我、生還せり
ようやく馬鹿笑いをやめた後、蒼士はゆっくりと立ち上がった。
隣には、不自然な角度に手足がねじ曲がった少年が倒れている。もちろん、ついさっきまでの自分の身体である。
元自分の身体なのに、正直、あまり見たくないような有様だったが、蒼士は我慢して見下ろした。
……魔王ジェイガンの死を、自分の目で確認しておきたかったからだ。
幸い、脈をみるまでもなく、もはや完全に死んでいた。そもそも頭が割れているし、やたらと濃い色の血が派手に路上に流れている。
掴み合いの姿勢のまま、もつれ合うようにして落ちたのだが……こいつは運悪く、頭の側面をアスファルトにしこたまぶつけたらしい。
本来ならこれでほっとするところだが――蒼士は、一つ妙なことに気付いた。
魔王の死に顔……蒼士の顔を持つ魔王の死に顔が、どうも腑に落ちない。
というのも、どう見ても不敵に笑っているのだ!
途中までは怒鳴り合っていたほどで、こいつだってかなり焦っていたはずだ。なのに、この死に顔はどういうことなのか?
(し、死体の筋肉が弛緩して、こんな顔になったとか……)
よくわからないが、見ているうちに不安になってくるのは間違いない。なにか、自分が見落とした可能性があったのか? 思いつかないが。
しかしこれ以上見ても、得るものはなさそうである。
首を振って周囲を見ると……ふいにガタガタっとあちこちで音がした。見れば、周囲のマンションや家の窓が、嘘のようなタイミングで同時にしまっている。
これは多分、今の騒ぎで周囲の住人が注意を引かれて窓を開け、しばらく観察していたのだろう。まあ、ちょっと見ただけでは単に蒼士が遊ばれて殺されたようにしか見えなかったはずだが……どちらにしても、あまり気分のよいものではない。
蒼士はなんとなくマンションの駐輪場へ足を向けようとして、結局そのまま駅へ向かった。
自転車は持っているが、魔王が自転車に乗って外出するなど、聞いたこともない。
奴はだいたい、腹心の運転手つきで車に乗って移動するか、それとも飛行魔獣に乗って空を飛んでいるからしい。
……あと、そもそも魔王は普段、どこにいるのだろうか?
そこからして疑問である。地続きになっている魔界に居城があるのは確かだが、「こっち側」に来ている時は、専用の滞在場所があるはずなのだが。
改めて考えると、蒼士は魔王について何も知らなかったも同然だった。
それに、ついさっきまではいかに生き残るしか考えておらず、万一自分が生き残った後のことを、全く考えていなかった。
おぼろげながら決めていたのは、「成功したら、ティーヌを解放する!」ということと「家畜扱いされている同胞を助ける」という二点くらいである。
……とりあえず他に目的もないので、蒼士はそのまま歩いて電気街の方へ足を向けた。つまり、ティーヌの元へ急いだのである。
死体は後で片付ければいいだろう。
無理もないことだが、マンションから秋葉原駅の電気街の方へ歩いて行く途中、蒼士は魔王がいかに街の人に恐れられているのか、実感できた。
自分自身は、魔王が外を歩いているところに出くわしたことなどないが、もしあれば、おそらく彼らと同じ態度を取るはずだ。
……つまり、見かけた途端、速攻で逃げる。
遠くから見つけたら、くるりと回れ右して競歩並の速度で歩いて逃げるし、不運にも寸前まで気付かなかったら……すれ違う際に、腰が九十度になるほど一礼し、すれ違った瞬間、やっぱり超速で逃げる。
いずれにせよ、蒼士が向かうところ、まるでモーゼが海を割るような有様で、遮る者など皆無だった。
そもそも、自治区の監視員に当たるゴブリン兵士にしてからが、こっちの姿を見た瞬間に這いつくばっている。
初めは多少の面白みも感じたが、蒼士は百メートルも歩かないうちに、うんざりしてきた。
これでは、おちおち街も歩けない。「俺としばらく交代しろ」と要求してきた魔王の気持ちも、少しわかる気がした。
とはいっても、あいつが代わりたかった理由は、蒼士がうんざりするのとは、全然別ものだろうが。
……とにかく、ようやく駅近くのクロスフィールドに到着し、蒼士は相変わらず止まったままのエスカレーターを上がって、いつもの立体歩道に出た。
相も変わらず、通行人は誰もいない。
もちろんティーヌも、いつもの檻の中にいた。
ただ普段と違うのは、蒼士の方を向いた途端、一瞬で顔をしかめてしまったことだ。あれっと思ったものの……蒼士は自分がジェイガンの姿であることを思い出した。
苦笑して檻の前まで行くと、ティーヌが立ち上がってそっと歩み寄ってきた。ただ、鉄格子のすぐ前までは来ない。
少し距離を開け、警戒気味の顔でこちらを見ている。今にも唾でも吐きそうに見えた。蒼士は、この子がこんな表情もできるのだと、初めて知ったほどだ。
蒼士は辺りを慎重に見渡して誰もいないことを確認し、そっと話した。
「成功したよ、ティーヌ。俺はジェイガンじゃない、森岡蒼士だ!」
抑えたつもりだが、名乗った時にはかなり誇らしい気持ちだった。




