振らば玉散る光の刃
雪降りしきる中で、刀を構えたコゴエ。
その武器はこの世界の基準においてとても小さく、短く、薄く、軽かった。
雑兵の『包丁』程度の価値しかなく、少なくともCランク以上のモンスター退治に使えるとは思えなかった。
だが、雪降りしきるなかで刀を構えている彼女は、なんとも絵になる。彼女自身が、武器に相応しい細身で小柄な女性であることも手伝って、妖しい雰囲気をもっていた。
公女リァンを含めて、彼女がその『つまようじ』のような刀でAランクモンスターと戦う姿を、多くの者が見ている。
だがそれを抜きにしても、只ならぬ風格が溢れていた。
「……いつまでも見下ろしているのは失礼か」
霜柱から降りて、雪の上に立つコゴエ。彼女はとても静かに向き合う。
その立ち姿は、まさに武人のそれ。戦いの中でも礼儀を忘れず、敬意をもって対峙する振る舞い。
それは雪女らしくもなく氷の精霊らしくもないが、普段の彼女と合致していた。
「では」
「ええ」
二人は、尋常に戦い始めた。
アルタイルの武器は掌と一体化した刃であり、コゴエの武器は片手でも扱える刀。
それを用いた接近戦は、雪の中で行われていることもあって、限りなく無音に近いものがあった。
しかし、見るものが見れば。
この場では白眉隊が該当するのだが、対人戦闘に優れた者の視点からすれば、どちらも高い技量を持っていることが明らかである。
格闘家であるクツロもそうだったが、狐太郎のモンスターは武術にも優れている。
流石にササゲは例外だが、他の三体は『人間のように』戦ってもとても強い。
魔王になることと対極的に、モンスターとしての性質は弱まっているが、それでも隙の無い強さを発揮していた。
「……」
コゴエの振る舞いは、どう見ても氷の精霊とは関係ない。
コゴエが普通に侍として、剣士として戦い始めた姿を見て、炎の精霊使いであるコチョウは完全に目を疑っている。
だがしかし、彼女に惚れこんでいるアルタイルは、穏やかな感動の中に浸っていた。
これが、ただ刀を持っているだけなら、刀を何かの術の触媒に使っているのなら、もう少し違った反応をするだろう。
だが彼女はただ普通に自分と切り結んでいた。
氷の精霊でありながら、武人としての技量と器量を持っている。
それはまさに、彼女が人間を深く理解し、尊敬しているからに他ならない。
もちろん、自分という個人が好かれているわけではない。そんなことはわかっている。
だが最上位の精霊が人間を好んでいることは、春の陽気に包まれているかのような喜びがあった。
彼女は自分の主だけを好み、他の人間に興味を持っていないのではない。文化を含めて、ちゃんと理解している。それが、嬉しいのだ。
「素晴らしい」
そう言ったのは、コゴエである。
「雪の中の私と、ここまで打ち合えるとは」
雪女である彼女は、雪の中でこそ最大の力を発揮できる。
それは氷属性の技の威力が上がるというだけではなく、単純な身体能力さえも向上する。
普段のコゴエが弱いわけもないのだから、強化された今の彼女は相当な身体能力を発揮している。
その彼女と打ち合えているということは、彼自身が強いことと同時に、彼が氷の精霊と高レベルで同期していることを意味していた。
「ショクギョウ技」
「ギフトスロット、ダブルエレメント」
コゴエは己の刀を、あえて鞘に納める。
抜刀術を知らないとしても、その姿勢を見れば戦いをやめたとは思えない。
アルタイルもまた、技の準備に入る。
「電光雪華」
「アクセルエフェクト」
共に、最高速の技を使用する。
「御神渡り」
「フリーズンタイム」
不可避の速攻同士が、正面でぶつかり合う。しかし、鍔迫り合いになることはない。
アルタイルもコゴエも、申し合わせたように大きく下がった。
「……」
「……」
無表情で向きあう両者。
互いに武装しており、さらに術を発動し合っていて、しかも手抜きをしていない。
もしも何も知らない者たちが見れば、二人が果し合いをしているとしか思えないだろう。
だがそうではない。
アルタイルもコゴエも、無表情ではあるが嬉しく思い合っていた。
「さすがは国内最強の精霊使い、お見事」
「いえ……胸を借りているようなものです」
一言で言えば、相性が悪すぎた。
氷の精霊であるコゴエは、氷と風の精霊使いであるアルタイルと相性が悪すぎるのである。
彼女の弱点は高熱なのだが、それとは別に接近戦と氷属性の攻撃が効かない相手には弱いのである。
アルタイル側もコゴエへ容易に有効打を浴びせられるわけではないのだが、コゴエの攻撃のほとんどを無効化できている。
それどころか、コゴエが自分を強くしようとすればするほど、どんどんアルタイルも強化されてしまうのだ。
学部長がランリへ雪女と火竜を同時に使うことのメリットとして、『氷属性に特化し過ぎると、氷が利かない相手に対応できない』と言っていたが、アルタイルこそまさに氷属性だけでは倒せない難敵だった。
もちろん刀で斬ればその限りではないだろうが、加速属性を持っているうえで武人としての鍛錬を積んでいるアルタイルは、ガイセイと違って技量で圧倒することはできない。
まさに、天敵と言っていいだろう。
「……さて」
コゴエは、それを確かめた。
今後のことを考えれば、敵対的ではない上位の精霊使いと戦える機会は逃せなかった。
今回アルタイルと戦ったことによって、少なくとも未知の脅威ではなくなったのである。
魔王として戦えば勝てるだろうが、流石にそれは最終手段であろう。
できればこのまま戦って、上位の精霊使いに対する突破口を見出したい。
コゴエは己の手札を確認しながら、次に何を試すのか考えた。
「……わかっている」
次の一手を待つアルタイルは己の精霊二体へ、自分が警戒をしていることを伝えた。
はっきり言って、コゴエの底がまるで見えないのだ。
コゴエには秘めた力があるのだろう、精霊として最大の力をあえて封じているのだろう。
だがそのうえで、現時点ですでに規格外であり、さらに『本気を出さない上での奥の手』さえ匂わせている。
「ただの精霊と戦うつもりなら、怪我をするだろう」
コゴエが混じりけなしの氷の精霊であることは認めるが、それはそれとして精霊として以外の力を持ちすぎている。
まさか加速属性の己と、普通に競り合えるとは思ってもいなかった。喜ばしい上で、警戒が隠せない。
「精霊ではなく、精霊使いと戦っていると思ったほうがいい」
アルタイルは戦いの中で確信した。
おそらくランリは、コゴエが侍として戦ったところを見ていない。
もしも見ていたなら、『自分に預けてくれ』などとは口が裂けても言わなかったはずだ。
精霊側から見た精霊使いと協力して戦うことの利点は、大雑把になりやすい己の力を集中させやすいことにある。
精霊というのは自然の具現であり、どうしても集中しにくい。炎であれば燃え広がり、風であれば散り、雨であれば流れてしまうからだ。
指向属性や誘導属性、あるいは圧縮属性と組むことによって、拡散しがちなエネルギーを集中させることができるのである。
要するに、精霊というのは集中攻撃が苦手で、精霊使いと組めばそれが補われるということである。
もちろん精霊が誰かと競って勝ちたいと思っているかは疑問だが、戦術的にはそういうことになっている。
その理屈で言えば、コゴエには精霊使いが不要だった。
彼女は一人で、精霊と精霊使いの役割をこなしている。氷の精霊の力を、広範囲にも狭い範囲にも適応させているのだ。
仮にランリがコゴエの力を借りることができたとしても、彼女自身ほどに上手く扱えたとは思えない。
「それでも、不運だったとは言えないが」
思い出すのは、先ほどの光景である。
自分達の前に戦っていた、悪魔使いブゥの姿である。
彼はセキトとササゲの力を同時に発現させたうえで、当人たちよりもさらに上手に使いこなしていた。
アレを見てしまえば、ランリに足りなかったものは運だとは言えない。足りないのは、やはり実力だった。
「私にも、言えることだ」
やはりアルタイルにも、コゴエを扱う器量はない。そういう意味でも、ランリを侮辱できなかった。
ブゥと違って、アルタイルにはあそこまでの制御は無理だった。
「私は弱い」
手に入らない、手が届かない、手に余る最上の精霊。
それを確かめたことは寂しくも悲しいが、だからと言って憧憬は失われない。
彼女が強いことに、一切嘘はなかったのだ。
「だが、まだ終わっていない」
コゴエの底にたどり着けないとしても、可能な限り食らいついてみせる。
無表情を保つ冷厳なる鷲は、一切動揺をせずに構えていた。
「冷厳なる鷲、アルタイル。貴方ほどの実力者が、私と立ち会ってくれたことに感謝している」
そんな彼へ、コゴエは改めて感謝した。
「このまま戦っても我慢比べになるだけ。ならば、私も少し手を変えよう」
局地的に降り注いでいた雪が、急にその勢いを弱めた。
それは温度が上がり始めたわけではないと、アルタイルは理解する。
氷の精霊と同期していなければ一瞬で凍死するような、さらなる低温へと向かっていた。
雪は止んだが、温度は下がっているのだ。
「ショクギョウ技」
雪が止めば、空が見えた。
雲一つない空は、あまりにも青い。
空気中の塵さえ地面に落ちて、過剰なほどに空気が澄んでいるのだ。
「おお……」
何度目かの、感嘆。
アルタイルは、晴れ渡る超低温の世界を見た。
「蒼穹凍土、白日の刃」
それは、極地の光景。
空は晴れ渡り雲一つないというのに、大地にぬくもりはまったくない。
太陽は大地を照らしているが、白く凍り付いた大地で反射していて、雪焼けによってまぶしいだけだった。
「私は氷の精霊種、雪女だ。私が周囲に雪を降らせることには、いくつかの優位点がある」
滅多に使わぬ、使いどころの少ない技。
それを彼女は、惜しげもなく披露する。
「寒冷に耐性を持たぬ相手なら、動きを鈍らせることができる。と同時に、私自身や、私の扱う術も強化される。しかし貴殿は私の同種と同期することによって、この寒さにも適応している。強化にも同調するため、なんの意味もない」
輝く太陽の下、凍った大地に立つ雪女。
その細かった体に、ふっくらと『肉』がついていく。
「この技は、氷属性の技を使用不可能にする代わりに、私自身の強化を倍増させることができる」
アルタイルは気づいた。
この低温で氷の精霊の力は増しているのだが、氷を出すことができなくなっている。
「氷属性の技が効かない相手に使うものだが……氷属性の技だけが得意な相手にも有効だ。貴殿には卑怯かな」
「……いや、まったく」
「そうか……では、決着を付けよう」
最後の攻防が、終わることが惜しい時間が始まった。