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さいしょうさまのほさかんっ!(200万PV御礼SS)

 ここは、ジルベルタ王国宰相の執務室。


 私は、宰相補佐官……人呼んで「剛毛の補佐官」だ。


 この不名誉な二つ名は、私の髪質を指しているわけではない。「氷の宰相」ルヴァン様の、辛辣な言葉や態度にも動じない――そんな私の様子を見た者たちが、私の根性を讃えて「奴の心臓には毛が……いや、剛毛が生えているに違いない」と、噂したのがきっかけで呼ばれるようになった。


 しかし、時たまその二つ名が、私の薄い髪の毛と比べられて揶揄されていることを知っている私にとっては、この名は不愉快極まりない。

 ――なので、決してその二つ名で呼ばないように注意していただきたい。


 それに、正直言って私の心臓には毛なんぞこれっぽっちも生えていない。

 昔から、表情に感情が出にくいタイプで、無表情だと言われるだけだ。

 ルヴァン様からの刺々しい言葉には、きちんと傷ついているし、居心地の悪い執務室の雰囲気にはいつも胃を痛めている。正直言って、私のハートは硝子細工ほどに繊細なのだ。だから、優しくして欲しい。


 ――それにしても。

 ここ最近の執務室は、私にとって非常に居心地が悪いものだった。

 普段であれば、私とルヴァン様。そして、身の回りの世話をする侍従がひとりほど常にいるだけなのだが、今日はそれに加えてもうひとつ――ちょろちょろと動き回る茶色い生き物がいた。


 それは、聖女様が飼っているという犬――レオンだ。

 今、聖女様とその姉は西の国に出かけてしまっていない。

 流石に旅に犬連れで出かけるわけにもいかず、その間レオンは彼が懐いているというルヴァン様が預かることになった。


 今までもレオンはこの執務室に遊びに来ることがあった。

 それも、午後の一番気持ちいい時間、日当たりのいいルヴァン様の膝の上でお昼寝をするのだ。

 正直言って、その時点でも私はその光景が信じられず、密かに胃を痛めていた。

 だって、あの……あの冷徹なルヴァン様が、犬を可愛がるとは思えなかったからだ。


 あの犬は、いつルヴァン様の怒りに触れて、処分されてしまうのだろうか。

 あの犬は、もしかしたらそのうちルヴァン様の魔道具の実験台にでもされてしまうのではないか。

 愛犬家である私には、その光景を想像するだけで、いつも胃が引き絞られるような思いだった。


 しかし、ルヴァン様はいつのまにやら、小さな犬に心を開き、友人として可愛がるようになっていた。

 まさしく青天の霹靂とはこのことだ。

 ルヴァン様が犬に絆された――その噂は、王宮中に知れ渡り、ルヴァン様と親しい騎士団長ダージル様や、はたまた国王様までお忍びでその様子を見に来る始末。

 ……皆、ルヴァン様が犬に心を開き、仲良くしているさまを見て嬉しそうにしていた。


 ……けれども! 私は騙されない。

 あの、あのルヴァン様だぞ……! あの人が、犬なんかに絆されるはずがない。

 常に補佐官として、彼の近くにいる私には解る。

 ルヴァン様の冷たい仕打ちに耐え忍んできた私だからこそ解ることがある。


 きっと。きっと、彼には何か企みや、目的があるはずだ……!


 私は、ルヴァン様の真意を探るために、常日頃からレオンとルヴァン様の様子を注意深く観察することにしている。……これでも、私は宰相補佐官。上司の意図は言われずとも汲めるような――そんな部下でありたい。そう思っているからだ。


 今日も朝から、ルヴァン様は犬を執務室に連れてきた。

 そして、レオンを部屋の中に放すと、いつもどおりに仕事を始めた。

 伝統のジルベルタ王国の宰相の執務室に、犬用のおもちゃやクッション、更にはトイレまで持ち込まれている様子は、非常に滑稽だ。


 ……さあ、今日も一人遊びに飽きたレオンが動き出した。

 ルヴァン様がレオンに対峙する時。その時こそ、ルヴァン様の真意が垣間見えるに違いない。

 私はデスクで作業をしているふりをして、そっとふたりの様子をうかがった。



「……きゅうん!」



 レオンが、ひたすら羊皮紙に向かって羽ペンを走らせているルヴァン様に向かって、甘えるような甲高い声を上げた。ルヴァン様は、今筆が乗っているのだろう。すらすらと走っている羽ペンをみると解る。だから、直ぐにレオンに反応を示さなかった。


 レオンは反応を直ぐに返さないルヴァン様が不思議でたまらないのか、小さな頭をこてん、と傾げると今度はお尻を高く上げて、しっぽを激しくふりふりしながらまた「きゅん、きゅん!」と声を上げた。

 そうすると、やっとルヴァン様の視線がレオンに注がれた。

 その目を見た瞬間、私の身体が震えた。


 ――あれは、視線で殺す気だ……!


 全く感情の篭っていない、翡翠色の目は冷たくレオンを見下ろしている。

 ああ……あの目は。昔、私が間違って必要分より多くの量の木材を発注してしまった時と同じ目だ……!


 キリキリキリキリ……


 私の胃が当時のことを思い出して軋んだ。

 犬よ、逃げろ……! 早く逃げなければ、その生命を散らすことになるぞ……!

 私の心の叫びはレオンには届かなかったようで、レオンはさらに甲高い声を上げて、くるくるとその場で回った。


 すると、ルヴァン様は徐に席を立った。

 そして、ゆっくりと床に転がっていたおもちゃの縄を手にした。


 ――あれは、吊るす気だ……!


 あのほんの少し緩んだ口元は、腐った貴族の賄賂をうっかり受け取ってしまった私に「暫く、天井からぶら下がって反省するが良い」といって、荒縄を渡してきた時と同じ口元だ……!

 因みに、賄賂は直ぐに返し、更にはその貴族はルヴァン様に失脚に追い込まれていたけれど。


 ドキドキドキドキ……


 当時の事を思い出して、私の胸の動悸が激しくなった。

 レオンはルヴァン様が持った縄を見ると、嬉しそうにはしゃいでそこらじゅうを走り回った。

 すると、床に置かれた水入れを踏んでしまって、水が盛大に散らばった。

 それを見たルヴァン様は、床にぽとりと縄を落とすと、机に置いてあった雑巾を手に取った。


 ――あれは、投げつける気だ……!


 あの雑巾を構える手つきは、花街でおっぱいのおっきなおねえさんに騙されて、路地裏の酒場に連れ込まれ、しこたま飲んで酔い潰され、財布を奪われた翌日、酒臭い身体で執務室に来た挙句に更にゲロってしまったあの日。私に濡れた雑巾を投げつけた時にそっくりだ……!

 あのあと、花街の大掃除が始まり、あの私の騙された酒場は潰れてしまったようだけれど。


 ゴクリ……。


 私はあの時の酒の味とおっぱいを思い出して、こみ上げてきた唾を飲み込んだ。


 ルヴァン様は無言で床の掃除を始めようとしたけれども、駆けつけた侍従に止められて雑巾を渡していた。

 はしゃいでいたレオンは、自分の仕出かしたことがわかったのか、部屋の隅においてある『クレート』とかいう、小さなのかごの奥に閉じこもってしまった。


 ルヴァン様は、その『クレート』の前に立つと、そっと腕をその中に入れた。


 ――あれは、無理やり引きずり出すつもりだ……!


 あの腕の動きは、浮気相手が妻にバレてしまった挙句、浮気相手に愛想をつかされて、逃げ場が無くて執務室の机の下で泣きじゃくっている私を無理やり引きずり出して、執務室の外に容赦なく蹴り出した時と同じ動きだ……!

 あのあと、私は全裸で妻に謝罪をした。


 ……ハラハラ……。


 あの全裸でした土下座の屈辱を思い出して、私の髪の毛が数本抜けた。……なんてことだ!


 しかし私の予想とは裏腹に、ルヴァン様は優しげな手つきでレオンをクレートから出すと、腕の中に抱えてそっと背中を撫でてやった。すると、レオンは安心しきった顔になり、くったりと身体をルヴァン様に預けた。

 そして、ルヴァン様は部屋の隅においてあった小さな鞄を手にとった。



「……どうやら、レオンは私と遊びたいようだ。……午後の散歩に行ってくる。

 今日はこのまま帰るから、お前も仕事が片付いたら帰ると良い」

「は、はい……」



 ルヴァン様は、散歩用の紐――『リード』というらしい――をレオンに装着すると、扉の前で私を振り返った。

 そして、銀縁眼鏡の奥の瞳を細めて言った。



「お前も、家族との時間を大事にすることだな。……仕事ばかりでは、身体に悪いぞ」



 そういって、パタン、と扉を静かに閉じて執務室から出ていった。

 私は暫くそこから動けなくなり、只々閉じられた扉を眺めることしかできなかった。

 そうして漸く私の思考が回復した時、こう思ったのだ――。


 ――あれは、私を優しさで殺そうとしているっ!


 はらり、はらはらと私の髪の毛がこれ以上無いほどに抜け――私は転職を真剣に考え始めた。

全く御礼になっていない件。

200万PVありがとうございます!


次回、「鮮血の淑女と熊娘のいい男探訪」←恋愛ものです(タイトルは変わる可能性があります)。

お楽しみに。

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