誰が見張りを見張るのか
大公が来た翌日、狐太郎は仲間と一緒に落ち込んでいた。
落ち込んだ理由は、もちろん今回の不幸な事故によるものである。
なまじ避けられたこと、なまじ誰も悪くなかったこと。全員が最善を尽くしていただけに、やるせなかった。
結局今回も護衛は増えなかった。
途中まで期待していなかったし、最後の最後でようやくちょっとあり得るかな、と思っていたらこれである。
(別に真の仲間とかじゃなくていいから、護衛が欲しい……!)
大公も言っていたが、狐太郎だって一軍のメンバーが欲しいわけではない。
今回獅子子を相手に負けてしまった十勇士に対しても、特に失望をしたわけではない。
もちろん、大公が手を叩いたらぼとぼとと拘束された十人の男が現れたときは驚いたが、ただそれだけだ。
多少型落ちでもいいから、護衛が欲しかったのだ。
(この際数合わせのモブでもいいのに……!)
別に人数制限があるわけでもないのだから、『真の仲間』を求めているわけではない。
よって今回ほど本気になってほしかったわけでもないのだが……。
しかし、それが酷だとは分かっている。
(まあこの森で戦えて、土壇場になっても逃げないモブって何だよって話だけども……)
もう何周したのかもわからない泣き言を、心の中で繰り返す。
なまじ大公が大真面目に頑張っているだけに、文句を口に出すこともできなかった。
(そもそも半年の努力が水泡に帰した大公様を想うと……)
あれだけ自信があったのだ、さぞ手間暇を費やして、実践も重ねたのだろう。
そのうえでああなったのだ、まさに積み木崩しのようなものであろう。
(やっぱりチートは良くないな……周りの人は心が折れる……いや、そもそもあの獅子子はチートじゃなくてラスボスの一角なんだけども)
常識外のことをやって、周りをドン引きさせる。
あるいはその道の専門家を挫折させ、それによってカタルシスを得る。
まあある話だが、被害者側に立つととんでもなく迷惑だった。
いくら獅子子が優れた斥候役でも、狐太郎の護衛をしてくれるわけではないし、できるわけでもない。
常識外の専門家が一人いるだけでは、社会は回らないのだ。
同業者の心を折っても、良いことなど何もないわけで。
「まあまあ、ご主人様。前向きに考えましょう! きっと彼らも修行しなおして、ここにまた来てくれますよ!」
元気づけてくれるのは、本人も困った顔をしていたクツロである。
「そうかな?」
「彼らが心を折られたのは悲しいことですが、折れたからと言って大公様も保証を続けてくれるわけではありません。彼らが一族の命運を背負っていることに変わりはないですし、大公様も彼らへ失望したわけではないのですから……そのうち戻ってくるか、或いは別の人材が派遣されてくるのでは?」
「……まあそれもそうか」
職場で恥をかいたのでニートになる、というのはよくある話である。
もちろんいいことではないが、とにかくありえることだった。
だがそれが成立するのは、働かなくても食っていけるからだ。
あるいは他の仕事に従事できるのも、職業選択の自由があるからである。とても悲しいことに、彼らはこの仕事しかない。
大公は彼らに対して負い目があるので、十分修行しなおして来いと言っていたが、流石にずっと働かなかったら援助を打ち切って、戸籍さえ奪うだろう。
流石にそこまで親切ではないし、流石にそこまで負い目があるわけでもない。
言っちゃあなんだが、不意に格上と遭遇しただけなのだ。
傷つく気持ちはわかるが、仲間が死んだわけでも肉体が欠損したわけでもない。
それで『普通の生活』が保障されると思っているのなら、流石にそれは甘えだ。
(それはそれで悲しいことだが……)
誰にでも起こりえる挫折を、彼らは体験している。もちろん大公も体験している。
だがだからこそ、誰もがこういうのだ。『甘えるな』『そんなことは誰でも経験している』と。
彼らがどれだけ辛く苦しい思いをしていても、それは誰でも味わう挫折である。そこから一歩も出ていない。
今までと変わりなく、働かざる者食うべからずだった。
「まあそれもそうだ……そもそも背負うものがあるからここに来たんだしな……というか」
いきなりなんの前置きもなく、大公は新しい護衛を紹介しにきた。
だからこそそれを受け入れかけていたのだが、よく考えると無茶だと気づく。
「大公様としては、あの十勇士がそんなに強くないと知った上で、この基地で働かせるつもりだったんだから……ある意味捨て駒扱いだったのか」
「それは……当人たちも了承していたと思いますが……」
狐太郎が難しい顔をするので、クツロも難しい顔をする。
文字通り命がけの職場ではあるが、露骨な捨て駒が護衛になるのは嫌な気分だった。
「彼らが来たとしても……俺を守るために死んじゃうのか……そんなに強くないのに」
もちろん、狐太郎がこの話を断れば、大公はネゴロを切り捨てるだろう。
ネゴロ一族としてはそっちの方が困るだろうが、死を前提にした護衛を送られると狐太郎も困る。
狐太郎は、そんなにハートが強くない。仲間の屍を超えていけるほど、戦士の気構えがあるわけではないのだ。
そんな甘いことを考えている狐太郎を、クツロは決して笑わない。
むしろそれを尊く想っているようだった。
「ご主人様、畏れながら」
「なんだよ、コゴエ」
「ご主人様ご自身が、この世の誰よりも弱いのでは」
「……そうだった」
よく考えたら、他人の命を心配している場合ではなかった。
コゴエの冷静な指摘を受けて、狐太郎は正気を取り戻す。
やはり冷静な視点は何時も大事である。
「そりゃそうだ……俺が一番弱いんだった……」
他人のことを心配している場合ではない、狐太郎本人に比べれば誰だって精強であるし、生き残る可能性も高い。
モンスターが近くで戦っているだけで死にかけたほどの虚弱体質である、だからこそ大公も必死で護衛を用意しようとしているのだ。
他人の心配など、している場合ではない。むしろ心配されるべき人間だった。
「俺は俺の命の心配をしないといけないのに……なんで他人の心配なんてしてるんだ……!」
よく考えると、自分の護衛が決まらなかったという原点に回帰する。
もちろん、当分は解決の見込みがない。
「問題の発端は大公閣下がお戯れになったからではあるんだが……その点は咎められん……俺でも同じことをしていた」
「そうだよね~~。憧れるよね、手をぱんぱんして呼ぶ奴」
狐太郎もアカネも、大公の茶目っ気に関しては同情している。
当人は今頃『どうして私はあんな無駄な悪ふざけを……!』ともがいているだろうが、あの状況なら多くの者がああして紹介していただろう。
「あの人たちが来たらさ、私もやってみたかったもん。あの手をパンパンして、忍者を呼ぶアレ」
(お前はモンスターなんだから、むしろ呼ばれる側では?)
この世界最強格のドラゴンが手をパンパンと叩いて、しゅばっと現れるのが人間。
なんともシュールな光景なので、逆に共感が難しい。
アカネは共感してくれているのに、狐太郎は共感し返せなかった。
「あのね、アカネ。それってとっても失礼よ? 用事もないのに呼び出すだなんて」
「クツロの言う通りだ。そもそも彼らは忍者ではない」
「……それはそうだけどさ」
用事もないのに呼び出しておいて『シュばって現れるところを見てみたかったの』だの『手を叩いて呼び出すのがやってみたかっただけ』とか言われたら、彼らの忠誠心も目減りしそうである。
(まあだからこそ大公様も、呼び出す理由のあったあの時にやってみたかったんだろうが……)
それにしても思い出すのは、あのシーンである。
思い出すだけでも、途方もない虚無感があった。
(猫がパソコンの上で寝そべるのと変わらないんだろうなあ……)
ともあれ、狐太郎たちにとって、今回の件は『片付いたこと』という認識だった。
大公がおぜん立てした戦力を獅子子が叩きのめしただけなので、実のところ狐太郎と何の関わりもないところで問題が終わっている。
そう、思っていたわけなのだが。
ところがこれが、彼らの見ていないところで、さらなる混乱が起こっていたのである。
※
さて、里に帰ってきた十勇士であるが、幸か不幸かそこまでの騒ぎにはならなかった。
もちろん信じて送り出した十勇士が初日に捕縛されて、おめおめと帰ってきたのは驚きである。
しかし要するに、『格上の斥候が現地にいた』というだけなので、誰もがそれを受け入れていた。
なにせこの世界は、ガイセイやアッカのような人間離れした人間がいる。
それに比べれば、十勇士を一人で取り押さえる女がいるというのも、そこまで不思議ではない。
加えて大公も『修行しなおしたらまた森に来てね』という穏やか具合だったので、一族の者も咎めることはなかった。
困惑しつつも格上がいることに緊張し、そのうえで彼らを慰めることにしたのである。
だが、恐ろしい事態は、まさにこの里で起こっていたのだ。
「……」
ネゴロ十勇士の内九人は、夜の闇に紛れて集まっていた。
それもこれも、この場にいないロミオについて話し合うためである。
「奴は、どうだった」
「普段はそんなに問題ない。だが訓練の最中で些細なミスをすることが増えたし、なにより飲みに誘っても断ってきた」
「やっぱりか……」
ネゴロ十勇士が一人、ロミオ。
なんの歯車がかみ合ったのか、彼は自分達をまとめて縛り上げた千尋獅子子に惚れたのである。
それも色男が美女に向かって『惚れたぜ』というものではなく、男子の純情ともいうべき恋であった。
「……やっぱり、不味いか?」
「わからん」
「いや、不味いだろう」
「不味いか」
「ううむ」
九人は首をかしげながら議論する。
「別に、護衛対象本人にほれ込んだわけではあるまい。その婚約者というわけでもないだろう?」
「うむ、千尋獅子子に惚れたこと自体には問題がないが……」
「ロミオの奴……完全にのぼせ上がっているな」
「そう、惚れ方が問題だ。アレは当人を前にしたら、絶対にどうしようもなくなるぞ」
「ああ、恋を秘めるとか無理だな、絶対」
「いや、そうともいえないだろう。案外直接会えば、恋が冷める可能性もある」
「そうだ、美人は三日で飽きるというし……」
これは、仮の話であるが。
狐太郎に婚約者がいて、その婚約者にロミオが惚れたとする。
その場合、九人は一致団結して殺しにかかるだろう。
理由など適当なものをでっちあげればいい、とにかく殺して替えを用意するしかない。
その報告を大公にすれば疑問に思われてしまうかもしれないが、仮に真実が明らかになったとしても咎められることはないだろう。
なにせ、狐太郎に実害はなかったのだから。
「いや、でもなあ……」
だがしかし、相手は同じ基地で働いているというだけの、別の隊のハンターである。
仮にそれが大公や狐太郎の耳に入ったとして、何か問題が起こるのか。
非常に微妙な線というか、はっきり言ってどうでもよさそうな話である。
仮に大公へ『ロミオが千尋獅子子に恋をしました』と報告したとして『だからなんだ』と言われても不思議ではない。
むしろ、なんでそんなどうでもいいことまで報告してくるのか、と思ってしまうだろう。
「別の隊の新入りだろう。ちょっかいをかけても怒られることはないんじゃないか?」
「いや、相手の隊長次第ではもめることになるかも……」
「そもそもロミオがあれだけ入れ込んでいるんだ、実務に支障が出る恐れも……」
「ないとは、言えないな」
しかしまさか、大公へ報告するわけにもいかない。大公へ向かって『ロミオが千尋獅子子にちょっかいをかけてもいいですか』なんて許可を申請できるわけがない。
なぜ申請してはいけないのか。答えは単純である。
「俺達は、斥候であり護衛だ。その役割は、私生活の内部にまでわたる。むしろそちらの方を期待されているかもしれない」
「うむ、王族と結婚するのだ。邪な者から狙われる可能性はある、そうしたことも考えて我らは集められたのだろう」
「その我らが、現場で色恋にうつつを抜かしていたら……大公閣下の不興を買いかねない」
「うむ……かねないな」
「俺が護衛対象だったとして……護衛の人間が近所の娘にぞっこんだったら……まあまじめにやれと思うだろう。程度はともかく」
「そうだな……」
今回は許されたが、次回も許されるとは限らない。
万が一にも大公がネゴロ一族を不愉快に思うことがあれば……。
ネゴロ一族は、元通り以下の暮らしになってしまう。
その可能性は、どれだけ些細でも排除しなければならないことだった。
「殺すか」
暗闇の中で、一人がつぶやいた。
しばらくの間、沈黙がその場を支配する。
それは肯定も否定もない、迷いを表していた。
「……そこまでするか」
万が一でも可能性は排除したいが、だからといって万が一のために身内を殺すのも嫌な話だった。
それも、内容がばかばかしすぎる。『護衛対象と同じ基地に務めるBランクハンターに惚れたので殺しました』などと、里の者に説明できるだろうか。
それでは、別の万が一が起こりかねない。
「こうなれば、奴を十勇士から外そう。元より十人で勤めなければならない理由があるわけでもないし、九人残るなら支障もない」
「しかしそうなると、奴を説得しなければならないぞ」
「うむ、辞退させることになるからな。すんなりと辞退するだろうか?」
「一度は理性的に辞退しても、後々になれば自分で前線基地に赴きかねないな」
「十勇士なら現地にいても、言い訳はできる。だが辞退した後で奴が現地へ行くようなら……」
「うむ、言い訳はできないな」
「しかし、殺すのはやはり無理だ」
殺すという行為は、不可逆的だと知っている。
時に暗殺さえ請け負う彼らだからこそ、逆にその行為がどれだけ『取り返し』がつかないのかわかっている。
万が一の可能性を排除したい気持ちはあるが、万が一は万が一だった。
議論の余地がある範囲の事柄で、取り返しのつかないことをこの場の九人で実行するのは、流石に独断が過ぎた。
「それに、奴もまた十勇士に選ばれた者。うかつに殺そうとすれば、逃げられる可能性もある」
「うむ、仮に殺すのなら私たちだけではなく、最低でも里の意志を統一しなければな」
この場の九人も、自分たちが臆病になっている自覚があった。
恋が病だというのなら、この暮らしを手放したくないという執着もまた病である。
石橋をたたいて渡るというが、まさか破壊検査をするわけにはいかないのだ。
獅子子が疑心暗鬼に陥っていたように、九人もまた疑心暗鬼に陥っている。
ロミオを殺したくないと思っている一方で、殺してしまえば不安が取り除けるのではないか、と思ってしまってもいる。
しかしそれが、いい結果になるわけではない。その程度には、彼ら九人は冷静だった。
「まずはロミオを説得しよう。話はそれからだ」
結局、ロミオが諦めればそれで話は全て解決する。
九人は覚悟を決めて、彼の家へ向かった。
だが、家の中に気配がない。
何事かと思って中に入ると『探さないでください』という書置きがあった。
「ロミオを殺すぞ!」
「おい、一族全員起こしてこい!」
「いそげ、まだ遠くには行ってないはずだ!」
大いに慌てる九人は、良く知っているのだ。
一旦見失った相手を見つけるということが、どれだけ大変なのかということを。
ましてや自分達と同じ、密偵としての技を修めている者ならば、短期間での追跡は不可能に近い。
そう、この世で一番狩るのが難しいのが狩人であるように、密偵の天敵は同業者なのだ。