疑心暗鬼を生ず
冬が過ぎ、暖かな春がまた訪れた。
まだ肌寒いものの、降り積もった雪はすっかりと解けていく。
その寒い春の森へ、抜山隊はのしのしと入っていった。
「ええい、ちくしょう。ちったあ大物が来ればいいもんを!」
抜山隊は未だにBランクハンターではあるが、狐太郎たちを除けば唯一Aランクモンスターを討伐できる部隊でもある。
彼らは森の奥深くに入ってAランクモンスターを討伐しようとしたのだが、下位が一体現れただけだった。
まだまだ粘りたかったガイセイではあるが、帰りも遭遇する可能性を考えると日没までに前線基地へ帰れるのか怪しい。
自分一人ならこの森で寝ることも考えるガイセイだが、流石に部下はそうもいかない。
誰かから文句が出る前に、とっとと帰ることにした。
「感覚がマヒしているけど……下位でもAランクモンスターが一体現れたら、普通全滅よね?」
「そうでなかったら逃走ね。基地まで戻ってAランクハンターに何とかしてもらわないと」
抜山隊の新入り蝶花と獅子子は、今更のように持ち帰ろうとしている獲物を見た。
サンダーユニコーンと呼ばれる、雷のような角を持った馬の、その角である。
試しに麒麟が斬りつけたところ、傷一つつかなかった。なおガイセイは一撃でへし折っている。
麒麟は決して弱くない。むしろこの前線基地でさえ、人間の中では屈指の実力者である。
白眉隊のジョーや一灯隊のリゥイ、グァン、ヂャン達でさえ、麒麟には一歩劣るのだ。
その麒麟でもガイセイには到底及ばないのだから、本当にAランクは世界が違う。
「あの戦いで、本当に強くなったのね……」
「ええ、まさに覚醒でしょうね」
それもこれも、先日の二試合によるものだ。
到底快勝と言えるものではなく、ガイセイにしてみれば恥ずかしい内容ばかり。
だからこそガイセイには効果てきめんであり、一冬押し込められた鬱憤は彼の体から電撃となって迸った。
以前は調子が出なければ使えなかったエフェクト技を、もはや完全に使いこなしている。
最初の一撃が既に電撃であり、そこから畳みかける雷電の猛打。Aランクと言えども下位モンスターではひとたまりもなかった。
もしもこの前線基地に狐太郎たちがいなければ、大急ぎで大公は彼をAランク認定していただろう。
とはいえ、それをガイセイは拒否するだろう。
如何なるモンスターであろうともぶちのめせなければ、Aランクハンターを名乗れない。
少なくともAランク上位を倒せなければ、申請する資格もないと考えていた。
それを察することができる程度には、二人もガイセイを理解している。
無頼漢のような荒くれぶりだが、大公が認めたBランクハンターであることに変わりはない。
なんだかんだ言ってプロ意識は相当なものだった。
「それにしてもお前も情けない奴だなあ、麒麟。俺がへし折った角に傷一つつけられないんだからよ。ちっとは精進したらどうだ、おい」
「これでもこの森に来てから強くなってるんですけどねえ、隊長には敵いません」
「誰が俺に勝てと言ったんだ? あの馬ぐらい『ここは僕がやりますよ』とか言えねえのか」
「そんな無茶な」
「あんな小物まで俺がやらなきゃならねえなら、腕が鈍っちまうって話だよ」
「隊長はプロなんですから、小物相手でも手を抜かないでしょう」
「お前だってプロだろうが!」
「まあそうですけども」
そのガイセイは隣を歩く麒麟に絡んでいた。
体格差は大人と子供ほどもあり、ああして話していると兄弟のようにも見える。
麒麟はガイセイに対して迷惑そうにしているが、それでも離れようとはしていない。
その辺りには、いろいろと考えもあるのだろう。
「麒麟が楽しそうでいいわね」
「……そうね」
蝶花が評したように、ガイセイと話している麒麟は楽しそうである。
昔であれば、とても鬱憤を溜めこんだ顔になっていただろうし、己の正当さを説いていただろう。
まあ言っても笑われるだけ、という学習をしたのだろうが。
(結局……私たちが走れているのは、走っていい場所にいるからなのよね)
獅子子は運命の皮肉さを嘆く。
Aランクモンスターをガイセイが倒してくれるという前提があってのことだが、この前線基地では麒麟ものびのびやれている。
だがそれは、この世界全体に言えることではない。
単に前線基地だから、というだけである。
もしもカセイで同じように振舞えば、それこそお縄というものだ。
(結局……私たちが間違っていた、ということしか証明されていない)
好き勝手に振舞っているガイセイだが、カセイに行くのはその場のノリではなく、ちゃんと役場へ数日前に申請してのことである。
その予定はきっかり守っているし、ぶっちゃけていえば許されている範囲で休暇を楽しんでいるようなものだ。
ツケは溜めているが返すだけの稼ぎはあるし、大公から咎められればちゃんと返せるまで働く。
街で暴れることもあるが、基本的に他所へ迷惑をかけないし、かけたら財布にものを言わせて弁償する。
稼ぎとコネのあるチンピラではあるが、良い意味で『大公の犬』なのだ。
許される範囲で遊んでいるだけなので、結果的な破滅からは逃れている。
与えられた特権を満喫している、とても自由に振舞っているが……。
それはTPOを弁えているからだ。
社会を変える気はなく、むしろ社会を利用している。
新人類は自分達が楽しく過ごすために社会の枠組みを変えようとしていたが、彼は社会の中でどう振舞えば楽しいのか知っているのだ。
どちらが賢明か、考えるまでもない。
(ガイセイは悪い大人だけど……私たちは悪い子供だったんだわ。それも……頭の悪い子供)
もちろんガイセイが善良であるわけがないのだが、それでも社会は許している。
ガイセイはガイセイなりに、一応は社会の歯車として機能しているのだ。
だが悪い子供だった新人類は、社会の敵になっていた。
(私たちは……私は、悪い大人を軽蔑していたけども……私たちはそれ以下だったんだわ!)
なお、悪い大人は相対的にマシというだけで、別に好んで受け入れられているわけではない模様。
獅子子は悪い大人に感銘を受けているが、普通にいい大人を目指すべきだったとは考えていないあたり、彼女も視野が狭まっている。
見習うなら、白眉隊である。ガイセイを手本にしてはいけないのだ。悪い子供が悪い大人を見本にして憧れるという、社会の悪循環である。
グレーゾーンならオッケーとか、犯罪じゃなければ何もをしていいとか、そういうのは目指さないほうがいい。
(私たちは……悪い大人を目指すべきだった)
悪い大人は、目指すべきものではない。
(私たちは、この世界に来ても同じ過ちを繰り返すところだったわ……)
違う過ちを繰り返しかけている。しかも、大差ない。
(私は、また間違った道へ麒麟を……!)
また間違えていることに気付いていない。
(今度こそ失敗しないように、私が頑張らないと……! この生活を、守らなくては!)
果たして彼女は、この生活が間違っていると気づけるのだろうか。
「それにしても、麒麟は本当に隊長と仲がいいわね。まるで兄弟みたいだわ」
(はっ?! 確かにそうだけども、周りはどう思っているのかしら?! 私たちは新人なのに!)
のんきに喜んでいる蝶花の言葉を聞いて、電撃が走ったように戦慄する獅子子。
部隊内で不和が起こり、自分たちが排斥されないとも限らない。
(どうしましょう……もしかしたら一灯隊のように、私たちをモンスターの餌にしてしまうかも……)
なにせありえないとは言い切れない。
抜山隊は平均年齢が高めだが、その中で麒麟たちは明らかに平均を下げている。
そんな若造の新入りが、次期Aランクハンターでもある隊長から気に入られている。
これは餌にされてしまうのではないか、一灯隊のように。
もしも彼女の心中を一灯隊が聞けば、一灯隊はそんなことをしないというだろう。
なお、説得力は皆無である。
「それにしても、いよいよだなあ。隊長がAランクハンターになるのは」
「ああ、いろいろあったが、もうそんな時期だな」
「まったく一時はどうなるかと思ったが、あの兄ちゃんたちが来てくれたおかげで、抜山隊も安泰だ」
その彼女の耳に、巨大な角を運んでいる隊員の話し声が聞こえた。
タイムリーに聞き逃せない内容だったので、獅子子は慌てて駆け寄って問う。
「そ、それってどういう意味かしら」
「ん、ああ、吊り目の姉ちゃん。どうしたんだい」
「私たちが来たから、抜山隊も安泰だって……」
「ああ、そのことか」
ガイセイがAランクハンターになるということと、麒麟が入ったことで抜山隊が安泰というのは、どういうつながりがあるのか。
彼女としては詳細を確かめずにはいられない。
「何のことはねえさ、隊長がAランクになれば、俺達だってAランクハンター様になっちまうが……流石にそれは恥知らずってもんだ。ただでさえBランクなんて、分不相応なもんになってるのによ」
「それは……まあ確かに」
ガイセイに限らずハンターにとって、Aランクハンターとは憧れの存在である。
だれでも一度は『もしかしたら俺もAランクになれるのでは』と思うものだ。
だが一度でもAランクハンターの戦うところを見れば、己との器の違いを思い知るものである。
憧れだからこそ、おこぼれに与る形でなっていいものではない。
「まあ形だけでも一遍は成ってみたいが……そんなことになればだ」
「なれば」
「ここをやめた後で『奴はAランクハンターだったらしい』『ならどんなモンスターも一ひねりだ』なんて言われちまう」
「……それは、確かに」
彼女が思い出したのは、この世界で最初に出会ったハンターである。
元抜山隊の隊員であり、現在はCランクになっている鰐ハンター。
彼も強いには強かったが、元Bランクと言えば流石に首をかしげるだろう。
これが元Aランクともなれば、それこそ大ぼら扱いされるか、あるいは隊員の言うように過大評価されかねない。
もちろん『自分が強いのではなく隊長が強かったのだ』と説明することになるだろうが、それは確かに恥ずかしいことだろう。
なおその理屈だと、狐太郎は『自分が強いんじゃなくてモンスターが強いんです』という羽目になる。
「まあそれを抜きにしても、俺らまでAランクになっちまったら、Aランクモンスターと戦う義務まで背負っちまう。もちろん今までだって戦ってきたが、それはあくまでも時間稼ぎで、倒す義務はなかったからだぜ」
「姉ちゃんたちもわかってるだろう、Aランクモンスター相手に時間稼ぎをすんのと、誰も助けに来ないから自分で倒すってのは全然違うってな」
「……そうですね」
獅子子は隊員たちを見上げた。
彼女の主観から言えば、大鬼のように大きい男たち。
その彼らの中でも群を抜いて大きいガイセイは、まさに圧倒的な強さを持っている。
こと強さの面においては、抜山隊は『ガイセイとおまけ』で構成されている。
それは麒麟たちが入った後多少改善されたが、ガイセイの覚醒によってむしろ悪化してしまった。
文字通り、ついていけない。
Aランクの世界に、抜山隊の隊員はついていけないのだ。
「だからまあ、隊長がAランクになったら、抜山隊は解散すると思ってたのさ。隊長が抜けた俺達じゃあ、ここでBランクを張るのは無理だからな」
「だが、そこで姉ちゃんたちの登場ってわけだ。麒麟の奴は強いが、流石に隊長ほどじゃねえ。姉ちゃんたちのこともあるし、俺達が必要だろう?」
「……そうですね」
元々麒麟たちへ抜山隊へ入るように勧めた元隊員は、『数が多いから三人だと無謀だ』と言っていた。
実際その通りで、麒麟はどうにかなっても獅子子と蝶花はそうもいかなかった。
だからこそ、抜山隊の一般隊員がいる。蝶花の補助もあって、元からこの地で戦ってきた彼らは、蝶花や獅子子を守るに十分な力を持っていた。
狐太郎が羨む話だが、抜山隊と新人類の三人は集団としてかみ合っていたのである。
「抜山隊の隊長を麒麟が引き継げば、俺たちは今まで通りってわけだ」
「いやははは、助かってるぜ、まったく!」
麒麟が小柄な子供であることなど気にしていない、実力主義からくる判断だろう。
ガイセイに気に入られていることを通り越して、麒麟が隊長になることさえ受け入れていた。
案外、ガイセイと最初に戦ったところが良かったのかもしれない。
餓鬼のくせに女を侍らせて、良い武器にいい防具を持っている、育ちのよさそうなお坊ちゃん。
気にいる要素のない麒麟が、ガイセイにぶちのめされても食らいつくところを見て、根性のあるやつだと思ってくれたのだろう。
人間、羨むところしかない者でも、一度情けないところを見れば不思議と愛着がわくものだった。
「そう、ですか……」
別に、Aランクハンターになれるわけではない。
別に、英雄として評価されているわけでもない。
大成功を収めて、良い暮らしをしているというわけでもない。
単に粗野なハンターたちから、居てくれてよかったと感謝されている程度。
しかしそれは、彼女にとってささやかな喜びがあった。
「……」
「獅子子、照れてるの?」
「そんなんじゃないわよ」
蝶花にからかわれるが、悪い気はしなかった。
悪い気がしないのにそれを認めないというのは、つまり照れているということである。
「ふふふ……この暮らしが続くといいわね」
決して裕福でもないし、快適でもない。
しかし自分たちが必要とされる、自分達らしく振舞っても許される。
目立つこともなく恐れられることもない、そんな暮らしを蝶花も楽しんでいるようだった。
「……そうね」
しかし、獅子子は既に知っている。
この世界と元の世界が、思いのほか近いということを。
もしも元の世界とこの世界が繋がれば、きっと自分たちは捕まってしまうだろう。
この世界ではBランクハンターだったとしても、元の世界ではただの犯罪者なのだから。
(……いつかはこの暮らしも終わるんでしょう。でもそれができるだけ遠くになるように、私が頑張らないと)
さて、もとより森の中にある道はまっすぐな一本道。
迷うことは一切なく、巨大な角を持ち帰る一行は前線基地の近くに差し掛かった。
世のハンターやら亜人やらは、地獄だと呼ぶ前線基地。
しかしそこで暮らす者からすれば、やはり自分たちの暮らす街。それが見えれば悪い気はしなかった。
「……?!」
しかし、城壁に囲まれた街をみて、獅子子は戦慄した。
「た、隊長、麒麟! 大変よ、街の中で姿を隠している者が十人もいるわ!」
「……え?」
「ん? んなこともわかるのか」
妨害技も得意とする獅子子ではあるが、こと探知能力においても抜きんでている。
特に隠れる技を使っている相手に対しては、優れた直感を発揮していた。
「蛍雪隊の方々では? 彼らなら、そういう隠形の技も使えるらしいですし」
「いいえ、彼らよりも上よ! 数段上の潜伏者がいるわ!」
普段から大真面目な彼女が慌てている姿を見て、抜山隊の隊員も動揺する。
「潜伏ねえ……獅子子のカンをバカにするわけじゃねえが、なんでんなもんが前線基地に……待てよ?」
玉手箱があった時期ならまだしも、今の前線基地へ刺客の類がくるなどありえないことだ。
獅子子を疑わない一方で、道理に合わないことだと首をひねるガイセイは、あることを思い出した。
「そういえば、今日は大公の旦那がいらっしゃる日だったような?」
「……すぐに行きます!」
自分達の後見人である大公が危うい。
そう思った彼女は、消えるような速さで飛び出した。
「転職武装……忍者!」
直接的な戦闘能力こそ乏しいものの、優れた潜伏技術と奇襲技を持つ忍者。
それに転じた彼女は、決死の表情で、己にしか気づけぬ姿なき敵を倒しに向かった。