ステラ
呆然と、その人を見ていた。
「……あ」
金色の髪に、銀の瞳。
眩い光を放つような、麗しのその姿。
前にジャックが言っていたことを思い出す。あんなに綺麗な表情を作る魔道人形を、俺はみたことがないと。本当に、その通りだった。
「マスター」
見れば、分かる。顔の造形は違っていても、それは、プラムの表情。
「あなたのおかげでこの半年間ずっと、幸せでした」
だから、その大切な言葉を、僕は取りこぼすようにしか、聞けなかった。
「え?」
「あの子と私は一つになりました。だけど私は、純粋で善性そのものだったプラムとは、やっぱり少し違う存在なんです」
儚くも、悲しそうなその顔は、やっぱりどこか僕の大切なパートナーを想わせて。
だから余計に、『プラム』はもういないんだって、実感した。
「なにが、起きた」
プラムが現れた空間の向こう側で、バロールが呆然と呟いている。
「リア・ファルじゃない。あなたは、姫。どうやって、元に」
「色んな人たちが」
ステラ姫は、胸に手を当てた。
そこに存在する魂が、どれだけ尊く、奇跡的な旅路を経てここにあるのか、それを追想するように。
「この場所まで私を、繋いでくれたから」
「……そうか、奴か」
バロールは、ありとあらゆる怨念と憎しみを込めた言葉で、吼え猛った。
「アーガイル・D・シャフト!!どれだけ俺の邪魔をすれば!!」
自らの体を掻きむしりながら、欲望に満ちて濁りきった目でステラ姫を睥睨する。
「まだだ!まだ俺にはクラウソラスがある!なるべく姫の魂は無傷で手に入れたかったがこの際しょうがねぇ!多少ぶっ壊すつもりで無理やり改造してでも手に入れてやる!」
「シンク」
「はい、姫様」
「四工程魔術を使います。少し時間を稼いで」
ゆらりと、それこそ影のように立ち上がったシンクが騎士剣を構える。
「我が身、我が魂が砕けようとも」
「やれ!クラウソラス!」
鋼鉄の巨人が、再び気勢を上げてシンクに、ステラ姫に襲い掛かろうとする。
それと同時に、僕の頭の中に流れこんでくる凄まじいまでの情報の波。
(っぐ!)
僕はそれを、繰って、読み解き、時には捻じ曲げ、逆流させていく。
結果、クラウソラスの振り上げた巨大な剣は、目測を誤ったかのようにシンクの手前に振り落とされる。
「どこ狙ってやがる!俺の命令通りにしやがれ!」
「ハァ、ハァ、ハァ」
これが、六式の機能だ。
魔弾を通して他の魔道人形の核に接続し、その機体に誤情報や偽の信号を与えて、その動きを妨害したり、時には外部から操ったりすることが出来る。
分割思考に大きな適性を有した僕のために先生が作った、僕専用の武装。
それが、魔銃『六式』。
「星よ」
ステラ姫が詠唱を始める。
(あの日も)
クラウソラスの防衛システムが僕を蝕もうとその腕を伸ばしてくる。それを、僕は必死で耐えた。
(僕は君に助けられた)
闘技場で、何もできなかった僕。でも今度は、倒れてるだけじゃ無い。
(僕が、君を助ける!)
その防衛システムを逆手にとって、処理能力が追いつかないほどのエラーを送り込んでやる。
それで、クラウソラスの動きが明確に鈍った。
「ハァァァァ!」
そして、ぎこちないながらも暴れるように振るわれる巨大な剣を、全てシンクが影の剣で受け止め、逸らし、時に弾き飛ばしていく。
「我が生命の息吹」
ステラ姫がその両腕で魔法陣を描き出す。まるで何万と記してきたかのような、精密で狂いのない動作。
「世界に仇なす我らが敵よ」
歌うように、踊るように、囁くように紡がれる星の魔術と、それを守護する影の騎士。
クラウソラスの暴掠にさらされながらも、僕はその光景を、美しいと思って見ていた。
「完成させるな!魔弾でステラ姫だけを狙い撃て!」
(そう来ると、思ってたよ)
僕は充填されていくエネルギーを操作して、その瞳で小さな爆発を起こしてやる。
それだけで、魔弾は暴発し、荒れ狂ったエネルギーがクラウソラス本体の中で暴れまわる。
そのあまりの衝撃に、クラウソラスの全身から煙が吹き出し、一瞬だがその動きが完全に停止する。
プツン、という音がして、僕とクラウソラスの接続がそこで途切れた。僕の、能力的限界だ。
「へへ、ざまぁ、みろ」
してやったりと、笑ってやる。
「さっきからなにかおかしいと思っていたら、お前が!」
今更気づいたって、遅い。
「許しの光に、打ち砕かれよ」
ステラ姫は両の手を打ち鳴らして、その全ての結びを終える。シンクは、そのタイミングを知っていたかのように、すでに射線から離脱していた。
「これで、最後です」
魔法陣をクラウソラスに向けて、流麗な光の奔流を放つ。
「ギィィィィィィィィィ!」
ただ振るうだけでも膨大な力を持つ星の光だ。
それが然るべき手順を踏ませた場合の威力は、まさに桁違い。
クラウソラスのあれだけ堅牢だった義体が、ボロボロと崩れ落ちていく。
「ごめんなさい」
崩壊を続けるクラウソラスの義体に向けて、ステラ姫が祈るように言う。
最後には、土くれの山と、そこに刺さる一本の剣だけが残されていた。
「あ、ああ」
クラウソラスによって作られていた位相空間が消え、バロールがその場に現れて膝から崩れ落ちる。
「俺の、クラウソラスが」
「終わりだな、バロール」
シンクが、バロールに近づいていく。
「お前には、然るべき報いを受けて貰う」
「ひぃ」
後ずさっていくバロールを冷たい目で見つめ、追いつめて行く。その手には騎士剣が握られたままだ。
「まずは、抵抗できないよう両腕から……」
「やめなさい、シンク」
それを止めたのは、あろうことかステラ姫その人だった。
「この男には、話してもらうべきことが山ほどあります。ここで殺してはなりません」
「ですが!この男のしたことは万死に値します!あなたの失われた時間だって、もう、戻っては来ないんですよ!」
ステラ姫は首を横に振った。
「それでも、今殺しては、なりま、せ、ん」
「姫!」
言葉の途中で力を失って倒れていくステラ姫、その体を、シンクが抱き支えた。
「姫様!大丈夫ですか!」
「……少し、疲れました。このまま、休ませて、下さい」
「姫様……」
その腕の中で、ステラ姫は穏やかに寝息を立て始める。
「大丈夫だ」
「シュウ」
僕も痛む体を引きずって、二人の近くに移動した。
「魂の移植なんて大規模なことをしたんだ。今は、体が魂を定着させようとしてるんだよ」
それプラスで疲労もあるだろう。
けど、これならきっと心配するようなことはない。
「本当か」
「僕は、師匠の施術を信頼してる」
師匠が完璧に仕上げたんなら、まず間違いはない。
「あいつは」
いつの間にか、バロールの姿は消えていた。
どこかに逃げたらしい。
「構わないさ。どうせ逃げ切れはしない」
これで、全部終わりだと、シンクがそういった、その時だった。
「あ、あ」
部屋の中央で、誰かが声を上げる。
「私、は」
それはプラムが使っていた義体だった。
「私は、そんな、なんで」
義体を震えさせて、言葉も息も絶え絶えに、その子は宙を仰いでいた。
「……あれは、まさか」
「うん。多分、リア・ファルって呼ばれてた人格だ」
姫の体を追い出された魂が、魔術回路を通してプラムのクォーツに入ったのだろう。
けど、それも。
「長くは、もたないだろうね」
契約者であったであろうバロールとの関係が切れて、もうこの世界に留まれるだけの力が残っていないのだ。魔力が完全になくなれば、あの魂は、この世界から消滅する。
「私は、偽物、だなんて、そんなの」
忘れさせられていた事実を思い出したのだろう。
あまりに、むごい。あの子だって、いいように使われただけの、いわば被害者なのに。
「そんなの、酷い」
それを聞いたとき、思考より先に、体が動いていた。
「シュウ」
俺は今、どんな表情を浮かべているのだろうか。
「姫様を、頼む」
「え?おい、シンク!」
自分が消失していくような感覚の中で、その突きつけられた真実を理解したくなくて。
「嘘、だ」
現実逃避のような言葉を並べることしかできませんでした。
「いや、だ」
ここに存在する私は、ただの偽物の人口魂で。私が過ごしてきた時間は、全て偽りで。
意志も、記憶も、その存在全てが、あの男に操られるだけの傀儡だったなんて。
「酷い、よ」
他人の人生を奪い続けていたこと。それを自覚もせずにのうのうと過ごしていたこと。私に与えられていた時間がどれだけ貴重だったのか、分かっていなかったこと。全部全部、許せない。
「シン、ク、さん」
何より辛いのが、あの人が私に向けてくれていた感情、その全てが、本当は他人に向けられるべきものだったこと。
そんな真実、知りたく、無かった。
「あ」
取り返しのつかない何かが、消え始めているようでした。
私の胸に去来する、恐怖と罪悪感。
このまま消えてしまうなんて、そんなの。
「怖い」
けれど、意識は急速に失われていきます。
届かない祈りを抱えながら、私は全てを手放そうとして。
「手を!」
「え?」
声が聞こえました。
これは、夢でしょうか?
「俺と、契約を!」
消失する意識が見せた、一瞬の、都合のいい夢。
けれど、それでもいいと思えました。
だってそれは、私にとっての、最大の、幸福。
「ずっと、お傍に」
私は、私の全てを、今度こそ自分の意志で、その人に明け渡しました。
「これで、本当に良かったのか?」
「……分からない」
俺は、手の中で意識の落ちた魔道人形を抱えていた。
契約によって作られた回路で分かる。彼女の魂がこのまま消えてしまうことはないと。
「体が、勝手に動いていた」
俺はずっと、彼女に騙されていたというのに。
その全てを許したとは、到底言えないのにだ。
それでも、己の命よりも大切な姫を他の人間に預けてまで、駆け寄ってしまった。
「俺自身の中にも、複雑な感情はある」
俺が八年間守ってきた姫は、偽物だった。それでも。
「この八年間の全てが偽りだったなんて、思いたくないじゃないか」
過ごした日々は、確かに、あったのだから。




