最悪だ
「それで、組合の人間が僕に何の用だ」
男を応接室代わりに使っている小さな部屋に案内し、机を挟んで向い合せに座る。
先ほどの名刺に記されていたのは、この男の名前であるゲイルというもの、そしてこの町の整理を担当している組合に所属する衛士であるということだった。
「そう警戒すんなよ。あんたにとって悪くない話を持ってきた」
「悪くない話?」
「そうだ。なに、そんなに難しい話じゃない。あんた、俺たち組合につかないか?」
それは意外な言葉だった。てっきりジャックの言っていた立ち退きの話だと思っていたのに。
「どういうことだ」
「どういうこともなにも、そのまんまさ。腕のいい技師は何人いたっていい。この町にとって有益な奴がいるなら、勧誘だってするさ」
ニヤニヤと、不気味な笑みを浮かべながらゲイルは言った。
「そりゃあ明らかにモグリの奴には多少脅しをかけてる。あんたもその辺聞いて誤解してたんだろ?安心しろよ。腕が確かで組合に所属してさえくれれば、こっちにはなんの文句もない。むしろ町に貢献してくれる分には大歓迎さ」
何かが、おかしい。
そんな甘い話があるわけない。
それに、その気持ちの悪い笑みも気になった。
あれは、勧誘や交渉をしようとする人間の態度ではない。
もっとこう、狡猾で獰猛で、獲物をいたぶるような。
「……勧誘に来たって言ってたな。じゃあ、組合に所属するための規定なり契約書なり持ってるよな。それを見せてくれ」
「お、なんだ話が早いな。その気になったのか」
「いいから」
「まぁ、そう急ぐなって。……つまらないな」
そう言って、ゲイルは一枚の封筒をだして机に放ってきた。
僕はそれを拾って中身を一文一文確認していく。
そして、それを読み終わる頃には、その誓約書と書かれた書類を破り捨てないようにするのに必死にならなければならなかった。
それぐらい、酷い。
「サイン、する気になったか?」
「いくつか質問させてくれ。……この住居の項目、これは、なんだ?」
「ああ、今回の件で組合に所属することになった技師には専用の住居が用意されることになる。そこに住んでくれ」
「そしてこの工房は組合が差し押さえると」
「ああ、この辺りの一帯の区画は再開発の目途が立ってる。こんなボロイ建物は景観を損ねるからな。町のためを思うなら当然だろ?」
「……こっちの報酬の項目。まるで修理費の純利益、その八割を組合におさめなきゃいけないように書いてあるんだが」
「正確には78%だな。なに、組合に所属するんだから仕事のほとんどは斡旋されたものになる。それくらいの仲介料は当然さ。それに、住居も食事も仕事のための経費もこっちが持つんだ。金なんて必要ないだろ?
組合に所属してれば税金だって免除されるんだぞ」
ああ、だめだ、これは。
「……最後に、僕は所有する魔道人形の所有権を組合に譲渡するってのがあるんだけど、これは、どういう冗談だ」
「あんたがあの魔道人形にご執心なのは有名な話だったぜ。だからさ、単純な話だよ」
こいつらは、
「人質さ。お前が俺たちに楯突かないためのな」
僕らを懐柔する気なんて、最初から、無い。
さっきの表情は、僕の落胆や絶望を見れると思ってのものだ。
「ふざけるなよ!こんな条件飲めるわけない!」
「飲めないなんて俺たちが許すと思うか?」
ゲイルは唐突に身を乗り出して僕の胸ぐらを掴みあげる。
「ぐ、が」
「なんで俺たち衛士がこんな役回りをしてる思ってる?こうやって、反抗しようとするやつを叩き潰すためだよ!」
そのまま机のうえに引き倒され、僕はなすすべもなく組み伏せられる。
「さて、こっちは譲歩してやったのにその態度はないなぁ。最悪だ。実力行使に出るしか、ないよなぁ」
「なにが、譲歩してやった、だ。あんなもの、誰が見たって」
「そいつはどうだろうな?あの誓約書を見たら、この町のお偉いさん方は口を揃えていうんじゃないか?」
最悪だ、本当に、最悪。
「こいつは正当な契約だってよぉ!」
こんなことが、こんなふざけた話が、町ぐるみで行われているのだ。
「さぁ、どうする?この条件で契約を交わすか、さもなきゃこの町から出ていくかだ。出ていくんならこの工房は俺らが差し押さえるけどな。ああ、それとも」
反吐が出る。その見下すような目に、嘲るような嘲笑に。
「抵抗するか?ほかの技師連中と一緒に?いやいや、それとも闘技場で俺と勝負でもするか?勝ったら見逃してやってもいいぜ?勝てるもんならな!」
ゲイルは僕を持ち上げると地面に投げる。
僕は思わず受け身をとってしまった。
「あ?」
その動作を見て、ゲイルは顔をしかめる。
「おまえ、まさか」
「本当だな」
僕は思いっきり、その敵を睨み付ける。
「本当に、闘技場で僕が勝ったら、今回の件、見逃すんだな」
思わず、だ。
これは、口からでたでまかせだ。
「おいおい、言うじゃねえか。たかが技師が。それも、回路技師風情がよう」
だが、その男はどこか嬉しそうだった。
そうだ、こいつは期待してる。僕に。僕の抵抗に、それを叩き潰すことに。
「場所と日時はこっちで決めといてやる」
それだけ言うと、ゲイルは僕に背中を向けた。
「今日は帰るぜ。吠えた分の代償はきっちり払わせてやる」
それだけ言い捨てて、一人で勝手に出て行った。
僕はそれを、睨んだままで、でも見送ることしかできなくて。
その上、僕の頭は、だんだん、昇っていた血も落ち始めて、冷静になってきていて。
「ちくしょう」
そうつぶやくだけで、精一杯で。
「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!」
僕は、この期に及んでまだ、今起きたことを消化しきれずに、蹲って、醜く叫ぶことしかできなくて。
「……ちくしょう」
最後は自己嫌悪で死にたくなった。
これじゃあ、同じだ。野蛮で、乱暴で、無思慮な衛士と一緒。
本当に、最悪だった。
状況も、あいつも、僕も。
全部が全部、最悪だった。
「……ちくしょう」
その声を聴いて、私はきゅっと自分の手を握ります。
大きな音がして、私は心配になって途中から、ずっと会話を聴いていました。
私の耳は人よりも少しばかりいいので、この距離からでも概ねのことは聴くことができました。
「マスター」
私の願いは虚しく、マスターは傷つき、打ちひしがれています。
「マスター」
私にできることはなにかないのか、必死に探しましたが見つけることはできませんでした。
私は所詮魔道人形で、できることなんて、家事くらいしかなくて。
マスターを守ることも、できなくて。
「マスター」
私もまた無力に打ちひしがれて、扉の向こうにいるマスターのことを思うことしか、できませんでした。