バロール
どうしても、許せないことがあった。
「ハァ、ハァ、ハァ、く、そ」
クラウソラスを失った俺は、秘密裏に作った研究室に向かいながら思う。
(俺は、一体どこで間違えた?)
「あ、ぐ」
体が鉛のように重い。
思考は纏まらず、散り散りになっていくばかり。
そんな中で、あの日見た光景が、あの日抱いた感情が、俺の中で古傷のようにじくじくと痛みを発した。
それを見てしまったのは、ただの偶然だ。
夜会の夜、会場を抜け出したという姫を探すために、俺は城の庭園を歩いていた。
姫の行動を予測してその場所に足を向けたわけじゃない。ただ、順番に居そうな場所を回っていたら、たまたまそこに姫が居ただけのことだ。
まだ青年だった俺は、薔薇園にいる姫を見つけて、軽い気持ちで近づき、その聖域に足を踏み入れてしまった。
「夜会は退屈でしたか?」
「そうでなければ抜け出したりなんてしません」
(あ)
より正確に言えば。
俺はそこに足を踏み入れることさえできなかった。
あまりにその光景が神聖に見えてしまって。
俺は、まるで盗人かあるいは罪人のように、それを眺めていることしかできなかった。
(俺は、何を)
それまで何不自由なく、それでいて優秀の枠組みの中で生きてきた俺が、何故こんな真似を?
「ねえ、シンク」
「はい、なんでしょう?」
「私を連れ戻さないの?」
完璧な姫と、完璧な騎士の二人。
それは幻のような夜が俺に見せた幻影なのかもしれない。
「姫様がお戻りになりたいと思うまで、俺はここにいますよ」
小さな二人の、小さなやり取り。小さな、世界。だけど、完成された絵画のような美しさが、そこにはあった。
「シンクは、私がお姫様だから、こうして傍にいて、守ってくれるの?」
それが、何故だか、どうしても許せなかった。
「俺は、あなたを守ります。あなたがこの国の姫であるかどうかなんて関係なく、あなたが、あなただから」
まるで運命さえ祝福するような二人。
そして俺には、あの栄誉も、あの尊き人も、生涯いかなる手段をもってしても手が届くことは無いと、その姿を見て理解したのだ。
それが、どうしても許せなかった。
「シンク、この手を取って、口づけを」
「はい」
理由は、なんだったのだろうか。羨望か、強欲か、それとも惨めに隠れ潜む自分への劣等感か。
あるいは、その全てなのか。
いかなる理由かは今を持って分からないが。
少なくとも俺は、我慢、できなかった。
(ちくしょう)
人は、どうあっても我慢できないものにぶつかったとき、二つの道しかとることはできない。
逃げるか、壊すかだ。
俺は、後者を選んだ。
(待っていろ、運命)
誓ったのだ。
(何を犠牲にしてでも、手に入れてやる)
何を、犠牲にしてでも。
『君の願いを叶える、その手伝いをしよう』
それから、俺は文字通り悪魔に魂を売った。
我が一族の秘宝も全て費やした。
そうして、ここまで順調にやってきた。
(俺は、あなたを守る。時には剣となり、時には盾となってあなた傍らにいます)
シンクの二度目の騎士の誓いをリア・ファルを通して知った時、俺は笑いが止まらなかった。あの一幕を作った張本人が、自分からそれを汚すような真似をしたのだ。
それは、一つの大きな勝利だった。
全て、順調だと言えた。
「なのに、どうして」
こんな、惨めな敗走を、俺はしているんだ。
最後の、最後に。
「ちく、しょう」
俺は、なんとか執務室にたどり着き、秘密の入り口を開けて、研究室に転がりこむ。
ここなら、少しは時間を、稼ぐことが……。
「やあ」
「あ?」
研究室には、先客が居た。
「久しいじゃないか、バロール」
鴉の仮面に全身黒の礼服というふざけた格好をした悪魔。
こいつが、俺に魂を売らせた張本人だ。
「手酷くやられたようだね」
「てめえ!」
俺はそいつに掴みかかった。
「お前らの技術で作ったあの欠陥品どもは何だ!」
「欠陥品とは?」
「とぼけるんじゃねえ!クラウソラスとリア・ファルのことだよ!俺がせっかく最上級の秘宝を用意したってのに、出来上がったのは屑ばかりだ!リア・ファルは俺の声を無視する!クラウソラスに至っては、あいつを使って目的を達成できたことなんて一度もねえ!ただの、一度もだ!」
「ふむ。どんなにいい道具も、使い手が悪ければその性能を十全には発揮できないということさ」
「なんだと!俺をコケにすんのか!」
怒りにまかせてそいつの首を絞めようとするが、悪魔はいつの間にか俺の手から逃れて、背後に回っていた。
「それともう一つ。君の提供してくれた宝物はどれも悪いものではなかったが、あれを最上級などとは言わない方がいい。品性を疑われることになる」
「うるせえ!」
この期に及んで、俺の神経を逆なでするようなことを。
「さて。下らない話はここまでだ。私はそんなことのために、わざわざ危険を冒してこんな遠くまで来たわけでは無いのだよ」
「下らない、だと!お前は!どこまで俺を……」
「君は、失敗したね」
唐突に、死神に見初められたかのように、俺の体から力が抜ける。
「『星の光』というのは実に厄介な力だ。この世界が、君たちを守護するために遣わした最上級の力。それは、私たちのような存在、影や闇の存在にはあまりに効きすぎる。触れることさえ出来ないほどにね」
「あ、が」
「その『星の光』を、もしかしたら手に入れることが出来るかもしれないと思って、君に僕らの技術を託したというのに、ここまで時間をかけて失敗するなんてね」
まあ最初からあまり期待はしてなかったけど、と、そいつは無感情に言った。
「だけど失敗は失敗さ。君には、その代償を支払って貰わなくちゃね」
代償、だと。
「そうだとも。まさか、僕らのような存在から力を借りておいて、あまつさえ失敗までしておいて、ただで済むとは思ってはいまいね?」
鴉の面が、口を半月に開いて嗤った。
「君には魔界の薪になって貰うよ。その魂を使って炉に火を灯し続ける、一本の薪に」
俺という存在が、黒く、蝕まれているのが分かる。
「もしも『星の光』を手にできていたならば、君も僕ら世界で、一領民として迎え入れてあげるつもりだったんだけどね。でも、君は失敗してしまった」
体は、すでに全身闇に染まって、もう人間のそれではなくなっていた。
「ここの資料も全て回収させて貰うよ。ほとんど価値のない研究資料だろうけど、ま、もしかしたら少しは役に立つかもしれないし」
俺が、消失、していく。
「君の魂は消費されて、この世界から消失してしまうけど、まぁ、自業自得だと思って諦めるんだね」
魂がむき出しになって、黒い手が、俺を掌握する。
「さあ、永遠にお別れだバロール。君の欲望は、少し、面白かったよ」
や、やめて、くれ。
「ダメ」
「さて、と」
些事を済ませて、僕は研究資料を部屋ごと礼服の中に納める。後には何も残らなかった。
「まあ、結果的に、収支は少しマイナスと言ったところかね」
少しは楽しめたので、それも良しとしよう。
「仕方ない。大きな収穫は、また次の機会に」
なんといっても時間ならいくらでもあるのだ。
「さて、それまでしばし、お別れだ」
僕は魔界に続く扉を開いた。
次にここへ来るのは、いつになることやら。
遠い未来か、それとも……。
「フフフ」
さあ、帰ろう。
僕の、居るべき世界へ。




