友遠方より来るあり、また喜ばしからずや
悪魔使いの戦い方は、分担にある。悪魔が出力を担当し、悪魔使いが制御をおこなう。
自動車でたとえれば、悪魔が自動車そのものとなり、悪魔使いは運転を行うようなものである。
では悪魔使い本人は疲れないのか、というとさにあらず。
重機の運転であったり巨大なトラックの運転であったり、あるいはレーシングカーの運転であったり。ただ運転をするだけ、というのも疲労はある。
加えていえば、ガイセイのように自分が強いわけではないので、強大な力に振り回されるという恐怖感もある。
そしてブゥ本人の弱点として、平行行動による脳の疲労が大きい。
複数の術を同時に発動させるというのは、リフティングをしながらジャグリングをしつつ笛を吹いてフラッシュ暗算をするようなもんである。
できるかどうか、やれるかどうかはともかく、考えるだけで『脳』がパニックを起こすだろう。
それができるようになっているのは、ひとえにブゥの技量である。だがそれも、やはり限度があるのだ。
倒れたブゥは顔を真っ赤にして、目を回していた。
酷使された脳が湯立ち、完全にオーバーヒートしている。
なんともみっともない姿だが、それをバカにできるものはいなかった。
止むことなき波状攻撃は、攻撃を凌ぎ続けたガイセイをして、途方もない恐怖を味わった。
しかし周囲から見れば、時折雷光が迸る程度で、ひたすらブゥが猛攻を仕掛け続けていた。
汗だくとはいえ、無傷でガイセイが出てきたことに誰もが驚いたほどである。
仮にAランクモンスターであったとしても、決して無事では済まないであろう徹底した蹂躙。
それを目にした誰もが、ブゥの実力に震えざるを得なかった。
その一方で、それだけの力を貸した、魔王ササゲにも畏怖の念が向けられている。
狐太郎に従う四体の中では芸達者に分類され、最高火力よりもデバフなどが注目される彼女だが、物理的な攻撃力に変換されれば、ガイセイさえも守勢に回らせてしまうのである。
先日クツロがガイセイに圧倒されたことを想えば、まさに怒涛の攻めという他ないだろう。
「ま、参りましたね……」
「ば、バカじゃないの、この子……」
なお出力を担当していたセキトとササゲは、物凄く疲れていた。
ブゥが遠慮なしに攻撃を行い続けるものだから、大量のエナジーを消費しきっていたのである。
燃料タンクとエンジンを兼任している二体は、消滅寸前まで疲れ切っていた。
「さ、ササゲ……大丈夫じゃないな……公女様! 治療の方をお願いします!」
「もちろんです! お任せを!」
やはり試合なので、先日同様に待機していた治療班が駆けつける。
リァンと一緒に、ブゥやセキト、ササゲへ治療を始めた。
当たり前だが、ただ疲れただけである。命に別状はなく、タイカン技の負荷も三等分だったため軽微だった。
大百足を焼くときにレックスプラズマを使ったアカネが、火の精霊や蝶花の演奏によって負荷を軽減していたのと同じである。
とはいえそれでも消耗は激しい。一人と二体は、等しく倒れて動けない。
担架で運ばれている姿を見れば、彼らが敗者であることは明白だろう。
「……」
しかし、それを見送るガイセイは、浮かない顔だった。
とても歯がゆい表情で、覇気を沈ませている。
「格好悪い勝ち方ですね、隊長」
「麒麟か」
「もっとすかっと勝てないんですか?」
「ふん、言うじゃねえか」
汗だくのガイセイへ酒樽を持ってきた麒麟は、彼が求めている言葉を吐く。
こんな勝ち方、ガイセイはちっとも望んでいない。
「ぷふぅ……」
酒樽の中身を一気に飲み干すと、ガイセイは酒臭い息を吐いた。そのうえでのしのしと歩き出す。
麒麟はその脇についていた。歩幅が違うので、麒麟はかなり足早である。
「お前の言う通り、情けねえ勝ち方だ。こんなもんじゃあ、Aランクハンターは名乗れねえ。アッカの旦那なら、ブゥの奴を褒めつつもぶん殴っていたさ」
「それは……途方もない強さですね」
「おうよ……俺の目標だ」
ゆったり歩くガイセイに、迷いはない。
その眼が見ているものは、やはり前だった。
「この森には……お前が見てない、Aランク上位のモンスターがまだまだごろごろいる。そいつらをぶちのめしてきたのが、アッカの旦那だった。それに追いつくにゃあ、ここで戦うのが一番だ」
Bランクハンターガイセイは、やはり目標をもっている。
ここでしかできないことが、たくさんあるのだ。
「ブゥの奴も、とんでもなく強くなった。アレはまだまだ伸びるぜ……!」
「それじゃあ、どうするんですか?」
「酒飲んで寝る! 明日から、また鍛えなおしだ!」
「ふふふ……隊長らしい」
「おうとも」
去っていく試合の選手。
早々に試合が終わってしまった会場に残されていたのは、やや不完全燃焼気味の観客たちである。
派手な戦いではあったのだが、試合の終わり方があまり良くなかった。
ガイセイがそう思っていたのだから、他の面々も同様である。
「いいものを見せていただきました。大将軍級同士の戦いなど、そうそうみられるものではありません。一見できたこと、一日残ったことは無駄ではありませんでした」
しかし、それでも終わりは終わり。
名残惜んで動けない者たちの中で、アルタイルは真っ先に動いた。
「皆さんに感謝を、私はこれで失礼します」
「そ、そうですか……」
「後ろ髪は引かれますが、もう私がここに残る理由はないので……む?」
そのまま歩いて出ようとするアルタイル。
その彼から、風と氷の精霊が飛び出した。
未練を抱えているであろうアルタイルの周りをまわりながら、その表情らしきものを一体のモンスターへ向けている。
「……ご主人様、ササゲについていてあげてください」
「ん、どうしたコゴエ」
「あの二体から、私へ誘いがあるのです」
担架で運ばれたササゲとブゥのお見舞いに行こうとしている狐太郎に、コゴエはついて行こうとしなかった。
彼女は周囲をわずかに冷ましながら、少しばかりの無茶を言う。
「あそこにいる、この国最強の精霊使いと刃を交えようかと」
「……はあ?」
「お許し、願えませんか」
驚いた狐太郎は、目を白黒させながらコゴエを見る。
そのうえで、最初から分かっていることをする。
「……酷いことを言うが、アルタイルさんに怪我をさせるなよ」
「はい」
「断られたら、引き下がれよ」
「はい」
「俺はササゲのところに行くから、見てあげられない。悪いな」
「いえ、こちらこそ我儘を言って申し訳ありません」
クツロとアカネを連れて、狐太郎は基地へ戻る。
「ねえご主人様、良いの?」
「アカネには許可できないが、コゴエなら大丈夫だろう」
「ひどくない?」
「アカネ、過去を振り返りなさい」
「クツロも酷い……」
「ご主人様を踏んづけた、貴方が酷いわよ」
「それもう終わったことにしてよ!」
「お前の中では生き続けていろよ……」
コゴエなら大丈夫だろう。
その信頼を受けたコゴエは、静かにアルタイルへ歩いていく。
この基地を去ろうとしている、シャインとコチョウが見送ろうとしている彼へ、近づいていった。
「こ、コゴエ……さん」
ぼき、ぼき、ぼき、ぼき、ぼき。
いきなり、五本ほど何かが折れた。
憧れの最上位精霊が、主を置いて自分の傍にいる。
よからぬことを想像し、だらけ切りそうになる己を何とか律する。
自分の傍で精霊たちが喜んでいるが、自分が想像している展開ではないと分かっている。
「アルタイル殿、もうここを発たれるので」
「え、ええ……できることなら、貴女の本領を拝見したかったのですが、あまり長居することはできません。私にも役割があります」
既に折れている手の指をなでて、さらに痛みを増やす。
コチョウの手前、コゴエの手前、無様は晒せなかった。
「貴女の主狐太郎様にお役目があるように、私もまたこの国の前線を預かっています。長く留守にすることはできません」
「それは残念です、私も貴方の腕前を拝見したかったのですが」
「……!」
ぼき、ぼき、ぼき、ぼき、ぼき。
もはや、どうやって何を折っているのかもわからなかった。
もう何を使って自分を律すればいいのかわからない程、彼は平常心を失いかけた。
それだけ、彼にとってはたまらないことだった。
「許されるのならば、少々お時間を頂きたい。寸止めということになるでしょうが、私と試合をしていただきたい」
「……先ほどの試合の、その後でですか」
「ええ」
冷厳なる鷲は、身震いした。
彼の周りにいる風と氷の精霊が、喜んだのか膨張し、拡大し、旋回する速度を上げた。
「ガイセイ殿とブゥ殿、お二人の強さには私は及びません。それでも、私との戦いを……貴女は望むのですね」
「ええ、望みです」
もはや、そこにいるのは思春期の中年男性ではない。
冷厳なる鷲が、北方の最前線に立つ男が、正気のままに歓喜していた。
「失礼ですが、少々着替えをさせていただきます。一応この服は、礼服ですので」
「ではどうぞ」
「失礼します」
慌てることなく、騒ぐこともない。
威厳を持った背中のままで、しかし荒ぶることはなく歩いていく。
「……冷厳なる鷲の戦いが見れるというの?!」
如何に属性が異なるとはいえ、尊敬する精霊使いの頂点の戦いを見れる。
それも、最上位の氷の精霊から望まれる形で。
炎の精霊使いコチョウは、喜びに震えていた。
(でも折れた指を治しに行っているのよね……)
シャインは彼の指が全部折れていることを知っているので、彼が着替えに行くという名目で治療所に行くのだと察していた。
※
着替えと指の治療を終えたアルタイルは、改めて基地の外にでた。
そこにはやはりハンターたちが待っていて、コゴエもまた静かに立っている。
震えるものがある、だが彼はそれを表さない。
代わりに、彼の精霊がうごめく。まるで旋風、まるで吹雪。
風と氷の精霊が、無表情な彼の歓喜を感じ取り表す。
「……」
それに対して、感謝する。
彼ほどの精霊使いになれば、心の中で感謝をするだけでも伝わるのだ。
「凄い……言葉にしなくても、想いをしっかりと伝えられるなんて。これが冷厳なる鷲、アルタイル」
精霊使いにしかわからないこと、精霊にだけ通じること。
それを理解できるのは、この場ではシャインとコゴエだけだった。
もちろんシャインには、相手の感情を読み取る力などない。だが精霊の反応を見て、精霊たちがどんな感情を受け取っているのか理解したのだ。
「それってすごいことなの?」
「ええ! 集中することもなく雑念を出すことなく、その場その場でしっかりと感謝を伝えられる。ささやかなようで、とても難しいことです。それを、あんな無表情で!」
「そ、そうなの……」
冷静になるために指折り数えたとはおもえないほど、平常なる姿であった。
(もしかしたら、彼に対して一生偏見を持ち続けてしまうかもしれないわね……)
最上位の精霊と、最強の精霊使い。
その戦いが見れるのに、シャインは雑念を振り払えなかった。
(まあ、あの醜態を見たうえで、戦いたいと思えるんだから……彼女も感性が人間と違うってことよね)
彼女は確信している。
いざ戦いが始まれば、こんな雑念など一瞬で消えるのだと。
(冷厳なる鷲……いくらここがホームではないと言っても、弱いわけがない。それに相手がコゴエちゃんだからこそ……本領を発揮できてしまう)
この前線基地にいる精霊使いは、蛍雪隊のコチョウだけ。
過去をさかのぼってさえ、長い歴史を持つこの前線基地でも、在籍した精霊使いは彼女だけだろう。
彼女がそう思うのには、それなりの理由がある。
悪魔使いは本来対人戦でもっとも能力を発揮する。それは悪魔という種族に、『約束』を理解できる相手にしか使えない技がいくつもあるからだ。
そういう意味では、さっきの『試合』でもブゥは本気を出せていない。もちろん悪魔の約束など使おうものなら、試合どころではなくなってしまうのだが。
同様に、精霊の能力に依存している精霊使いもまた、精霊が最大の力を発揮できる環境でこそ最も強い。
それは言うまでもなく、精霊が自然発生する環境である。
要は精霊が生まれたその土地でこそ、最も力を発揮できるという、当たり前のことだった。
(精霊使いは、極端な環境でこそ真価を発揮する。風が強い渓谷や高山、海や河、雪原や凍土、灼熱の熱砂。そういう場所の防衛任務が、もっとも適している。であれば……ここはやっぱり、向いていない)
シュバルツバルトには精霊が発生しない。
暮らしているモンスターこそ強大でも、環境そのものはさほど過酷ではないからだ。
だからこそ、ここには精霊使いが来ることは少ないのだ。
よって屈強なるこの土地のハンターたちも、精霊と精霊使いの戦いなど、長い経験の中でも見たことがないはずである。
例外と言えば、コチョウぐらいだろう。そのコチョウをして、ここまで高レベルの戦いなど見られないだろうが。
「試合を受けていただいて感謝する。極力怪我をさせないように配慮はするつもりだが、油断はなさらないでいただきたい」
「承知した」
短いやり取りの後、コゴエの周囲に霜が落ち始める。
彼女の感情が高ぶっている証拠であり、故にそれを見たアルタイルは心中を察する。
「私も貴女を傷つけぬように配慮したいが……何分軍人なので、戦いの中で我を忘れるかもしれない。そのときは……お許し願いたい」
試合をするからには、戦うことにだけ心を置く。
喜びはあるが、表すのは戦意だけだ。
「タラゼド、リベルタス」
風のBランク中位精霊タラゼドと、氷のBランク中位精霊リベルタス。
己が与えた名前を呼び、その存在を確かめ合う。
「相手は最上位の氷の精霊、失礼のないように挑ませてもらおう」
さて、どうするべきか。
戦いを受けておいて遅いが、冷静になればこの状況で使える技は少ない。
まずは己のエフェクト技、クリエイト技で仕掛けるべきか。
そう思った時である。
「戦いを挑んだのは、私の方のはず。であれば場を整えることは、私の方であるべきだな」
この前線基地で暮らしているハンターであれば、逆に見慣れてしまった光景。
精霊の専門家からすれば、逆にあり得ない光景。
「シュゾク技、吹雪花」
彼女の足元に、大輪の花が咲く。
氷そのものが花の形をしていると分かるのだが、まさに花と見間違う精巧さだった。
その、本来どうでもいいはずのことにさえ彼は驚く。精霊の力はとても大味であるため、それを制御することこそが、精霊使いの役割だからだ。
その理屈で言えば、最初の一手を見ただけで、彼女に精霊使いが不要だと分かってしまう。
一拍遅れて、その花から吹雪が溢れる。
奇妙な言い回しだが、間欠泉のように雪が噴き出したのだ。
「おおお……」
これには、流石に無表情を保てない。
わずかに口を開けて、雪の溢れる光景に見ほれた。
「シュゾク技、一面吹雪花畑」
周囲の温度が、見る間見る間に下がっていく。
それに合わせて、彼女は更なる技を出す。
先ほどまではただの草原だった地帯が、雪化粧に覆われたのだ。
そのうえで大地に咲く氷細工の花からは、なおも雪が溢れて止まらない。
大地から吹き上がった雪が、一定の高度に達してから降り注ぐ。
「タラゼド、リベルタス……気を引き締めろ。私も気を引き締める」
アルタイルは、表情を一瞬で引き締める。
もう指を折る必要はない。
「敬意も感謝も後回しだ。今は……戦えばいい」
状況は整えてもらった。
もはや、全力が出せないという言い訳はできない。
この国最強の精霊使い、精霊使いの代表として、やるべきことをやる。
「ギフトスロット、ダブルスピリット……」
舞い落ちる雪が、彼の周りで渦を巻く。
雪の降り積もる中で、彼自身は雪を浴びることがない。
「……アクセルクリエイト」
己の中の『加速属性』を実体化させ、風と雪を高速化する。
「ダイヤモンドミキサー!」
空気中の塵を氷結させ、小さい礫とする。
それを高速の渦に乗せれば、もはや凶器となっていた。
局所的な降雪地帯に生じる、氷の海の渦。
自らが生み出した雪を利用した攻撃に対して、コゴエは無表情で迎え撃つ。
「シュゾク技、大黒霜柱」
自分の足元から突き出る、巨大を極める霜柱。
それに乗る形で回避をする彼女だが、その表情に安堵はない。
こんな稚拙な回避で、難を逃れられるとは思っていない。
「ギフトスロット、ダブルスピリット。アクセルクリエイト!」
操る雪を空中で連結させ、巨大な氷の塊を形成する。
それを風で吹き上げさせ、さらに加速させれば自らの体を高速で上昇させられる。
「アイスエレベーター!」
さながら、投石に乗っているような動き。
それは竜に乗るよりもさらに不安定で、ただその上に立つだけでも難しいだろう。
にもかかわらず彼は、空中で反転しながらも攻撃の体勢を作る。
「むぅ」
視線が合った。
空中でひっくり返っているアルタイルと、霜柱の上に立っているコゴエ。
二人は、雪の中で見つめ合った。
「エレメントギフト、アクセルエフェクト!」
アルタイルの手刀が、氷の刃に覆われる。
それだけならば、なんの脅威でもないだろう。
だが彼自身の加速属性により、その刃は尋常ならざる速さでコゴエを狙う。
「ダイヤモンドソード!」
ぎいん、と。
鉄と鉄がぶつかり合うような音がした。
「お見事」
称賛したのは、コゴエである。
「精霊との連携、自らの能力、戦術と体術。素晴らしい」
自らが手にした刀で、氷の刃を受け止めていた。
「……なんと」
風を操って姿勢を整えつつ、アルタイルは雪原へ着地した。
見上げたそこには、侍の姿になったコゴエがいる。
「既に下準備は十分……ここからは私も、侍としてお相手しよう」