織姫と彦星
太陽が照らす、まぶしいまでの極寒世界。
湿度というものが完全に失われた、乾ききった空間。
雪女であるコゴエが繰り出した、あまりにも過酷な大技『蒼穹凍土、白日の刃』。
その中に入り込んでしまったアルタイルは、冷静さを失わなかった。
(リベルタスの力は上がっている、だが氷を出すことができない。であれば私から切り離して、独立させて戦わせるべきだが、今同期を切れば私は動くこともままならなくなる)
氷の精霊であるコゴエの身体能力が上がっているのなら、同じ氷の精霊であるリベルタスの通常攻撃力も上がっているのだろう。
だが眼球さえ凍り付きそうな寒さの中で氷の精霊との同期を切れば、アルタイルはまともに動けなくなる。
(タラゼドの力は下がっているか……風が、完全に止まってしまっている)
吹雪の中ならば、必然的に風も吹いている。
しかし吹雪が止んでしまえば、風は止まってしまう。
強風の中でこそ力を発揮できる風の精霊タラゼドは、先ほどまでのような力を発揮できなくなっていた。
(だが、問題ではない。雪隠詰めには程遠い、できることはある)
ただの事実として、アルタイルの動きに鈍りはない。
氷の精霊と同期は切れておらず、加速属性も発現は可能。
足場も硬質な凍土になっているが、沼のように足を取られるわけではない。
(要は氷が出せなくなった、ただそれだけだ。風が止んだと言っても、コゴエ殿が出してくださっていた風が止まったというだけ)
既に出していた氷の刃を確かめる。
手と一体化している刃は、硬度を増してこそいても衰えてはいない。
既に出している氷が弱まっているわけではない。
「スピリットギフト、アイスガーディアン」
まるで二人羽織のように、氷の精霊を背後から抱き着かせる。
同期状態を維持したまま、氷の精霊に攻撃と防御を担わせる。
「アクセルエフェクト、ロケットダッシュ」
自分自身に加速属性を付加し、高速で走り出す。
周囲が真空状態になったわけではないので、当然ながら空気抵抗が生じた。
子供が風車をもって走り出し、風のない中で無理やり風車を回すようなもの。
とても幼稚な理屈だが、加速属性で全力疾走をすれば、生じる風はバカにできるものではない。
乾いた風が彼の周囲に巻き起こり、風の精霊タラゼドは勢いを取り戻した。
「スピリットギフト、ソニックブーム!」
アルタイルは生じた風で周囲への波を発生させつつ、コゴエの周囲を駆けまわった。
コゴエの身体能力が上がっているというのなら、正面からぶつかることは得策ではない。
かく乱を行いつつ、一気に間合いを詰めて切りかかる。
「ふぅ……!」
「なんと!」
コゴエは切り払った。
元より自分が引きずりこんだ土俵の上、後れを取るつもりはない。
自分の基礎能力が上がっているからといって、全力を出す必要はない。
むしろ基礎力が上がっているからこそ、軽く切り払うという動作の威力も上がる。
コゴエは片手で弾いただけだったが、それによってアルタイルは大きく刃をそらされた。
「賢明な判断です」
そのまま流れるように、軽い太刀を連続で刻む。
たとえるのなら、ただのジャブを連打しているだけ。
しかしそれは重量級のボクサーが、軽量級のボクサーへ牽制打を当てているようなもの。巨漢が子供へ、手打ちを当てているようなもの。
「ぐぅ……!」
打っている方は軽くでも、受けている方は重かった。
むしろ渾身の一打を浴びせてくるよりは、よほどやりにくい。
「だが……!」
「ほう」
コゴエの筋力が増しているほど、太刀の威力が凄まじいほど、それが連続であるほど。
彼女自身の攻撃による威風は、すさまじいことになる。
「スピリットギフト、アクセルクリエイト!」
コゴエの起こした風を、加速属性によって強化する。
それを風の精霊が取り込み、彼女への攻撃に変化させる。
「エアフロー!」
行ったことは単純、コゴエの体を少し浮かせただけ。
ほんのわずかでも彼女の意にそぐわぬ形で、彼女の足を地面から浮かせただけ。
自ら氷属性の技を封じているコゴエに、それへ対抗する手段は一つもない。
「ふん!」
「むぅ」
その一瞬を逃す手はない。
アルタイルは攻勢に転じ、コゴエは守勢に転じざるを得なかった。
「これは……やりにくい」
雪女であるコゴエも、動けば風を起こしてしまう。
もちろん静かに小さく動けばその限りではないが、戦闘中にそんなことができるわけもない。
少なくとも連続で攻撃を仕掛け、相手を追い込もうとすることはできなくなった。
つまり乾坤一擲の一撃にかけるか、高速の一太刀を浴びせるか。そのいずれかを選ばなければならなくなった。
「アクセルエフェクト! エッジラッシュ!」
しかしそれはコゴエ側の不利である。当然ながら、風の精霊を従えるアルタイルはまったくの逆。
自分が動き連続で攻撃するほどに、それによって起きる風は己の追い風となる。
まさに一転攻勢。強化した能力値を活かせず、アルタイルの攻撃と風の拘束に耐えることが精いっぱいだった。
「ショクギョウ技、乾坤一擲」
「!」
しかし、攻撃の中で彼女は力をため込んだ。
ただでさえ上がっている攻撃力が、さらに爆発的に上がる。
それを感じ取ったアルタイルは、追い風を向かい風に変えて飛びのいた。
(当たればただでは済まない……!)
流石のアルタイルも、相手が攻撃をした瞬間に風を操作できるわけではない。
そこまで無茶ができるのなら、さきほどは追い込まれていなかった。
もしも今のコゴエが攻撃力を上げて打ち込んでくれば、それこそ風を操ることもできずに殺されるだろう。
(これは強化属性……のようなもの、か? ともかく、間合いに入ることはできないが……)
膠着状態に陥る、アルタイルとコゴエ。
素の防御力も上がっているであろうコゴエへ、走って起こした程度の風による攻撃が有効であるわけもない。
アルタイルは接近戦を仕掛けることができなくなり、しかしコゴエも身動きは取れない。
乾坤一擲は次の攻撃だけ底上げする技。
回避されればそれまでであるし、そもそも相手の方が速い。
弱い遠距離攻撃は無視できるが、アルタイルが間合いを詰めてくれなければ確実に当てることはできない。
もちろん、お互いに危険を冒せば打破は可能である。
やろうと思えば、さらなる攻防に移れるだろう。
「……ここまでにしましょう」
だがそれは、試合ではない。
試合を終えるように進言したのは、意外にもアルタイルだった。
「私にも役割があります。ここで傷を負うことも、これ以上疲れることも許されておりません」
名残は惜しいが、それでも満足はできた。
単なる『氷の最上位精霊』でも『氷王』でもなく、狐太郎に従うコゴエと戦うことができたという達成感があった。
「申し訳ない。ここまでお付き合いいただいて、感謝しております」
コゴエは術を終えて、武装を解いた。
まだ周囲は寒いままであるため、未だに姿は強化されたままだが、それでも彼女は終わりを受け入れていた。
「いえ……正直に申し上げて、『貴女』と戦えてよかった」
「そうでしたか」
いい試合ができたと思う。
お互いにやるべきことができて、楽しい戦いになったと思う。
見分が広がり、尽くし合えたと思う。
試合の範疇で終わったからこその、この白日のようなさわやかさがあった。
「それに、これ以上は良くないでしょう」
アルタイルは、先ほどまでハンターたちが観戦していた場所を見た。
ほとんどのハンターが、その場から逃げ去っていた。
当たり前である。この寒さに、そうそう耐えられるわけがない。
残っていたのはシャインとコチョウだけだった。
二人の前にはキャンプファイヤーのような薪と、燃え盛る炎の精霊がいる。
間違いなく、これで暖を取っていたのだろう。
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
「い、いい、いいい……いいえ! わ、わ、わ、私も……べ、べべべべ!」
あまりの寒さにろれつが回らなくなっているシャイン。
コチョウが残っている手前に逃げるわけにはいかなかったのだが、キャンプファイヤーの傍にいても凍死寸前だった。
「あ、アルタイル様……お見事でございました」
なおコチョウは大丈夫だった。
吹雪が収まっている状況なら、焚火の炎は弱まらない。
であれば炎の精霊と同期できる彼女は、焚火の近くにいれば大丈夫だった。
「さすがは冷厳なる鷲、アルタイル……コゴエさんと、ここまで戦えるとは……」
「胸を借りただけだ、自慢にはならない」
コゴエが降らせた雪とそれに付随する風を利用しただけで、それらがなければリゥイ達にも勝てない。
精霊使いは周囲の環境で、その戦闘能力を左右され過ぎる。
仮にアルタイルがササゲやアカネ、クツロと戦っていたら、ここまで善戦できなかっただろう。
「とはいえ、私が強いことに変わりはない。もしもお前であれば、支援があってもここまでは戦えないだろう。もちろん、私と同等の精霊使いなどそうそうはいないが」
「……はい」
「お前がただの精霊使いであれば、ここに居る火竜のサポートに徹するだけでいいだろう。だが、お前は弟の汚名をそそぐために来たのではないか」
「!」
「負い目があるからこそ、強くならなければならない。お前が強くなり成果を上げてこそ、精霊使いの面目は元に戻る。それはすでに成果を上げている私には不可能なことだ」
冷厳なる鷲の言葉に、灼熱の魔女は心を揺さぶられた。
「強くなれ」
「……」
「やり方は色々とある。他の属性の精霊と契約するもよし、炎の精霊を増やしてもよし、エフェクト技やクリエイト技を伸ばしてもよし。だが、足踏みだけはするな」
「私は……」
「お前は前に進まなくてはならない。それがお前の決めたことだろう、であれば強くなることはもはや義務だ。名を上げることが後ろめたいだのなんだの言っているのなら、とっとと隠遁しろ」
厳しい言葉だが、決して突き放してはいない。
「お前には期待できる」
「期待している、ではなく」
「期待、できる、だ。差は自分で考えろ」
アルタイルはコチョウから視線を切って、焚火の傍から動こうとしないシャインへ礼をする。
「どうか、私の後輩をよろしくお願いします」
「ははははは……ははは……はい」
これ以上寒くなったら、焼け死ぬことを覚悟で焚火に突っ込もうとしているシャイン。
彼女は震えているのか頷いているのか、わからないほど体を揺らしていた。
「大分冷やしてしまいましたか……」
「いえ、それは私のやったこと。お気になさらず。後でアカネを呼んで、温めておきますので」
(今すぐ呼んでくれないかしら!)
かくて、一時の蜜月は終わる。
「コゴエ殿、感謝しております」
「私こそ、最強の精霊使いと戦えてよかった」
「……また、お会いできるでしょうか」
「私は構いません」
「……私も忙しい身ですが、必ずまたここへお伺いします」
握手を交わす二人。
達成感のある試合を終えた二人は、こうして別れることになった。
「コゴエ……コゴエちゃん」
「なんでしょうか」
「アカネちゃん呼んできて!」
なお、コゴエの寒波は余りにも激しく、前線基地内部にも及んでいた。
幸い冬が近かったため冬服を着ることができたし、アカネが基地内部にいたこともあって、被害者はでなかった。
かくて、冬が来る。
コゴエが最大の力を発揮できる、凍える季節がやってくる。
狐太郎がこの基地でハンターになってから、一年ほどが経過しようとしていた。