花喰い地蔵
娘は嘆いていた。
――私も来年になれば、姉さまのように顔も知らない男の元に嫁いでゆく。このまま隠れて慕うあの人に、想いを告げることも許されないのだろうか。
村はずれにある地蔵様は、彼女の唯一、憩いの場であった。今朝も娘は屋敷を抜け出し、石の笑顔に並んで膝を抱えている。
自分の足もとに紫陽花の折れた枝が一房転がっているのを見て、どうやら、彼女は“花喰い地蔵”の言い伝えを思い出しているらしかった。地蔵様に花を供えると、願いをひとつ叶えて下さるという。6月の空から雨が一滴、娘を目がけて落ちてきた。梅雨の季節がやってくる。
その晩、彼女は妙な夢を見た。
あの地蔵様がコリコリ首を傾げて言うのだ。
『その願い、賜った』
目覚めると、家の二番目の姉の姿が消えていた。身体の弱い彼女が一人で遠くに行くことは考えられない。夜が明け、村を上げての捜索がはじまった頃、娘は、地蔵様の元に走った。
ひどい雨だった。急ぐあまり、泥濘に足を取られ、その場に手をつく。視線の先では、地蔵様が変わらず笑っていた。娘ははっとする。昨日、供えたはずの紫陽花の花が、なくなっていたからだ。
“花喰い地蔵”
あの言い伝えには続きがある。地蔵様は、願いと引き換えに、その家の若く咲きほこった女をどこかへ隠してしまうと。
泣き崩れる娘の背後に、男が一人立った。
「香さん、ずぶ濡れではありませんか」
娘の想い人、村の開業医、東島だ。
娘が真相を知ったのは、随分、後のこと。東島から聞かされた。
姉の失踪は、駆け落ちだったというのだ。彼女は、身体が弱いことから家を出ることを禁じられ、当時、妹が婚約していた隣村の男と隠れて地蔵様の袂で逢瀬を重ねていた。ある日、相手の男が香の置いた紫陽花の花を見て、早合点したそうな。紫陽花は、その花弁の色を変えて成長させることから『心変わり』を表す花といわれている。それを、別れの言葉と受け取った彼は、姉をさらう形で姿をくらますことにしたのだ。
ところで、なぜ、東島が、ふたりの事情を知っていたかというと、いち早く、姉のお腹に宿る小さな命に気付いていたからである。その後のことは、誰も知らない。
今は、どこかで家族三人仲睦まじく過ごしていていることを、地蔵さまに祈るばかりである。
「香さん、紫陽花には家族団らんの意味もあるといいます。あなたは、ひとつの家族を守ったのですよ」
東島が、地蔵に手を合わせる娘の隣に屈んで紫陽花の花を手渡した。もうすぐ、あれから、三度目の梅雨がはじまる。
明治・大正・昭和初期を意識して、あらすじ止まりになってしまったショートショート。時代背景が全くない不親切な内容ですが、投稿!!!!お読みくださりありがとうございました。