悪法もまた法なり
当然だが、この国には大公と大王しかいない、というわけではない。
軍人に兵士から大将軍までいるように、ハンターにFランクからAランクまでいるように。
貴族にも爵位があり、上から順番に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵とある。なお、大公とは公爵の中でも特に偉い、という程度で大体合っている。
言うまでもないが、一番下の男爵でさえ、平民が『成る』のはとても難しい。
それこそ戦争中に著しい武勲でもあげなければならないが、たいていの場合はお貴族様がその武勲を自分のものにするので、それこそAランクハンター級の実力でも持っていなければ無理だと思ったほうがいい。
これはある意味当たり前のことで、少なくともこの国において貴族が増えるというのは、日本で言うところの県知事が増えるようなものである。土地に限りがあり人が生活できる場所に限りがある以上、開拓するか戦争で奪うかしなければ、貴族を増やすなど不可能なのだ。
加えて貴族に婿入りするというのも、その貴族によほどのメリットを与えられなければ不可能である。
普通は同じ爵位の別の家から婿を連れてくるか嫁に入れるかであり、それでも尋常ではない程多くの選択肢がある。
選り取り見取りとは言わないが、多くの選択肢がある中で態々平民と結婚する理由はそうそうないだろう。
とまあ平民が貴族になることの難しさは語ったが、逆に言えば貴族になれる、というのはとても大きい報酬である。
カセイで長く務めたAランクハンターが貴族に婿入りできる、婿入り先の家や嫁を指名できるというのは、国家が常に用意できる範囲では最大の報酬と言っていい。
また報酬の内容が分かりやすいこと、長く務めているかどうかで調節が利くということ。
その点も合わせて、ハンターにとっては喜ばしいものである。
とはいえ、貴族側がどう思うかと言えば、ケースバイケースである。
大金を溜めこんだ上にカセイとつながりの深いAランクハンターと婚姻できることを喜ぶ者もいるだろうし、粗野なハンターとの結婚を嫌がる者もいる。
そしてハンター側にしても金に困っている貴族と結婚するよりは、金持ちで生活に余裕がある家と結婚したがるだろう。
つまり大抵嫌がられるのである。
報酬を与える側の貴族が嫌がっているにもかかわらず、この制度が長く続いている理由。
それは他にAランクハンターを長く働かせられる報酬が思いつかないということもあるが、最大の理由は数年に一回か十年に一回しか起こらないということだった。
この事情を抱えている都市はカセイ一つである以上、数年に一回どっかの家がババを引くというだけで、ほとんどの貴族は無関係でいられるのだ。
加えて言えばたいていの場合結婚相手も一人だけであるので、どこかの家の誰かの娘一人が嫌な結婚をするだけで済む……という人間心理も働いている。
とはいえ、何の非もない貴族の娘を、Aランクモンスターを殴り殺す豪傑との結婚に差し出さなければならない。
ババを引いた家は、大抵の場合お通夜となるのだ。
この、ただでさえ質の悪い『悪習』を、さらに悪用した男がいた。
それが歴代の中でも屈指の実力者、アッカという男である。
※
ハクチュウ伯爵家。
この国のとある地方を治める貴族であり、伯爵家の中では中堅にあたる家。
その現当主には妻が一人おり、息子が三人、娘が五人もいる。
名君で知られるその当主は家族の中でも良き父、良き夫としてふるまっていた。
彼の家族もまた何の問題も起こしていない、模範的な貴族の一家であった。
その一家の元へカセイを治める大公ジューガーが訪れたのは、当然ながら大事件であった。
事前にアポイントメントをとってきた時点で家の中はひっくり返ったような大騒ぎとなり、その内容が『現当主の妻と子を全員集めろ』というものだったことで戦慄さえしていた。
その内容が如何なるものか、誰にも想像はできなかった。
だがそれでも逆らうなどありえないことであり、一家は緊張しながらも大公を最高の部屋で出迎えていた。
「……」
「た、大公閣下。この度は、ようこそお出でくださいました」
「……」
にもかかわらず、大公は着席もしなかった。
彼は一家と共に部屋に入ると、無言で調度品を眺めはじめたのである。
というか調度品を見るという名目で、一家と目を合わせないようにしていた。
見るからに、露骨に、不機嫌であるというアピールである。
当然ながら、大公が着席しない以上、一家の誰も座ることはできない。
事前に決めていた挨拶などもできなくなってしまって、誰もが弱り切っていた。
それでも当主は話をしないわけにはいかない。
彼は何とか、大公の機嫌をこれ以上悪化させないようにしつつ、話を進めようとしていた。
「そ、その絵が、気に入られましたか?」
「いや、そんなことはない」
「そ、そうですか、申し訳ありません」
戦場で戦ったハクチュウ家の先祖を描いた絵の方を見ているジューガーは、まったくもって取りつく島を与えない。
おかしいことだった。
元々大公がこの地に自分の足で来ることがありえないことだったし、こんなふうに『しかりつける』かのようなふるまいをするなど、なおありえないことだ。
ハクチュウ伯爵家を叱るなどというどうでもいいことのために、わざわざ大公本人が来る理由がない。代理の人間にやらせればいいはずのことだった。
「……ハクチュウよ」
「は、はい!」
「私の抱えるAランクハンター、アッカが引退することになった。奴は十五年もの長い時間、わがカセイを守り続けてくれたが、それでももう辞めることにしたらしい。後任のAランクハンターがまだ決まっていないので引き留めたかったが、それでも意思は固かった」
「そ、それは残念ですね……」
最初は、どうでもいい世間話を始めたのかと思った。
だが話を振られれば、それに乗らない手はなかった。
「十五年といえば……王族とさえ結婚できる勤続年数です。さぞ良い縁談が組めるのでしょうね」
その話を聞いて、五人の娘たちは首をひねっていた。
もちろん実際に首をひねるという失礼な真似はしていないが、それでも何を言っているのかわからなかった。
カセイという都市を知っていてもその近くの前線基地のことを知っているわけではないし、そこでの制度を詳しく知っているわけがない。
流石に妻や息子たちは知っていたが、それでも自分達に関係があるとは思っていなかった。
現当主が言っていたように、十五年も務めていたAランクハンターならば、王族とさえ結婚できるからだ。
まさか伯爵家なんぞと、婚姻を結ぶわけがない。
「奴は……お前の家の娘と結婚したいと言った」
「……は?」
そのまさかが、一気にひっくり返った。
あまりのことに、当主は言葉を失った。
あまりにも失礼なことに、気の抜けた声を出してしまった。
「聞こえなかったか、お前の家の娘と結婚したいと言ったのだ」
「……し、失礼しました! で、ですが、私には五人の娘がおります……一番上は再来月に結婚しますし、二番目は来年に……三番目と四番目も婚約をしておりますし……一番下はまだ幼すぎます……が」
慌てた様子の当主を見れば、事情が呑み込めない娘たちも察する。
であれば、妻や息子たちも、当主同様に混乱するのは当たり前だった。
「全員だ。全員奴の嫁にしろ」
「そ、それは……! 相手の都合というものがありますし……!」
「婚約は破棄し、結婚は中止しろ。これは命令だ」
顔を見せようともしない、大公からの圧力。
背中を向けたまま、無理難題を押し付ける彼へ、当主は何とか抵抗を試みる。
「そ、そんな無茶は……!」
「この国の法において、前線基地に勤続したAランクハンターが婚姻したいという要望は、なによりも優先される。知らない、とは言えまい」
それは、彼も知っている法であった。
知らないとは、言えない法だったのだ。
「まさかとは思うが……十五年も私に仕えてくれたことが、お前の家の娘全員に釣り合わないとは言うまいな」
「そ、それは……いえ、むしろ逆です! 到底釣り合いません! 私たちは軽すぎます!」
「だからなんだ。足りているのなら、文句は言えまい」
合法的な命令をしてくる大公に対して、伯爵が抵抗するなどありえないことだった。
だがそれでも命令に頷けないのは、その内容が無茶を極めているからである。
この国の常識から言って、一家の娘を全員よこせというのは無茶苦茶である。
「閣下!」
声を上げたのは、当主の妻だった。
貴族にあるまじきことに、感情的になった彼女は思わず叫んだのである。
「お、お前! 大公閣下に失礼だぞ!」
「でも貴方! こんなのは無茶です! これから嫁入りする娘も、まだ幼い娘も、全員よこせだなんて……!」
「だ、だが……それはこの国の法なのだ! カセイを長年守ったAランクハンターは、貴族の娘と結婚する権利を得て、しかも指名することができるようになっている! その法を否定してはならんのだ!」
「そんなバカな話がありますか!」
当主はなんとか、法に触れない形で断ろうとする。
しかし妻は、その法自体をバカげていると言い切っていた。
「どこの誰が決めたことか知りませんが、そんな無茶で野蛮な法が残っているなんて……しかもその法を、大公様が無理やり押し通そうだなんて……! おかしいじゃないですか!」
決まりがあるからと言って、それが常に活用されるとは限らない。
はるか昔に定められたが時代にそぐわなくなっていき、しかしわざわざなくすのも面倒、という法はたくさんある。
彼女はこの法もまた、その一種だと思ったのだろう。そこまでおかしいことではない。
だがそれは、単に彼女が夫の仕事に興味を持っていないだけである。
「おかしいと思うか」
「ええ!」
「だ、そうだぞ」
大公は妻に対して怒らなかった。
その代わり、当主に対して話題を投げていた。
「……」
「貴方?」
「何か言ってやったらどうだ、ハクチュウ」
無言になった当主へ、大公は続きを促した。
「……ほ、他でもない大公閣下は、五年ほど前にこの法を改定するように、国に議題として提出したのだ」
「え?」
「だが……反対多数で、否決された。この法を続けていくと、大王様さえお認めになったのだ」
「お前も反対した一人だったな、ハクチュウ」
妻だけではなく、子供たちもまた目を丸くしていた。
この悪習としか言えない法によって、無理を通そうとしているのは大公ではない。
むしろこの法を変えないようにした、現当主にこそ無理があったのだ。
「な、なんでですか! なんでこんなバカみたいな法を、わざわざ守ったんですか!」
「仕方がないのだ! カセイを守るにはAランクハンターか、大将軍のような実力者が必要になる! しかし軍の頂点に立つべき大将軍を、首都でも国境でもないところに置くわけにはいかない! であればAランクハンターしかないが、彼らは金に困っていないので、嫁を差し出す以外にない!」
「で、でも……じゃあ、娘たち全員を差し出すっていうんですか!」
「そ、それは……!」
夫の言っていることを、混乱している頭で理解できるわけもない。
しかし自分の夫が、娘を差し出す根拠になった法を守ったなど、認められるものではなかった。
それは当主自身にさえ言えることである。
「もちろん、差し出すだろう」
だがそれは甘えだった。
大公は、背を向けたまま圧を加える。
「お前一人が私に賛同しても法は維持されたとは思うが、お前は維持を望んだ側だ。もちろん遵守する覚悟があって、現状維持に賛同を表明したはずだ」
「で、ですが……前例! そう、前例がありません! 姉妹全員を差し出す前例が、あったのですか! 確かその法は過去の慣例に沿うもので……」
「カイの子孫である私に言うことか?」
「……も、申し訳ありません」
一家の娘全員と結婚する前例がなければ、それを理由に断ることもできた。
だが悲しいことに、大公自身がその前例の子孫である。
「大公閣下……恐れながら申し上げます」
ハクチュウの長女が、覚悟を決めた顔で発言をする。
「そのAランクハンターとの婚姻が必要というのであれば、私はそれをお受けします。ですが……妹たちはどうか、その話を断れませんか」
「駄目だ」
だがそんな覚悟を、彼は相手にしない。
「お前の父が守った法に依れば、結婚相手を決める権利はハンター側にだけある。もちろん勤続年数に見合わなければその限りではないが、お前の父が言った様に過分なほど長いのだ。お前の妹があと十人いても足りるほどだ」
大公は、あくまでも法の順守を求める。
自分が変えようとした法による強制を、法を変えまいとした貴族に押し付ける。
悲しいほどに、正当性は大公にあった。
「それともなにか、お前一人で王家の娘と釣り合うのか」
「……いえ、ですが」
「文句ならお前の父に言え。こんな法をそのままにした、お前の父にな」
顔を見ようともしない大公は、そのまま態度に示している。
結局のところ、文句を言われるべきはハクチュウ家当主なのだろう。
「な、なぜですか、お父様! なぜこんな法を、このままにしたのですか!」
来年結婚するという、次女が父に叫んだ。
文句を父に言えという大公に従って、泣き叫んだ。
「大公様のおっしゃる通りです! 五年前に変える案があったのなら、さっさと変えてしまえばよかったんです! せめて廃案に賛成していれば、大公様からお慈悲を頂けたかもしれませんのに!」
ここまで話が進めば、政治に疎い娘たちでも大公が不機嫌な理由がわかる。
大公こそが他の貴族の娘たちを守ろうとしていたのに、それに反対した男が今更助けを乞うているのだ。
大公にしてみれば、不義理極まりない話だろう。
「し、しかたがなかったのだ……さっきも言ったが大将軍を駐留させるわけにはいかなかったし……大将軍がたも嫌がっていたし……大王様が現状維持を望んでいたので、逆らうわけにはいかなかったのだ……」
「そうだな、まあ仕方がないことだ。この法の撤廃を望んだ私ではあるが、正規の手続きで上手くいかなかった以上、諦めるしかない。お前たちも諦めて受け入れろ」
大公が怒っているのは、このふざけた法の撤廃に賛同しなかったことではない。
この法を維持することを望んだ男が、その法に従っていないことを怒っているのだ。
どんな理由であれ、一票を投じる権利を持った男の判断は尊重する。大公という立場ではあるが、多数決にも従う。
だが、その施行に逆らうことは許せない。
「まさかとは思うが」
法を決める権利のない、一般の民衆が怒るのなら許せる。
だが法の文章を守った男が、遵守をしないなど許せない。
「自分が被害を被る立場になったので反対に転じる、などとは言うまいな」
裁くものもまた裁かれる。
法の下に人は平等であり、法を定める立場の人間もまた法に従わなければならない。
そうでなければ、誰も法に従わなくなってしまう。
「恐れながら閣下」
長男が、怒りさえ燃やした目で大公の背へ問いかける。
「この縁談、どう考えても我が家への悪意によるものです。そのAランクハンターが、法を利用して我が家を陥れようとしているとしか思えません」
ハクチュウ家を継ぐはずの男は、当然ながらその法をある程度知っている。
だからこそ、そのAランクハンターの狙いも察していた。
「確かその法には、罰則がありました。もしもそのAランクハンターの指名を断れば……そのAランクハンターが何をしても不問とする……ですね」
「そうだ。指名を断った家の領地を焼き滅ぼしても、看過される。つまりこの場の全員をなぶり殺しても、誰も助けに来ないということだ。それどころか……なんの罰も受けることはない」
長男と大公の語る罰則を聞いて、次男や三男、娘たちや妻は震えあがった。
同時に夫がなぜこうも怯えているのか、理解してしまったのである。
「だがそれがどうしたというのだ、お前たちが法を守れば問題はない。お前の父が守った法が、正しく施行されればいいだけだ」
「貴方は、最初から知っていたのではありませんか」
長男は怒っていた。
正直に言って非現実的だが、実際に起こっているのだから仕方がない。
「その男が! ハクチュウ家に復讐するためにカセイを防衛していたと! 法的正当性を得るために、その任についたと! 討伐隊に入る見返りとして、貴方に全面協力を願っていたはずです!」
十五年もの長きにわたって、英雄とされるほどの男が、伯爵家一つ潰すために雌伏の時を過ごした。
非合理極まりないが、最初の段階から狙っていたとしか思えない。
「貴方は私の妹が結婚することを知って! それを教えたのではありませんか!」
この模範的な伯爵家を突如襲った悪意、しかしそれは実際には途方もない年月を割いた計画だった。
だとしたら、それには大公の協力が不可欠である。
「そうだが?」
その糾弾を、大公は悪びれもせず認めていた。
「奴は最初の最初で、自分の計画を明かした。カセイを治めてまだ日の浅かった私は、自分が現在の法を変えるつもりだということも告げたが……奴はこう言った。『アンタが変えたいなら変えればいい、法が変われば諦める。だがどうせ変わりはしない』」
それは、突き放す冷たさがあった。
「『誰も、自分には関係ないと思っているからな』」
悪法を変えたいと思っていた男は、変えられなかった無力さを呪い、変えようとしなかった皆を呪っていた。
「結果は知っての通り、奴の言った通りだった。であれば、私は約束を守るだけだ」
「な、なんですかそれは!」
その男はあくまでも法に従っているが、馬鹿々々しいまでの手間暇を使ってこの家へ悪を成そうとしている。
それを最初の最初から、大公という高い立場の人間が協力していたのだ。
そんなバカな話があるものか。
「貴方は! このハクチュウ家を売ったのですか!」
「意味が分からん、この家の次期当主はお前だろう? 娘を全員差し出したところで、この家になんの不都合がある」
「その男は法を利用して、私の妹たちを不幸にしようとしている! もしも断れば、それを口実にして正当性を得たうえでこの領地を焼こうとしている! それをこそ望んでいる!」
「そうだ」
「なぜ貴方は、そんな男に協力をしたのですか!」
どれだけ法的正当性を並べたところで、無茶であることに変わりはない。
大公が伯爵家を利用して、悪意のある男と取引をしただけだ。それを持ち掛けたのがどちらだったとしても、何の関係もない。
「なぜそんな男に! Aランクハンターの座を与えたのですか!」
Aランクハンター、およびBランクハンターには、後見人が必要になる。
その身分を保証し、もしものときは補償をする高い身分の者がいる。
強大な力を持つハンターの行動に、責任を持つ者が要るのだ。
「貴方は! 貴方こそが! 自分さえよければそれでいいと思っているのだ!」
悪法を利用して、復讐を正当化した。
その事実を知って、次期当主は怒りをあらわにする。
それに対しても、大公は背を向けたままだった。
「……私としても、不本意だった」
彼は、とても冷ややかだった。
あまりにも、冷ややかすぎた。
「だが、仕方がなかったのだ。奴をAランクハンターとして認めたことには、やむにやまれぬ理由があった」
「なんですか、それは!」
「他に誰もいなかったからだ」
長男だけではない、ハクチュウ家の誰もが、その答えに茫然とした。
あまりにも、馬鹿々々しい理由だったからだ。
「そ、そんな理由で……?」
「……そんな、理由だと?」
振り向いた大公。
その顔には、怒りを超えた憎しみがあった。
「誰も」
調度品を見ていた大公は、ゆっくりと歩く。
「カセイを守ってくれなかった」
義憤に燃えていた長男に向かって、それ以上の憤慨をもって近寄る。
「当時も他に何人かAランクハンターがいたのに、大将軍もいたのに」
長男はその迫力に、思わず視線を切ってしまう。
だが大公は近づくことをやめなかった。
「誰も、カセイを守ろうとしなかった。そのくせ、カセイを存続させろと言っていた、避難することを許さなかった」
自分たちが復讐されること、自分たちが被害者になったこと、自分たちのことで義憤に燃えていた男に近づく。
「来てくれたのは、奴だけだった」
顔を背けていた、長男の顔を掴む。
「奴しかいなかった」
その顔を、無理やり自分に向けた。
「お前たちは『今まで通りのやり方』でいいと言っていた、その方法で長年維持されていたのだから問題ないと言っていた。だが私の代では、奴しかいなかった」
目が合う。
「十五年、奴しかいなかった」
カセイに住まうすべての命を背負った男の、あまりにも熱い視線だった。
「そのアッカが、合法の範囲で復讐を望んでいる。それに協力して、何がどう悪いのだ?」
鼻と鼻が触れる距離になる。
「私が、じぶんのことだけ考えていて、何が悪いのだ?」
大公ジューガーは、くるみ割り人形で割れかけたクルミのような自制心で、なんとか暴力を収める。
「奴がいなければ、十五年前にカセイは滅びていた。お前たちにとっては他人事だろうが、カセイに住まうすべての民はこの十五年間奴に救われ続けていた。そして国家にとって第二の都市であるカセイを守るということは、国家に多大な貢献をしたということだ」
手を放して、目を閉じる。
「その気になれば、後先を考えなければ。お前たちもこの領地も一人で全部まとめて吹き飛ばせる男が、わざわざ正当性にこだわってくれたおかげで、この国は救われていたのだ。それに報いて何が悪い」
単に合法というだけではなく、国家への利益が著しかった。
だからこそ協力したのだと、大公は語る。
「今度は……いいや、今こそ、私は奴に報いねばならん」
「そのためになら……私の妹たちを犠牲にしてもかまわないと。復讐を正当化すると?」
「そのための十五年だった。お前の言う通り、この家の一番上の娘が嫁ぐ直前を狙っての引退ではあるが、それでも『十五年』であることに変わりはない」
この世界の住人の平均寿命は、決して長くない。
非常に屈強な身体能力を持っているが、しかし医療技術などの関係もあって平均寿命は短いのだ。
「奴は復讐の対価として十五年、それもAランクハンターになってからの十五年をささげてくれた。残りの寿命など、余生のようなものだ。奴が正当性と引き換えにしたものは、あまりにも大きい」
大公がアッカへ向ける感情は、もはや哀れみに近かった。
英雄になれる力があったにもかかわらず、やろうと思えばいつでも復讐の相手を潰せたにも関わらず、馬鹿々々しいほどに正当性にこだわった人生だった。
カセイの存続という意味では偉大だが、あまりにも空虚だった。
「国家を十五年も守った男に嫁ぐことが、そんなにも不満なのか」
最後の言葉は、あまりにも重い。
大公がアッカへ向ける感謝が、短くも鮮烈に伝わってくる。
「これはこの家への復讐ではあるが、お前の妹たちに直接の恨みがあるわけではない。現当主が断れば『権利』を行使してもいいが、そうでなければ娘たちを妻として扱うことは約束させた。それでも駄目なら、私はただ許可をするだけだ」
「それでも……復讐ではあるのでしょう」
どう言い訳をしたところで、事実にはなんの影響も与えない。
この家の娘たちは、実家に恨みがある年の離れた男へ嫁がなければならないのだ。
しかも、断れば家は潰される。
それが幸福であるわけもない。
「……一人の兄として申し上げます」
彼は、抵抗を試みる。
「黙れ」
通じなかった。
「無責任なことを抜かすな、若造。『一人の兄』などどこにでもいる、大公である私へ意見することなど許さん」
結局、力関係はなにも変わっていないのだから。
「ハクチュウ家の次期当主として、家の将来を預かるものとして発言しろ」
「……妹たちに、犠牲になれと」
「そうだ。お前の妹たちが不幸になっても、それは必要な犠牲だ」
何が何だかわからない顔をしている、一番下の娘を見る。
大人たちが怖がっている姿をみて、泣きそうになっているかわいそうな娘を見る。
カセイにいくらでもいる、たくさんの子供と同じ年齢の娘を見る。
「逆に聞くが、お前は国家や己の領地のために自分を犠牲にできるか?」
「もちろんです、ですが妹たちは……」
「その基準はなんだ」
「妹たちは……女だからです」
「ほう、男ならいくら死んでもいいと」
「……」
「奴がこの領地の男だけを選んで殺すとしても、それは許容できると」
「そんなことは……」
「カセイの民が十五年間安全に暮らせた対価として、お前の妹が五人不幸になる。過分な取引だろう」
卑怯なほどの、正当性である。
この場にいない復讐者は、十五年という年月を割いて『先払い』を済ませてしまっている。
もうどうやったところで、その功績をなかった事にはできない。
しかもその法そのものを、現当主も認めてしまっている。
十五年かけて、大公とAランクハンターが準備を重ねた。
それに伯爵家の長男如きが、対抗できるわけもなかった。
「だ……誰なのですか」
命乞いをするような顔で、妻が問う。
「それだけの力を持った男が、長い年月を割いてまで果たそうとする復讐……それほどの恨みを受ける覚えはありません!」
わかったところでどうなるものでもないが、しかし根源的な問いではある。
この法律が維持されている最大の理由は、大公が言っていたことである。
『Aランクハンターになれる人間なら、独力で国家を転覆させられる』
『それならこんな法律を守って、どこかの家へ取り入る意味がない』
ただの伯爵家に対して、Aランクハンターになれる人間が恨みを持ったにも関わらず、わざわざ十五年もかけて復讐の準備をしたのだ。
妻の疑問は、もっともであろう。
「憶えはない、か……」
大公は、改めて全員を見る。
「お前たちは、ずいぶんとまあ……家族想いなのだな」
今更のように、感嘆した。
「息子が三人もいるのだから、娘五人を差し出すぐらいなんとも思わない者もいるだろうに……」
それを言われて、改めて誰もが戦慄した。
この復讐は、このハクチュウ家の人間が『家族想い』だからこそ成立する。
そうでなければ、娘五人が悲しい思いをしても、息子たちや両親は喜んで差し出すだろう。
つまり、復讐者は。
「……もしや、私のことを良く知っている者なのですか」
思った以上に、この家を知っている人物。
「アッカ、入っていいぞ」
当主がその点に思い至ったところで、大公は部屋の外で待っていた男を呼ぶ。
「へい、大公の旦那」
入ってきたのは、当主と同年代であろう年齢の中年男。
筋骨隆々では追いつかない巨大な体をもつ男は、嫌らしいほどに勝利の笑みを浮かべていた。
「もう、いいってことですかね?」
「ああ、もう筋は通した。判断材料はそろっているだろうし、正当性も理解しただろう」
その、あまりにも強大な男の顔を、当主と妻は凝視した。
「あ……!」
「あ……!」
二人は、思い出したのだ。
そもそもの時点で、この世の誰よりも自分を恨んでいるはずの男を。
「あ……」
妻は気を失った。
次男と三男はあわてて母親を支えるが、その顔は死人同然だった。
「お、お前は……いえ、貴方は……!」
「はじめまして」
当主は腰を抜かして、しりもちをつく。
ただでさえ巨大な男を、さらに見上げた。
「貴方が……アッカ?!」
「そうだぜ……俺が、Aランクハンター、アッカだ」
実に、二十年ぶりの邂逅であった。
次回 ロミオとジュリエット