第1話「出会い~直衛彼方と大地吉宗の場合~」第4幕
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……何だろう、後頭部がやけにじくじくと痛む。耳元で複数の声のざわめきが聞こえてくる。
やがて少しずつ頭に血が通いだすにつれ、ひんやりとしたコンクリートの感触を知覚していき、どうやら落ちてしまったらしいと今更気づいた。似たようなことがあっても、咄嗟に受身が取れる程度の鍛錬は積んでいたつもりだったのだが。
(……皆が見てなくて良かったかな)
こんな体たらくを身内―――取り分け祖父にでも知られようものなら、心配するよりも先に『鍛え方が足りん』とでも一喝されることだろう。
動かない自分に慌てているのか、周囲の音がやけに騒がしさを増してくる。無事であると意思表示したいのは山々だったが、寝起きのせいか体どころか指先にも上手く力が入らない体たらくだった。
流石にここで病院送りになってしまっては困る。今が何時かは知らないが、最後に時計を確認した際、待ち合わせまでもう間もなくだったはずだ。
――オイッ!大丈夫かしっかり!………ああもう、徳川のアホがこんなトコに突っ立ってるから………っ!
――い、いや、普通にコンクリートにぶつかってたら、そっちの方がよっぽど危なかったと思うんですけど………あの、そっちの大きい人は大丈夫なんですか? 何かピクリとも動かないような――
――ああ大丈夫。そいつ頑丈だから。
自分を案じて間断なく呼びかけられる声が鮮明に聞こえてくると、瞼をもう一息こじ開ける程度には力が戻ってきた。
逆光で、目の前の景色はハッキリしない。しかし、自分が目を開けた瞬間に明らかな安堵の吐息が漏れるのがわかった。
今は何時だろうか、いや一言礼ぐらいは言っておかないと―――
そうこうしている内に、体がゆっくりと優しく抱き起こされていく。一つ二つとかけられてくる労わりの言葉に申し訳なく思いながら、相手の顔と向き合って口を開きかけた時だった。
「―――――」
肌の上を火花が走った。心臓が早鐘の如く鼓動を打ち鳴らし、視界に映るその姿に、どうしようもなく引き寄せられる感覚。
頭の天辺から足の爪先までも、津波のようなマグマに満たされていくようだった。堪らなく熱いのに痛くない。けれどこんなにも苦しい。
身体が歓喜に震え、弛緩しきっていた四肢が急速に熱を帯び、灼くような渇きが喉に溢れだす。
――泣きたくなるほど切ない光の向こう側。額へ伸ばされた手のひらから伝わる熱が、その輪郭が幻でないことを教えてくれる。
上手く舌が回らない。未だかつて感じたことのない、呼吸すらままならなくなるような熱が身体に浸透していく。それこそ骨の髄から溶けてしまうのではと錯覚するほど。
今まで、胸に強く息づくことなどなかったもの。
欲望があった。
悲しみがあった。
飢えがあった。
――歓びがあった。
呼吸すら苦しくなるような断続的な痛みの波が、激しく脈打つ心臓の鼓動だと理解するのに数秒を要した。
辛うじて肉体を御していた理性がボロボロと剥がれ落ち、彼は最早矢も盾もたまらず、吸い寄せられるかのようにその手を伸ばし―――
――最後に思い出せたのは、口の中が、乾きを潤す清水のような何かで満たされていくのに似た感覚と、頬に残った鈍い痛みだった。
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「や、やっぱりこういう時は救急車だよね……でもどうしよう、携帯からでも掛けられるんだっけ? ってさっき直衛さんもやりかけてたか……」
オドオド、ワタワタ。そんな感じの丸文字の擬音が見えてきそうな感じの少女の声で、大地吉宗は頭と、そして何故か頬の痛みの感覚と共に再び己の意識が浮上していくのを朧気に感じた。
意識がボーッとする。何だか、長い長い夢でも見ていたみたいだ。
茫洋としていた視界が次第に晴れていくにつれ、見えてきたのは一人の少女――吉宗と丁度同い年位の、十歳か十一歳程と思しき女子の姿だった。
髪はふわっとしたコーヒーブラウンの内向きスウィートボブ。迷子のような灰色の瞳は、そわそわと落ち着きなさげに四方八方を見回している。明るいカーキ色のデイパックを背負っており、服装は淡い空色と紺碧の海色で構成されたボーダーシャツに、アウターは清潔な白いショートブルゾン。そしてボトムスは春の陽気そのもののような淡いたまご色のキュロットという爽やかなコーディネートでまとめており、頼りなげな印象とは裏腹に自然とよく似合っている。親の趣味という可能性もあるが、センスが良いのかも知れない。
誰もいないところでブツブツと独り言をもらし、百面相を披露している少女の姿を、しばし小動物の奇行を観察するような心地でぼんやり眺めた後、あれ、と今更思い返す。そうだった。確か直衛神社なる場所からの迎えを待っていて、『丁度いい』桜がすぐ傍にあったのでよじ登って寝入ってしまっていたんだった。
「どうしよう、名前もわかんないし交番にも連絡しようかな? 街の人達はこっちに質問するだけしたらとっとと『いいネタありがとう! これでご飯三杯はいけるわ!』とか『あの清純硬派がまさかの受けだったんだなー』とか言って皆どっか行っちゃうし、『ファーストキスから始まるふたりの恋のヒストリー』ってなんのことなんだか……」
恐ろしい位の説明口調ながらに全く理解の出来ない独り言を連発する少女を横に、吉宗は静かに回想を続ける。
うっかり木から落ちて一瞬気絶したことも覚えてる。誰かに助け起こされて、介抱されていたことも。
しかし何でだろう――確かに一度は目を覚ましたのにまた気絶していた、その理由がどうしても思い出せない。
「……あのー、もしもし?」
「えっ、うわっ!?」
のっそり起き上がって声をかけてきた吉宗に、何故か少女は顔を引き攣らせて、光の戦士がスペシウム光線を放つあのポーズ(折り曲げた両腕で十字を作るあれ)で数歩後じさる様子を見せた。
(あ、何か結構コイツ『通』かも知れない)
その反応を返すセンスだけで、普段女子とマトモに親交を交わすには向かない性格と神経をしていると自負する吉宗の中で、一気に少女への親近感が増した。今の一瞬だけで、うっすら友情と呼べるものすら(一方的に)芽生えた気がする。
身構えられる理由は甚だ心当たりはないが、吉宗本人としては起き抜けにこういう反応を見せられること自体結構慣れていた。寝ぼけによる前科が山のようにあるからだ。
「あー、大丈夫大丈夫噛みついたりしないから。……俺、ひょっとしてまた寝ぼけて何かやった?」
「……………あ、良かった正気っぽい」
ひとまず警戒(?)を緩めた少女は、安堵の笑みをホッと浮かべて構えを解く。
「あ、あははは、うん。やったと言えばやったんだけど、何て言ったらいいのか……」
「何? こっちの精神的ダメージ慮ってるんだったら、イナバウアーとか鼻に割り箸さしてどじょう掬いとか腹踊りレベルならどーってことないけど」
「ちょっと待って、やる前の段階でもう起きようよそれ!?」
「……うっ、うぐっ……!」
観客なしの不毛な漫才が始まろうとしていた矢先、二人の間に割って入るように響いた低く重い呻き声。反射的に少女の肩が強張る。
「……あっ!? 直衛の野郎どこ行きやがった、人との決闘ほったらかしてばっくれやがったのか! 畜生、神聖なタイマンを休み中の読書感想文みてえにおざなりにしやがって!」
吉宗は状況を理解出来ないながらに、その声が事態を更にややこしくさせるだろうと本能的に感じ取った。学生服がコスプレにしか見えないといった感じの四十絡みっぽい(断言)岩のようなその男は、怒り心頭に発するといった体で、頭を抑えながら吠えている。
少女は途端に「うわっ、こっちも起きちゃった!? っていうか今更だけど何で誰もあの人のこと病院に連れてったりしなかったの!?」と小声で漏らし、慌てて吉宗の手を取ってコソコソとその場を辞そうとするも、目を皿のようにして辺りを探っていた男と目が合ってしまう。
男はツカツカと大股に近づいて少女に詰め寄ると(吉宗の存在は見事に目に入っていないらしかった)、
「おい、そこの嬢ちゃん……さっき直衛と一緒だったろ。あの野郎、どこへばっくれやがった? 隠し立てすると為になんねえぞ」
どこもかしこも凶悪に角張った顔で凄まれるも、何故か少女は視線を彷徨わせて、答えに窮したように「えーとえーと」などと、何やら言い訳めいた声を漏らす。それから、意を決して顔を上げたかと思うと、まくし立てるようにヤケクソ気味で叫んだ。
「お、お魚をくわえたドラ猫を街で追いかけている最中に赤ちゃんが生まれそうになって、やむをえずタクシーを呼んだはいいけど車酔い起こして駆け込んだコンビニで不良に絡まれちゃった妊婦さんを助けて、付き添いに救急車に乗って行ったんです!」
「バイトに遅刻した新人の言い訳かコラ!? 混ぜりゃあいいってもんじゃねえぞ、舐めてんのか!」
……そりゃそうだ。吉宗だって聞いていてそう思う。とりあえず、親近感云々以上に嘘のつけない娘だと言うのはよくわかった。
それと同時に、彼女が何がしかの理由で、男の問いに応えられないということも。
(……どっちが悪いとかは、わかんないけどさ)
――とりあえず、最初に介抱(?)してもらった方に味方してみてもいいだろう。
「あ。あんなところで白戸家のお父さんの新シリーズCMの撮影が」
「「えっ!?」」
テキトーに呟いた出鱈目に、男はおろか少女もマトモに反応して吉宗の指し示した方向を仰ぐ。少女の支離滅裂な嘘っぽい言い訳には冷静だったのに、恐るべきやわらか銀行、というかカ●君。が、それには頓着せず、彼はすかさず少女の手を取って、
「よし逃げよう」
「え。……ってちょっと!?」
そのまま後ろを振り返ることなく、少女のペースには敢えて触れないまま全力疾走。チラ、と後ろを振り返ると、数秒遅れて担がれたと気づき怒気を露わにした男の姿がもう砂粒程に遠ざかっていた。
(何かわからないけど、ごめん?)
因みに、吉宗と少女だけは気づかなかったが。
指し示した先より更に数メートル先では、撮影は流石になかったが白戸家の父とよく似た北海道犬及びその子供と思しき二、三匹の仔犬達が飼い主にリードを引かれ散歩をしており、これまでの不遇の精算とばかりに男こと――後に名前を知ることになるが――徳川は、その愛くるしさに目を奪われ、ささくれたった気持ちを癒していた。
続きは多分2月以降 (おい)。これでまだメインキャラの半分しか出ていません。批判はオッケーでもスルーは勘弁して下さい、御願いします(涙)
//2月7日、2件目の感想もあり、2話用に書いていた文章をかなりつけ加えたり大幅改稿しました。何分初心者なので(この言い訳も何度目か)、こうしたこと(大幅改稿)を延々繰り返すかも知れません。何度も言いますが、これは今までのチマチマした改稿とは違う、かなりの部分の大幅改稿です(狼少年の言い訳風に)。わかりにくいようでしたら遠慮なくご指摘下さい。
//2月10日、『長すぎる』とのご指摘を受けて文章を分割、あと活動報告書にあった理由で登場人物の名前を一部変えました。