先生の残したもの
僕は、ずっと過去に戻りたかった。
すべてを失った三年前に戻って、その全部をやり直したいと何度願ったことか。
先生たちのいる、あの研究室に帰りたいと、何度。
「マスター?」
「……大丈夫だ。行こう」
けど、もう願わない。
過去に思いを馳せるよりも、もっと重要なことが今の僕にはある。
ここに来たのも、先生に縋るためじゃない。
プラムの真実を知るために、僕はここに来た。
何とか秘密裏に首都まで都どり着いた僕たちは、スラム街の一角、先生たちが作ったであろう地下へと続く通路の中を進んでいた。
この先にあるものがなんなのか、僕には計り知ることもできない。
けど、進むって決めたんだ。なにが出て来たって構うもんか。
「マスター」
プラムが前方を指差した。
「ああ、ここか」
通路の終わりには扉がそびえたっている。
ここが、終点。
「当然、開かない、よな」
扉には取っ手も鍵穴もついてはいなかった。一応押してはみたけど、びくともしない。
「他になにか、あ」
すぐには気が付かなかったけれど、よく観察すれば手の形の窪みが扉には存在していた。
「指紋みたいなものかな」
その窪みに僕の手を当ててみるが、まるっきり反応はない。
「けど、無関係ってことは……」
少し考えて、僕は先生からの伝言を思い出した。
そうだ。
「『魔力回路が通ったら』か」
自ずと、答えは見えてくる。
「プラム、君の手をこの窪みに」
「あ、はい」
プラムが慌てて前に出て手を窪みに合わせる。
「あの?」
それだけでは扉は反応しなかった。
「プラム、その状態で魔力回路を起動するんだ」
「分かりました」
プラムが、うーんと唸って魔力回路を起動する。まだ慣れていないのか少し時間がかかったが、なんとか回路の起動には成功したようでその腕に銀色の光が灯り、そして。
「なんか、かちって感触、ありました」
魔力を通したプラムにはなにか手ごたえがあったようで、嬉々として僕に笑顔を見せてくれる。
そして。
「扉が……!」
「動き、始めました」
プラムの回路を鍵の代わりにしていた扉が、重々しく開いていく。
僕とプラムは緊張した面持ちでその様子を眺めていく。ほんの数秒のことが、なんだかとても長く感じた。
扉が開き切ったその向こうには。
「ここは、研究所、見たいだね」
「マスターの地下の工房に雰囲気が似てますね」
薄暗くてよく見えないが、コード類とモニターが置いてあるのが輪郭で分かった。
「電源が、どこかにありそうだけど。このへんかな」
僕は手探りで、電源のありそうな場所を探し当ててそのスイッチを入れる。
するとモニター類に淡い光が灯り、部屋全体がなんとなく見えるくらいには明るくなった。
「マスター、あそこに」
まだいまいち目が慣れない僕より先に、プラムが部屋の中央に何かを見つけたらしい。
僕はそれを見て、どれほど、驚いたか。どれほど、懐かしい気持ちになったか。
「私が、目覚めた時と、同じ」
そこにあったのはいくつものコードに繋がれた魔道人形の頭部だ。プラムが自分と同じと言ったのは、あの時の首一つだった自分のことを思い出したのか。
けど、僕が驚いたのはそこじゃない。
もっと単純な話だ。
その、魔道人形は。
「先、生」
忘れもしない。どれだけ焦がれたか。あの顔、輪郭、髪の色。間違いなく、あれは先生だ。
思ってもみなかった。
まさか先生が、首だけで僕を待っているなんて。
「あの人が、マスターの」
「ああ、間違いない」
僕は、先生に近づいて、数年越しに、なんて言葉をかけるかを考えた。
多分、これが正解だ。
「ハロー、先生」
首の口元が少し笑い、三年ぶりのその声が、僕の耳を打った。
「ああ、懐かしい。最初に目が覚めたとき、教授が私に言った言葉だ」
先生の目が開く。
先生の言葉は、三年前と同じ、冷静で落ち着いたものだった。
「やぁシュウジ、君にとっては久しぶり、ということになるのかな?意外だね、君がメイドを囲う趣味があったなんて」




