魔術回路
暗い、不透明なガラスの中に、私は閉じ込められていました。
そこには私がいるだけで他には何もなくて。音も光も、ほんの少しの刺激すらも存在しない世界の中で、私はどこに届くこともない悲鳴を上げ続けていたのです。
「―――助けて」
夢の中で感じる苦痛のように、もがいても意味はなくて、ただぼんやりとした不安と恐怖が、痛みを伴わない息苦しさが延々と続いているようで。
「―――助けて」
ずっと覚めない悪夢の中に私はいました。
「お願い―――、助けて」
けれど声は届かず、光は見えず。沈んでいくように、浮かんでいるように、私はただそこに存在していたのです。
「――――――!」
酷い恐怖と同時に目が覚めました。
私はまた夢を見ていたようで。今回は、それが凄く恐ろしかったらしいのです。
どんな内容だったのかは、やっぱり覚えていないのですが。
「プラム?」
「え、あれ。マス、ター?」
ぼんやりとしたまま横を見れば、そこには心配そうな顔で私のことを見るマスターが。
周りを見れば、そこはいつもの地下の工房で、私はベットに寝かされていてマスターは隣に座っていました。
「どうしたの?大丈夫?」
「平気、です。少し怖い夢を見ていただけですから」
それだけ答えてすぐに、マスターの体がボロボロであることに気が付き、そして連鎖的に闘技場でのことを思い出しました。
「マスター、その、体」
「ああ、これ?見た目ほど大した怪我じゃないよ」
「ですが、あれだけ痛めつけられて」
「うん。でも、あいつ手慣れてた。すっごい痛かったし音も見た目も派手だったけど、後に引きずるような怪我は全くなかった」
マスターは両手を握ったり開いたりして感触を確かめています。
「きっと今まで散々試してきたんだと思う。どれだけ痛めつければ人間が壊れるか。それで、僕はギリギリのところで手加減されてた」
マスターは、どこか悔しそうでした。
「でも、僕のことはとりあえず問題ない。それよりも、プラム。問題は君の方だ」
「……私?」
それも、だんだん思い出してきました。
あの闘技場で生まれた、私の中の光。
私は、今こうして冷静になって初めて、その得体の知れなさに不安を感じ始めました。
あれは、なんだったのでしょう。
「プラムには悪いと思ったけど、君が寝ている間に軽く義体の解析をさせて貰ったよ」
「それは構わないのですが、私はどれくらいの間眠っていたのでしょうか?」
凄く長い時間だった気がするのですが。
「大体丸二日くらいだね」
「そう、ですか」
長いような、短いような。いえ、もう帰ってこられない可能性もあったのですから短いと思っていいでしょう。
「それで解析の結果なんだけど」
「はい」
私は固唾をのみます。
「一応は、予想通りだった。以前に見た、プラムの中で育っていたあの回路。あれが、完全に成長してた」
私も、予想はしていました。あれくらいしか心当たりがなかったので。
「成長過程じゃ全容が分からなかったけど、こうして成長して解析してみたら、答えは結構簡単だったよ。あれは魔術回路だ。それも、人間のものに近い」
「人間の」
言われても、やっぱりぴんと来ません。
「それって凄いことなんですか?」
「凄い、なんてもんじゃない。これまで人工的な魔力回路はいくつも作られたけど、魔術回路は別だ。これまでいくつもの研究機関が挑んでは敗北を積み重ねてきた分野なんだ」
実感はあまり湧きませんが、それだけでやはり凄いものなんだということだけは伝わってきます。
「いいかい、基本的に魔術というのは生物以外に使うことはできない。魔道人形に使われる魔力回路じゃ動きの補助くらいが関の山だ。でも、君は違う。まるで人間のように魔術を使うことができる」
まるで人間のよう。
それはこれまで何度も言われてきたことですが、今回のこれは意味合いが違います。
人間に近いということではなく人間に似せたなにか。それも心ではなく力。
私は、自分のことなのになんだか恐ろしくなりました。
「なぜ、そんなものが私の中に」
「分からない。と、いうより」
マスターの複雑そうな顔で私のことを見ていました。
「プラムの方こそ、なにか思い出したこととかない?本当に、なんでもいいんだ」
私は戸惑いました。
何故、そんなことを聞かれるのか分かりません。
「いえ、なにも。でも、なんで」
「あの謎の回路の正体は分かった。でも、なんであんなものがプラムの中にあったのか、その理由が分からないんだ。あと残るのは、君の中にあったもう一つのブラックボックス。つまり」
「あ」
前に言っていた、記憶に関するなにか。
「ねえ、本当になにも覚えていないの?もうあとはそれくらいしか心当たりがないんだ」
言われて、私は頭をひねりますが、なにも出てきません。
「申し訳ありません。本当に、分からないんです」
「そんなはずは!いや、今は一旦いい。落ち着こう」
少し声を荒げて前のめりになったマスターでしたが、すぐに冷静になって居住まいを正しました。
「あの」
「なに?」
「その、私を作ったというお師匠さんと先生に直接聞けばよいのではないですか?」
「……無理だよ」
ポツリと、つぶやくようでした。
「二人とも、行方不明なんだ。それも、生死すらも定かじゃない」
「そんな」
私の生みの親とも言える人たちが、そんな風になっていると初めて知りました。
同時に、納得もあります。
マスターが私の解析を追うように行う理由。お二人の話をするときに、少し寂しそうにする理由。
私を見るとき、二人のことを話すとき、マスターはもういない人のことを想っていたから。
「……これから私はどうなってしまうのでしょうか」
「それも、分からないよ。でも、あんまり悠長に構えてる時間は無いんだ。プラム。僕たちはこの町を出なくちゃいけない」
「え?」
そんな、だって。
「私たち、勝ったじゃないですか。あれだけ大変な目に逢って、それでもこの生活だけは守れるんじゃ、無かったんですか」
そのために戦って、その困難を退けたはずなのに。
「まさか、組合の人たちが約束を反故に」
「いや、組合は関係ないよ。あれから特に干渉もしてこない」
「じゃあ、なんで」
「プラムが使った魔術。あれは、星の光だ」
「星の、光?」
「そう。それはね、この国の王族のみが持つとされる力で、今は失われてしまった力なんだ。あれだけ大勢の人の前でその力を使ってしまった以上、きっとその出自を問われることになる。それだけは、まずい」
「じゃあ、原因を作ったのは、悪いのは……」
私?
守りたかった日々を、実質的に壊してしまったのは、私の。
「それは違うよ。誰も、悪くなんかない。そのはずなんだ」
マスターは、まるで自分に言い聞かせるようにそう言いました。
「その、はずなんだ」
私達の間に何とも言えない沈黙が下ります。
私は自責の念で。マスターもまた、何かを必死に押し殺して。
そうして、時間は無為に過ぎていきます。
どれくらいの時間が経ったでしょうか。マスターが口を開きました。
「こうしていても仕方がない。プラムが動けるようになったらすぐに出よう。幸い、準備はできてる」
「……そうですね」
私は自分の調子を確かめるためにベットから起き上っていくつか動作の確認を行います。
「どう、大丈夫そう?」
「はい。これならすぐにでも」
ですが、マスターは首を振ります。
「まだ、魔術回路が完全には定着していないんだ。急激に成長したからね。プラムが寝込んだ原因もそれだよ。出来ればもう数日待って安定させたい」
「ですが」
「無理は禁物だよ。僕もできる限り調整はするから、それからでも遅くは……」
その時です、工房に設置されているモニターの一つがけたたましく鳴りだしたのは。
私もマスターもびっくりして、そっちの方を見ました。
そんな音、これまで一度も聞いたことがなかったものですから。
見れば、画面は一面真っ赤に染まっていて、なんの操作もしていないのに文字が躍るように巡っていきます。マスターは慌ててモニターに駆け寄っていきました。
「これって、まさか」
何が起きたのかモニターを操作して確認していくうちに、マスターの顔はみるみる青くなっていきます。
「最悪だ」
マスターはうなだれて、絞り出すように私に言います。
「ごめん、プラム。君の調整を行う時間も、無いみたいだ」
「それって」
不安そうにする私を気遣う余裕すら、もうマスターにはありませんでした。
「この工房は今、完全に包囲されてる。突入してくるのは、時間の問題だ」