李下に冠を正さず
ネゴロ十勇士は、きっと決死の覚悟を決めてここへ来たのだろう。
なにせここは、魔境シュバルツバルト。ブゥのように自衛できる力があるならまだしも、戦えないことが分かったうえで招集されているのだから。
だがネゴロ十勇士は、いいやネゴロ一族は、全員が命をかける所存だった。
もちろん現時点ですでに、大公から厚遇を受けていることもある。彼らが渇望し、しかし得ることができなかった『普通の生活』はもう受け取っている。
さらに狐太郎は、王族の娘と結婚することはだいたい決まっている。
あと四年彼を守り切れば、王族の臣下という立場さえ得られる。
現時点で普通の暮らしを得ている。
あと四年でさらに上を得られる。
それを、子孫にまで残せる。
十勇士たちは、きっと命をかけてここに来たのだろう。
彼らの親族は、さぞ彼らへ『死んでも守れ』と言ったのだろう。
先祖から受け継いだ技をさらに磨き、諜報や斥候ならば誰にも負けない自信をもってここへ臨んだのだろう。
そんな彼らを見て、大公も頷いたに違いない。
彼らなら、きっと期待に応えてくれると。
まさか、登場する前に全滅するとは思っていなかったが。
「……ああ、そのつまりなんだ」
現在狐太郎の屋敷には、ガイセイと麒麟、蝶花も訪れていた。
獅子子が慌てて戻ったのに、なんの音沙汰もないので様子を見に来たのである。
そうしたら泣きべそをかいている獅子子が、あわてて縄で縛られている男たちを解放していたのだ。
その上、大公も狐太郎も無事。何があったのか、最初はまるでわからなかった。
「大公の旦那が連れてきた狐太郎の新しい護衛を、ウチの獅子子が刺客だと勘違いして、縄でぐるぐる巻きにしちまったと」
なるほど、わかった。
ガイセイはうんうんと頷き……。
「ぶふぅ!」
噴き出した。
「獅子子……お前、お前……凄い格好いいなあ!」
もう笑うしかなかった。
部屋に正座している彼女は、顔を赤くして体を震わせている。
「いやあ大公の旦那! 悪い悪い! ウチの隊員が悪いことしちまった! でもまあ許してやってくれや! 旦那を狙ってる刺客なんだと思って、助けに走っただけなんだよ!」
笑いながらだが、一応謝っていた。
どうやら彼にも、隊員が悪いことをしたら隊長である自分が謝る、という考えはあるらしい。
「あらあら……本当にごめんなさいね、大公様。獅子子は心配性だから、最初から疑ってかかってしまったの……」
蝶花も謝っているが、獅子子が罪を犯したというよりも、迷惑をかけてしまったという認識のようである。
彼女は回復技を使って、十勇士の治療を済ませていた。
「本当にすみません……悪気はなかったんです」
麒麟も真面目に謝っていた。
さて、それを受けている大公。
彼は気絶から復活した十勇士を見ても、言葉を失ったままだった。
その十勇士たちも、目を覚まして周囲を見ると、状況を理解したのか黙り込んだ。
しばらく、無言がその場を支配した。
しいて言えば、ガイセイが笑っていたぐらいだろう。
その後で言葉を発したのは、意外にもコゴエだった。
「恐れながら、大公閣下。こちらの獅子子に非はないかと」
恥ずかしそうにしている獅子子を、全面的に庇っていた。
「前線基地に大公閣下がいらっしゃっていると知った上で、気配を消している者たちが潜伏していると気づけば、捕縛に動くことはむしろ当然。不幸な事故だとは思いますが重傷者はいないことですし、なかったことにしてもよろしいかと」
「……その通りだ、獅子子君に非はない」
顔に手を当てて弱り切った顔をするものの、コゴエの正しさを認めていた。
「私が彼らをここへ連れてきたことは初めてだし、警戒してしかるべきことだ。状況から考えれば私の暗殺や拉致を疑っても仕方ないし、その場で問いただしても信用できるわけもない。であればその場で捕縛というのは、確かに最善だろう」
この、やるせない現実。
自分が育てた自慢の護衛が紹介する前に倒されたのに、それでも相手は悪くないと言わないといけない。
その悲しさに、彼はめまいを覚えた。
「君は、抜山隊の新人だね」
「はい……千尋獅子子といいます……すみませんでした」
申し訳なさと恥ずかしさでどうしようもなくなっている彼女をみると、なおやるせなくなる。
音もなく潜み、誰にも気づかれないように潜伏していたネゴロ十勇士。
その彼らを相手に、音もなく襲い掛かり、話をしていた自分たちに気付かれないまま拘束した獅子子。
それだけでも驚くべき捕縛術だが、なんとも恐ろしいことに、彼女は基地の外で既に潜伏している者に気付いたのだ。
はっきり言って理不尽な索敵能力だが、優秀であることを咎めることはできまい。
「君が謝ることではない。今回のことは私の不手際だ、もしも今後不意に潜伏している者が現れれば、その時は同じように対処して構わない」
「はい……」
顔を真っ赤にしたまま頷く獅子子を見て、なおのこと咎められなくなった大公。
彼はやや恨みがましい目で、笑っているガイセイを見た。
「ガイセイ君……優秀な新人が入ったとは聞いていたが、ここまで優秀だとは思っていなかったよ」
「ははは! 俺もそうですよ、旦那!」
「そちらの麒麟君がジョー君以上の実力者とは聞いていたが、他にもこれだけの斥候がいたのだね」
「こっちの蝶花は、回復と強化がどっちもできる優れもんだぜ」
「そ、そうか……」
この時大公が、先ほどの狐太郎と同じことを考えたことを、誰が咎められるだろうか。
なぜこれだけ優れた斥候が、抜山隊に入隊しているのか。
おかしい、抜山隊と言えばガイセイが隊長である点を除けば、大したことのないハンターの集まりだったはず。
それがいつの間にか、どんな獲物にも対応できそうな完成度の高いハンター部隊になっていたとは。
(俺たちに気付かれないことは凄いんだろうけども、俺達が何を話しているのかは気付かなかったんだな……)
なお狐太郎は、彼女の優秀さを理解したうえで、彼女の抜けている面も理解していた。
(それにしても……)
改めて、気絶から覚めた十勇士を見る。
座っているので少しわかりにくいが、全員狐太郎たちよりは背が高い。
そのうえで大公やガイセイ、ジョー達と比べて肩幅が狭いようだった。
狐太郎たちほど顕著ではないが、たしかに人種が違う。
その彼らは、全員が驚愕で気絶しそうになっていた。
茫然自失、ここに極まれりである。
なまじ潜伏技能に自信があっただけに、それが破られたことが信じられないのだろう。
(やっぱりというか……この世界の住人は、基本スペックがとんでもないけども、技がかなり弱いな)
原石麒麟とガイセイは、共に各々の世界で最高の才能を持っている。
そのうえで直接戦闘をすれば、ガイセイがはるかに強いという。
それはサンダーエフェクトだとかエナジーとかではなく、ガイセイの体が尋常ではなく頑丈だからだ。
防御技が使えるとかではなく、基本的なスペックの数値が桁違いなのである。
麒麟が様々な自己強化で攻撃力を上げても、それでもガイセイの素の能力の方が圧倒的に高い。
その一方で、技そのものは麒麟やクツロ達の世界の方が上である。
スロット使いのような例外を除けば、この世界の住人は基本的に一つの属性しか扱えない。
それも、攻撃に電撃を乗せる、あるいは電撃を遠くへ飛ばす、という単純なものだ。
もちろんその威力はすさまじいのだが、基本的に一芸である。
先制できる技とか、一時的に無敵になる技とか、相手の攻撃を倍にして返す技とか、絶対に命中する技とか、そういうルールを持った技がない。
それどころか単純なバフやチャージのような強化技、味方や自分の怪我を治す回復技、様々な属性の攻撃技さえ、それぞれの専門家しか使えない。
(真っ向からの殴り合いなら、この世界の住人の方がずっと上だ。でも潜伏するとか、逆に潜伏している相手を見つけるとか、そういう分野なら向こうの世界の方がずっと上なんだろう)
千尋獅子子は先祖返りではあるものの、麒麟ほどの才能はない。
だがそれでも忍者であり、からめ手の専門家である。
この世界における同じ分野の専門家が相手なら、圧倒的に有利なのだ。
(これはいわゆる異世界チート! そうか……獅子子がっていうか、向こうの世界の忍者はこの世界ではチート扱いなのか。……正直かなり羨ましいな)
超強い奴らがたくさんいる世界に転生しちゃったけど、忍者の潜伏と防諜スキルで俺ツエー!
なんともありそうな話である。
なお、この世界における諜報員の地位は、とても低い模様。
「あ、あのですね……大公様。私も獅子子さんのことはもういいので、十勇士さんの紹介を」
「……そ、そうだね。元々その予定だったね」
ここで何もかも忘れて仕切り直せれば、どれだけ人間は幸せだろう。
だが悲しいことに、人間は弱いのだ。この基地に前からいた女性一人に何もできず拘束された十勇士を、色眼鏡を付けずに見ることができるだろうか。
ましてや当人たちは、『敵だと思って捕まえちゃった~~ごめ~~ん』された後で、俺達は凄腕の諜報員ですなどと名乗れるだろうか。
もしもできる人間がいたなら、それは人間を超えた強さの持ち主であろう。
「彼らはネゴロ十勇士、私が選抜して鍛え上げた、ネゴロ一族の精鋭だ」
「わ~凄いですね~」
「そうだろう」
狐太郎と大公は、白々しい会話をする。
なんとかして、この場を乗り切ろうとする。
「大公閣下……! 申し訳ありませんが、今回は辞退させていただきます……!」
だがそうはいかなかった。
ネゴロ十勇士たちは悔し泣きをしながら辞退を申し出た。
「女ひとりに何もできず捕まって無様を晒し……! どの面下げてネゴロ一族の精鋭……!」
「不甲斐ない我らをお許しください、修行しなおしてきます!」
「これでは……狐太郎様の護衛など務まるわけもなく……!」
「我が一族を迎えてくださった大公閣下の顔に、これ以上泥を塗れるわけもなく……!」
むせび泣くネゴロ十勇士。
その姿に耐えられず、さらに体を震わせる獅子子。
誰が悪いわけでもないのに、誰も幸せになっていなかった。
「……い、いや、そこまで気にしなくてもいいのだが。そうだろう、狐太郎君」
「ええ、獅子子さんに捕まったからと言って、そんなに気になさらなくても……」
大公も狐太郎も、これには大弱りである。
別に人間相手の防諜を期待しているわけではなく、モンスターが接近してこないか偵察して欲しいだけなのだ。
むしろ、残ってくれないと困る。
「いいえ……これでは、狐太郎様の護衛を請け負えません! 今私たちが護衛についても、狐太郎様を危険に晒してしまう!」
(現時点で猫の手も借りたい状況なんだけども……)
人手が足りなくて困っているのに、自分は不適格だと言われても困る。
ある意味真摯に仕事をしようとしてくれているのだろうが、それは裏目に出ていた。
「なんの結果も出さぬうちから、大公様にはお心遣いを頂いていたのに……! こんなにもみっともない醜態を晒してしまいました……! これでは一族の命運も背負えません!」
彼らは一族郎党の未来のために戦っているのだ。
自分の実力不足を痛感したのなら、仕事を引き受けられないのも仕方がない。
しかし頼んでいる方は、この際多少問題があっても護衛が欲しかった。
「いや、あの……皆さん、修行のし直しなんてなさらなくても、良いんですが……」
「狐太郎君、そんなことを言ってはいけないよ……!」
苦渋の表情で、狐太郎を止める大公。
もちろん大公だって『超凄い諜報員が現地にいたけど、今の君たちでも十分だから仕事に就いてね』と言いたかった。
だがしかし、大公も王の弟である。いくら狐太郎本人が希望しているからと言って、狐太郎の前で『狐太郎の護衛をするんだからこの程度でいいよ』なんて言えるわけがない。
「君だって……一灯隊に向かって『弱くてもいいじゃん、俺たちがいるし』なんて言えるかい」
「言えません」
「だったら彼らの覚悟をくんでやろう……!」
(プロ意識が裏目に……!)
エリートぞろいのプロ集団が、初日で心折れてしまった。むしろ面接の前段階で心が折れている。
無理に雇ってもいいことはないだろう、それこそ事故の原因になりかねない。
「大公閣下……お許しください! 大恥をかかせてしまいました!」
「君たちが謝ることではない、悪いのは潜伏するように言った私だ……!」
無念そうに謝る十勇士に、無念そうな大公が逆に謝る。
「君たちを紹介するときに、ちょっと演出を挟もうとした私の責任だ……! もったいぶらずに普通に紹介すればよかったのだ……!」
(その気持ちはわかる、俺もやってみたかったし)
手をパンパンと叩いたら隠れていた忍者が出てくるシーンを演出したいと、心の中で一度も思ったことがない者だけが大公を咎める権利を持っている。
果たして、誰が咎められるだろうか。少なくとも狐太郎には無理である。
「散々待たせてしまった分、多少でも演出を入れて豪華にしようと思った浅はかさがいけないのだ……!」
(確かにめちゃくちゃ前振り長かったな……)
「君たちは悪くない……今後も保証を続けるから、満足いくまで修行しなおしてくれたまえ……!」
嗚咽しながら頷くネゴロ十勇士。
本当に大公へ恩義を感じていて、本当に士気も高くて、本当に過酷な特訓に耐えていて、本当に自分たちの実力に自信があったのだろう。
だからこそ、本気の悔し涙だった。
負けて泣いて、何が悪いのか。
負けて悔しいから泣くのは、それだけ一生懸命だったからである。
負けたからこそ練習、負けたからこそ特訓。腐らず折れず、何度でも立ち上がれば必ず成長できる。
(結局何の問題も解決しなかった)
クールな諜報員を紹介してもらうはずが、熱血スポーツ物を見ることになった狐太郎。
もはや期待するだけ無駄なのかもしれない、あらゆる運命が自分に現状維持を望んでいるようだった。
「世界のすべてが俺を否定する……!」
「ぶふぅ!」
思わず漏らした弱音。
それを聞いて、ガイセイはかなり露骨に噴き出していた。
何がどうかしたのか、獅子子同様に体を震わせている麒麟の背中をバシバシ叩いていた。
「なに、麒麟……お前の故郷だと嫌なことがあったら、ああいうふうにスケールのデカいことを言って悲劇のヒロイン面するのが一般的なの?」
「何も言わないでください……」
「でもまあ、確かに運が悪かったわな。少なくとも狐太郎はちっとも悪くねえしな、大公の旦那もネゴロの連中も災難だ! 確かに世界に否定されてるな! はははは!」
笑い事ではないことで笑えるのは、他人事だから。ガイセイを誰も止められない。
実際ガイセイは態度と行儀が悪いだけで、とくに悪いことをしているわけでもない。
さて、なにやらもう終わったような話になっているが。
実は今回の騒動は、まだ始まってもいなかったのである。
「……失礼ですが、貴女が私たちを拘束したのですね」
「はい、すみませんでした……本当にごめんなさい」
「謝らないでください、よけい惨めになる……」
十勇士のうち一人が、獅子子へ話しかけた。
「私も天狗になっていたのだと自覚しました。狐太郎様に被害が及ぶことがない形で自覚できたのですから、むしろ幸運です」
「そ、そうですか……」
「是非お名前を。今度ここへ来るときは、同じ無様を晒さぬようにいたしますので……!」
照れ笑い、というか、赤面しつつも愛想笑いをしようとする獅子子。
彼女は恥りつつも名乗った。
「抜山隊隊員、千尋獅子子ともうします……」
十勇士の一人もまた、名乗った。
「私は……ネゴロ一族の……」
まさかこの会話が、ネゴロ一族を存亡の危機に追いやることになるとは。
流石に誰も、気づいていなかった。
「ロミオと申します」