てから、どこにも行ってないだろう? 俺達抜山隊だって、カセイ以外にゃ行かねえし、行くにしても事前に役場へ休暇を申請している。それも、どの宿に泊まるのか、いつ帰ってくるかもちゃんと報告してるのさ」
「隊長、そんなことしてたんですか」
「こういう細かいところはきっちりしないとな、後でジョーの旦那とか大公の旦那からちくちく文句言われちまうんだよ」
何気に事務手続きはしっかりしている、隊長らしいことをしているガイセイ。
その彼の説明は、まさにロレンスの考えていることそのものだった。
「はい……おっしゃる通りです。我々とてどこそこへ行くのかを、大公閣下へ逐一報告するわけではありません。しかし、仮に大公閣下から『十勇士は今どこにいる』と聞かれれば……少なくとも里の長は把握していないといけないのです」
手塩にかけて育てた密偵が、今どこにいるのかわからない。
それはとても危ういことであり、見過ごせないことだった。
「十勇士の内一人が、行方も知れない状態になっている……それは雇われている密偵にとって、致命的な悪手です。もちろんこれが秘匿性を必要としている任務なら別ですが、それでも『何をしているのか』だけは大公閣下が把握できるようにしておく必要があるのです」
(まあ確かに、自分が雇った忍者の居場所がわからないって怖いよな……)
なるほど、緊急事態であることはわかった。
麒麟たちも狐太郎たちも、彼らの危機的な状況を把握する。
「それを破った以上は、ロミオを殺すほかありません」
「……なにもそこまでしなくても」
把握はするのだが、手段の荒っぽさには閉口した。
初手で仲間を殺すというのは、麒麟たちにとってはアウトである。
「先日のことで傷心なので、海でも見に行ったとかじゃないんですか? 大公閣下に気付かれる前に見つけ出して説教とかじゃダメなんですか」
「そんな悠長なことをしている場合ではありません! そもそも現時点で、捕捉できていないことも大問題なんです!」
「ですが……身内を殺したことがバレたら、後々問題なのでは」
「逆です! 我々で殺さないとまずいんです! 自浄作用を証明しないといけないんです!」
「悪者の理屈ですね……」
(お前らテロリストじゃん……)
自分の立場を忘れている麒麟へ、心中冷静な突っ込みを入れる狐太郎。
とはいえ、確かに悪の組織めいた、忍者の掟っぽさはある。
しかし罰を下す側は、単純に必死なのだろう。失敗した場合のことを考えると、物凄く怖いに違いない。
「我々が殺せば、殺したことが明らかになっても問題ないどころか、我々側から報告できるんです!」
「……お気持ちはわかりましたが、仲間を殺すことに協力はできませんし、見過ごすこともできません。狐太郎さん、ここはそのロミオさんの助命も含めて大公閣下へすぐに報告を……」
テロリストの親玉にしては常識的なことを言う麒麟。
しかしそれは、狐太郎にとっては共感できないことだった。
「いや、殺したほうがいい」
「狐太郎さん?!」
「少なくとも、別にいい案が思い浮かばないのなら、殺したほうがいい……!」
知らないということは、幸せなことであり恐ろしいことである。
麒麟はちょうど時期がずれたので知らないのだ、大公ジューガーという男がどれだけ苛烈な性格をしているのか。
「もしも今ことが露見すれば、ネゴロ一族は終わりだ。場合によっては全員殺される」
「まあそうだな、最低でも放逐だな」
青ざめている狐太郎の懸念を、ガイセイはあっさりと認める。
ロレンスを含めたネゴロ一族の危機感が、大げさではないと知っているのだ。
「そうなりますかね? 半年ぐらい厚遇したのなら、情が移ってしまうと思うんですが……」
「あの人は、というかあの人と娘さんは、長年の友人でも直接殺すんだぞ……!」
「そんな大げさな」
「ただの事実なんだよ……」
長年の友人であったはずのケイ・マースー。
狐太郎へ暴言を吐いた彼女へ、リァンは一応の説得を試みたが、失敗に終わった。
そのあとは、もう殺意しかなかった。
『わかったわ、死ね』
情が移っているかどうかで、あの親子は判断を変えない。
むしろ情が移っているからこそ、自分の手で対処しようとするだろう。
「あら、でも前はすんなり許してくれたじゃない」
蝶花は、やはり信じられないようである。
先日挫折したネゴロ十勇士を、大公はあっさりと許していた。
むしろ同情的でさえあった、失敗した者に対して優しいと思っても不思議ではない。
しかしながら、それは勘違いである。
そもそも今回の件は、失敗ではない。失敗というのは『うまくいかなかった』ということであって、今回のように『過ちを犯した』という場合には適合しない。
「アレは、大公の旦那ご自身の不手際だからな。十勇士を潜ませたこともそうだが、一応は自分の戦力である獅子子が、すげえ優秀な斥候だってのを把握してなかった。自分が把握しておくべきだったこと、自分が教えておくべきだったことを、十勇士が知らずにここへ来てああなったんだ。だから怒るに怒れないってわけだ」
前回は、大公に非があった。
少なくとも大公にとってさえ、獅子子の優秀さは意外だったのである。
想定外のことが起きたのなら、それは責任者の不備であろう。
だが今回は、明文化されている『問題行動』が起きたのだ。
それは罰して当然である。
「でもまあ、今回は怒るだろうよ。しかし……なんでそれを俺らに言いに来たんだ? ぶっちゃけ俺達にだって報告したくなかっただろ? まさか獅子子を借りたいってわけでもあるめえ」
まるで雪山で遭難したかのように、青ざめて震えている獅子子。
自分の行動によって、不遇だった一族郎党が更なる地獄に落ちかけており、しかも仲間殺しにまで発展しかけている。
これで責任を感じるなという方が無理であろう。
「そ、そんなつもりはありませんでした……ただ、その……恐れながら、ロミオの奴……獅子子様にほれ込んでいたようで」
「……え?」
物凄く間抜けな顔をする獅子子。
どう見ても、凄腕の忍者には程遠かった。
「ですから、おそらく……ここに来る可能性が高く……できればここで張って、待ちたかったのですが、どのみち獅子子様にはばれてしまいますので……」
ネゴロ十勇士の内一人が、獅子子に惚れたので脱走した。
その事実を聞いて、ガイセイと蝶花はにっこりと笑う。
「おいおい獅子子……斥候の恋心まで奪っちまったなあ……罪な女だぜ!」
「きゃあ~~! 獅子子にも春が来たのね! 凄いわ! なにか作ってあげる! カレー以外!」
盛り上がっている二人だが、獅子子の顔がどんどん土気色に染まっていく。
「二人とも、それぐらいにしてあげましょうよ……獅子子さんが死んじゃいそうです」
なおそれを見ている狐太郎たちは、やはり困っていた。
(なんか俺達と関係ないところで事態が進行している……)
本当に深刻ではあるが、どうでもいいことに巻き込まれてしまった一行であった。