少女誘拐犯
マンションへ移動する途中、紅林を軽々と担いで歩くティーヌが、ぽつんと言った。
「今後は、なるべくわたしがおそばに控えますね。ジェイガンは気まぐれな男でしたが、立場は魔王だけあって、やはり謁見を求める臣下がいないわけではありません。――それに」
「それに?」
気になってティーヌの方を見たが、彼女よりも肩に担がれた紅林の姿にどきっとした。
というのも、腰を前にして担いでいるものだから、スカートの中が割と丸見えだったのである。シルク素材らしい純白の下着など見てしまって、蒼士は慌てて目を逸らした。
「それに……もうすぐ、そのうち彼らも謁見を求めてくるでしょう」
幸い、ティーヌはなにも気付かずに答えた。
「第一軍と第二軍の将軍達です。……大抵の者は、復活したわたしの権限でどうとでもなりますが、さすがにあの二人はまずいですね」
「第一軍と第二軍か……見たことないけど、強いんだろうな」
魔界では、部隊の数字を見れば、あっさりと率いる指揮官の強弱がわかる。
ティーヌが第三軍だから、その二人はティーヌよりも上ということになるのだ。
「まあ、なるべく余計なボロを出さないようにして、どうしてもという時は演技するしかないかもしれない」
「問題はまだありまして……蒼士さんが魔王ジェイガンの身体と交代したことで、おそらく近々レベルダウンが起きるはずです」
「レベルダウン? そういや前にも言ったね、それ」
うっかり紅林の下着を見ないよう、蒼士は加減してティーヌの横顔を見た。
「……我々魔族は、レベル魔法というもので調べれば、レベルがわかるんです。しかし、このレベルは肉体的な強弱も加味されますが、本来は本人の内面に対して行われるものですから、交代した今、遠からず蒼士さん本来のレベルになってしまうはず」
「それは確かにまずい!」
自分のレベルなんか知らないが、高いはずがない。
「レベル魔法って、他人がかけられるのかな?」
「普通は魔王に対してそんな無礼はしませんし、それに元々ジェイガンは魔力抵抗の高い男でしたから、レベル魔法などはそうそう通じません。ただ……今は交代している上に、あの二人に限って言えば、必要だと思えばレベル魔法も使うでしょうし、彼らの魔法は強力です。なるべくわたしがついていて、阻止しますが」
本人も心配そうに呟き、ティーヌはゆっくりと首を振る。
「それに、まだ問題はありまして――」
言いかけ、蒼士の方を向いて立ち止まった。
情けなさそうな表情をしているのを見られたのか、途端に苦笑した。
「いえ、今はこの辺にしておきましょう。そう心配ばかりしていても始まりません。……今宵の宿に着きましたし」
言われてみれば、蒼士達は路地の片隅に建つ、白い立派なマンション前に建っていた。
マンションは五階建てだったが、このマンションはエレベーターのケージが五階で留め置かれていた。どうも、たまに立ち寄る魔王の方針らしい。余計な奴がこないように、わざとそうしたとか。
ちなみに、三年前のブラックサンデー以後も、この自治区内では普通に電気が使える。
どういう仕組みでそういうことが可能なのか謎だが、送電は止まっていないらしい。
ティーヌに前に訊いたところでは、「詳しい理屈はわたしにもわかりませんが、デンキは元の蒼士さんの世界から盗んでいるようです。その手の魔法に長けた者がいるので」という、わかったようなわからないような説明をされた。
もちろん、使えた方が便利なので文句などないが、いずれにせよ、今は五階まで足で上がるしかない。
参ったのは、監視員のゴブリン兵士が蒼士達がマンションへ入ろうとするのを見かけ、駆け寄って来ようとしたことだ。
すぐにティーヌが見つけて、「戻りなさい! ジェイガン様は邪魔されるのを好まないわ。仲間にもそう伝えなさいっ」としっかり命じてくれたが、この調子では先が思いやられる。とにかく、なるべく魔族とは接触しない方がいいだろう。
ボロが出るに決まっているからだ。
「早急になんとかしないとな……それに、俺ももう少し強くならないと」
「強く、ですか?」
前を歩くティーヌが、振り返った。
彼女の力で空を上って五階へ直接入る、というのを断ったら、本人も階段につきあってくれたのだ。
「訓練ということですか」
「そう。演技だけではどうにもならないこともあるだろ? 幸い、この肉体は素材としては最高だろうから、後は俺の努力次第ってことじゃないかな」
むっつりと蒼士が答えると、ティーヌはなぜか手を握って激賞してくれた。
「まあ、それは尊いお志ですわ。わたしも、おつきあいいたします!」
「あ、ああ……そうしてほしいね、本当に」
蒼士はまたしても照れてしまい、そっぽを向いた。
あと、紅林を担いだまま、迂闊に動かないでほしいと思う。ティーヌがこちらを向く度に、紅林のスカートの中を覗く羽目になるので。
案内された最上階は、4LDKもある、馬鹿みたいに広い部屋だった。
しかも、リビングなどは16畳ほどの広さがある。
この地価の高い土地で、どんな金持ちがここに住んでいたのかと思うが……あいにく、もう住人の痕跡はさほど残っていない。
ソファーやテーブルなどの家具が置かれているだけで、ここは本当に、自治区滞在中にたまに魔王が休む場所になっていたようだ。
監視員達もそれを知っているので、余計な奴が入ってくる心配もない。
「では、わたしは配下と共に蒼士さんの元の家まで赴き、後始末をしてきます」
「うん、頼むよ。住所は――」
ここからさほど遠くない場所を教えると、ティーヌは深々と一礼して、去って行った。
「では、後ほどまた」
……それはいいが、同級生の紅林亜矢は、リビングのソファーに放り出されたままだ。
もしかしなくても、こいつが目覚めるとヤバいのではないだろうか?
そこに気付いた蒼士は顔をしかめ、しばらく考えた。時刻はそろそろ夕刻だし、万一にも、寝ている時に殺される心配をしたくない。
考えた末、蒼士は部屋中を探してガムテープを見つけ、紅林の両手を背中でまとめ、ぐるぐるとテープで巻いておくことにした。また襲いかかられたらたまらない。
(手だけでいいか? 猿ぐつわもしないと喚かれるような)
などと考えると、もう気分は少女誘拐犯である。
そこに気付いてどっぷりと自己嫌悪に浸ったので、結局、猿ぐつわはやめた。
だいたい、思わぬきっかけとはいえ自分を「好きだった」と絶叫してくれた子である。以前と違い、大いに意識してしまう。
「よ、よし……これでいい」
どぎまぎしながらようやく作業を終え、蒼士は紅林をそっとソファーに横向きに寝かせてあげた。スカートの裾が乱れていたので、慌てて戻してやる。
慣れないことをしたせいか、あちこち余計な部分も触ってしまい、もうだいぶ参っていた。
――とその時、玄関の方から粗暴なノックの音がした。
「魔王様、ご在宅でしょうか!」
だみ声が聞こえ、蒼士はぞっとした。
だ、誰も来ないはずじゃなかったのか!




