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迎春と青春

作者: 綾稲ふじ子

 おせち料理を食べてから届いた年賀状を仕分けるのが、正月における我が家の恒例行事だ。

今年も例年通り炬燵で妻と向かい合って、私は仕分け作業に没頭していた。

「お。孫ができたのか」

ふと一枚の年賀状に目を留め呟くと、妻が顔を上げた。

「誰?」

「中学校まで同級生だった田中」

 そう答えて年賀状を差し出す。

「ああ。あの田中くん」

田中夫妻とその息子夫婦、それから丸々とした赤ん坊。写真館で撮ったと思しき写真を全面に押し出した年賀状には、達筆な筆文字で迎春、と書いてある。

「高田も歳を取ったなあ」

「高田? 田中くんじゃなかったの?」

「高田は田中の奥さん。高田も同級生だった。僕が二人の仲を取り持った」

 妻は年賀状と私を交互に眺めた。

「へえ。初めて聞いた、そんな話」

「あれ、話したことなかったっけ? たぶん、あんまりいい思い出じゃないからかな」

 記憶が蘇って、自然と渋い顔になる。

 私の実家は深大寺からほど近い。

社会人になって約一年後に結婚し、松戸に居を構えたが、それまでずっと実家暮らしだった。およそ二十三年間、深大寺付近に住んでいたことになる。決して短くはない時間だ。

様々なことがあったはずなのに、深大寺を思うとき、一番にあの日のことを思い出す。

あれは忘れもしない中学三年のとき、高校受験を翌日に控えた三月上旬のことだった。


 なんでこんなことしてるんだろう。明日は本命の公立高校の受験なのに。

薄暗く底冷えする深大寺の境内で高田を待ちながら、私は数十回目のため息を吐いた。

答えはわかりきっていた。自分の気持ちを高田に伝えてほしいという田中の懇願に負けたからだ。

卒業を前にして気持ちを伝えたいという気持ちは、わからなくもない。すでに二人とも私立高校への進学を決めていて、高田は女子高へ行くことになっていた。このまま卒業すれば、会うこともなくなるだろう。

それにしたって、なにも今じゃなくてもいいじゃないか、と再びため息を吐いた。

 中学に入学してからずっと、田中は高田を好きだった。

三年近く想い続けて中三の五月の修学旅行でようやく気持ちを伝え、幸いにも良い返事をもらった。

それで終われば良かったのに、修学旅行のあと急速に親しくなった二人を阻んだのは、不純異性交遊という不名誉な烙印だった。

一緒に下校するところを生活指導の鬼教諭に見咎められ、双方の親を呼び出されたうえ、厳重注意を受けた。結果、田中と高田は疎遠になってしまった。

それでも田中は、ずっと高田が好きだった。

 卒業前にもう一度告白しようと思っていた矢先、高田が他の男子と親しげに話しているのを目撃し、田中は激しい焦燥感に駆られた。前日の放課後のことだ。

このままでは他の男に高田をとられてしまうかもしれない。そう思って一睡もできなかった。田中は涙ながらに私に訴えた。

親友の栗原以外、他の誰にもこんなことは頼めない。そう泣き付かれ、渋々と伝書鳩役を引き受ける羽目になってしまった。

代理とはいえ、なぜ私が高田に告白しなければならないのか、と、もうひとつため息を重ねる。たちまち白く染まる息を眺め、私は手をこすり合わせた。寒くてたまらなかった。

腕時計を見ると五時になるところで、一時間以上も高田を待っていたことを知った。

高田の下駄箱に上履きがまだ入ってることを確認して、話があるから四時に深大寺の境内に来るよう書いたメモ紙を入れておいた。

もしかしたら高田は、そのメモ紙に気付かなかったのかもしれない。

全く、冗談じゃない。親友とはいえ、なんで他人の恋路のために、受験直前の貴重な時間を費やさなきゃならないのか。もう帰ろう。

そう思って歩き出そうとしたとき、高田がこちらへ向かってくるのが見えた。紺のコートに臙脂色のマフラーをぐるぐる巻いて、難しい顔をしていた。

 高田は私から三メートルほど離れたところで立ち止まり、腕を組みながら口を開いた。

「待たせてごめん、栗原くん。話ってなに?」

「田中、今でも高田が好きなんだって。付き合ってほしいって言ってるんだけど、どう?」

 端的に言うと、高田はぽかんとした。

「ええ? 栗原くんじゃなくて田中くん?」

 私はしかめっ面で頷いた。たしかに高田はクラスで三番目くらいに可愛いけれど、恋愛感情は全くない。

「だったらなんで田中くんが来ないの」

「全くその通りだ。僕もそう思う。あいつなりに高田に気を遣ったんだろうけど、告白くらい自分の口からするべきだ」

 しみじみ同意すると、高田がふっと表情を和らげた。

「そうだね。でもよかった、栗原くんじゃなくて」

 私は大いに傷ついた。とくに好みじゃない女子とはいえ、好きになられたら迷惑みたいな言われかたは心外だ。

「ああ、違うの違うの。栗原くんがイヤなわけじゃなくて。私も、田中くんをずっと好きだったから」

 私の表情を見て、高田は慌てたように早口に言った。言ってから、我に返ったように頬を染めた。

「今の言葉、田中に伝えてもいい?」

 私はほっとしながら尋ねた。ここまで待ったのだし、どうせなら良い返事を持って帰りたいと思っていたからだ。高田はこくんと頷いた。

 はにかむその表情に、もしかしたら高田はクラスで一番かわいいのかも、と思った。


「なによ、いい話じゃない。どうして、あんまりいい思い出じゃないなんて言うの」

 私の述懐に、妻は不思議そうな顔をした。

「そこまではいい話かもしれない。よくないのは、そこから先」

 沈鬱な表情で、私は話を続ける。

「家に帰って、電話で田中に結果を報告して、夕食を食べようとしたとき、ものすごい寒気がした。熱を測ったら三十七度八分。夜には三十八度五分まで上がった」

「……インフルエンザ?」

「さあ? 病院に行かなかったから、わからない。なんにしても、寒いところにずっといたのがよくなかったんだろう。朝には三十七度六分まで下がって、なんとか受験には行けたけど、死ぬほどしんどかった。おそらくそのせいで、本命の公立高校に落ちた」

 妻は目をぱちぱち瞬かせた。

「それは確かにひどいわね」

「まあね。それで結局、滑り止めの私立高校に行く破目になった、と」

「あらま」

 本当に、あらま、としか言いようがない。

 せめてもの救いは田中と高田が結ばれて、こうして孫にまで恵まれたことだ。

 ふいに深大寺の伝説を思い出す。

 遠い遠い昔、福満という男と豪族の美しい娘が恋に落ちた。しかし二人は娘の両親に仲を裂かれ、娘は湖の小島に隔離されてしまう。

福満が仏教の守護神の一人、深沙大王に祈願したところ、霊亀が現れて福満を島へと連れて行った。それを知った娘の両親は二人の仲を許した。

福満と娘のあいだに産まれた子が、のちに深大寺を開山することになる満功上人で、そこから深大寺は縁結びのご利益もあるという話になったらしい。パワースポットということで、参拝に来る若い女性も多いと聞く。

深大寺の伝説になぞらえるなら、私は伝書鳩というより、引き裂かれた二人を取り持った霊亀のようなものだったのだろう。

それだけではない。考えようによっては、私もご利益にあやかったことになる。

本命とは違う高校に行くことになってしまったけれど、そこで妻と出会えた。

そう考えると万事塞翁が馬だし、深大寺のご利益恐るべし、とも思えてくる。

「なあ。今年の初詣、深大寺に行かないか」

 私の提案に、妻は首を傾げた。

「そんな思い出があるのに、どうして深大寺なの」

 じつにもっともな質問に応えず、私は年賀状に目を落とした。

 それは君と出会えたからだよ、なんて、口が裂けても言えない。言えないけれど、掛け値なしの本音だ。

“本当に大切な人との出会いは全ての過去をひっくり返す力を持っている”と、とある落語家が言っていた。本当にそうだ。

 妻と出会えたから、あの青春の日の思い出が書き換えられ、今こうして幸せな日々に満たされている。

「ま、べつにいいけど。お礼参りしたほうがいいだろうし」

 年賀状の仕分けを終えた妻が、ミカンを差し出しながら言った。

「お礼参り? なんで?」

 受け取ったミカンを剥きつつ尋ねると、妻はちょっと笑った。

「だって、結果的に私と出会えたでしょ」

 これだから妻には敵わない。

 そう思いながら短く「まあね」と答え、私はミカンをひと房、口に放り込んだ。

 甘酸っぱくて微かに苦いその味は、青春とどこか似ていた。


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