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仮面魔王(魔界と地続きになった街)  作者: 遠野空
第一章 わずかな生存確率への賭け
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わずかなチャンス

「――っ!」


 なんだかやたらとよい香りが漂い、エグランティーヌが蒼士の前に立つ……鉄格子越しではあるが、これで蒼士は、初めて彼女と相対したことになる。

 意外なことに、彼女は百七十四センチの蒼士より、若干低かった。なんとなく自分より高い気がしていたので、それも蒼士には驚きである。




「……いつも食事を置いていってくれて、ありがとう」


「うわっ」

 まさか口を利いてくれるとは思っていなかったので、蒼士にしてみればこれも驚きである。この一週間、一言も話さなかったのに、なぜ今になって話しかけてきたのか。


 それと……自分がいつも、こっそりパンなどを牢の中に素早く入れていくのを、気付かれていたことも意外だった。

 付け加えるなら、どうせ魔族の高レベル戦士は、一ヶ月くらいは何も食べずとも平気でいられるので、お礼を言われたのも意外と言えば意外である。


「ま、まさか、俺に気付いているとは思いませんでした」

「気付いていましたよ、初日から」


 エグランティーヌは静かに答えた……閉じた目を蒼士に向けたまま。


「ただ、気付かない振りをした方が、貴方のためだと思ったのです……わたしは、あの方に憎まれていますから」 


 あの方とは誰か、などという間抜けな質問を、蒼士はしなかった。

 魔族軍の第三軍指揮官を処刑できるほどの権限を持つ者といえば、もはや魔王ジェイガンその人しかいない。

「では……どうして今日は話しかけてくれたんです?」

 恐る恐る問い掛けると、エグランティーヌはあっさり教えてくれた。





「今日が、貴方の運命の分岐点だからです、モリオカ・ソウシさん」


 言語変換の魔法ですらすらしゃべっていても、名前を呼ぶ時だけは、微かな訛りのようなものがあった。しかし、まさか名前まで知られていたとは。

「ど、どうして――」

「それが私の力なのです……いつもとはいきませんが、わたしは時に未来を視ることがあります。ソウシさん、貴方が立ち寄った初日に、私は未来を垣間見ました」

 わけがわからないが、なぜか迂闊に遮ってはいけない気がして、蒼士は瞳を閉じた魔族戦士を見つめる。

 鉄格子を握った彼女は怖いほど真剣で、蒼士をからかっているようには見えなかった。


「明日から二度とここへ立ち寄らなければ、貴方はこれまで通りの生活を送れます。もちろん、もっと未来はどうなるかわかりませんが、今は元の運命へと戻ることができましょう。でも……明日以降もここへ立ち寄ってわたしに関心を示せば、貴方の運命は確実に変貌するでしょう。それも、今の貴方が想像できないほど大きく」


 淡々と紡がれた言葉を必死に理解しようとしても、やはり蒼士には何がなにやらさっぱりだった。

 ただわかるのは、エグランティーヌが本気だと言うことだけだ。

 おそらく本当に、明日以降もここに来れば、運命が変わるのだろう。

「それで……俺は死ぬんですか……明日以降もここへ来ると?」

「確率は高いです、残念ながら」

 エグランティーヌは寂しそうに俯いた。


「来ない方がいいと告げるのは、貴方の優しさに触れたわたしにとっては残念なことですが、でも、だからこそお教えしないわけにはいきません」


 魔族の概念を打ち破るような丁寧な言葉遣いで、エグランティーヌはそう告げた。

「そう……ですか」

 自分を心配するが故の忠告は嬉しかったが、しかし今の蒼士の役には立たなかった。


 なぜなら、間抜けにも自分ですら今まで気付かなかったが――蒼士にとっても、エグランティーヌに会えなくなるということは、ひどい喪失感を伴うことだとわかったからだ。

 しばらく沈黙して考えた末、蒼士はかろうじて尋ねた。


「それで、俺の生死のことは置いて、仮に明日以降もここへ来れば、なにか貴女にとってはプラスになりますか?」


 この質問に対し、なぜかエグランティーヌは即答しなかった。




 まるで彫像と化したように、そのまま立ち尽くして蒼士を見つめている……いや、相変わらず目は閉じているのだが、蒼士自身は見られている気がしてならなかった。


「言っておきますけど、返事がなければ、どのみち明日も来ますよ」


 半分やけくそで申し出ると、エグランティーヌは(見えないはずなのに)素早く左右を見て誰もいないのを確認するような様子を見せ、それからそっと訊き返した。

「なぜ、そこまでしてわたしに会おうとします?」

 一瞬で頬が熱くなり、蒼士は自分こそ俯いてしまった。

 まだろくに会話もかわしていないのに、まさか本心を告げるわけにもいかない。そこで、ぶっきらぼうにこう言っておいた。


「俺のことは置いて、貴女を助ける方法があるなら、なんとしても力になりたいからです」


 少なくとも、嘘は言ってない。ただの人間がっと笑われるのを承知で言ったのだが、エグランティーヌは笑わなかった。

 むしろ、彼女にしては珍しく、驚きの表情を浮かべた。


「どうして、近い先にそういう機会があると――」


 言いかけ、蒼士が目を瞬くのを見て、口元を綻ばせる。

「そうでしたか……今のは貴方の未来予知ではなく、純粋な本心なのですね」

 レジーナの言い草を聞いた時、蒼士は一瞬の間を置き、目の前がぱっと明るくなった気がした。


「つまり、そういう機会がこの先にあるわけだっ!?」


 勢い込んで捲し立てると、エグランティーヌが少し眉をひそめた。

「声が大きいですよ」

「うっ」

 蒼士は慌ててまた周囲を確認し、やはり誰もいないのを確かめる。

 まあどうせ、この界隈の人口は以前と比べものにならないほど少ないのだが。


「とにかく……方法があるなら、教えてください。いや、教えなくても、どうせ俺は明日もここへ来るんですから」


 断固として言うと、またしばしの沈黙があり……やがて、エグランティーヌはそっと息を吐いた。


「……わかりました。でも、これは貴方にとって、ひどく危険なことだと思います」


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