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男子家を出ずれば七人の敵あり

「はあ……一日の始まりに、些細でも幸せがあるといいものねえ……」


 温めのミルクと、クルミの入ったスコーン。

 朝日の入ってくる部屋でそれを楽しんでいるササゲは、心底から幸せそうな顔をしていた。


「ご主人様も、そう思いません?」

「ああ、全くだよ」


 それと似たような顔を狐太郎もしていた。

 朝にちゃんと食べられる献立がある、ただそれだけで日常に些細な幸福があるのだ。


「そうよねえ……ご主人様もそう思ってくれて、私はますます嬉しいわあ」


 加えて、同じように感じている仲間もいる。

 気の休まることがなかったこの日々で、ようやく見つけた小さな幸せだった。


「ササゲ……」

「ご主人様……」


 朝の陽ざしのように、暖かな時間。

 しかしそれを満喫しているのは、ササゲと狐太郎だけである。


「飽きた……」


 最初はがつがつと食べていたアカネなのだが、二度目となる今日は箸が進んでいない。


「当たり前でしょ、あれだけ食べていれば……」


 あまり楽しそうではないクツロは、そんなアカネに呆れている。

 スコーンもミルクも、そこまで味が濃いわけではないので、そうそう食べ飽きる味ではない。

 だがよほどたくさん食べれば、流石にうんざりしてしまうだろう。


「まあ、私もそんなに楽しんでいるわけではないのだけどね……」


 肉でも酒でもないものには、あまり美味しいと思えないクツロ。

 食べられないわけではないので、嫌そうな顔をしているわけではないが、ササゲや狐太郎ほど楽しんでいるわけではなかった。


「ご主人様が少しでも幸せそうなら、何よりです」


 いつも通りなのは、やはりコゴエである。

 ニコリともせずに、ただ静かに飲んで食べている。


「みんな、今日は森に入ろうと思ってる」


 和やかな雰囲気の中で、狐太郎はようやくこれから先のことを決められていた。

 狐太郎が真面目な話をすると、四体は静かに聞き始める。


「ちゃんとお金を稼いでおいた方がいいとか、モンスターを倒して役場の人から評価されておいた方がいいとか、まあいろいろあるけども……この前線基地にずっといて、一灯隊や抜山隊と出くわさないようにしたい」


 本当なら菓子折りでも持って挨拶しに行ったほうが良かったのかもしれないが、モンスターに家族を殺された人たちの集まりにモンスターを連れていくのは地雷であろう。

 もちろん一人であいさつしに行く度胸など、狐太郎にはない。


「どうにもこの世界では、俺は金持ちのぼんぼんと思われているらしい。そんなに間違ってないけども、基本的に嫌われているみたいだ」


 金持ちのボンボンを好いている相手と言うのは、大抵金目当てであろう。

 偏見も入っているが、そこまで的外れではない。


「だから前線基地の中にいないで、森に入れば大丈夫だとは思う」

「森の中で出会っちゃう、ってことはないかな?」

「森に入るルートはいくつかあって、パーティーごとに決まってるらしい。森の中で不意に遭遇するのを防ぐためだとか……」


 狩場に入っているときは、別の狩人から獲物と間違えられることがある。

 それを避けるためには、狩人のすみわけが一番確実で簡単だった。


「白眉隊隊長、ジョーさんの戦うところしか見てないけども……はっきり言って、とんでもない強さだった。もしも他のハンターも同じぐらい強いなら、ぶつかり合ったらろくなことにならない」


 もしもこの街のハンターに狙われれば、狐太郎は無事では済まない。

 それはシャインが既に証明しており、他の相手には試す気も起きなかった。


「と言うことで、森に入ろう。森のモンスターも怖いけど、ハンターに狙われるよりはましだ」

「ご主人様、それフラグだよ」


 茶化すこともなく、まじめにアカネがフラグと言った。

 そしてそれをふざけているとは、流石に誰も言えなかったわけで。


「だ、大丈夫だろ。迷うかもしれないのに、わざわざ森の中を突っ切るとか……ないない」


 ふざけたように返す狐太郎だが、それも正直むなしかったわけで。





 森の中に入ってもハンターに狙われかねないのであれば、モンスターがいない分前線基地に引きこもるべきではないか。

 そう思わないでもないが、街の中で戦うのもそれはそれで問題がありそうである。

 結局一行は、消去法でシュバルツバルトに突入していた。何度か突入している森ではあるが、フラグが立っている気がしているので緊張もさらに高まっている。


(モンスターに狙われない分、前線基地にずっと引きこもっていたほうが安全だったような気が……)


 狐太郎一行は普段以上に全周囲を警戒しながら、おびえつつ森の奥へ進んでいた。


「あのさ、そんなに警戒しなくてもいいと思うんだけど……」


 なお、アカネだけは警戒していなかった。


「そりゃあ、モンスターに家族を殺されたなら、モンスターを憎むと思うよ? でも私たち、この世界のモンスターとはずいぶん違うじゃん。家族がモンスターに殺された人をそこまで警戒するのも、逆に失礼じゃないかな?」


 言っていることは、ずいぶんまともである。確かにここまで怯えるのは、逆に失礼だろう。

 狐太郎もそう思っていたかもしれない。先日、東風隊に襲われていなければ。


「アカネ……いいか……俺の命がかかってるんだ!」


 おそらく狐太郎が、この世界に来て一番の本気で絞り出した言葉である。


「もしも狙われていなかったならその時は謝ればいいんだ、失礼しただけだからな。だけど本当に狙われていたら、その時は俺が死ぬんだよ!」

「大げさだなあ、ご主人様は」

「先日襲われたばかりじゃねえか! 縁もゆかりもないような、全然関係ない通りすがりの連中に!」

「それはそうだけど……この森で活躍しているハンターさんなら、同じように働いている私たちを警戒するんじゃないかな」

「理屈じゃないんだよ!」


 まだ会ってもいない相手なので、想像通りである理由も、そうではない理由も、いくらでも用意できる。

 だがはっきりと確実なことは、蛍雪隊の隊長がわざわざ警告しに来てくれたということだ。


(もちろん蛍雪隊の人が腹黒い魔女という可能性もある。だがこの世界は人間とモンスターが争っている世界、舐めてかかるのは危険すぎる!)


 警告されるような素行をしている集団がいるのである。

 警戒するのは当然のことだった。


ううっぎゃあああおおお!

「ひぃ?!」


 そして、眼前に飛び込んでくる、マンイートヒヒ。

 たった一体ではあるが、狐太郎一人殺すには十分すぎる。

 大いにおののいて、クツロにしがみついていた。


「す、すぐにたくさん来るぞ! みんなで俺を守りつつ……」

「お待ちください、ご主人様。これは……すでに瀕死です」


 地面に転がっているマンイートヒヒ。

 文字通り転げまわっているが、もがくばかりで逃げも隠れも襲いもしない。


「げ」

「うわ」


 それをよく見て、狐太郎とアカネは顔をしかめた。

 驚異の生命力を発揮しているそのマンイートヒヒだが、その両手両足は明らかに切り落とされている。

 さらによく見れば、手足だけではなく全身が傷だらけだった。


「おそらくですが、拘束された後手足を切り落とされたのかと」


 その姿を見て、コゴエが冷静に判断する。

 確かにそうとしか思えない状態だったが、そうなるとまた別の疑問がわく。


「ちょっと待って、コゴエ。それじゃあなんで、このモンスターはここにいるの?」 


 狐太郎は口を開けることもできないが、クツロが言ったことと同じような疑問を抱いていた。


(拘束されて、手足を切り落とされて、身動きが取れなくて……じゃあなんでここまでこれたんだ?)


 マンイートヒヒが他のモンスターか別のハンターによって【こう】されたとして、なんの助けもなくここまで来れるわけがない。


「やあやあ、申し訳ない。獲物がここに逃げてしまいました」


 いっそすがすがしいまでに、白々しい声が聞こえてきた。


「おやおや、これはこれは。初めてお会いする方ですね、噂に聞く狐太郎さんではありませんか?」


 ものすごく慇懃無礼な印象を与える、わざとらしい笑顔と丁寧な言葉。

 真綿に針を包むという言葉があるが、真綿に収まらないとげとげしさがある。


「どうも初めまして、私は一灯隊の隊長代理ヂャンと申します。貴方と同じ、Bランクのハンターですよ」


 そんな彼に続くのは、わざとらしい笑顔さえしていない男たちだった。

 かなり若い印象を受けるが、誰もが若さや幼さを感じさせない憤怒の顔をしている。

 見るからに、わかりやすく敵対的だった。


「ど、どうも初めまして。先日から前線基地で働くことになった、虎威狐太郎と申します」

「本当にすみません。私達が逃がしてしまったせいで、驚かせてしまいましたね」

(絶対に嘘だ)


 もはや疑いの余地はない。

 まるで三文芝居のガールハントがごとく、こちらへ話しかけるきっかけを作るために、手足を解体した猿をこちらの進行方向に放り投げたのだ。

 ものすごいきっかけの作り方もあったものである。


「そう警戒なさらないでくださいよ、私達はおなじ場所で働く、討伐隊の一員じゃないですか。仲良くしましょうよ」

(な、仲良くする気が無い!)


 握手をしよう、と言わんばかりに手を伸ばしている。

 しかしその一方で、こちらへ歩み寄る気は一切ないらしい。

 ヂャンは自分の部下をすぐ背後に控えさせたまま、森の茂みから一歩も出ていない。


(どう見ても、罠だ。俺が近づいたところを、なんかこう、罠にはめる気だ……)


 誰がどうみても罠なのだが、だからといって逃れられるかは別の話だった。


「おやおや、まさか、握手ができないとか?」

(なんて嫌らしいプレッシャーをかけてくるんだ!)


 にやにや笑いながら、露骨に挑発してくるヂャン。


「孤児院出身の男とは、汚くて握手ができないとか?」

(自虐ネタ過ぎる……)


 仮に、ここで拒絶したとする。

 侮辱されたことを言い訳にして、襲い掛かってくるだろう。

 さりとて握手をすれば、そのまま捕まってしまうか、あるいはそのまま殺される。


(じゃあここに残った方がいいような……いや、それもどうかと思うな)


 長考に入った人間は、たいてい間違った道を選んでしまう。

 例え見えている地雷だったとしても、倫理観や道徳によって踏まなければならないこともある。


「みんな……行ってくる!」


 ここで差別的な行動をとることは、狐太郎にはできなかった。


「ご主人様……いざとなれば、必ずお助けします」

「ご主人様、勇敢な判断に敬服いたします」

「ご主人様、すごい! 頑張って!」

「ご主人様~~かっこいいわよ~~」


 そして強がりの笑みを浮かべる狐太郎を、四体は止めることができなかった。


(実は止めてほしかった……)


 結果的に、心理的に追い詰められた狐太郎は前に進むしかなかった。


(隠れキリシタンが踏み絵を踏めなかった理由がわかる……)


 一歩一歩、前に進む。

 どう考えても友好的とは言い難い相手に、できるだけにこやかに笑って前に進む。

 どうか、できれば、彼らとの接触が穏やかに終わることを願って。


「ど、どうか、今後はよろしくお願いします」

「ええ、こちらこそ」


 道を出て、茂みに入り、握手をする。

 改めて近づくと、ヂャンだけではなく他の男たちも、見上げるほどの大男ばかりだった。

 この世界でハンターをやれる人間は、大男でないと務まらないのだろう。


「ははは」

「あははは」


 笑いあって、握手を交わす。


「いやあ、握手をしただけでわかりますよ。わたしたちと違って、裕福な家庭でやさしいご両親に育てられたのでしょうね」

「え、あ、あははは」


 狐太郎の手は、普通の手である。

 野球をしていたとか、空手をしていたとか、水仕事をしていたとか、火傷の跡があるとか、そんなことは一切ない。

 だからこそ、傷だらけになることのない人生だったと、あっさりと悟られていた。


「その貴方が、こんなところに来たんです。いろいろと理由があるんでしょう」

「え、ええ……」

「正直、大変ではありませんか?」

「その通りですよ」


 笑いあう二人。


(こ、これは、この場だけはなんとかなったのか?)


 意外にも、こちらの事情を察してくれている。

 淡い願望が確かな期待に変わりかけていた。


「どうですか、仲良くするんですから、試合でもしませんか?」

「え」

「大丈夫ですよ、貴方とはやりませんから」


 あっさりと、想定通りの状況に陥る。

 まるでぬいぐるみのように放り捨てられ、一灯隊の隊員に拘束される。

 縄や鎖などは使わず、ただ片腕で抑えられているだけなのだが、それでもびくともしなかった。


「さあて」


 笑った顔のまま、ヂャンが怒っていた。


「んじゃあ誰か、俺と戦え」


 先ほどまでと違って、とても滑らかに、素のままだった。


「安心しろよ、ただの試合だからな。前線基地じゃあ禁止されてるけどよ、ここでなら何が起こっても自己責任だからなあ。もちろん断らねえよな、断ればどうなると思う? こっちが仲良くしてやるって言ってるのに、それを無碍になんてしねえだろう? お前らは仲良くするのが大好きなんだからな」


 そしてそれを、一灯隊の隊員たちも止めていなかった。


「ああ、やっぱり!」


 こうなるとわかっていて、見えている地雷を踏みに行ったことはバカ丸出しである。

 しかしこうなっては仕方がないので、試合という名の殺し合いをせざるを得なくなっていた。


「ねえ、ヂャンさん。試合するのなら、ルールを決めた方がいいんじゃないかしら」


 そしてその試合に対して、ササゲが提案をしようとする。

 しかし……。


「その手には乗らねえぞ、悪魔。それ以上余計なことを言えば、お前らのご主人様がどうなっても知らねえからな」


 取り付く島もない。

 ルールを決める提案さえ聞こうとせずに、ヂャンは話を打ち切っていた。


「俺たちに学が無いからって、訳の分からない呪いを無防備に食らうとでも思ってるのか、ああん?」

(悪魔の呪いを警戒した? ってことは、この世界にも呪いを使う、言葉を操る知的なモンスターもいるってことか?)


 この世界ではいまだに猛獣のようなモンスターしか見ていないが、言語を操るモンスターの類も存在はしているらしい。


(いや、そんなこと考えている場合じゃないけども……)


 気づいておいて、それが無意味だと思いなおす。

 狐太郎は、そんなことを気にしている場合ではない。


「ササゲ、ここは私が出る」


 一歩前に出たのは、コゴエだった。

 その足元は、わずかに霜が降りていた。


「ご主人様は、私達を信じて人道を選んだ。であれば私たちがお救けしなければならん」


 この場では一際小柄な彼女は、ゆっくりと前に出た。

 彼女の吐息が白くなることはなくとも、その周囲は明らかに白んでいる。

 

「周囲の警戒を任せたぞ」


 おそらく何も知らない人間が見ても、彼女が興奮して闘志をたぎらせているとわかるだろう。


「かわいい見た目だが、わりとケンカっぱやいな」


 にやにやと悪意のある笑みを浮かべて、攻撃的に武器を構える。

 彼が手にしている武器は、長い棒の先端に大きな丸い鉄球がついている鈍器だった。


「そのツラ、ご主人様の前でぶっ潰してやるぜ」


 今更だが、人間の持てる重量の武器に見えない。

 棒だけで彼自身の身長よりも長く、先端についている鉄球は彼の頭より二回りも大きい。

 どう考えても森の中で振り回すには向いていないが、相手が巨大な怪物であることを想えば適正なのだろう。


「やってみろ、人間」


 しかし、相手は小柄なコゴエである。人形ではあるまいし、殴られそうになれば避けるだろう。

 普通にたたきつけるだけでは、どう考えても当たらない。


(ぶっちゃけ殴りかかった方がいいと思うんだが……)


 挑発しているコゴエに負けてほしいと思っているわけではないが、ヂャンがどう戦うつもりなのか狐太郎は興味を持っていた。

 もちろん、拘束されているので他に何もできないのだが。


「いくぜ、おい」

「こい」


 大上段で振りかぶっていた、巨大なこん棒。

 それが、一瞬で消えていた。


「はあ?!」


 本当に、目にもとまらぬ速さだった。

 狐太郎は、ヂャンの攻撃がまるで見えなかった。


「よく避けたな。さっきの猿なら、今ので死んでたぞ」

「一緒にされても困る」


 超高速の叩きつけを、コゴエは大きく後ろに下がって回避していた。

 どうやら挨拶代わりだったらしく、ヂャンは驚いてもいなかった。


「今ので死ぬようなのが、この森でハンターをできるわけがないがな」

(じゃあ俺は無理だな……)

「それにだ、今のはお前を殴りつぶしたかったんじゃねえ」


 モンスターやハンターが踏み固めた、地肌の露出している地面。

 それに深々と埋まっていた、ヂャンのこん棒。


「コネクトエフェクト」


 土や石を押しのけて埋まっていたそれを、彼は高々と掲げる。


「マッドハンマー!」


 それは、もはや鉄球ですらなかった。

 木の根を力任せに引っこ抜いたように、棒の先端には大量の土砂がまとわりついている。

 一際大きくなったそれを、彼は軽々と掲げていた。


「おらおらおらああ!」


 そして再び、圧倒的な速度でコゴエに襲い掛かっていく。

 より巨大になった武器は、彼女に接近を許さなかった。


「どうしたどうした、避けてるだけじゃあ勝てないぜ!」


 狐太郎では、二人が今どこでどう戦っているのかもわからない。一つのところにとどまらず、俊敏に機動戦を行っている。

 残像さえ捕らえられないが、コゴエが回避に徹している、なんとかよけられているということはわかった。


「凄い……こんなに強い人間がいるなんて……」


 それを見て驚いているのは、狐太郎だけではない。

 アカネは声を出して驚いているが、ササゲとクツロも驚いている。

 間違いなく、今まで見たどのハンターよりも人間離れした動きだった。


「マッドスイング!」


 攻防のさなかで、ヂャンは大きく間合いをとって一振りする。

 それまで磁石でくっついていたかのような土くれが、一瞬で鉄球から離れて発射された。


「シュゾク技、薄氷壁」


 それに対して、コゴエは透明なほどに薄い壁で対応する。

 小石の混じった土砂はすべて氷壁に衝突し、力なく落ちていく。


「やはり、繋げた物は外せるのか」

「そりゃそうだろ? 次はそうそう避けられないぜ」

「そうだろう」

 

 どうやらコゴエは、この攻撃が来ると読んでいたらしい。

 それを警戒していたがゆえに、回避に徹していたようだ。

 もちろんヂャンも、それを察した上であえての攻撃をしたのだが。


「正直に述べよう……ここまで強い人間と戦ったのは初めてだ。貴様、少々野卑だが武人と見受ける。はしたない話だが、強い人間と戦うのは本能が沸き立つ」


 コゴエの纏う雰囲気が、さらに冷たくなっていく。


「それを抜きにしても、このまま様子見に徹するのは無礼。こちらも……本気を出そう」


 彼女の周囲どころではない、見える範囲の温度が急激に低下していく。

 空気中の水分が凍結し、細やかな氷の粒となって落下しはじめた。

 それは雲もなく降り積もる、初雪のように。


「シュゾク技、雪景色」

「お前……精霊だな! それも氷の精霊か!」

「如何にも。私は雪女、精霊の一種だ」

「わからねえな……精霊ってのは、適した土地を離れられないらしいじゃねえか。氷の精霊なら、よっぽど寒いところじゃねえと消えちまうんだろ」

「その通りだ。ただ私は際立って強いのでな、よほど熱くとも影響はない」


 この世界における常識を語ってくれるヂャン。

 深く詮索しようとしなかったジョーやシャインと違って積極的に質問をしてくるので、結果的に狐太郎へ情報が集まっていく。


「解せねえな」

「何がだ」

「亜人はそこそこの値で買えるらしいし、竜だって珍しくて高いが買えないわけじゃねえ」


 亜人というのが大鬼であるクツロだとはわかる、竜というのもアカネだろう。どちらも、みるからにそんな感じである。

 なお、安いと言われたクツロは微妙に傷ついている。


「悪魔ってのも物好きで、変なのと契約することもあるらしい……。だが、強い精霊が弱い人間と契約して隷属するなんて聞いたことがねえ」

(そりゃそうだ……っていうか、強い人間となら精霊も契約をするのか? 契約にもいろいろあるのか? っていうか、隷属って……)


 怪訝そうなヂャンだが、それはすぐに振り切った。

 

 雪は静かに積もっていく。

 雪に覆われてしまえば、この深い森も彩が変わっていく。

 背の高い木々の枝は、雪の重みでわずかにしなり、太い幹にも雪が張り付いていく。

 なによりも地肌の露出していた道に、ゆっくりと重なっていった。


(雪女は精霊の一種で、地形や天候を変化させる力を持っている。それによって敵を急速に弱体化させたり、寒い地方に適性のある仲間を強化することも可能だ)


 拘束されている狐太郎は、そこまで寒さを感じていなかった。

 彼の着ている服は、お世辞にも防御機能がない。

 しかし防寒や耐熱など、過酷な環境から着ている人間を守る機能があった。

 だからこそ、狐太郎は冷静に状況を把握していた。


(俺のモンスターで極寒の地形天候に適性のあるやつはコゴエだけだから、ぶっちゃけシナジーなんて一切ないんだが……それでもコゴエはこの環境でこそ真価を発揮できる)


 冷静に考えることしかできないからこそ、戦況を客観視できてもいた。


(とはいえ、そんなことは相手もお見通しだろう。見た目通りに、雪が降ってるだけだし)


 モンスターパラダイスには、多くの特殊な環境を生み出すモンスターがいた。

 例えば物理攻撃と魔法攻撃の判定を入れ替える、物理攻撃しかできなくする、魔法攻撃しかできなくするなど。

 相性次第では完封さえ可能な、特殊で初見殺しの技も存在する。

 だが、狐太郎のモンスターはそれが使えない。


(頼むぞ……コゴエ!)

「た、助けてくれ、コゴエ!」


 客観視できていても、口から出るのは情けない言葉である。


「お任せください、ご主人様」


 降り積もる雪の中で立つコゴエは、あまりにも絵になっていた。

 しかしそれに見ほれるほど、ヂャンは初心ではない。


「ずいぶん軽く任されたなあ、おい! 雪が降ったぐらいで、俺が負けるかよ!」


 振りかぶった鉄槌を、振り下ろす。

 ただそれだけで風が吹き荒れ、薄く積もっていた雪を吹き飛ばし、さらに地面さえ叩き割っていた。


「マッドハンマー!」


 砕けた土を巻き付けて、再び襲い掛かるヂャン。


「おおかた雪を積もらせて、動きを鈍くさせる算段だろうが……そんなに待つわけないだろうが!」


 確実に積もっていく雪ではあるが、その量は決して多くない。

 吹雪のように大量の雪が落ちてくるわけではなく、それ故にヂャンの動きは先ほどまでと一切変化がなかった。


「一発でも当たれば、そのままお陀仏だ!」

「守勢に回る気はない。シュゾク技、大寒波!」


 だがしかし、彼の周囲四方八方からすさまじいまでの冷気がおそいかかっていく。

 コゴエだけではない、彼女が降り積もらせた雪のすべてが、周辺の熱を吸い上げている。

 それによって、極めて不規則な冷気の乱気流が生じていた。


「ぬ、ぬがあああ!」

「仕込みは済んでいる。雪原と化した場で放つ大寒波は、一味も二味も違うぞ。常人ならば、一分と持たずに凍死に至る」

「ふざけんああああ!」

「しかし、常人ではないな……信じがたい」


 寒い環境では、人間の体は完全な調子で動けない。

 だがヂャンは、先ほどと変わらないどころか、それ以上の速度で動いている。

 彼の振るう鉄槌に、いささかの衰えも見いだせない。


「だが私は雪女、この場では私に利がある……シュゾク技、大氷柱!」


 尖った氷柱が、地面からそそり立つ。

 鋭利な切っ先を向けて、鉄にも勝る硬度を持った氷がヂャンに向かって伸びていく。


「舐めんなあ!」

 

 それを、ヂャンはマッドハンマーの一撃で破壊していた。


「なんと!」

「こんなもん、巻き取って巻き上げて、巻きつけてやるぜえ!」


 絶対の自信があった技を、あっさり破られたことに瞠目を隠せないコゴエ。

 その彼女の前で、鉄槌へ氷の破片を巻き付けていくヂャン。

 彼女の攻撃は、ヂャンの武器をより肥大化させるだけだった。


「コネクトエフェクト! アイスボール!」


 ボールと呼ぶには、あまりにもいびつな氷の凶器。

 より巨大になったそれを、ヂャンはそのまま振り下ろそうとする。


「あん?!」


 しかし、その動きが途中で止まっていた。


「怖れいった、低温下での氷柱を砕くとは。だがしかし、それならばそれで、やり様はある」


 大きく踏み込もうとしていたヂャンの両足。

 それが雪に埋もれるだけではなく、凍り付いて固定されていた。


「凍傷の恐れもあったが、これだけ頑丈ならば問題あるまい」

「て、てめえ! 俺を氷漬けにする気か!」

「貴殿は物を繋げる力があるようだが、弾く力はないと見た。私が凍りつけて繋げてしまえば、抜け出ることはできまい」


 凍り付いているのは足元だけではない。首から下のことごとくが、雪に覆われていく。

 ヂャンの体に張り付いた雪は、圧縮されて白い氷に変化していった。


「ち、畜生!」

「安心しろ、殺しはしない。首から下だけは、自由を奪わせてもらうがな」

 

 手足がどこにあるのかもわからないほどに、巨大な氷の塊へうずもれていくヂャン。

 そして雪が止まった時、そこには滑稽なほど拘束された姿があった。


「シュゾク技、雪だるま」

 

 降っていた雪は止み、積もっていた雪も解け始めている。

 平常に戻りつつある外気温によって、季節外れの雪はただの水に戻り始めていた。

 しかしそれでも、ヂャンを固定している巨大な氷の塊だけは、解けるのに時間を要していた。


「ヂャンさん?!」


 狐太郎を拘束している彼の部下たちは、首だけが出ているヂャンの身を案じていた。

 頭以外が氷に包まれているのだ、無事だとはとても思えなかった。


「見ての通り試合は終わった、私たちのご主人様を返してもらおうか。そうしなければどうなるかなど、言うまでもあるまい」


 静かに宣告している、力を収めたコゴエ。

 冷気は既に発していないが、その発言はどこまでも冷たかった。


「まごつけば、深刻な凍傷を負いかねないぞ」

「その心配は、ねえよ」


 首から下が拘束されているヂャンは、冷静になった顔で穏やかな口調になっていた。

 その一方で、余裕らしいものは失われていない。


「ふん!」


 そして、力んでいるのだと分かる顔になっていた。


「おおおおおお!」


 びきりびきりと、氷が割れていく音がした。


「う、うそでしょ……」


 アカネが口を開けて驚き、コゴエ本人も驚嘆して声が出せない。


「うがあああああ!」


 氷の破片をまき散らして、力まかせに脱出を遂げたヂャンを見て、もはや誰もが絶句していた。


「してやられたぜ。流石にこうも手加減されたんじゃあ、これ以上やる気にはならねえなあ」


 怪力による拘束からの脱出。

 あまりにも人間離れした所業に、ヂャンの部下さえ開いた口がふさがらない。

 その一方で本人は、試合で負けたことを認めていた。


「コゴエとか言ったか。俺の頭を氷漬けにしなかったこともそうだが、まだ全然本気じゃねえな。まあそれは俺も同じだが」


 体についている残った氷を払い落しながら、寒さに震えることさえなく平然としている。

 戦闘は可能だが、続行の意思は完全に失われていた。


「お前と同じぐらい強いのが、あと三体もいるんなら……流石に俺達だけでやるのは無謀だな」


 軽く指で指示をだすヂャン、部下はそれに従って狐太郎を解放していた。

 狐太郎は慌ててササゲ達の元へ戻るが、それでもヂャンに対して恐怖を隠せなかった。


「お互い怪我がなかったってことで、なかったことにしようぜ」


 このシュバルツバルトでモンスターを狩る、Bランクのハンター。

 その中でも上位に位置するであろう男の、その信じがたい生命力。

 それは人間と言うよりも、モンスターに近かった。


「いいだろ、狐太郎さんよ」

「あ、ああ! ああ、もちろんだ!」


 片や屈強な大男に体をつかまれて、片や首から下を氷漬けにされて。

 しかし二人とも、確かに怪我らしい怪我はなかった。


「んじゃあ本題だ。少しばかり、俺の話を聞いてもらおうか」

(話をしに来たんなら、最初からそうして欲しかったんだが……)


 喚き散らすことなく、静かに語り始めるヂャン。

 人間離れした力をもつ彼は、しかし人間らしく話を始めていた。

 そのギャップに面食らうが、それを口に出すことはできなかった。


「先に言っとくが、俺はモンスターが憎いってことはねえ。確かに一灯隊にはモンスターを親の仇と思っている奴らも多いが、俺はそうでもない」


 襲い掛かってきて白々しいが、今の彼はコゴエ達への敵意や怨嗟はなかった。

 奇妙な話だが、清々しいほどの説得力があった。


「それにまあ、育ちがいいからってムカついてもねえ。昔はそうでもなかったが、白眉隊の人らを見てりゃあそんな気も失せるさ」


 言われるであろう質問に先回りし、自分たちがどう見られているのかも自覚しつつ、返答を待たずにつらつらと語っていく。


「言いたかねえが、一灯隊にもクズはいた。俺らが孤児院に送ってたカネをちょろまかして、遊び歩いてたどうしようもない奴がな。だから、貧乏人なら信じられる、ってこともねえんだ」


 自分が何に腹を立てているのか、誤解なく伝わるように言葉を選んでいた。


「俺が嫌いなのは……大嫌いなのは、役場の奴らだ」


 その表情は、裏表のない真剣さだけが満ちている。


「自分はこんなところにいるべき人間じゃないって、他の奴らとは違うんだって思ってる、そんな奴らさ。お前と同じようにな」

(言われてみれば確かに……!)


 重厚な意志を持っている彼に対して、狐太郎は余りにもペラペラだった。


「はっきり言ってやるよ、お前はクズだ。モンスターを連れているとか、自分が何にもできないとか、そんなことはどうでもいい。あの基地にいるのは、大抵そんな奴らだしな。他人まかせで安全なところにいるってんなら、蛍雪隊の隊長さんだって似たようなもんだ」


 弱さや出自と無関係な『覚悟の無さ』を、これでもかと告発していた。


「あの前線基地で暮らしている連中は、あの前線基地が自分の暮らす場所なんだと受け入れている。外からどういうふうに思われているのか、どれだけ危険なのか、ちゃんとわかった上で自分の暮らす場所だと思っている。お前や役場の連中だけだ、違うのはな」

(返す言葉もない……)

「他の誰がお前をどう思っても、俺はお前が大嫌いだ! よく覚えておけ、いいな」


 言いたいことを言いきると、ヂャンは背を向けて歩き始めた。

 彼は納得したようだが、狐太郎一行はそうもいかなかった。


「……それを言いたいがために、こんなことをしたのか」


 去ろうとしているヂャンを、コゴエは呼び止めていた。


「まあ、お前らを見ときたかったのも本当だ。俺を殺してもばれそうにない、ばれても罰を受けなそうな所でも、お前たちは俺を殺そうとはしなかったしな」


 ヂャンは振り返ることなく、歩きながら返答していた。


「それに……今じゃなきゃ、こんなことはできなかったからよ」


 身を案じている部下と合流した彼は、そのまま茂みの中へ消えていった。


「お前らがもしもAランクになれるんなら、妬みで難癖をつけてると思われちまうだろ」


 その彼の背を見ながら、狐太郎は思った。


(Aランクってどんだけなんだよ?!)


 Bランクがピンキリなのは分かっていたが、それでもヂャンの力技には唖然とさせられた。

 その彼でさえ、この街では最強だという抜山隊の隊長ほどではないというし、その男でさえもAランクにはなれていない。

 一体どれだけの怪物ならば、Aランクのハンターになれるというのだろうか。

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― 新着の感想 ―
全くその通りですな。私もこの主人公、大嫌いです。
[気になる点] なんだかなぁ… 結局相手はやりたい事やってこっちは何もなしってのはなぁ
[一言] そりゃあ覚悟は足りないけどゲームをしてただけなのに突然ゲーム内の異世界に飛ばされたとか意味不明なことになったらしゃーない感はあるな 逆にそれを自覚して純粋に申し訳なく思えるのが凄い、この状況…
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