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10年結婚

作者: しらふ

「2020年、結婚の法律が変わります」


俺は朝のそのニュースをトーストを齧りながら見ていた。

少子化問題や不倫問題、女性の活躍の場が増え

男女を超えた恋愛への理解が深まり

「性」というものが見直された時代だった。

「本当に変わるのね」

後ろで妻が洗い物をしながら独り言のように言った。


2020年から、年齢も性別も問わない“自由結婚”が新たに導入されるのは

この時代ならではの画期的な進化だと思うけど

この自由結婚には別のルールも存在する。


「10年契約」


この国ではおよそ三分の一の夫婦が離婚している。

“事実婚”という形で生涯結婚しない夫婦生活を送る者も少なくない。

10年というスパンで終わりのある関係を深めると共に

人間関係の揉め事や事件性の回避

そして配偶者を定期的に変えることで少子化対策を図った。

そこで国が出した策がこの「自由結婚契約法」だ。


未だにワイドショーでは賛否両論の風潮はあるが

事実、賛成派は半数を超えている。

今もテレビの中では「何でもかんでも効率化し過ぎだ」

とコメンテーターは汗を流して言っていたけど

その後に続いて流れたニュースは、去年結婚した芸能人の不倫を告げるニュースだった。


「ねえ、私たちの契約はどうなるの」

洗い物を終えた妻がダイニングテーブルの向かいの席に座り

テレビのボリュームを下げながら言う。

「どうって、更新するか解約するかだろ」

この自由結婚契約法は、過去に遡って適用される。

俺たち夫婦が結婚したのは2011年。

つまり来年には離婚か、さらに10年の結婚更新かを選択しなければならない。

そして、更新したら特別な理由がない限り離婚は認められず

認められても多額の税金を支払わされる。

要するに、違約金だ。


この話題が上がった頃から俺たちには子供がいなかった。

だから妻とは、この法律が決まるまでは子供は作らないでおこうと決めていた。

妻ももう30半ばを過ぎて若いとは言えない。

だから今後の俺たちの決断次第では、妻に子供を授かるチャンスは限られている。

そのことで妻と俺とでは、少し意識に温度差があった。


「あなたはどうしたいのか決まっているんじゃないの?」

妻のその言葉に俺は返事を返せずにいた。

「まだ一年あるんだから、そう焦ることもないだろ」

悪いとは分かっていてもつい言ってしまう。

「あなたはそうでしょうね。離婚したって私みたいに相手探しに焦っている30過ぎの女はその頃には溢れるだろうし」

「そういう言い方をしなくてもいいだろ」


俺は悩んでいた。

新婚の頃は俺だって彼女を生涯の妻と決めていた。

けど結婚生活が9年も続くと事情が変わってくる。

妻は小言が年々増え、化粧っ気もなくなり

部屋で着心地重視のカジュアルな姿ばかりを見ていたら

当時の輝きは失われてしまう。

俺も仕事で疲れると休日は似たようなもんだった。

テレビのボリュームを上げながら頭をポリポリと掻いている妻を見て小さく溜息をついた。

お互いにマンネリしてきていた。


職場でも話題は“自由結婚契約法”で持ちきりだった。

驚いたことに職場の半数近くは離婚の手続きを進めているそうだ。

テレビで見た「過半数の賛成派」が急に現実味を増した。

「お前んとこはどうするんだよ」

と同期の奴に声をかけられたが、笑ってごまかすことしかできなかった。


今、様々な形が受け入れられ始めている。

それと同時に「永遠の愛」のようなかつては誰もが見ていた夢は

その存在すら無くなりつつあった。

この国が選んだのは幸せになるための選択じゃなく

不安を感じなくて済む選択だ。

そんな選択の先に、長続きする喜びなんてないだろう。

俺は妻のことは嫌いなわけじゃないし

妻としての役割に不足を感じているわけでもない。

ただ、「あと10年愛し続けられるか?」

と聞かれると、正直よく分からなくなっていた。

俺にとって妻はどういう存在だったのか。

そして愛情ってどういうものだっただろう。


家に帰るとダイニングから扉を開けて妻が

「おかえり!」と子供のように迎え入れてくれた。

というのは、もう6年前までの話だ。

今じゃ無言で玄関をくぐり、ダイニングの扉を開けた時に

「おかえりー」とお互い目も合わさないで声を交わす程度だ。

その距離感に特にストレスも感じないのが、むしろ今は問題だった。


離婚や不倫のニュースが多かった芸能人も

契約やら更新やら解約なんていう言葉の方が多くなってきた。

もうみんな動き始めている。

結局人間は大きな夢や理想を描くのが好きでも

快楽主義の動物でしかない。

リスクの大きい幸せよりも、リスクの少ない安定を望む。

結婚という一種の呪いのような呪縛から解き放たれたように

最近の繁華街はやけに盛り上がっている。


欲しいものを望むから他を我慢しなければいけなくなる

という単純な問題のはずだけど

それでも人は恋をして、愛の契約を交わし

そして愛の束縛に疲れたら

また新しい恋を求めてしまう。

その身勝手な欲望を国が認めるほど

ほとんどの人が恋を求めて、愛に疲れていた。

俺もそのうちの一人なのかもしれない。


俺は仕事帰りに駅前の洋菓子店に立ち寄っていた。

今日は妻の誕生日だった。

出会ってからだと、もう12度目の誕生日だ。

これも回数を重ねる度に盛り上がるイベントではなくなっているけど

記念日と違い、誕生日は欠かさずに祝っていた。

コンビニのケーキになったり、おめでとうのメールだけになってしまう事があっても。


妻は洋酒の入っていない、甘くて子供っぽい味のチョコレートケーキが好きで

ほとんど毎年そういったものを選んで買っていた。

今年もそうしようかと店の前で悩んでいると

後ろから急いでいる様子のサラリーマン風の男が店員に

「誕生日ケーキお願いできますか!?」

と子供っぽいチョコレートケーキを指差していた。

店員は「いいんですか?」という風に俺の目配せをしてくれたが

俺は苦笑いしてその場を立ち去った。


いつまでも誕生日くらいはちゃんと祝おうとか

結婚を決めたら最後まで添い遂げようとか

そういった考え方に縛られ過ぎているのかもしれない。

考え方や価値観なんて時代と共に簡単に変わっていくものだ。

人を殺すほどに偉くなる時代もあったんだ。

愛だの夢だのといった考え方は、もう古いのかも知れない。

だとしたら今夜、少しでも早く彼女に伝えるのが

今の俺にできる一番の優しさじゃないか。

感謝と思いやりと謝罪を込めて、お互いこの呪いから解放されてもいいはずだ。


「おかえりー」

ダイニングの扉を開けるといつも通りの挨拶を交わし

「ごめん、今日はいつもの買ってこれなかった」

と俺は“解約”の流れに運びやすいように最初に告げた。

「えー、コンビニのでもよかったのに」

と妻は不服そうな声を上げる。

「でもね、今日は大丈夫。あなたチョコレート好きじゃないから、いつも私一人で食べちゃってたでしょ?だから、今日は私も用意してたの」

そういって妻は、冷蔵庫から少し照れ臭そうに白い箱を取り出す。

箱の中には、小振りのショートケーキが入っていた。

これは俺が唯一食べられる種類だ。

「なんで急にこんな」

と俺が言いかけると

「もうそんなに悩まなくていいよ。答えが出せないっていうのがあなたの答えだと思うし」

妻はもう決めていた。

「来年のあなたの誕生日は祝えなくなりそうだから、祝われっぱなしも嫌だし、最後はお互いに交換しようと思ってたんだけどなー」

と、冗談っぽく言っている。

「俺は…」

ここでもうまく言葉が続かない。

マンネリして、感情の動きがなくなっていって

一緒にいる生活が当たり前になり

特別感は薄れていく結婚生活の影で

ひっそりと積み重ねられていたものが、やっと見えた。

「お前と…」

叱られている子供のように言葉を探した。

今さら何を言えるだろうか。

妻は俺を深く理解しているように優しく微笑んでいる。


まだ使える古い道具があっても

より高品質なものが安価で手に入るのなら

古いものから新しいものに買い換えるのが現代の正しい選択だ。

古いものは新鮮味に欠け、壊れやすくなっている。

そんなことにいちいち煩わされるくらいなら

それは無駄な悩みで、解決する方法は簡単にある。

だとすれば、この出口のない気持ちはなんだというのか。


言葉に詰まった俺に妻は

「負担かけてごめんね、ずっと感謝してたから」

すぐ側なのに、もう手の届かない場所で微笑んでいた。

古いものが錆びついてきたら、しっかり磨けばよかったんだ。

便利で品数だけは豊富になった世の中では

得るものに関心は向いても、その大量の物の中で失うものには目を向けない。

廃棄された品の末路など、今の喜びを脅かす不愉快な知らせでしかない。


俺は頭を下げ、肩を震わせた。

錆びついた関係を磨いてくれた「おめでとう」と書かれたバースデーケーキに

一粒の雫が落ちて、チョコレートの文字は溶けて滲んでしまった。

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