羞恥を忍ぶ、これぞ男子
人質にとられた狐太郎は、そのまま自宅に帰ることにした。
まともに働いていないことへの罪悪感もあるが、短時間であれ屈強な大男に拘束されていたことによって、心身ともに疲弊していた。
とりあえず死なずに済んだ、ということへの安堵。死ぬかと思った、という恐怖。
それらがないまぜになって、彼を家のベッドに導いていた。
(あれがこの前線基地にいるBランクのハンター……完全にバケモンだ……)
もともと寝るような時間ではないが、気が高ぶって寝付くこともできない。
その精神状態で思考することは、やはりヂャンのでたらめさだった。
ほとんど全身氷漬けにされて、内側から破壊して脱出する。
それも、エフェクトやらクリエイトやらスロットやらとは関係なく、ただの身体能力だけで。
(あのヂャンってのでもAランクになれないんなら、この世界におけるAランクってのはどれだけ怪物なんだろう……)
幸いと言っていいのか、ヂャンは矛を収めてくれた。
おそらく今後は、積極的に関わってくることはないだろう。
そう思わせる程度には、ヂャンは潔く去っていった。
(……きっと、苦労したんだろうなあ)
身体的な能力では、話にならないほど突き放されている。
しかしそれを問題にしないほど、精神的にも突き放されていた。
肉体的な強さはしかたがないが、どうにかなるはずの精神力でさえ、彼に後れを取っていた。
狐太郎は、何一つとして彼に勝っていない。
それどころか、明らかな欠陥さえ指摘されてしまった。
卑怯な手段で自分を人質として拘束してきたことを考えれば、どう考えても尊敬に値する人物ではない。
一方的に難癖をつけてきただけだと分かっているし、少なくとも彼へ何かをしたわけでもない。
不当な扱いを受けた身ではあるが、それでも彼の言葉は刺さっていた。
(俺は、お前が、嫌いだ、か……)
少なくともヂャンとシャインは、シュバルツバルトで活動することに明確な目的意識があるようだった。
彼らは自分たちの意思でこの地を選び、ハンターとしての活動をしている。
少々おかしな言い方をすれば、彼らは夢をかなえているのだ。
自分たちが必死になって到達した職場で、嫌そうな顔をして面倒くさそうに働いている新人がいれば怒鳴りたくもなるだろう。
(メジャーリーガーみたいなもんだしな、この街のハンターは)
怒鳴られた新人としては、不満に感じつつも納得はしてしまう。
いやならやめちまえ、と言われるよりは説得力があった。
嫌われて当然の振る舞いをしている、という自覚があったのだ。
(確かに、アレはきつい……)
具体的に、役場の人間を例に挙げられてしまったことも大きい。
狐太郎自身も、役場の人々には少なからず嫌悪感を抱いていた。
こんな街からとっとと出ていきたい、という考えが隠れてもいなかった。
もちろん気持ちはわかる。
彼らはゲームのキャラクターでもないのに、命の危険がある職場で働くように命じられているのだ。
文字通りの意味で懲罰人事なのだろうが、懲罰されるべき人物だと察しが付く。
(同類か~~)
狐太郎は嫌悪していた人たちと同じような存在だった。
心根の部分で、嫌悪されるような人間だったのだ。
心の汚い、卑しい人間だったのだ。
(へこむなぁ……)
少しでも相手が弱みを見せれば、そこを全力で貶めていく、権利を乱用するような人間だったのだ。
相手を怒らせておいて自分では何もせずに、他人にしりぬぐいをさせるような人間だったのだ。
「失礼します」
そんなことを考えていると、わずかな冷気を伴ってコゴエが入ってきた。
「あ、ああ、どうぞ」
アカネやクツロは大きいので、部屋に入ってくると圧迫感がある。
しかし彼女は標準的な体格なので、入ってきても特に問題はなかった。
むしろ周囲の湿度と温度が下がって、快適にさえなっている。
「お疲れのところ、申し訳ありません」
「いや、いいって。どうせ寝っ転がってただけだしな」
起き上がった狐太郎はベッドに腰掛けると、コゴエに着席を促す。
コゴエはそれに応じて、静かに席に着いた。実に清楚な雰囲気で、気品を感じられる。
「むしろコゴエの方が疲れたんじゃないのか? 戦ってもらったし」
「いえ、そんなことはありません。相手はあくまでも、試合の感覚でした。もしも相手がその気なら……まさに武人として、我武者羅に襲い掛かってきたでしょう。例え足がちぎれようと、食らいついてきたはずです」
コゴエの言葉を聞いて、狐太郎は生唾を呑んだ。
比喩や誇張ではなく、ヂャンならばそうしただろう。
そう思わせるほどに、彼は勇猛な戦士に見えた。
「ご主人様、やはり彼の言葉が気になっていますか」
「ああ、正直な」
その彼の口から出た言葉は、決して軽くない。
彼が言ったからこそ、説得力があった。
「クツロがそうだったけど、俺もこの街にいる人を見下していた。哀れだとか可哀そうだとか、貧しいとか生まれに恵まれなかったとか。偏見だとか差別だとかとは無縁だったつもりだけどな……」
「素直に認められるのは、貴方に道徳が備わっているからです。彼もそれを確かめたかったようですし、そういう意味でも捕まるべきでした」
見えている地雷を、わざわざ踏みに行った狐太郎。
それはバカと言われても仕方がないことだった、本人もそう思っていた。
だがしかし、あれは文字通り良心が試されていたのだ。
「……彼は、随分と苦労をしたようだったな」
良心を試されたことさえ、狐太郎にとっては辛いことだった。
「弱いやつがこんなとこに来るなとか、育ちのいいガキは嫌いだとか、モンスターに守られて何もしてないとか……そういうことは言われなかった。それどころか、自分の仲間にも過度な信頼は寄せてなかったな」
これが何かの物語であれば、ヂャンは金持ちを嫌って同じ孤児院の仲間だけを信じているのだろう。
そして主人公と出会った後で、裕福な家で生まれ育った者から親切にされたり、信じていた仲間から裏切られたりするのだ。
だがしかし、彼はそういうイベントのようなものをとっくに済ませていた。
彼は不運にも孤児院で育ち、不幸にも同じ孤児院で育った仲間に裏切られ、幸運にも孤児院出身者以外でも信頼できる人と出会っていたのだ。
狭い視野しか持たない、偏見に満ちた人物というわけではなかった。
「ヂャンの言う通り、俺は嫌われて当然だ」
もしかしたら否定されるかもしれない言葉を、狐太郎は弱音に込めていた。
「そうですね」
「……お前もそう思うのか」
「彼には彼の価値観があります。相互で誤解が生じていない以上、おかしいと思うこともありません」
ヂャンと直接戦ったコゴエのいうことである。狐太郎以上に、彼のことを理解しているに違いない。
「彼には、誰かを嫌う権利があります。それは尊厳であり、犯してはいけない部分です」
「……」
「ですが、彼がそう感じたというだけです。私たちは、決して貴方を嫌っていません。どうかご自分を嫌わないでください」
コゴエは椅子を立ち、膝をつき、狐太郎の手を取っていた。
「コゴエ」
「私たちは、他でもない貴方にお仕えしているのです」
冷たいはずの彼女の手を、狐太郎は優しく感じていた。
熱が無いはずの彼女の目から、温かさを感じていた。
「強さや正しさ、賢さや激しさ。そうした人の持つ強さを、私はこの世界で見ることになるのでしょう」
「……そうだな。この世界の人たちは、とても強い」
「この世界の誰もが、貴方や元の世界の人間より、比べ物にならないほど強いのでしょう。ですが、それは私たちが代わりに行いましょう」
彼女には、自信がみなぎっていた。
相手が正しかったとしても、自分が間違っていることにはならないと、双方が正しいことに矛盾がないと言いきれていた。
「ご主人様、貴方こそが私たちの主なのです」
「……そんな大したものかな」
「大したことがなくてもいいのですよ。元の世界で暮らしていた誰が、大した人間だったというのですか」
「それは……まあそうかもしれないけども」
「違う世界に来ても、私達の関係は変わりません。変わってはいけないのです」
美しい雪女が、柔らかく笑った、気がした。
「それが私たちの尊厳なのですから」
変わらない彼女の表情に、あふれる感情を感じていた。
「誰に嫌われてもかまいません、ご主人様はご自分をお嫌いにならないでください」
「……」
余りにも重い、他人からの肯定。
普段なら恥ずかしがるが、重荷に感じてしまうだろう。
だが今は、自信を喪失して喪失して、何も残っていない今は。
「ありがとう、コゴエ」
狐太郎は、強く握り返していた。
「本当に、ありがとう」
「礼には及びません」
「それでも、ありがとう」
慰めてほしかったわけではないが、慰めが必要だったのだ。
自分でも気付かなかっただけで、本当は求めていたのだ。
気を取り直した狐太郎は、自室を出て食堂に向かう。
するとそこには、不安そうに頬杖をついている三体が待っていた。
彼女たちが何を求めているのか、もう狐太郎は知っていた。
「もう大丈夫だ」
根拠がなくとも、変化がなくとも、余裕がなくとも、実態がなくとも。
「俺は、もう平気だよ」
慰めは、確かに意味がある。




