最後の夜
ここ最近はほとんど彼女のために生きる張り合いが出ていたこともあり、そのために少しでも正直にありたいと思ったせいかもしれない。
とにかく……蒼士が心配した割には、ティーヌは軽蔑の表情など全く見せなかった。
その代わり、自ら鉄格子の隙間から手を伸ばし、蒼士の手を握ってくれた。
「わっ」
「わたしが止めたところで、もうあの男が貴方と身体を交換する事態は避けられないことでしょうね」
「その通り。そしてあいつは、どっちにしろ俺達を殺すつもりだ」
一瞬だけ俯いた後、ティーヌはゆっくりと顔を上げた。
「貴方の勇気を称えます、蒼士さん。……なにかお礼をしたいのですが」
「い、いや……まだ成功すると決まったものでも」
「関係ありません。貴方の気持ちに対して、お礼がしたいのですから」
そこまで言われ、迷った挙げ句、蒼士は思い切って頼んだ。
「じゃ、じゃあ……ティーヌの瞳を見せてほしい」
「少し……光ってるから、人間が見ると気味が悪いかもしれませんよ」
「いや、そんなこと絶対ない」
我ながら確信を込めて断言すると、ティーヌはゆっくりと目を開いた。
特に目が見えないわけではなく、ただこの瞳を見る相手にとってはひどく緊張させるらしいので、わざと閉じている――以前、彼女からそう聞いた覚えがある。
その瞳が、ついに露わになっていた。
髪と同じく空色で、透明感のある綺麗な瞳だった。ただ、光彩だけではなく、瞳全体にうっすらと色がついていて、そこが人間と違う。
見つめていると自然と引き込まれてしまうような魅力があり、おまけに瞳そのものが微かに光っているようでもある。
「綺麗だなあ」
我ながら馬鹿みたいなセリフを吐いてしまったが、ティーヌは妙に恥ずかしそうだった。
「……おかしくないですか? わたしの瞳を直視する人は、なぜかうろたえる人が多いのです」
「それは、単に焦っているのでは」
「目を見ただけで、何を焦ることがあります?」
小首を傾げたが、あまりにも蒼士が見つめるせいか、やがてティーヌはそっと瞳を閉じた。
「……あまり見つめないでください」
少し頬が赤かった。
とても、魔族でも屈指の戦士だとは思えない。
だが少なくとも、蒼士の覚悟が増したのは事実だった。もう一度この瞳を見るためなら、命くらい賭けてやる――生まれて初めてそう思った。
マンションの部屋に帰宅してからも、しばらく蒼士は夢見心地だった。
ただティーヌの瞳を見ただけで、なにをほけっとしているのかと自分でも思うが、間近で見た彼女の瞳が息を呑むほど綺麗だったのは間違いない。
ただ、さすがに時間が経つに連れて、明日への恐怖が増してきた。
今日……いや、正確には今から十六時間後には、蒼士と身体を交換するために、魔王がこの部屋を訪れるのである。
毒物入りカプセルをあらかじめ飲んで、その捨て身の攻撃で身体を交換した魔王を倒すなどという捨て鉢な計画を立てたはいいが、上手く行く自信は全くない。
せめて少しでも成功の可能性を増やそうと、蒼士はそれから、眠るのも忘れてテストに励んだ。カプセルがどれくらいで溶けるかが一番の問題だが、またお湯にカプセルを漬けるテストを繰り返し、中身が漏れ出す時間をできるだけ正確に測定してみる。
しかし、やはり「およそ五分前後で中身が漏れ出す」というところまでしかわからなかった。
飲み込んだ蒼士が頻繁に身体を動かした場合は、当然ながらこの測定時間にはズレが生じる。いずれにせよ、あまり早めに飲むのはまずいのだろうが、かといって身体を交代するギリギリで飲むのもまずい気がする。
理想は、向こうがおかしな手段を使えないように、身体を交代したその瞬間に死んでくれるのが望ましい。
……だが、いかに蒼士が楽観的に考えようとしても、そう上手くいくとは思えなかった。
(今できることは、少しでも生き残る確率を上げることだけだ。そのために、あらゆる状況を想定して準備しておこう)
そう決意した蒼士は、夜通し考えに考え、文字通りあらゆる可能性――寸前でトチってしまう可能性なども考慮し、思いつく限りの準備をした。
馬鹿らしいと思うようなことでも、ためらわずに。
なにしろ、今回の計画には自分やティーヌの命はもちろん、下手をするとこの自治区に閉じ込められている、全ての人間の運命もかかっているかもしれないのだ。
いくら慎重を期しても、やりすぎということはないはず。
そして、ようやく「もういくら考えようと、できることはない」と蒼士が息を吐いた時には、外はすっかり明るくなっていた。